まるでともに修業していた時間が戻って来たような穏やかな流れの中で、ついに混沌が目を覚ます。
診療時間が終った後に、三人は外出して昔話に花を咲かすことにした。
三人で歩くのは実に4年ぶりだ。当時14だった二人にとって、レイはとても大人に見えた。
レイはあの時からスケベな砕けた人柄で、付き合う中で年上を意識した事はなかったとは言え、今はもう対等な大人として接することが出来る。何か新鮮だ。
「ホントお前、変わってないな。女に鼻下伸ばすとこ」
「バカを言うな。いつ鼻を伸ばしているんだ。オレは真面目に女性を大事にしているだけだぞ」
「真顔で冗談言うなっつーの……」
さっそく突っ込む気力が失せてくる。 どうやったらこんなことを平気で言えるのか。
サラセンにいたころも、女の修道士に声をかけては玉砕する姿を毎日のように見てきた。フォンに多情伝道師とまで言われたほどなのだ。
「お前は分かってないなー」
「分かりたくもねーよ」
「話を折るなっつーの。いいか、我らに力を与えてくださる休息の神イアは、女性の容で表されているんだ。つまり、だ。女性は神聖な崇めるべき存在なんだよ。オレが女性に声をかけるのはその信仰の一環でだな……」
人が聞いたら本当かと思うような説法である。
ゲイルも納得しかけた瞬間、足に電撃が走って脳天まで駆け上り目玉が飛び出しかけた。見下ろせばサフィの踵が足の甲にめり込んでおり、怖くて振り向けない。
危ないところだ。やはり聖職者と言う職業柄、人に話をすることは慣れているようで独壇場が続く。
「個人の色情感に神を免罪符とするとは、聖職者の風上にも置けませんね」
ところが、背後から突然会話に割って入ってきた清楚な声に振り返ったレイは顔が青ざめた。
「こっ、これはこれは神官長様。滅相もございません。私の信仰心ゆえにございます」
「そうですね。しかし、あなたの布教先は全て女性。神は男女問わず全てを平等に救ってくださいます。救いの手に区別を設けることは、神の教えに反しているとは思いませんか?」
「……」
神官たちが神々を奉り、聖職者を指導しながらミルレスを守っている事から、神官長といえば最高責任者と言うことになる。
ゲイルたちはレイの豹変ぶりにぽかんと傍観するばかり。神官長は目元の落ち着いた優しげな女性だが、口の立つレイが完膚なきまでに言い負かされているのだ。タダモノではない。
「あなたの信仰心は私も頼もしく思います。しかし、あなたの普段の言動には少々説教が必要なようです。……聞いていきますね?」
「いえ、今は……」
「聞いていきますね?」
「はい」
先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか、神官長に黙従する形でレイは連れて行かれてしまった。
その場に取り残されて、ゲイルたちはあっけに取られたまま。この場に二人でいたのでは、好奇の視線に晒されてたまったものではない。
「レイ、大丈夫かしら」
「ま、どーせ慣れたもんだろ。今のうちに調達を済ませちまおうぜ」
大きな木の下で雨宿りするようにちょこんと建つ店が見え、中に入ると、すっと頭に吹き抜ける木の香りで思わず深呼吸したくなる。
「ねえゲイル。いつミルレスを発つつもりなの? 一応あの子の治療は済んだけど、すぐに発つ?」
木製品が特産なだけあってなかなか洗練されている。ゲイルは木製の脛あてを装備してフィット感を確かめるように、しばらくサフィの言葉が聞こえていないかのように演舞をして見せていた。
その軽やかなステップが急に止まった時には、彼の瞳は窓の外を臨んでいた。
「俺はあの子が目を覚ますのを待ちたいな。少し話をしてみたいんだ。ルケシオンの状況も知りたいし」
「そうよね。あの魔術師さんの言い方も気になるわ」
血まみれで倒れていた少女、そして止めを刺すべく現れた刺客と、あの魔術師の言葉。
──今ルケシオンに連れて行けば、アンタはその子を殺すことになる
ルケシオンが今とても危険な状況に間違いはない。その目撃者は、今も目を覚まさないまま。
だが、名医のおかげでそう時間もかからないだろう。少女から事情を聞くぐらいの時間はある。
「おお、旅の人よ、少し聞かせてくれ」
買い物を済ませて店を出ようとした二人を店主が呼び止めた。
店主は恥ずかしそうに、それでいてどこか思い詰めてすがるような面持ちで語りかけてきた。
「君達が連れてきた人の名前は、ピタだったりしないかい?」
なぜそんな事を聞くのだろう。ゲイルは答えるべきか迷った。シャニーがあちこちで目をつけられているのは間違いない。もし、店主が何かしら繋がりがあるとしたら……。
「(そんな感じじゃねえ……か)いや、違うよ。あの子はピタじゃねえ。人違いだ」
店主の顔が、残念そうな、なのにどこかほっとした様なものに変わっていく。よく分からないが、とりあえず人違いのようだ。
(どうもあの子、人違いされてんな。ルケシオン森でも人違いで襲われたとしたら可哀想だぜ。早く起きねえかな)
◆◆
診療所に戻ると、レイが真っ白に燃え尽きていた。
どうやら神官長にこっぴどく説教されたらしい。さすがの彼でも堪えたようだ。
「やれやれ、あのドスケベ。ホント変わってねーな……」
見慣れた光景を4年ぶりに再見してしまった。説教を受ける相手が、フォンから神官に替わっただけ。懐かしいとも思えず、出るものはため息だけ。
サフィも呆れているかと思ったらクスクスしていた。
「ふふっ、まるで一緒に修行した時が戻ってきたみたいね」
「まったく、あの時は毎日苦労したぜ。なんか知らんけど叱られたの俺だったし。もうちょい真面目にやれってんだ」
「えぇ、もう少し人前で真面目を漂わせてもらいたいですよ」
現れたのはこの診療所で働く看護師さんだ。彼女もため息混じりで、どこかもどかしそうに口を尖らせている。
聞けば説教と称してすぐにふらふらとナンパを仕掛けに診療所を空ける主に手を焼いているらしい。
「ホントはすごい人なのに、軽く見られて勿体無いです」
「すごい……? あいつが? ガハハハッ、冗談キツいぜ」
これはきっとギャグに違いない。
〝ホントは〟と但し書きがつくとはいえ、彼の事を敬愛する者がいるなんて。しかも女性で。
ところが、看護師さんはウンウンと頷きながらも真顔だ。
「見た目は冗談みたいな人ですけど、違うんですよ」
「俺でもそこまでは言ったことないぞ……」
「だって、製薬に関する著書は世界中で絶賛されていますし、聖職者が扱える
嘘だと信じたいが、意外とすごいヤツだったようだ。
ゲイルも笑いが止まって反論できる言葉が見つからなかった。
「君たち、オレの噂話か? いやあ、人気者は辛いぜ」
もう回復したらしいレイが戻ってきてヘラヘラとやり出した。こんな軽い悪友が世界で絶賛されているとは驚きだが、疑いもなかった。
彼はサラセンで修行中も製薬を披露して多くを助けていたし、帝都ルアスからわざわざ研究者が来訪するのも珍しくなかったのだ。
「レイ、お前すげーな。新しい魔法まで開発したのかよ」
「クレリックゲートか? ありゃ苦労したんだぜ〜? 褒めろ褒めろ」
「しかし、なんでまた。どんな病気も治る魔法! かと思ったぜ」
それを聞くと、途端にレイの顔が曇った。
「ははっ……確かにな。ま、きっかけはこう言われたからよ。──あんた医者だろ!? どうして親父を助けられないんだ! ……ってな」
雨の中必死に走って向かった患者の家では、老父の呼吸が止まっていた。もはや虫の息で、ヒーリングをかけてもそのまま魔力が外へ流れ出た。
万策尽きて、ただ見取ることしか出来ない彼に投げつけられるのは、遺族の悲しみだけだった。
「いくら良い薬を作っても、高位の治癒魔法があろうとも、患者の元へたどり着いたときにはもはや手遅れ……虚しいもんだぜ」
「……わりい。俺、ちょっとお前を見直したかも」
「気にすんなって! 野郎のファンは要らないしよ。それよかあのパツキンの子、ちゃんと紹介しろよなっ、な!」
多くの人を救いたい──その情熱を垣間見てゲイルは看護師の言葉が誇張でないと悟る。
なのに、人にはそんな一面を見せないから、ただのスケベにしか映らない。
「やっぱり評価据え置くわ。女たらしは紹介できねえ」
「まあまあまあ! とりあえずティータイムにしようぜ。ゲイル君には高級茶菓子3枚で手を打とう、どうだ!」
「ガキか俺は!!」
相変わらずこの手の話となると手際が良い。レイは机の上のカルテを片付けてお茶を用意してくれた。
「いいところね。空気もきれいで、落ち着くわ」
「そうだな。気持ちよく眠れそうで夜が楽しみだぜ」
「あんたって……食べるか寝るかしか言わないわね」
サラセンのように、突き刺さるような陽射しも、喰らってしまおうという烈風もない。
空気は澄み、静かで清楚。見渡す限りの緑。こんなところでお茶を出来て、サフィは幸せそうだ。
「だろう? こういう環境なら、傷も早く治るし、心にもいい。診療所を設けるには打ってつけってわけさ」
眼鏡越しに見えるレイの顔がやたら知的に見えるのも、きっとこの環境のおかげだ。サラセンではどこからどう見ても360度スケベでしかなかった。
何も喋らなくても、ゆったりとした時間がその場を包み、茶の味を引き立てる。
奥では死の淵から這い上がってきた少女が静かに寝息を立てており、それが聞こえるほどに部屋は静まり返っていた。
それでも場を心地よく感じるのは、きっと三人の気持ちが同じだからだろう。
「それにしても、お前らデカくなったなー」
ティーカップを置いたレイは、二人を見下ろすように腰を上げて体を机の上に乗り上げた。
「けっ、ウゼエっつの。いつまでもガキ扱いすんな」
無性にむず痒くなってたまらずゲイルはぷいっと顔を横に背けた。
サラセンで一緒にいたころは〝アニキ〟だったけれど、今はもう違う。自分もレイと同じ大人の端くれ。弟分とアニキではない、親友同士なのだ。
「そういうことじゃないさ。こうやって、静かに茶を楽しめるようになったんだなと思ってな」
「不思議ね。こんな大陸の反対側に知り合いがいるなんて」
「人はさまざまな者とめぐり合い、交わりあうことで進化を繰り返すと神も仰せだからな。サイコーな形じゃないか?」
しみじみするサフィにレイはニコニコしながら頷いている。
そのうち、彼はポンと手を打ってゲイルを指差した。
「おう、そうだ。近所のおばちゃんからリンゴを貰ったんだが食うか? 酸っぱくて体の疲れが取れるぞ」
レイは一度部屋を出ると、数個のリンゴと果物ナイフ、そしてまな板を持ってきた。
食欲をそそるみずみずしい赤色をナイフでていねいに剥いていく。周りには甘酸っぱい匂いが漂って、なんともいえない清々しい雰囲気が作られる。
「ひゃー、良い匂いだぜ!」
「音だけでも美味しそう。あら、そう言えば何も食べずにいたままだったわ。ゲイルよく持ったわね」
「ぐっ……思い出したら死にそうになってきやがった……」
リンゴをほおばり、つかの間の幸せを噛み締める。
その優しい静寂に頬をなぞられ、暗黒の中から這い出てきた意識が眩い光に浮かび上がった。
ミルレスはステリクシャを買う場所でした。特産品って街に特色を出すいいアイデアだと思ってたんだけどなぁ。
いつしかどの町も販売品が統一されてしまいましたね。
薬屋の中にたくさんの人がいる光景が、今でも記憶の中で走っています。