違う、何もかもが違う。となれば、ここは……。
そして映った宿敵の得物──激情のままにシャニーは飛び出した。
(ここは……?)
かすんで見える景色。ぼんやりとした視界が次第に明るくなっていく。
潮風はなく、カモメの唄も海のささやきも聞こえては来ない──どこだ?
明らかにルケシオンではない。この場を流れる風は、豊かな木の香りと、食欲をそそる甘酸っぱい匂いを乗せてくる。
そして、静寂の中に聞こえるのは笑い声……。
(人がいる!)
シャニーはびっくりして上半身をベッドから跳ね上げた。
(あたしどれだけ寝てたの?! ルケシオンは……あたしは?! どうしようッ、落ち着かなきゃ!!)
仲間が全滅してしまったこと、自分がフェンネルに止めを刺されそうになったところまでは覚えている。この場で人の声が聞こえるのは、つまり自分が捕獲されたことを意味する。
「お、ようやく気付いたか!」
ゲイルがそれに気付き、すぐさま声を上げて立ち上がった。
その弾んだ声はシャニーにとってますます頭を揺さぶるものでしかない。
(あの格好……?! それにあの剣……ッ。……──くっそおお!!)
それだけではない。ゲイルを捉えた途端、シャニーの中で荒れ狂う稲光のような衝動が突き刺さり、腹の奥から真っ赤なマグマが噴き出してきた。
「!?」
まさに刹那の出来事だった。
電光石火の如くベッドから撥ね出た疾風。
リンゴの皮をむくためにおかれていたナイフをさっと左手に握ると、そのままの勢いでシャニーはゲイルの背後に回りこんだ。
瞬きする間もなく彼の首筋にナイフが突きつけられ、背後には先ほどの寝顔からは想像もつかないような殺意に満ちた顔があった。
「な、何をして!」
「動くな! よくもあたしの仲間達を……っ。よくも!」
サフィが立ち上がろうと下半身に力を込めた途端、ナイフが首筋に食い込んでいく。これでは言われたとおりにするしかない。
「おいおい、怪我人がそんな激しく動くもんじゃないぞ」
「黙れ!」
「やれやれ……」
レイも一喝されただけで早々に降参してしまい、悪いと言いたげにゲイルに視線を送る。
当のゲイルは目だけで見上げてごくりと息を呑んだ。見開かれ血走った目が震え、いつ噛み付いてきてもおかしくない。
「お、おい、ちょっと待て、待て! お前さん、名前は?」
「うるさい! こうなれば死なば諸共!!」
「だぁ! なんでそうなる! 俺が一体何したってんだ?!」
「このっ! あたしの仲間を皆殺しにしておいてよくもそんな口を!」
振り上げたシャニーの左手がギラリと光る。
渾身の力で振り下ろそうと手に力を込めたとき、ナイフと首の間にすっと何かが入ってきた。杖だ。
「おい、キミ。自分の命を救ってくれたヤツを殺すつもりか?」
「何?!」
「聞くところによると、キミはルケシオン森で倒れていたそうだな。そのキミを、わざわざ大陸の正反対のミルレスまで連れてきてオレに治療させたんだぜ、そいつは」
(あたしを助けた……だって?)
一瞬だけ手先が緩みかけたが、あっという間に頭の中に火が噴き渦巻いて、ぐらぐらと抑えきれず突き抜けた怒りがナイフを痕がつくほど握りしめた。
「うるさい! エズダーシアなんかに命を救われるぐらいなら……!」
「あんな奴らと一緒にするな!!」
サフィも、レイも、そしてシャニーも、突然の怒声に動きが止まった。
怒りの咆哮に、憎しみに心が火の玉のようになっていたシャニーの怒りも吹き飛んでしまった。
「あいつらのせいで……俺の故郷は……。……っ」
とんでもない間違いをしていたことを悟ったシャニーは、ナイフを握っていられなくなった。言葉に詰まり、息すらできない。
その途端、内側を抉り取られるような激痛が走る。まだ、完全に傷は癒えてはいないらしい。
一度は膝から崩れ落ちたが、何とか立ち上がってゲイルの正面に立った。
「ごめんなさい。あたしの命の恩人だったなんて……ごめんなさい!」
腹を押さえながら、何度も頭を下げた。下げれば下げるほど、自分の取った行動が情けなく思えてくる。
未だ下を向くゲイルとシャニーの間にレイが割り込んだ。
「おい、ゲイル。カワイ子ちゃんがこんなに謝ってるんだぜ? 許してやれよ」
軽い感じの言葉が気に入らなかったのだろうか。ゲイルは下を向いたまま、レイの緩衝に反応を示さなかった。
サフィもいつもの荒っぽさがなりをひそめ、困惑を浮かべてゲイルに声をかける。
「ゲイル。まだ怒ってるの?」
「怒っているさ。……エズダーシアに!」
ゲイルは顔を上げると、宿敵への怒りをあらわにした。
サラセンを出てきて正解だったと彼は思った。もしあのままサラセンで生きていたら、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。
「俺たち以外にも、酷いことをしてやがるんだな、あいつら」
もっと、世界の状況を知りたかった。思い出したのだ。サラセンを去るときにエズダーシアの幹部、メルトが残した言葉を。
──別働隊がすでに重要拠点を攻めにかかっておるわ
世界のあちこちで、彼らは暗躍しているに違いない。そのひとつがルケシオンだったのだ。
ゲイルは痛みでまともに立てずにいるシャニーの腕の下に自分の肩を通してやった。
「あ、ありがとう」
「すまねーな、怒鳴っちまって。君も辛い思いをしたんだな」
シャニーにとっては思いがけない言葉だった。どんな風に責められるか不安で一杯だった。
笑顔で自分に語りかけるゲイルが、初めて見る顔なのにどこか懐かしい。
思わず目じりが熱くなるが、シャニーはそれを堪えて気付かれまいと振舞う。
「あたしこそ、本当にごめんなさい!」
「気にすんなって。もうダチってことでいいじゃねーか」
暑苦しいくらいニカっと笑うゲイルの姿がどこか部下たちに似て、シャニーも少しだけ微笑んで頷く。友達──なんだか、不思議にくすぐったく、よりかかりたくなる響きだ。
「それより教えてくれよ。君が何者なのか。ルケシオンで何があったんだよ。もしよければ協力するぜ。敵は一緒なんだ」
シャニーは迷った。ゲイルたちがエズダーシアに憎しみを抱いていることは分かる。
しかし、敵の戦力を知っている以上、告白なんてとてもできるわけない。
(巻き込めるわけないよ。それに……)
おまけに、自分の境遇を話したら皆どう思うだろう。
今までは何ともないことでも、ここはルケシオンではない。泣く子も黙る海賊団──本気で黙る、いや、逃げ出されてしまうに決まっている。でも、巻き込みたくないならいっそ言ってしまえば……。
「……ごめんなさい。今は……まだ言えないよ」
「どうして!」
「ごめん。一人に、させて」
ゲイルはなかなか離れてくれないが、レイに促されてようやく彼は動き出す。
なんと言う力だろう。ゲイルに軽々抱き上げられてそのままベッドに寝かされた。
「ほら、面会時間は終わりだぜ」
ゲイルたちを半ば無理矢理を部屋から出すと、レイも部屋を出ていく……かと思いきやベッドのところまで戻ってきてささやいた。
「オレたちはキミの味方だ。心配することはない。ゆっくり体を休めて、それから決心してくれればいいよ」
きっと敵ではない。こくりと頷いておくとレイは安心したのか、脱いだ白衣を衣紋かけに引っかけ、そっとドアを閉めて部屋から出て行った。
一人になったシャニーは、再び上半身をベッドから起こした。
窓から外を眺めてみると、見たことも無いほど大きくて淡い緑が美しい山々が広がっていた。
至高の静寂が時を包む。潮騒のルケシオンでは考えられないほどの静けさ。あんな死の淵をさ迷うような戦いがあったとは信じられない。
だが、それは確実に存在した。自分の腹には今も大きな傷跡が残り、手にはめていたトパーズはなくなっていた。
静寂は父や仲間、アベルの顔、ルケシオンのことを意地悪く次々と思い出させ、不安が恐怖をどんどん呼び寄せる。
それを断ち切るかのように、彼女は壁にこぶしを打ちつけた。頬に一筋の憤懣を残して。
「何が……。何が希望の守護者よ……」
◆◆
「よーし、今度こそ出直しだ。そうだ。セオ様へ祈りをささげに行こうぜ」
診療所を出たレイは、二人を神殿参拝に連れ出していた。
宗教都市ミルレスは多くの神殿があり神々が祭られている。中でも聖職者の神、休息の女神イアに関する神殿は多く、町のあちこちでその偶像を発見できる。
ミルレスがそれ以上に有名なのは、二人の最高神──セオとミュレカンを唯一祀る地であるということだ。
そんなことはどうでもいいゲイルにとっては、ただの苦痛な時間でしかない。
「神なんか俺は信じねえよ。パスで」
「単独行動はダメよ、ゲイル」
「ちぇっ。へーいへいっと」
首根っこを掴まれた猫のようにサフィにしっかりマークされながら辿り着いた先は、ミルレス一の大聖堂だった。
「こりゃ……すげえな」
宗教に興味がなくともゲイルは感嘆を漏らさずにはおれなかった。
確かに人が作り出したものであるはずなのだが、そこはなんとも言えない偉容を誇っているのだ。
善とも悪とも取れない、ただそこにあるだけの圧倒的な力。その力に押されてか、ゲイルも神に祈りをささげる。
(神がいるってんなら……あの子を救ってくれよ。あんたが出来ないならせめて、あの子が心を開いてくれるよう助けてくれ)
無性にシャニーが気になって仕方ない。放っておいてはいけない──なぜかそんな嫌な予感ばかりが湧くのだ。
静かに願いを唱えていると、サフィの不思議がる声が聞こえてきた。
「でも……なんか違和感があるわね。最高神なのに、何故二人なのかしら」
最高神と言えば、複数いる神の中の主神のことで、主神が二人いるということになるわけだ。
ゲイルも一緒に悩んでいると、血相を変えたレイがいきなり寄ってきてそのまま背後に隠れ出したではないか。
「それは、本来セオ様とミュレカン様はひとつだからですよ」
美しく清楚で明瞭な声。後ろを振り向くと、さっきレイを連れて行った神官長だった。
「ひとつ?」
「はい。善があるから悪があり、悪があるからこそ、善は善として存在できるのです」
納得できるような、意味がわからないような。
宗教家と言うやつは、どうしてこうもいちいち分かりづらく言うのだろう。
二つに見えても二人で一人前、ということなのだろうか。神、ことのほか最高神ともあろう存在が。
「わかんねーなぁ。いい奴は善で、悪いことをする奴は悪なんじゃないのか?」
ゲイルは頭をぼさぼさと掻きながら質問するが、相手はミルレスで一番位の高い神官だ。あまりに失礼な振る舞いに、後ろにいたレイが思わずゲイルの頭を掴んで下げさせる。
「レイ、あなたから説明して差し上げなさい」
「は、はい。えーとだな、例えば誰かが、お前の言う悪いことをしたとしよう。だけど、お前はそれを悪だと捉えたかも知れないが、事を起こした本人にとっては善なんだよ。つまりだ、善というのは裏を返せば悪。逆もまた叱りってことなんだ」
「俺は、そうとは思わない」
即答だった。ゲイルの反論に神官長の目元の緩みは消えてしまい、レイの顔が青褪める。サフィもびっくりしてゲイルのほうを振り向いたが本人はお構いなしだ。
「俺はそうは思わない。人を苦しめるようなことをする奴が善なんてありえない! 何の罪もない人を苦しませて、悲しませて、欲望を満たす。そんな奴らが善なら、俺はそんな神を許さねえ!」
「あ、ちょっと! ゲイル!」
突然に走って神殿を後にするゲイルをサフィが追う。
残されたレイは神官に深々と頭を下げた。このミルレスで神を冒涜するなんて、何と破天荒だろう。摘まみだされてもおかしくない。
「も、申し訳ありません!」
「なぜ謝るのですか? レイ」
「へ?」
レイは拍子抜けしたように目をまん丸にして頭を上げた。
神官長は怒っているどころか、とてもうれしそうにしているではないか。
「彼は正しい。善と悪が表裏の関係であることは確か。しかしそれは、均衡の取れたものに限られます。極端に傾けば、それは許されるものではありません。良い勉強になりましたね、レイ」
はっとしたレイは、笑みを浮かべて頷いた。
β当時のミルレスは東西にマップが分かれていましたね。南もだったっけ?
北の方面に向かえそうな、反応しないポータルは実装されないまま。
たくさんの民家をさまざまなコミュニティが利用していて、MMOってこんな感じかーと思った記憶。