嫌いなはずなのに、何故か無性に気になるそのコトバの意味を、どうしても確かめたかった。
相手は海賊。嘘を息を吐くように並べる連中だ。それでも、あの叫びには魂が籠っていたのを、ヴァンは感じていた。
ぎらつく眼光。死を渇望する悪神が、喰らい殺そうと襲ってくる。
「神の力も持たぬ小娘が、私に挑もうなど!」
逃げる。必死に逃げる。目の前には立ちはだかる赤髪の騎士。指にはめられた指輪から強力な紫電を放ち、彼は不敵な笑みをこぼす。
「キミはオレが仕留めるさ。マナの使い方も知らないキミが、オレに勝てるわけが無い」
逃げ場を失った。どちらかを選べば、残ったほうに喰い殺される。
足がすくんで動けない。選択をしなければ、両方から襲われるのみ。
「ゲイル──ッ」
────
がばっと寝具を跳ね上げて、シャニーは飛び起きた。
息は荒く、瞳は完全に開ききっている。悪夢だったとようやく分かったのは、あごから冷や汗が垂れた頃だった。
周りの様子からしてどこかの部屋らしい。カーテンが閉まって薄暗い中を見渡してみると、隅に乱雑に荷物が積まれて小汚い。
自分がどこにいるのか確認しようとベッドから降りようとするが、体言うことを聞かない。妙に熱い。
「おお、譲ちゃん、起きたかい」
部屋の外から声がしたと思ったら足音が入ってきて、近づいてきたふくよかな男性が窓を開けてくれた。
そこには昨日も眺めたルアスの街並みが並んでいた。
「おじさんは……」
見覚えがあった。そうだ、ルアスに来た初日に、いきなり盗賊と見抜かれた宿屋の番台だ。
彼は申し訳なさそうに頭の後ろを掻くと、シャニーをベッドに寝かせなおす。
「まったく、風邪ひいてるなら素直にそう言えばよかったのに。なんか俺がこうさせちまったみたいで気分悪いぜ」
風邪をひいている。確かに意識がボーっとするし、体中が熱い上に痛みが走る。怪我を治したばかりの体で無茶な行動を続けたために限界を超えてしまったようだ。
こんなところをゲイルに見られたら、恥ずかしくてたまらない。
「なんで、あたしはここに?」
「昨日ココに運び込まれたんだよ。満室だって言ったのに、連行するまで寝かせないとお前を牢屋にぶち込むって……」
男性は部屋の外をちらちらと見ながら、小声で話す。
あいにくやり取りはすべて筒抜けであったようだ。足音が部屋に近づいてくる。
男性は慌てて使用済みのシーツやら寝間着を両手に抱えて部屋を出る準備を始めた。
「何やったかは知らんけど、譲ちゃん、早く恋人のところに帰りな」
「恋人?? いないよ」
「憎いねえ! さっき大声で叫んでたじゃないか。恋人なんだろ? ゲイルって」
もともと風邪で上がっていた体温とは別に、どんどん頭が熱くなっていくのがシャニーには分かる。
次の瞬間には、部屋から弾けるように出て行く男性と、その後を追うように枕や洗面器が飛び出した。
夢の中でゲイルに助けを求めたことは覚えている。まさかそれを恋人と間違えられるなんて。
顔の発火が収まらない。だが、ふと気づいた気配に今度は血の気が引いた。
「ヴ、ヴァン……」
部屋の入り口に立っていたのは、悪夢に出てきたそのままの姿。
殺される──ヴァンの隼のように獲物を狙う鋭い瞳からそう直感し、無意識のうちに両手が腰に伸びた。
(なっ、無い?!)
手先が短剣の柄に当たるはずのところまで伸ばしてみても空振りするばかり。
寝具を跳ね上げて腰の辺りを見ても何もなかった。
まるで嘲るように、部屋の入り口付近から聞こえる金属がこすれる音が聞こえてくる。振り向いてみれば、ヴァンがベルトごと短剣を持って見せつけていた。
「なっ……」
「無駄な抵抗は止めるんだね。もっとも……抵抗できればの話だけど」
「ちっ! ずいぶん卑怯なマネしてくれんじゃない!」
「フン、盗賊風情に言われたくないね」
短剣がなくても、体術と幻術がある。
こんな状態の体術ではヴァンに敵うわけが無いが、幻術で搦手に出れば撒くぐらいはできる。
すぐさま風を集めて……。
「?!」
「無駄だと言っているだろう? 手先を見てみなよ」
風を操る事ができない。体からマナを全く感じられなくなっていた。
ヴァンはそれを見透かしているかのようだった。彼に言われるがまま手先に目をやったら、金縛りを食らったように喉が詰まった。
見たことも無い指輪がはめられていたのだ。何か分からないけれどヴァンが仕掛けたに違いなく、良くないものに決まっている。
すぐに外そうとしてみたが、どう頑張ってもダメだ。
「無駄だ。魔封じの呪環にオレのマナを込めてある。武器もない、幻術も使えない。キミは篭の中の鳥だ。諦めることだね」
彼は窓辺のテーブルに短剣を置くと、窓の縁に腕組みをしてもたれかかった。
シャニーにとっては不思議で仕方ない。彼は自身の武器である槍も置いて、目をつぶって何かを考えている。
「……どうして、殺さなかったの?」
恐る恐る声をかけてみるものの、ヴァンは微動だにしない。無言からこれほどの威圧感を受けるとは。
ようやく目を開けた彼が近づいてくる。ただでは済まないと覚悟を決めて肩に力を入れていると、まるで砂の城を崩すようにあっさり押し倒され、ヴァンは寝具をかけではないか。
「そんな状態で勝っても、何の意味もない」
「え?」
「つまらないからね。もっと楽しませてくれないと」
しっかり寝て体を休めろ──そう言わんばかりの態度だった。
こんな屈辱的なことはないが、今は自分ひとりではない。仲間の為にも、抑えるべきところは抑えなければならない。
「それに、聞きたい事があるからね」
そう言うと、その聞きたいことも言わずにヴァンは再び窓辺にもたれかかって腕組みを始めてしまった。
この騎士の一挙手一投足に、自分の命がかかっている。そう思うと悔しくて仕方が無い。
(あたし、一体何をしに来たの? 何が……ルケシオン一のアサシンだよ。ぜんぜん……通用してない。ごめん、ゲイル、サフィさん)
フェンネルには完膚なきにまでなぶられた挙句殺されかけ、そして今、また敗れて情けをかけられている。
悔しくて、悔しくて。仲間に合わす顔が無い。
もう、堪えきれない。
「なぜ泣く?」
ヴァンの質問に答える言葉はない。聞こえるのはすすり泣く声だけ。
「なぜ、ルアスに来た? ルケシオンはどうしたんだ?」
「うるさい! あんたなんかに答えることは何もないよ!」
一線を踏み破ったように泣きながらに怒鳴るシャニーを見て、ヴァンは何も返さなかった。
つい最近、ルケシオンではテロがあり、レピオンハンターがルケシオン全土を制圧した──その情報は騎士団にも流れてきていた。
「ふ、危なくなって逃げてきたのか」
「なんだと……っ」
「まぁ、もっともな判断だ。組織のために死ぬなんてバカらしいにもほどがある」
鋭く高い音が響いた。ベッドから飛び出したシャニーが、拳でヴァンを殴りつけたのだ。
大きく息を一吐きして呼吸を整えると、彼女は更に強く拳を握り締めた。
「ルケシオンは必ず取り返す! そのために、あたしは生きているんだ!」
思わぬ反撃に後ろへよろけたヴァンは、息の荒いシャニーを睨みつけ、躊躇なく殴り返した。
足元もおぼつかない彼女に避けられる訳も無く、力のままに吹き飛んで壁に叩きつけられたシャニーは、ずり落ちながらそのまま壁にもたれかかった。
「じゃあ、なぜキミは王宮にいた。ルケシオンに帰るなら辻褄が合わないね」
床に座り込んで下を向いていたシャニーは、きっとヴァンをにらみつけた。
とても病人の顔とは思えない鋭い視線。昨日の夜、意識を失う前と同じ顔だった。
「今のあたしには、どんなものよりも大事な親友がいる。あいつがいたから、あたしは立ち直れたんだ。その恩返しだ。あいつを助ける為に、あたしはここに来た」
「どんなものより? 自身の命より、か?」
「……」
命より他人が大事だと、真顔で言うバカがいる。
ヴァンにとっては鼻で笑う話だった。何を考えているか分からない他人になど、自分の命を預けられるわけが無い。
そんな作り話にまんまと引っかかるほど愚かでもない。
下らない言い訳なら、今まで他の盗賊から万と聞かされてきた。
「……何がおかしい」
「ルケシオンを取り戻す為に、わざわざ他人の厄介ごとに首を突っ込むなんてな」
ルアスの王宮に忍び込むなど、普通はそんな大それたことはしない。見つかれば市中引き摺りまわしの挙句、極刑を免れないのは盗賊なら知っていることだ。ルケシオンの海賊姫なら言わずもがな。
「もう、失いたくないからさ。あたしは、もうルケシオンの為だけに生きているんじゃない」
睨み上げてくるシャニーに、ヴァンは思わず息を呑んだ。
彼女は、以前対決した時とはまるで違う覚悟に満ちた目をしている。
周りを威圧するわけではなくとも、生きる意味を確固とした瞳。それが、脆い守りを串刺しにしてくる。
「ゲイルに出会っていなかったら、今頃あたしはルケシオンに行っていた。ルケシオンの……いや、自分の為に戦って、自分の使命から逃げていたに違いないさ」
「自分の為……か」
「独りぼっちになって、悲しくて寂しくて、でも何とかしないとって、自棄になって……それをゲイルが暗闇から引き上げてくれたんだ。だから、絶対裏切れない。──はは……なんで、あんたなんかにこんな話してんだか」
自分の為に戦う──その言葉は、ヴァンの心に強く響いた。師に再三注意されてきたことだった。
「(騎士として、自身を優先させてはならない──まさに今のオレか)それで? 王宮に侵入するのと何の関係がある」
「どうせあんた達だって知ってるんでしょ? エズダーシアを! あたし達はルアスを守りにきたんだ」
正気なのか熱でイカれているのか。どっちにしても変わらない。ヴァンは堪らず吹き出してしまった。
「ハッ、海賊のキミが? 復讐ならともかく、ルアスを、アスクを守るだと?」
つい最近まで討伐隊を出していた敵に塩を送るつもりか。盗賊の口先だけの話──そう切り捨てようとした時だった。
「復讐なんて、そんな簡単な話じゃないッ。仲間の為に、あたしは生きてる! これ以上、誰も、誰も失いたくない。失いたくないんだ! もう、守られるばかりじゃイヤだッ。大事なものを、大事な人たちと護りたい! みんなと笑って生きる為に!」
涙を振り飛ばしながら、シャニーが魂まで飛び出しそうな叫びを腹から押し出した。
そのときだった。はじけ飛んでいくものを見たヴァンは目を疑わずにはおれなくなった。
シャニーの指にはめてあった魔封じの呪環が、音を立てて粉々に砕け散ったのだ。
(指輪が砕けた……だと? ヤツのマナを封じきれなかったと言うのか?)
生きる意味を確固とした者に流れるマナを、呪いと殺意で封じることなどできるはずもないというわけか。
姫として漠然と生きていたであろう彼女を何がそうさせたか定かでは無いが、これはこれで都合がいい。これならもう少しで
「大事な人間の為なら、法を犯すことも厭わぬ、か。なるほど、大した高説だったよ」
ヴァンは口元だけで笑って見せると、未だに自分を睨みつけるシャニーの元へゆっくり歩いていく。
ろくに抵抗も出来ない彼女を抱き上げると、再びベッドの上に載せた。
「何故、そこまで人を信じられる?」
唐突な質問に思えたのかもしれない。シャニーの眉間にシワが寄っている。しかし、これがヴァンにとって最も理解しがたい部分であった。
何の為にルアス王宮に忍び込んだか。そんなことは、もはやどうでもいいこと。
信じられるのは、自身を裏切らない己のみ。裏切られるなら最初から信じなければいいに決まっている──はずではないか。
いつ裏切るか分からない他人を信じ、護ろうとすることで、どうしてそんな強力なマナが生まれるのか。それが到底納得できなかった。信じるなんていう身勝手な言葉は、大嫌いなのだ。
「あたしは、今までたくさんの人に護られて生きてきた。みんなあたしを残して死んだ……。みんな、あたしを信じてくれた。だから、あたしも命を懸けて信じるんだ。あたしの大事な仲間を」
嫌いな言葉をふんだんに使う彼女に苛立ちが沸々、ぐらぐら噴き上がってくる。耳触りのいい言葉をならべて表面だけ取り繕うペテン師なんぞ、ごまんと見てきた。
「ふん、嫌いなんだよ。キミの言うことは全て思い上がりだ。誰かに頼らないと生きていけないやつが仲間を作る。信じていると言って拘束することで、群れを崩壊させまいと必死になる。希望? そんな虚構はオレが喰い尽くししてやる」
「違う! 頼るだけじゃない。自分も仲間の背を守る。それが信じるってことさ! ──ウッ?!」
まるで毒を這わされるように、とにかく耳障りだ。うるさい声を鎮めるべく、ヴァンはシャニーのみぞおちへ強烈な一撃を打ちつけた。
その衝撃に彼女は声も出ずに腹を押さえて上半身を丸めた。
「まだ殺さないでおいてあげるよ。キミの仲間とやらに会いたくなったからね」
「この……。ゲイルに手を出したら……あたしが……。!!!」
「そろそろ黙りなよ。病人がいつまでも騒がしい」
彼女の腹から拳を抜き出し、彼は再び窓辺にもたれかかると腕を組んで静寂を取り戻す。
──復讐なんていう、そんな簡単な話じゃない。仲間の為に生きているんだ。
シャニーの言葉が脳裏から離れず、いつまでも駆け巡る。
気に入らない。全てが気に入らなかった。師に全てを否定されたあの時のように。
アスガルドに出てきた民家ってどれもこれも平屋で、今回出てきた宿屋の2階……とか無かった気がする。
と言うか、宿屋の割に泊まる概念が無かったから、浮浪者──もとい冒険者のたまり場になっていましたね。
露店が広がる広場が目の前のロケーションで、ギルドにとって人気のアジト候補でした。