記憶喪失ウマ娘は幸福になれるか   作:deyus

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いただけた暁には作者がUCとります。

嘘です、もうレジェンドシナリオのやり方忘れました。


Ep.17 奇跡と静寂と予感

朝。ほんの少しだけ早起きして、私はグラウンド近くのベンチに座っていた。

 

(……今日は、雨が降るかも)

 

空は重たく曇っていて、灰色の雲がゆっくりと流れている。

湿った風が頬をなでていく。梅雨らしい空気だ。

 

気温は高くないのに、じんわりと肌にまとわりつくような空気があった。夏の匂いと春の残り香がまざりあっていた。

……こういう時間、実はけっこう好きかもしれない。

 

少しだけ、走る準備をして身体を動かして……。

でも今日は、なぜか足がグラウンドには向かわなかった。

 

(なんでだろう……)

 

目線の先には短距離トラック。何人かのウマ娘が走ってる。その中に……。

 

「……!」

 

一際、目を引く姿があった。青いショートヘア。華奢で、どこか儚げなシルエット。

 

そして――速い。

 

速さの中に、切なさと美しさが混ざっているような……不思議な感覚だった。

 

(ミラクルさん……あの時と同じだ)

 

あの時……初めて見かけた時と、同じ感覚。いや、それ以上かもしれない。

彼女の走りを見ていると、胸の奥が少しざわつくような、でも温かくなるような……そんな気がしてしまう。

 

(……そういえば、あの時は走ったらダメだったんだっけ)

 

もはや懐かしさすら感じてしまった。

 

その時、ミラクルさんがトラックを離れて、こっちのほうへ向かってきた。

 

(……もしかして、気づいた?)

 

……いや、それは偶然かもしれない。けど、足が自然と立ち上がって、私の方から声をかけていた。

 

「ミラクルさん!」

 

声をかけたその瞬間、彼女はぴたりと足を止めて、こちらを振り返った。

 

「……あっ、ユーフォリアさん。おはよう。……久しぶり、だね」

 

その言葉に、胸の奥がふわっと温かくなる。

 

「……はい。なんだか、懐かしい感じがします」

 

ミラクルさんは軽く笑って、額の汗をタオルでぬぐった。

 

「そういえば……ユーフォリアさん、この前の選抜レース、出てたよね」

 

「……えっ。もしかして、見てくれてたんですか?」

 

「うん。ちゃんと、最後まで。すごくよかったよ。走りに、想いが乗ってるっていうのかな。……目が離せなかった」

 

その言葉に、思わず胸が熱くなる。

 

「……そんなふうに言ってもらえるなんて。うれしいです」

 

「ふふ、あの時の君、なんだか眩しくて……ちょっと、目を細めちゃったくらい」

 

「……!」

 

言葉にならなくて、でも気持ちはちゃんと伝えたくて、私はぎゅっと拳を握った。

 

「……私も、さっきのミラクルさんの走り、見てました。やっぱり、すごく綺麗で……」

 

「……そっか。なんだか照れちゃうな」

 

そう言って、ミラクルさんは少しだけ視線をそらした。でも、すぐに目を合わせてから柔らかく笑った。

 

「ありがとう。……あ、そういえばね。近いうちにレースがあるんだ。函館スプリントステークス。毎年6月から9月まで、全6レースで構成されてる『サマースプリント』のひとつ」

 

「……!」

 

「いま、走ってたのはその調整。……ほんとは、ちょっとだけ……緊張してるんだけどね」

 

ぽつりとこぼしたその言葉が、どこか柔らかくて、少しだけ弱音に近くて。だけど、そんなところも含めて――嬉しかった。

 

「……私、応援してます。絶対に見ますから。だから、全力で走ってきてください……!」

 

「うん……ありがとう。……また、背中を押してもらっちゃった」

 

ミラクルさんがふっと微笑んだ、その時だった。

 

「おーい、ミラクルー」

 

優しげな雰囲気を感じさせる声が、少し離れた場所から聞こえてきた。

 

「……あっ」

 

彼女がそちらを振り向くと、柔らかな雰囲気のトレーナーが手を振っていた。優しげで、どこか安心感のある笑顔。

 

「あ、トレーナーさん。えっと、紹介しますね。この子、ユーフォリアさんっていって……前に一緒に朝ごはん食べたんだ」

 

「へぇ、君が……。はじめまして……って言いたいところだけど、実は君のこと、知ってるよ」

 

「……えっ?」

 

「選抜レース、見てたからね。すごくいい走りをしてた。記憶がどうとか色々聞いたけど、それ抜きにしても、目が離せない走りだったよ」

 

「……ぁ……ありがとうございます……!」

 

そう言って笑いながら目を細める。その言葉はどこか安心するような音だった。

 

「さ、ミラクル。今日のメニューはそろそろ終わりにしとこう。無理しすぎないようにね」

 

「分かりました」

 

ミラクルさんは小さくうなずくと、もう一度だけこちらを振り返った。

 

「じゃあ、またね。ユーフォリアさん。……レースの日、君が見てくれてるって思えば、少しは勇気が出るかもしれないから」

 

「はい、全力で応援してます……!」

 

――2人の背が遠ざかっていく。

 

その姿を見送りながら、私はそっと胸の前で拳を握った。

 

(……負けられないな)

 

そう思いながら、空を見上げる。

 

雲の向こうにかすかな光がにじんでいて、いつか雨が落ちてきそうな空だったけれど――

それでも私は、胸を張って、顔を上げていた。

 

 

 

 

レース当日。私は寮の部屋で静かにスマートフォンを構えていた。

 

(……もうすぐ)

 

函館スプリントステークス。画面の向こうには、青空と夏の陽射しを受けた芝コース。鮮やかな緑が眩しい。

 

カメラが出走ウマ娘たちの姿を一人ずつ映していく。その中に――。

 

(ミラクルさん……)

 

青いショートヘアが風を受けてなびいていた。

他の誰よりも小柄で、線の細い体躯。それでもその姿はまっすぐで、芯が通っているように見える。

 

(……緊張、してないかな)

 

心の中でそっと呟く。不安と期待が静かに胸の奥で揺れた。

 

ゲートインが完了し、発走の瞬間が迫る。

 

「スタートしました、函館スプリントステークス!」

 

一斉に駆け出すウマ娘たち。その中で、ミラクルさんはしなやかに地を蹴り、風を切るように前へ出た。

 

(……綺麗)

 

本当に、美しかった。

 

体の動きに無駄がなくて、見ているだけで気持ちがすっと軽くなるような……そんな走りだった。

 

他のウマ娘たちに囲まれながらも、ミラクルさんの存在は一際目を引く。

華奢な身体がまるで空気を撫でるように動き、少しずつ、前へ、前へと進んでいく。

 

(これが、ミラクルさんの走り……)

 

瞬きするのも惜しくなるほどだった。

 

 

 

……けれど。

 

ほんの一瞬だけ。胸の奥に小さなひっかかりが生まれた。

 

(……ん?)

 

胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。

目を凝らしても、どこにも綻びはない。フォームは正確で、力強くて、余裕すら感じられる。

 

ただの思い過ごし。そう思いたかった。

 

でも、なぜか――。

 

 

 

――怖いと思ってしまった。完璧な走りのはずなのに。

 

 

それは、明確な理由のない、ほんのわずかな感覚だった。

 

雨の直前、においで降ると感じるような……そんな、名前のつけられない違和感。

 

画面の中のミラクルさんはどこまでも軽やかで、完璧に見える。

だけど、私の中には確かなざわめきが残った。

 

(……大丈夫、だよね?)

 

声に出すことはできなかった。でもその問いかけは、無意識に自分の胸に向けられた。

 

そして――

 

「ゴールイン! 勝ったのはケイエスミラクル!」

 

画面が歓声に包まれる中、ミラクルが静かに笑った。

 

満ち足りたような、達成感のある表情。

ウィニングランで手を振る姿は、堂々としていて、何ひとつ不安を感じさせなかった。

 

……はずだった。

 

(何か、よくないことが起きそうな……)

 

その走りの中に、かすかに混ざっていた、見えない“何か”。

 

それが何なのかは、まだわからない。

 

でも。わからないからこそ、怖かった。

 

(私に、できること……何かあるかな)

 

小さな想いが、胸の奥で静かに芽を出す。

 

それはきっと、誰にも見えない。でも、確かにそこにある感情だった。




ここからはミラクル主体になります。
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