記憶喪失ウマ娘は幸福になれるか   作:deyus

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ミラクルと本格的に関わる前ににこれをしておくぜ。


Ep.18 夏空と、新たなる始まり

梅雨が明けた。

 

近日までの雨が嘘のように、空は驚くほど澄み渡っている。例年よりも早い梅雨明けだそうだ。そんな雲ひとつない晴れた空の下で、私はトラックを駆け抜けていた。日差しは強かったけど、風は少しだけ涼しい。

 

「──ゴール!」

 

トレーナーの声に合わせて、私は最後の直線を走りきった。スピードは落ちず、フォームも崩れていない。何本か走ったあとなのに、まだ余裕すら感じられる。

 

「うん、いいね」

 

少し離れたところで見ていたトレーナーが近づいてきた。手に持ったタオルで汗をぬぐいながら、少しだけ目を細める。

 

「いい走りだったよ」

 

「最近、君のスピードを見るたびに思うんだ。そろそろ頃合いだって」

 

私はまだ少し早い鼓動を落ち着けながら、彼の顔を見上げた。

 

「……それって……」

 

「うん」

 

彼は短くうなずいて、空を見上げた。どこまでも高く、真っ青な空だった。

 

「そろそろ、本当の勝負に行こうか。デビュー戦に出よう」

 

風が吹いた。夏の匂いを乗せて、トラックを通り抜けていく。私は少し黙ったあと、ふっと笑った。

 

「……なんか、緊張してきたかも」

 

でもその声には、不思議と楽しげな響きがあった。

 

 

 

………………

 

 

…………

 

 

……

 

デビュー戦まで、あとわずか。

 

だけど特別なことは何もなかった。朝になれば起きて、走る。いつもと変わらない日々。でもその中に、少しだけ違う空気が混ざっていた。

 

「はい、次のメニューいくよ」

 

トレーナーの声に、私は短く返事をしてスタート位置に立つ。身体はちゃんと応えてくれている。タイムも、フォームも悪くない。

 

だからこそ変に気負わないように、私はなるべく普段通りを心がけていた。

 

「焦らなくていいからね。今は準備を整えるときだよ」

 

トレーナーはそんなふうに声をかけてくれる。口調はやわらかいけれど、目の奥には、いつもの真剣な色があった。だからなのか、自分でも気付くくらい、少しずつ気合いが乗ってきていた。

 

 

 

「ただいまー」

 

部屋に戻ると、ラサさんがベッドに寝転がってスマホをいじっている。……これもいつも通りの姿だ。

 

「おかえりなさい、リアさん。今日もバッチリって感じですか?」

 

「そうですね、まあまあです」

 

「へぇ、いいですね」

 

そう言いながら、ラサさんは画面を見たままの姿勢で、ちらっとだけ私の顔を見た。

 

ほんの一瞬だった。何か言いかけたような気もしたけど、それは口には出されず、そのままいつもの空気に戻った。

 

気のせいかもしれない。気のせいじゃなければ、それは期待というより……。

 

 

──少しだけ、遠ざかっていく何かを見つめるような目だった。

 

 

 

 

 

~レース前日~

 

今日のトレーニングはいつもより少し軽めだった。

 

無理に追い込まず、フォームとリズムの確認だけ。体を動かしていたはずなのに、不思議と気持ちは落ち着いていた。

 

「うん、いい感じだね。これで十分だよ」

 

トレーナーの声に私はうなずく。トラックの端、日陰で休憩しながら、水を一口。

 

「……緊張はしてない?」

 

彼が不意に問いかけてくる。

 

「そうですね……ちょっとだけ。でも、走れるって思います」

 

「それなら上出来だよ。初レースでそれだけ言えるのは立派だ」

 

トレーナーはそう言って、少し笑った。

 

「じゃあ、明日の流れだけ簡単に確認しておこうか。朝は少し早めに集合して、移動。着いたら軽く身体を動かして、レースの確認。それぐらいかな、何か聞きたいことはない?」

 

「はい、ありません」

 

「よし。じゃあ、今日は早めに休んで。……いい夢が見られるといいね」

 

彼はそう言って、空を見上げた。広がる空はどこまでも高く、まだ青さを残している。夏の夕方特有の、心地よい風が通り過ぎていく。

 

私はその背中を見つめながら、静かにうなずいた。

 

 

 

 

 

その夜は驚くほど静かだった。カーテンの隙間から見える外の景色は、もうすっかり夜の色に染まっている。トレセン学園の寮に響くのは、かすかな風の音と、遠くで誰かが笑うような声。私の部屋も、いつもと変わらないはずなのに、どこか落ち着かない。

 

「……リアさん」

 

ベッドの上でうつ伏せになっていたラサさんが、ぽつりと名前を呼んだ。

 

「ん?」

 

私は枕元で開いていたノートを閉じて、そっちを向く。

 

「……緊張してますか?」

 

唐突な問いかけだったけど、不思議とすんなり胸に入ってきた。

 

「少しだけ。でも、それ以上に楽しみかもしれません」

 

自分でも、意外なほど素直な声が出た。そうか。私は明日を楽しみにしてるんだ。

 

ラサさんは私の答えを聞いて、少し黙ったあと、小さく笑った。

 

「そうですね。……私も、そうだった気がします」

 

その言葉の“気がします”に、少しだけ引っかかった。けれど、深くは聞かないことにした。

彼女はベッドから起き上がると、私のそばにやってきて、いつものように微笑んだ。

 

「リアさん。全力で走ってください。勝ち負けじゃなくて、あなたが走る姿を、私は見たいです」

 

それは、どこか真剣で。だけど、優しい目だった。

 

「ありがとう。ラサさん」

 

 

 

多分、今の私目覚めたときの私と少し違う。

 

自分がどうして走っているのか。それを、まだちゃんと言葉にできるわけじゃないけれど。それでも、ひとつだけはっきりしていることがある。

 

明日、私は走る。

 

私のために。

見守ってくれる人たちのために。

そして、まだ思い出せない"過去"のために。

 

 

 

窓の外には、雲ひとつない夜空が広がっていた。

 

どこまでも高く、どこまでも遠く。明日、私はこの空の下を走る。




ついにぱかライブの予定が出ましたね。目覚めの時……。
評価、感想、所見、所存、考察、意見、お便り、お待ちしてます()
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