記憶喪失ウマ娘は幸福になれるか   作:deyus

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新シナリオで育成ランクA2までいったぜ。ガバプレイが無かったわけじゃないけどもう伸びる気がしない。




Ep.20 観衆と沈黙、手のひらに残るもの

レース翌朝の朝刊。新聞紙は周囲の空気を吸って少しだけ湿っていた。

 

私はトレーナー室のソファで、広げたそれをじっと見つめていた。モノクロの紙面に並ぶ見出し、写真、記者の言葉。自分の姿がこんなにも大きく載るなんて、どこか現実味がなかった。

 

『衝撃デビュー! 新星・ユーフォリア、圧巻の逃げ切り勝利』

『無名のウマ娘、一瞬で主役に──』

 

そんな文字が並ぶページの中に、確かに昨日の自分がいた。

 

「……すごいな、これ。まるで昔から有名だったみたいだ」

 

デスクに肘をついたまま、トレーナーさんが呟いた。普段なら書類の山が積まれている机の上には、珍しくコーヒーだけが置かれている。

 

「……そんな、大げさですよ」

 

私は苦笑する。でも、ページをめくる手が少し震えているのを、自分でも気づいていた。

 

「昨日の会見、しっかり答えてたじゃないか。……ちょっと驚いたよ。まさか、あんなふうに話してくれるとは思ってなかった」

 

私は返事をしなかった。ただ、ゆっくりと記事の中の自分の写真に指先を添える。

走って、笑って、マイクを前に話していた私。ほんの少し、どこか他人のようにも見えた。

 

「……やっぱり、夢みたいです」

 

不意にこぼれたその言葉にトレーナーさんは優しく笑う。

 

「うん、でもそれは君がちゃんと現実にしたことだ。走って、勝って、声を届けた。その全部が、ちゃんと形になった」

 

私はふっと目を伏せた。指先の下にある紙は、少しざらついている。だけど、その手触りは不思議と温かかった。

 

「……だけど、ちょっと誇張しすぎだな。これとか」

 

トレーナーさんが差し出したのは別の新聞。ロゴも見出しの言葉遣いも、さっきまで読んでいた記事とは違っていた。

 

『“謎の新人”ユーフォリア──正体不明、経歴一切非公開のウマ娘に関係者も驚愕』

 

『異例ずくめの出走、実力か演出か?』

 

私はその紙面を黙って見つめる。声は出なかった。ただ、喉の奥がきゅっと狭くなるような感覚だけが、残った。

 

「ま、ありがちな記事だよ。こういうのは話題になると必ず出てくる。悪意っていうより、数字稼ぎさ。気にすることはない」

 

優しい声。でも、あまり慰めにはならなかった。

 

「……どうして、こんなふうに……」

 

「君が誰よりも速かったからだ。それだけだよ」

 

そう言ったあと、彼は少しだけ視線を落とした。

 

「答えなくたっていい。言いたくないなら、黙っていていいんだ。無理に全部話すことなんて、誰にもできやしないんだから」

 

私はその言葉に、ほんのわずかに眉をひそめた。

 

「……黙っているだなんて、そんなの……」

 

トレーナーさんがこちらを見返す。少しだけ驚いたような目だった。

 

「……そんなの、おかしいですよ。黙ってたら、誤解されたままになっちゃいます。それに……。……それに、それが本当じゃなかったら……」

 

言いながら、声が震えそうになるのを感じた。けれど、言わずにはいられなかった。

 

「……ユーフォリア」

 

トレーナーさんが静かに、けれど真剣に私の名前を呼ぶ。その声には、怒りも諦めもなかった。

 

「正しさを選ぶことは、大切なことだ。でも、全部を説明しなくちゃいけないってことはない。誰かを傷つけないようにとか、自分を守るためにとか──そういう理由で、言葉を選ぶのも、強さのうちだよ」

 

私は俯いたまま小さく頷いた。

 

正直に、まっすぐに。そうやって走ってきたつもりだった。

 

でも、「何も言わない」っていう選択にも、ちゃんとした理由があるのかもしれない。

 

 

 

沈黙が降りてきた。

 

けれど、それは先ほどまでの重苦しいものではなかった。どこか優しくて、息を継ぐための空白だった。

 

「……でも、変わったね」

 

ぽつりと、トレーナーさんが呟いた。

 

「最初に出会ったときの君だったら、きっとこんな記事、怖がるだけだった」

 

「……怖いのは、今もです」

 

そう答えると、トレーナーさんはふっと目を細めた。

 

「うん。それでも、ちゃんと読んでるじゃん? それが大事だよ。目をそらさないってことは、すごく勇気のいることだから」

 

私は何も言わず、小さくうなずいた。

 

怖い。でも、見なければならない気がした。あのとき走ったのは、自分の意志だった。走りたいと思ったのは、自分の胸の奥だった。

 

「──それにさ」

 

声の調子が少しだけ変わった。肩の力を抜いたような、でもどこか確信めいた響き。

 

「これくらいのことで揺らぐような君じゃない、って俺は知ってるから」

 

新聞をなぞっていた指が、ぴたりと止まる。

 

「もし、また何か言われたとしても──君は、君のままでいていいんだよ」

 

「……私のままで、ですか?」

 

「うん。俺の言葉じゃ、あんまり響かないかもしれないけど」

 

そう言って、彼は苦笑した。

でも、不思議とその笑みに安心する自分がいた。

 

私のまま。正しくありたいと思ってしまうこの性格も、誰かの声に戸惑う気持ちも、きっとそのままでいい。

 

そう思えるようになってきたは、この人がそばにいてくれたからだ。

 

「……いえ、ありがとうございます」

 

そう口にして、私はまた新聞を見下ろした。

 

活字の並びが、さっきより少しだけ静かに見えた。

 

………………

 

 

…………

 

 

……

 

静けさが、部屋の隅々まで染み込んでいた。

 

私はまだ新聞を見つめていた。けれど今は、紙面をなぞる指先が、ただ怯えから動いているわけじゃなかった。

 

『黙っていたら、誤解されたままになっちゃいます』

 

自分で言ったその言葉が、自分の中で波紋のように広がっていた。

 

正直であること。まっすぐであること。それが、私にとっての拠り所のようだった。

けれどそれだけじゃ守れないことも、伝わらない思いもある。

 

全部を語らなくたって、逃げているわけじゃない。

 

……そんなふうに、思えるようになりたい。

 

「……そういえばさ」

 

静かだった空気をやわらかく揺らすように、トレーナーさんが声を発した。

 

「次のレース、考え始めようか。もちろん急かすつもりはないし、必要もないけど……早めのうちに、選択肢をいくつか見ておいたほうがいいと思って」

 

「……次の、レース……」

 

私はゆっくりと繰り返す。その響きは、まだ少し遠くて、けれどどこか懐かしい響きだった。

 

「うん。身体の調子はどう? このまま中距離とか、短距離に挑戦とか……。……まあでも……君の実力ならどんなレースでも負けないって考えてるよ」

 

「……そう、なんですか?」

 

「そう。この前も言ったと思うけど、君の実力は確かで、相当なものだからね」

 

まだ"ひとつ勝っただけ"の私に、それだけの言葉をかけてくれるのが少しだけ怖くて、でも……嬉しかった。

 

「……私は……。……色々なレースで、もっともっと走ってみたいです。まだ、自分の走り方さえも見つけ切っていないから……」

 

「……わかった。じゃあ、次の候補をいくつか挙げてみよう。条件や時期、他のウマ娘の予定も確認しながら、いくつか見繕っておくよ」

 

「ありがとうございます」

 

私の返事に、彼は小さく笑って言った。

 

「いや、ありがとうはこっちのセリフだ。君がそうやって前を向いてくれるなら、俺もそれに応えなきゃいけないなって、思うから」

 

私はふと笑った。少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。

 

 

 

──コン、コン、コン。

 

 

 

その時。控えめで、それでいてどこか品のあるノック音が、室内に響いた。

 

私は顔を上げる。トレーナーさんも、椅子から軽く背を起こした。

 

「どうぞ」

 

彼の声に続いて、ゆっくりと扉が開く。

 

「失礼します。ああ、いたいた。ユーフォリアさん、ちょっといいかな?」

 

姿を見せたのは、ケイエスミラクルの担当トレーナー。

この前見せた朗らかな印象はいつものままなのに、目の奥にわずかな緊張があった。

 

私は少し驚きながら立ち上がった。トレーナーさんも、その顔に目を向けて訊ねる。

 

「……彼女に、何か?」

 

彼は、ほんのわずか間を置いてから口を開いた。

 

「……夏合宿に、連れていけないかと思って。ちょっと、理由があるんだ」

 

空気がふわりと動いた。

 

そして、私の胸の中で、じわじわと不安が膨らんでいった。




暗雲立ち込める──。
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