ついに8月が終わってしまう……どうせ8月が終わっても10月ぐらいまで暑いんやろうなって()
今日の夏の朝は、いつもよりも少し眩しかった。
朝食のあと、合宿所の前に集められた私たちは、少しだけ戸惑いながら顔を見合わせていた。
「──よし。今日は遊ぶぞ! 全力でな!」
勢いよく声を上げたのは、私のトレーナーさんだった。
隣で早瀬トレーナーがぽりぽりと頬をかいている。
「え、今日ってトレーニングなしなんですか?」
思わず聞き返した私に、彼は親指を立ててみせた。
「あぁ。トレーナー会議で決めた。今日は“リフレッシュ優先日”だ」
「……俺が提案したんだけどね」
早瀬トレーナーがぼそりと付け足すと、隣の彼が小さく笑う。
「まぁそういうのは誤差だ。だろ?」
「それもそっか……。なんせ今日は予定もないから」
「ということで、まずは海! 泳いでもよし、浜辺で遊んでもよし。スイカ割り、用意してるぞー」
「スイカ割り……!?」
思わず声が出てしまって、私は慌てて口をおさえた。
隣にいたミラクルさんが、くすりと笑っている。
「おれ、スイカ割りってやったことないんだよね。だからちょっと楽しみかも」
「私も……ないと思います」
「じゃあ、一緒に割ろうね。……順番、競争だよ?」
彼女はそう言って笑った。
……
「──よし、準備おっけー! じゃあミラクルからいこうか」
「えっ、おれですか!?」
早瀬トレーナーが少し笑って、目隠しのタオルを差し出す。
ミラクルさんはちょっと戸惑った表情を浮かべつつも、それを受け取って額に巻いた。
「……じゃあ、回しますよ〜」
「わっ、や、やさしくしてね!?」
くるくる回るミラクルさん。私とトレーナーさんは思わず笑ってしまった。
「まっすぐ!」「左左! いや右!?」と周囲の声に惑わされながら、ゆっくりと歩いていく姿は……なんだかちょっとかわいかった。
「えいっ!」
ぱしん、という音がして、棒の先が空を切った。
「あー惜しい! 惜しかったですよ!」
「ふふ、じゃあユーフォリアさん、次お願い!」
「わかりました!」
交代して、私の番になった。
「えっと、目隠しと棒は……はい、どうぞユーフォリアさん」
「ありがとうございます」
目隠しを手渡されると、自然と背筋が伸びた。
気がつけば、周囲の視線がこちらに集まっていて、どこか緊張する。
「じゃあ、準備はいい? その場で五回回って、スタートね!」
「五回……ですね。わかりました」
ぐるぐる回ると、目の前の世界がふわりと回って、少しだけよろけそうになる。
──でも。
「がんばれー!」
「いけー!」
ミラクルさんの声も、ちゃんと聞こえた。
「右、もうちょい右!」
早瀬トレーナーの声が飛ぶ。
「ちょっと待ってくださいね……!」
両手で棒を構えて、一歩、また一歩。
砂がさらさらと動いて、波の音が少しだけ近づいてくる。
「そこそこ! まっすぐ行って、あと二歩!」
「ほんとに?」
「うん、たぶん!」
「たぶん!?」
笑いながら足を運んで、棒を振り下ろす。
「……えいっ!」
ぱきっ、という音がして拍手があがった。
「……おぉっ!」
「割れた!? やったー!」
思わず小さくガッツポーズをすると、ミラクルさんがにこにこしながら近づいてきた。
「すごいすごい。おれ、全然ダメだったのに!」
「みなさんの指示のおかげですよ! それに、運がよかっただけかもしれませんし」
「ううん、ユーフォリアさんのここぞって集中力、きっと本番にも効くよ」
「そ、そうですかね? えへへ……」
割られたスイカはあっという間に分けられ、冷えた果肉がみんなの手に渡っていった。
「んー……甘い! おいしいです!」
「やっぱりこの暑さにはぴったりだな」
そんな声が飛び交う中で、私もひときれ口に運ぶ。
冷たさと甘さが広がって、自然と笑みがこぼれた。
「ユーフォリアさん、ほっぺに汁ついてるよ」
「あっ、すみません……!」
「ふふ、はい、これ」
笑いながら差し出してくれたハンカチを借りて、私はそっと頬を拭った。
──夏の空気は、ほんの少しだけ角が取れていた。
海から吹く風がやわらかくて、どこか穏やかな空気が流れている。
(……今日も、きっと楽しくなりそう)
私はそう思いながら、もうひときれのスイカに手を伸ばした。
………………
…………
……
~夏祭り会場~
屋台の並ぶ通りに足を踏み入れた瞬間、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。焼きそばの香ばしさ、綿あめの砂糖の匂い……どこからか金魚すくいの水音まで聞こえてくる。胸が高鳴って、自然と足取りも弾む。
「ユーフォリア、何食べたい?」
「じゃあ……かき氷で」
「はは、なんとなくそうだと思った。ほら、行こうぜ」
と、私のトレーナーさんが先に歩き出す。屋台の明かりに照らされた背中がどこか楽しそうで、つられて笑みがこぼれた。
ミラクルさんと一緒に並んで、かき氷の屋台にたどり着く。氷を削るシャリシャリという音が耳に心地よい。
「ブルーハワイにしようかな。ユーフォリアは?」
「じゃあ、メロン……かな」
「かぶらなかったね」
ミラクルさんが小さく笑う。その笑顔を見ただけで、なんとなく胸が温かくなる。
早瀬トレーナーは抹茶、ミラクルさんはいちごを手にして、四人で人波を抜けた。夜空を仰げば、星が散りばめられたように瞬いている。氷の冷たさが舌に広がって、夏の熱気をすっと忘れさせてくれる。
「……っ!」
みんなで食べていると、突然お腹に響くような音が鳴り、夜空が大輪の光で染まった。赤、青、白色――次々に夜空に花が咲き、見上げる人々の歓声が広がる。
「わぁ……!」
目の前に咲いた大輪の花火に、思わず声がこぼれた。氷の甘さも忘れて、ただ空に目を奪われる。潮風に混じって、火薬の匂いがふわりと漂った。
「きれい……」
声に出した自分の言葉が、花火の音にかき消されていく。それでも、響く鼓動は隠せない。
夏の空に咲いては散る一瞬の輝きが、なぜか心に沁みて涙がにじみそうになる。
横目に映るミラクルさんの横顔が、ひときわ強く弾けた花火の光に照らされた。その顔は花火よりも鮮やかで、私は気づかないうちにその横顔を追ってしまっていた。
~砂浜~
──そして、翌朝。
「ふっ、ふっ──ふぅ」
(昨日は、楽しかったな)
(でも──)
(たくさん、気を使わせてるみたいだ。トレーナーさんに……それと、ユーフォリアさんにも……たくさん)
「どうにかして、……伝えないと」
「おれは大丈夫ですって、どうにか──」
「……ミラクルさん」
「えっ……ユーフォリアさん? 起きてたんだ」
「はい。少し……寝苦しくて目が覚めてしまって」
嘘だ。
寝苦しいわけじゃない。ミラクルさんが部屋を出るときに見えたその表情が、あまりにも重くて──。
追わずにはいられなかっただけ。
「そっか……ごめん、起こしちゃったかな」
「いえ、大丈夫です。……ただ」
私は少し迷うように言葉を選び、呼吸を整える。そして、まっすぐにミラクルさんの瞳を見つめた。
「……無理をしていませんか?」
「! ……」
「ミラクルさんの走りは、いつも……とてもまぶしいです。だからこそ、ちょっとだけ怖いんです」
「『サマースプリント』……『スプリンターズステークス』にも出るんですよね、ミラクルさんの実力なら。このまま……無理をして……。……しまわないかって」
波の音が言葉を飲み込む。潮風が髪を揺らして、肌にひんやりと触れる。胸の奥が締めつけられ、言葉にできない感情がざわざわと押し寄せた。
ミラクルさんは目を伏せ、ほんの少しの間だけ黙り込む。
それから、静かに笑う。砂浜に影が長く伸びる。
「……やっぱり、ユーフォリアさんには隠せないんだな」
「うん、走るよ。おれは、『スプリンターズステークス』に出る」
「!!」
「みんなにもらった奇跡で、おれはやっと走れてる。でも──」
「奇跡にだって限りがある。ずっとずっとは続かない。だからこそ、あそこで勝たなきゃいけないんだ」
「……」
言葉が止まり、呼吸だけが静かに流れる。
私は言葉を挟めずに立ち尽くし、胸の奥の痛みを確かめるようにそっと手を当てた。
「……ごめん。行ってくる。また、後でね」
走り出していくミラクルさんの背中を、しばらく見つめていた。
胸の奥が締めつけられ、空気の熱まで重く感じる。
「……ミラクルさん」