記憶喪失ウマ娘は幸福になれるか   作:deyus

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今回はだいぶ遅れた時間帯になってしまった、すまない。前半後半で分けたらよかったかもしれませんね。

新シナリオ来ましたね、何もわからない状態でやってUB4です。マジで何も分からなかった。


Ep.31 秋の光、遠い影

窓の外では、秋の陽がゆっくりと傾いていた。

放課後の寮の一室。机の上には開きかけのノートと、ラサさんの細い指。

 

「──もうすぐですよね、レース」

 

不意にラサさんが顔を上げる。

その声音は柔らかいのに、どこかで小さく震えていた。

私が荷物をまとめていた手を止めると、彼女は微笑みながら言葉を続ける。

 

「はい。アルテミスステークスっていうんです。東京のマイル戦で……」

 

「マイル……少し短いですね」

 

「うん。でも、トレーナーさんが“今の私なら”って言ってくれましたから」

 

言いながら、自然と笑みがこぼれる。

ラサさんはその顔を見て、小さく息を呑んで目を細めた。

 

「……ラサさんも、観に来てくれますか?」

 

「もちろんです。ちゃんと応援しますね」

 

そう言って、ラサさんは静かに笑った。

けれどその笑みは、ほんのわずかに遠い空を見つめるようで。

午後の光がその横顔をなぞり、影の線を長く伸ばす。

 

「……いいなあ。ユーフォリアさんは、まだ“これから”なんですね」

 

「……え?」

 

「……あ、なんでもないです。忘れてください」

 

彼女は小さく首を振り、ノートを閉じる。

紙の触れ合う小さな音が、部屋の空気の中で寂しく響いた。

それだけのことなのに、心がざわついた。

私にはその意味が分からなかった。ただ、ラサさんの背中が──いつもより小さく見えた。

 

 

 

翌日。

トレーナー室の空気は、いつもより張り詰めていた。

紙とコーヒーの匂いが混ざり合う。窓の外では風が木の葉を飛ばし、秋の冷たさを運んでくる。

 

「さて。改めてアルテミスステークスの確認だ」

 

机の上に並べられたデータを前に、トレーナーさんが言った。

その声は落ち着いているのに、言葉のひとつひとつがまっすぐで、心の奥に熱を残す。

 

その熱に、私はつられるように姿勢を正した。

 

「出走バは9人。逃げはお前を含めて2人。ペースは速くなるはずだ」

 

「はい」

 

「相手はこれまでよりずっと強い。序盤から飛ばせば潰される可能性もある。逃げは維持しつつも、息を抜く場所を作る……」

 

細かい戦略が並ぶけれど、その分トレーナーさんが本気で私を戦わせようとしていることが伝わってきた。

心の奥で小さな火が灯る。

 

「……なんて難しい話は置いといてだな。とにかく、最初にリードを取って、ペースを崩さずに走ればそれでいい」

 

その言葉に、思わず笑ってしまった。

 

「……結局、それがいちばん難しいんですけどね」

 

「はは、まあ確かにな。けど“お前の逃げ”ならそれで十分通じるさ、いつも通り走ればいい。なんてったって俺の担当だからな。……信じてるぞ」

 

軽口みたいなやり取り。

だけど、その軽さの中に確かな信頼があった。

──胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 

(……そんな風に、真っすぐ言われたら)

 

思わず視線を逸らした。

窓の外の光が眩しくて、でもそれだけじゃない。

何故か頬のあたりが少し熱くて、心臓の鼓動がゆっくりと速くなっていく。

 

……なにを照れてるんだろう、私。そう思うのに、うまく平静を装えない。

 

「トレーナーさんは、そうやって簡単に言いますけど……」

「実際、簡単じゃないですからね」

 

「知ってるよ。だから“信じてる”って言ってるんだ」

 

その言葉に、息が詰まった。

胸の奥が一瞬だけ跳ねて、言葉が出てこなくなる。

どうしてか、顔を上げられない。

 

(信じてる──その一言が、こんなにも重く響くなんて)

 

ただ、小さく頷いた。

 

それだけで十分だった。

肩の力が抜けていくのを感じながら、心の奥では静かに火が灯っていた。

 

「……ところで、怖くはないか?」

 

「……まあ、怖くないって言ったら、嘘になります」

「でも……それ以上に、知りたいんです。私が、どこまで行けるのかを」

 

自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出た。

その瞬間、胸の奥が熱くなる。

その熱は恐怖を飲み込むように広がっていく。

 

トレーナーさんは短く息をついて、穏やかに笑った。

 

「……いい顔だ。なら、全力で走れ」

 

「はい、トレーナーさん」

 

言葉を交わした瞬間、部屋の空気が澄んだ気がした。

初めての重賞。初めての舞台。

胸の鼓動は速いのに、足元は不思議と揺らがない。

 

きっと、これが覚悟なんだと思った。

 

 

 

 

 

~控室~

 

壁際の時計が、秒を刻む音だけを響かせていた。

その静けさが、いつもより少しだけ重く感じる。

 

控室の空気には、緊張と興奮とが入り混じっていた。

 

コースを吹き抜ける風の音。

遠くから微かに聞こえる実況の声。

それらが混ざり合って、胸の奥をゆっくりと締めつける。

 

トレーナーさんは、壁にもたれ腕を組んでいた。

視線は資料やメモにも向けられず、ただ私をじっと見つめている。

 

「……落ち着いてるな」

 

穏やかな声。その響きに安心感を覚えた。

 

「……はい、緊張してないわけじゃないですけど……ちゃんと、走りたいと思えてます」

 

「よし。それで十分だ。あとは……」

 

彼は口元にわずかな笑みを浮かべて言う。

 

「──お前の逃げで、勝ってこい」

 

その一言が、心を熱くした。

命令でも期待でもなく、信頼から生まれた言葉。

 

「はい、トレーナーさん」

 

答えると、彼はわざとらしく肩をすくめた。

 

「ったく、もう様になってきたな。……本当に、デビューからまだ3か月しか経ってないのかよ」

 

「ふふっ、たぶん……少しだけ、成長しましたから」

 

「少し、ね。……じゃあ、その“少し”を見せてもらおうか」

 

言葉のやり取りの中で、張り詰めていた空気がほんのわずかに緩む。

それでも、扉の向こうにあるゲートの音が、次第に近づいてくるのがわかった。

 

怖さは感じない。この人が見ている限り、私はきっと大丈夫だ。

 

「行ってきます、トレーナーさん」

 

「ああ、行ってこい」

 

扉を開けた瞬間、外の空気が肌を打った。

ひんやりとした秋の風。

その風の向こうから、観客のざわめきが波のように押し寄せてくる。

 

──大丈夫。

私の走りで、ここを駆け抜ける。

 

 

 

パドックに出た瞬間、空気が変わった気がした。

芝の匂い、陽を反射する柵、観客のざわめき。

それらがいっぺんに押し寄せてくる。

 

「一番人気だって」

そんな声がどこかで聞こえて、胸の奥が少しだけ熱くなる。

でも、焦らない。深呼吸をして、息を整える。

いつも通りでいい。そう思いながら歩き出した。

 

1周を終えるころ、係員さんの合図で中央のステージへ向かう。

階段を上がるたびに、歓声が近づいてくる。

耳を澄ませると、自分の名前を呼ぶ声が確かに混じっていた。

 

「ユーフォリア、今日も逃げるのかな!」

「勝てるよ、信じてる!」

 

思わず笑ってしまいそうになる。

その声が届く場所まで──私は、走りたい。

 

ステージの真ん中で立ち止まり、胸に手を当てた。

デビュー戦のときと同じ仕草。

でも、あのときよりも心が静かだった。

“これから走る”という気持ちだけが、ただ胸の奥に澄んで残っている。

 

歓声がパドックに響きあう。

小さく頭を下げ、ステージを降りた。

蹄鉄の音が並び、列がターフへと向かう。

見上げた空は高く、透きとおるような青だった。

 

その空を見て、自然と息が整った。

「行こう」

小さく呟いて、前を向いた。

 

 

ゲート前は、別の世界のように静かだった。

係員の声、蹄鉄の音、深い呼吸。

みんなが集中しているのが分かる。

 

私も、ただ前を見て立つ。

頭の中に浮かぶのは、あの人の声。

 

(お前の逃げで、勝ってこい)

 

その言葉が、何よりも背中を押してくれる。

風が背をなでた瞬間、身体が自然と前へ傾く。

 

「7番のユーフォリアさん、お願いします」

 

係員の声に頷いて、ゲートへ歩み出す。

狭い枠の中に入ると、外の音がすっと遠のいた。

 

暗くて、狭い。

でも、不思議と落ち着く場所でもある。

 

(行こう。私の走りで、勝ちに行く)

静かに目を閉じた。

前を見据えたまま、呼吸を整える。

 

そして、ゲートが閉まる音が響いた。

 

 

 

短く息を吸って、吐く。

心臓の鼓動が耳の奥で響く。

隣から聞こえる息づかいが伝わってきて──空気が張りつめた。

 

(大丈夫。いつも通り、前を見て)

 

──ガコンッ!

 

金属音とともに、ゲートが開いた。

体が自然に前へと飛び出す。

視界の端で芝が弾け、風が顔を打つ。

 

『スタートしました、アルテミスステークス! 各ウマ娘一斉に飛び出します!』

 

実況の声が遠くで響く。

私は自然と体を前に倒し、ペースを取った。

逃げるのは私ともう一人。

最初のコーナーで並びかけられるが、焦らない。

 

(譲らない。でも、慌てずに)

 

足が地を叩くたび、体の奥まで熱が広がる。

風の音、観客の声。全部が混ざって、ただ前へと背中を押す。

 

『さあ先頭は7番ユーフォリア! 期待の新星、今日も逃げの形を取ります!』

 

(落ち着いて。息を整えて……)

 

風の向こうに、トレーナーさんの声が聞こえた気がした。

「最初にリードを取って、ペースを崩さずに走れ」

その言葉を思い出すだけで、脚が自然と伸びた。

 

『ユーフォリア、依然として先頭! リードは二バ身、マイルの流れを完璧に刻んでいます!』

 

(うん……いい感覚。このまま行ける)

 

最終コーナーを回る。

背中に陽を受け、風が一段と強くなる。

その瞬間、後ろの空気がざわりと揺れた。

 

──足音。

 

(……え?)

 

ほんのわずか。けれど確かに近づいてくる気配。

芝を踏む音がひとつ、またひとつ。

背中の奥が冷たくなる。誰かが──追ってくる。

 

(まだ距離はある、焦るな……!)

 

心のどこかがざわめいた。

理由もなく、体がこわばる。

胸の奥の何かが、過去の残像を掘り起こすように疼いた。

 

『直線に入りました! ユーフォリア先頭! 後続との差は詰まりません!』

 

(詰まってない……それなのに、聞こえる。まだ──足音が……)

 

自分でもおかしいと思うほど、恐怖に似た焦りが走る。

振り向きたい衝動を必死に押さえ、歯を食いしばる。

 

風の音、観客の声、実況。

全部が遠くに流れていく。

ただ、背後の気配だけがやけに鮮明で、離れない。

 

(……大丈夫。大丈夫。逃げ切れる──!)

 

唇を噛んで、脚を伸ばす。

風を裂き、腕を振る。

 

『残り200! ユーフォリア、独走体勢に入る! 他の追随を許さない!』

 

一瞬、視界が白く弾ける。

背後の音がふっと消えた。

そして、風だけが残った。

 

(トレーナーさん……ちゃんと、見ててください)

 

最後の一歩を、全身で叩きつける。

 

『ユーフォリア、完璧な逃げ切り! 無傷の2連勝です!』

 

(……やった)

 

喉の奥から、小さな声が漏れた。

けれど、胸の奥の鼓動はしばらく止まらなかった。

勝ったのに、まだ“追われている”ような感覚だけが残っていた。

 

 

……

 

 

レースが終わり、控室へ戻ると、空気がひときわ静かに感じた。

さっきまで耳を震わせていた歓声が、まだ遠くでこだましている。

 

タオルを首にかけたまま、深く息をつく。

喉の奥が熱くて、胸の鼓動がまだ落ち着かない。

そんな中、壁際に立つトレーナーさんが小さく笑った。

 

「……よくやったな」

 

その声を聞いた瞬間、張りつめていた糸がふっと緩む。

 

「ありがとうございます。……ちゃんと、逃げられました」

 

自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。

勝った、という実感がまだ体に馴染まない。

けれどその言葉を聞いた瞬間、ようやく現実が胸の奥に降りてきた気がした。

 

「“ちゃんと”どころか、完璧だったさ」

 

彼は手にしていた書類を軽く叩き、言葉を続ける。

 

「ペースの作り方も、直線の伸びも。まるでずっと前から走ってたみたいだった」

 

「そんな……まだ、始まったばかりですから」

 

「始まったばかりなら、なおさら良いさ。ひとまず、おめでとう」

 

その言葉が、真っすぐ胸に落ちた。

褒められたというよりも、認められたような感覚。

私は頷いて微笑んだ。

 

「……ありがとうございます、トレーナーさん」

 

その声に、彼はちょっとだけ照れたように笑った。

 

「礼を言うのはこっちだよ。楽しませてもらった」

 

短い会話の中に、静かな温度があった。

心臓の鼓動が落ち着いていくのと同時に、胸の奥に暖かいものが灯る。

 

 

 

笑い声が混ざる控室に、軽いノックの音が響いた。

扉が開いて、ラサさんが顔をのぞかせる。

 

「リアさん、いますか?」

 

小走りで入ってきて、息を弾ませながら笑っている。

 

「おめでとうございます! すごかったです、ほんとに……!」

 

彼女はそう言いながら、胸の前で手を合わせて笑った。

 

「ありがとうございます。ラサさんの声、届いてました」

 

「えっ……ほんとに?」

 

一瞬、ラサさんは目を丸くして、それからふっと笑った。

 

「そっか。……届いちゃいましたか」

 

「はい。だから、すごく力になりました」

 

「……よかったです」

 

短い沈黙が流れる。

ラサさんは視線を落とし、少しだけ笑みを深くした。

 

「……やっぱり、リアさんはすごいです。私も、いつか──あんな風に走れたらいいのに」

 

「ラサさんも、きっとすぐですよ」

 

「……うん、そうだといいな」

 

そう言いながら、彼女は目を伏せた。

白い光が彼女の髪に反射して、淡い影が頬をなぞる。

その表情は、笑っているのに、どこか遠い。

 

私はその小さな違和感に気づかず、ただまっすぐ笑い返した。

 

「次も、全力で頑張ります」

 

「はい。……応援してますから」

 

扉の外へ戻っていくラサさんの背を見送りながら、私はもう一度、静かに息を吸った。

 

外では風が吹いている。

空は見えないけれど、遠くのざわめきが、次の景色を告げていた。

 

その音を聞きながら、私は確かに前へ進んでいると思えた。

そして、誰も気づかないところで、それぞれの時間が動き始めていた。




来週はもしかしたら遅れるかも(?)しれない。
評価、感想、誤字脱字報告お願いします(丸投げ)。

(11/13追記:レース中の表現を一部変更しました)
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