新シナリオ来ましたね、何もわからない状態でやってUB4です。マジで何も分からなかった。
窓の外では、秋の陽がゆっくりと傾いていた。
放課後の寮の一室。机の上には開きかけのノートと、ラサさんの細い指。
「──もうすぐですよね、レース」
不意にラサさんが顔を上げる。
その声音は柔らかいのに、どこかで小さく震えていた。
私が荷物をまとめていた手を止めると、彼女は微笑みながら言葉を続ける。
「はい。アルテミスステークスっていうんです。東京のマイル戦で……」
「マイル……少し短いですね」
「うん。でも、トレーナーさんが“今の私なら”って言ってくれましたから」
言いながら、自然と笑みがこぼれる。
ラサさんはその顔を見て、小さく息を呑んで目を細めた。
「……ラサさんも、観に来てくれますか?」
「もちろんです。ちゃんと応援しますね」
そう言って、ラサさんは静かに笑った。
けれどその笑みは、ほんのわずかに遠い空を見つめるようで。
午後の光がその横顔をなぞり、影の線を長く伸ばす。
「……いいなあ。ユーフォリアさんは、まだ“これから”なんですね」
「……え?」
「……あ、なんでもないです。忘れてください」
彼女は小さく首を振り、ノートを閉じる。
紙の触れ合う小さな音が、部屋の空気の中で寂しく響いた。
それだけのことなのに、心がざわついた。
私にはその意味が分からなかった。ただ、ラサさんの背中が──いつもより小さく見えた。
翌日。
トレーナー室の空気は、いつもより張り詰めていた。
紙とコーヒーの匂いが混ざり合う。窓の外では風が木の葉を飛ばし、秋の冷たさを運んでくる。
「さて。改めてアルテミスステークスの確認だ」
机の上に並べられたデータを前に、トレーナーさんが言った。
その声は落ち着いているのに、言葉のひとつひとつがまっすぐで、心の奥に熱を残す。
その熱に、私はつられるように姿勢を正した。
「出走バは9人。逃げはお前を含めて2人。ペースは速くなるはずだ」
「はい」
「相手はこれまでよりずっと強い。序盤から飛ばせば潰される可能性もある。逃げは維持しつつも、息を抜く場所を作る……」
細かい戦略が並ぶけれど、その分トレーナーさんが本気で私を戦わせようとしていることが伝わってきた。
心の奥で小さな火が灯る。
「……なんて難しい話は置いといてだな。とにかく、最初にリードを取って、ペースを崩さずに走ればそれでいい」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
「……結局、それがいちばん難しいんですけどね」
「はは、まあ確かにな。けど“お前の逃げ”ならそれで十分通じるさ、いつも通り走ればいい。なんてったって俺の担当だからな。……信じてるぞ」
軽口みたいなやり取り。
だけど、その軽さの中に確かな信頼があった。
──胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(……そんな風に、真っすぐ言われたら)
思わず視線を逸らした。
窓の外の光が眩しくて、でもそれだけじゃない。
何故か頬のあたりが少し熱くて、心臓の鼓動がゆっくりと速くなっていく。
……なにを照れてるんだろう、私。そう思うのに、うまく平静を装えない。
「トレーナーさんは、そうやって簡単に言いますけど……」
「実際、簡単じゃないですからね」
「知ってるよ。だから“信じてる”って言ってるんだ」
その言葉に、息が詰まった。
胸の奥が一瞬だけ跳ねて、言葉が出てこなくなる。
どうしてか、顔を上げられない。
(信じてる──その一言が、こんなにも重く響くなんて)
ただ、小さく頷いた。
それだけで十分だった。
肩の力が抜けていくのを感じながら、心の奥では静かに火が灯っていた。
「……ところで、怖くはないか?」
「……まあ、怖くないって言ったら、嘘になります」
「でも……それ以上に、知りたいんです。私が、どこまで行けるのかを」
自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出た。
その瞬間、胸の奥が熱くなる。
その熱は恐怖を飲み込むように広がっていく。
トレーナーさんは短く息をついて、穏やかに笑った。
「……いい顔だ。なら、全力で走れ」
「はい、トレーナーさん」
言葉を交わした瞬間、部屋の空気が澄んだ気がした。
初めての重賞。初めての舞台。
胸の鼓動は速いのに、足元は不思議と揺らがない。
きっと、これが覚悟なんだと思った。
~控室~
壁際の時計が、秒を刻む音だけを響かせていた。
その静けさが、いつもより少しだけ重く感じる。
控室の空気には、緊張と興奮とが入り混じっていた。
コースを吹き抜ける風の音。
遠くから微かに聞こえる実況の声。
それらが混ざり合って、胸の奥をゆっくりと締めつける。
トレーナーさんは、壁にもたれ腕を組んでいた。
視線は資料やメモにも向けられず、ただ私をじっと見つめている。
「……落ち着いてるな」
穏やかな声。その響きに安心感を覚えた。
「……はい、緊張してないわけじゃないですけど……ちゃんと、走りたいと思えてます」
「よし。それで十分だ。あとは……」
彼は口元にわずかな笑みを浮かべて言う。
「──お前の逃げで、勝ってこい」
その一言が、心を熱くした。
命令でも期待でもなく、信頼から生まれた言葉。
「はい、トレーナーさん」
答えると、彼はわざとらしく肩をすくめた。
「ったく、もう様になってきたな。……本当に、デビューからまだ3か月しか経ってないのかよ」
「ふふっ、たぶん……少しだけ、成長しましたから」
「少し、ね。……じゃあ、その“少し”を見せてもらおうか」
言葉のやり取りの中で、張り詰めていた空気がほんのわずかに緩む。
それでも、扉の向こうにあるゲートの音が、次第に近づいてくるのがわかった。
怖さは感じない。この人が見ている限り、私はきっと大丈夫だ。
「行ってきます、トレーナーさん」
「ああ、行ってこい」
扉を開けた瞬間、外の空気が肌を打った。
ひんやりとした秋の風。
その風の向こうから、観客のざわめきが波のように押し寄せてくる。
──大丈夫。
私の走りで、ここを駆け抜ける。
パドックに出た瞬間、空気が変わった気がした。
芝の匂い、陽を反射する柵、観客のざわめき。
それらがいっぺんに押し寄せてくる。
「一番人気だって」
そんな声がどこかで聞こえて、胸の奥が少しだけ熱くなる。
でも、焦らない。深呼吸をして、息を整える。
いつも通りでいい。そう思いながら歩き出した。
1周を終えるころ、係員さんの合図で中央のステージへ向かう。
階段を上がるたびに、歓声が近づいてくる。
耳を澄ませると、自分の名前を呼ぶ声が確かに混じっていた。
「ユーフォリア、今日も逃げるのかな!」
「勝てるよ、信じてる!」
思わず笑ってしまいそうになる。
その声が届く場所まで──私は、走りたい。
ステージの真ん中で立ち止まり、胸に手を当てた。
デビュー戦のときと同じ仕草。
でも、あのときよりも心が静かだった。
“これから走る”という気持ちだけが、ただ胸の奥に澄んで残っている。
歓声がパドックに響きあう。
小さく頭を下げ、ステージを降りた。
蹄鉄の音が並び、列がターフへと向かう。
見上げた空は高く、透きとおるような青だった。
その空を見て、自然と息が整った。
「行こう」
小さく呟いて、前を向いた。
ゲート前は、別の世界のように静かだった。
係員の声、蹄鉄の音、深い呼吸。
みんなが集中しているのが分かる。
私も、ただ前を見て立つ。
頭の中に浮かぶのは、あの人の声。
(お前の逃げで、勝ってこい)
その言葉が、何よりも背中を押してくれる。
風が背をなでた瞬間、身体が自然と前へ傾く。
「7番のユーフォリアさん、お願いします」
係員の声に頷いて、ゲートへ歩み出す。
狭い枠の中に入ると、外の音がすっと遠のいた。
暗くて、狭い。
でも、不思議と落ち着く場所でもある。
(行こう。私の走りで、勝ちに行く)
静かに目を閉じた。
前を見据えたまま、呼吸を整える。
そして、ゲートが閉まる音が響いた。
短く息を吸って、吐く。
心臓の鼓動が耳の奥で響く。
隣から聞こえる息づかいが伝わってきて──空気が張りつめた。
(大丈夫。いつも通り、前を見て)
──ガコンッ!
金属音とともに、ゲートが開いた。
体が自然に前へと飛び出す。
視界の端で芝が弾け、風が顔を打つ。
『スタートしました、アルテミスステークス! 各ウマ娘一斉に飛び出します!』
実況の声が遠くで響く。
私は自然と体を前に倒し、ペースを取った。
逃げるのは私ともう一人。
最初のコーナーで並びかけられるが、焦らない。
(譲らない。でも、慌てずに)
足が地を叩くたび、体の奥まで熱が広がる。
風の音、観客の声。全部が混ざって、ただ前へと背中を押す。
『さあ先頭は7番ユーフォリア! 期待の新星、今日も逃げの形を取ります!』
(落ち着いて。息を整えて……)
風の向こうに、トレーナーさんの声が聞こえた気がした。
「最初にリードを取って、ペースを崩さずに走れ」
その言葉を思い出すだけで、脚が自然と伸びた。
『ユーフォリア、依然として先頭! リードは二バ身、マイルの流れを完璧に刻んでいます!』
(うん……いい感覚。このまま行ける)
最終コーナーを回る。
背中に陽を受け、風が一段と強くなる。
その瞬間、後ろの空気がざわりと揺れた。
──足音。
(……え?)
ほんのわずか。けれど確かに近づいてくる気配。
芝を踏む音がひとつ、またひとつ。
背中の奥が冷たくなる。誰かが──追ってくる。
(まだ距離はある、焦るな……!)
心のどこかがざわめいた。
理由もなく、体がこわばる。
胸の奥の何かが、過去の残像を掘り起こすように疼いた。
『直線に入りました! ユーフォリア先頭! 後続との差は詰まりません!』
(詰まってない……それなのに、聞こえる。まだ──足音が……)
自分でもおかしいと思うほど、恐怖に似た焦りが走る。
振り向きたい衝動を必死に押さえ、歯を食いしばる。
風の音、観客の声、実況。
全部が遠くに流れていく。
ただ、背後の気配だけがやけに鮮明で、離れない。
(……大丈夫。大丈夫。逃げ切れる──!)
唇を噛んで、脚を伸ばす。
風を裂き、腕を振る。
『残り200! ユーフォリア、独走体勢に入る! 他の追随を許さない!』
一瞬、視界が白く弾ける。
背後の音がふっと消えた。
そして、風だけが残った。
(トレーナーさん……ちゃんと、見ててください)
最後の一歩を、全身で叩きつける。
『ユーフォリア、完璧な逃げ切り! 無傷の2連勝です!』
(……やった)
喉の奥から、小さな声が漏れた。
けれど、胸の奥の鼓動はしばらく止まらなかった。
勝ったのに、まだ“追われている”ような感覚だけが残っていた。
……
レースが終わり、控室へ戻ると、空気がひときわ静かに感じた。
さっきまで耳を震わせていた歓声が、まだ遠くでこだましている。
タオルを首にかけたまま、深く息をつく。
喉の奥が熱くて、胸の鼓動がまだ落ち着かない。
そんな中、壁際に立つトレーナーさんが小さく笑った。
「……よくやったな」
その声を聞いた瞬間、張りつめていた糸がふっと緩む。
「ありがとうございます。……ちゃんと、逃げられました」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
勝った、という実感がまだ体に馴染まない。
けれどその言葉を聞いた瞬間、ようやく現実が胸の奥に降りてきた気がした。
「“ちゃんと”どころか、完璧だったさ」
彼は手にしていた書類を軽く叩き、言葉を続ける。
「ペースの作り方も、直線の伸びも。まるでずっと前から走ってたみたいだった」
「そんな……まだ、始まったばかりですから」
「始まったばかりなら、なおさら良いさ。ひとまず、おめでとう」
その言葉が、真っすぐ胸に落ちた。
褒められたというよりも、認められたような感覚。
私は頷いて微笑んだ。
「……ありがとうございます、トレーナーさん」
その声に、彼はちょっとだけ照れたように笑った。
「礼を言うのはこっちだよ。楽しませてもらった」
短い会話の中に、静かな温度があった。
心臓の鼓動が落ち着いていくのと同時に、胸の奥に暖かいものが灯る。
笑い声が混ざる控室に、軽いノックの音が響いた。
扉が開いて、ラサさんが顔をのぞかせる。
「リアさん、いますか?」
小走りで入ってきて、息を弾ませながら笑っている。
「おめでとうございます! すごかったです、ほんとに……!」
彼女はそう言いながら、胸の前で手を合わせて笑った。
「ありがとうございます。ラサさんの声、届いてました」
「えっ……ほんとに?」
一瞬、ラサさんは目を丸くして、それからふっと笑った。
「そっか。……届いちゃいましたか」
「はい。だから、すごく力になりました」
「……よかったです」
短い沈黙が流れる。
ラサさんは視線を落とし、少しだけ笑みを深くした。
「……やっぱり、リアさんはすごいです。私も、いつか──あんな風に走れたらいいのに」
「ラサさんも、きっとすぐですよ」
「……うん、そうだといいな」
そう言いながら、彼女は目を伏せた。
白い光が彼女の髪に反射して、淡い影が頬をなぞる。
その表情は、笑っているのに、どこか遠い。
私はその小さな違和感に気づかず、ただまっすぐ笑い返した。
「次も、全力で頑張ります」
「はい。……応援してますから」
扉の外へ戻っていくラサさんの背を見送りながら、私はもう一度、静かに息を吸った。
外では風が吹いている。
空は見えないけれど、遠くのざわめきが、次の景色を告げていた。
その音を聞きながら、私は確かに前へ進んでいると思えた。
そして、誰も気づかないところで、それぞれの時間が動き始めていた。
来週はもしかしたら遅れるかも(?)しれない。
評価、感想、誤字脱字報告お願いします(丸投げ)。
(11/13追記:レース中の表現を一部変更しました)