異世界で追放されたからざまぁしてみようと思ったら割とリアルだった件について 作: ころっくー
カイトは一人、夜の街を歩く。
緑髪の少女、ラヴィの姿は隣にはなく、カイト一人のみ。
隣にラヴィがいない理由。
それはギルド内での出来事。
カウンターへと戻って来たハンナがカイトを呼び寄せ、彼に袋を渡す。
それを横からラヴィが手を伸ばして取ろうとしたが、ハンナが先に手を動かした事によって空振り。
負けじとラヴィが再び挑むが、袋を掴む事は出来ず。
苛立ち気に目を細めたラヴィがカイトを睨む。
「早く魔力提供して! じゃないとこいつを倒せない!」
その言葉にカイトが悩む。
そして聴こえた声。
「良く分かりませんが、余計な事をしたら……剥奪しますよ」
カイトの中で軍配を上げる方向が決まった瞬間だった。
どちらに与すれば極力被害が出ないで済むのか、カイトの天秤が傾いたのだ。
反応を示さなくなったカイトに、その訳を察したラヴィが目付きを細める。
「え、何? もしかして君ってこんな性格悪い女タイプなの? うわっ、見る目なっ」
どこかカイトに対して引いた表情を交えつつ告げたラヴィに、カイトは只何も言えなかった。
そうでは無いが、何故かここで肯定でも否定でも言葉を発せば大変な事になる。
前世の影響か今世での考えなのか良く分からないが、彼の中の本能が何故かそう警告してきたのだった。
ラヴィとは違う方向から、カイトへと声が届く。
「晴れてソロとなったぼっちさんに、僭越ながら一つ忠告します。幾ら一人が寂しいからと言っても、誰と付き合うのかは選ばれた方がよろしいかと」
「……は? それってあたしの事言ってんの?」
「いえ、決してそういう訳では。ですがその様な反応を示されるという事は、何か思い当たる節でもお有りですか?」
「このアマァァァァっ!」
暴れるラヴィを再び必死に宥めるカイト。
それを只、淡々と見ているハンナ。
背後からも数多の視線を感じながら、カイトは羞恥心を隠しつつもとにかくラヴィを宥める事に集中したのだった。
そして数分の時が経ち、息も絶え絶えと言った様相で呼吸を繰り返すラヴィの姿にカイトは静かに息を吐く。
改めてハンナから手渡された袋を受け取り、それをラヴィへと渡す。
「へ?」
カイトから差し出された袋を不思議そうに見つめるラヴィ。
それを見たカイトが、どこか遠慮がちに口を開いた。
「……その、今日の件は全部……ラヴィさんの、お陰なので」
そう告げれば、ラヴィの顔がカイトへと向く。
本心から、カイトはラヴィへと伝えたのだ。
自分は何もしていない、ラヴィが居たからこそキマラの件も、スキルの件も全て現在の結果になった。
少なくともカイトはそう思っていた。
暫くカイトを見つめていたラヴィは、静かに口を開く。
「……ラヴィさんって呼ぶのやめない? ラヴィでいいよ」
君にさん付けされんの何か違和感あるし、そう言ったラヴィにカイトの目が見開かれる。
予想外の言葉だった。
カイトとて、意識してラヴィの名前に敬称を付けた訳では無い。
前世からの無意識な反応だった。
関係性の薄い人や目上の人、年上の人には敬称を付ける。
それが転生した現在でも自然だったのだから。
無論、フランクな人間がいるのはカイトも知っている。
前世よりも今世。
転生した今の方が、日本に居た頃よりもフランクな人が多いとも感じていた。
だが交友関係は今世の方が明らかに狭かった。
その原因は、転生した時からカイトに付き纏った問題によって。
魔力無し。そしてスキルが使えない。
段々と魔力無しと村の子供達から言われる様になり、そして両親を幸せにするという夢を持って一人でトレーニングを始める様になり、一気に交友関係が狭まった。
両親、そして三人の幼馴染達だけが、彼のパーソナルスペースに入れても問題無いと判断した人間だった。
故にそれ以外の人とは社交的でありながらも、どこか距離を取った対応をしてしまう。
カイトの前世で言えば、ビジネスライク。
五人以外は敬称を付けて呼ぶのが、カイトにとっては当たり前になっていたのだ。
そして自分から踏み込む事も無いカイトに、今のラヴィの様な事を言ってくれる人は居なかった。
だからこそカイトは驚愕したのだった。
ラヴィが口を開く。
「ほら、言ってみてよ。さん付けないでラヴィって」
その言葉に、カイトの中に謎の緊張感が走る。
僅かに唇を震わせながら、徐々に開いた。
「……ら、ラ、ヴィ」
カイトの言葉にラヴィはどこか不服そうな表情を残しつつも、顔を逸らした。
「ま、それで徐々に慣れてってよ」
そう言って、カイトが差し出していた袋を掴み取り、中身を確認する。
やがて眉を顰めた。
「んー、思ったより多くない……」
呟いたラヴィが顔を上げる。
そしてにやりと笑い、ハンナを見るのだった。
「ざんねーん、これはあたしが貰ったからカイトに渡しても意味ありませんでしたー!」
そう言って袋を高く掲げて、勝ち誇った様な表情を浮かべハンナを見下ろせば、ハンナがラヴィを一瞥した。
「どうぞご自由に。ギルドとしては冒険者に渡す決まりとなっており、冒険者へと渡した後の行動には関与しませんので」
淡々と告げたハンナに、ラヴィの動きが固まった。
にやりと笑っていた笑みが引き攣る。
そしてぎこちない動きでカイトを見た。
「……やっぱ、この女、キライ」
言われたカイトは只、微妙な表情を浮かべて顔を逸らすのだった。
「では他にご用件が無ければ、仕事の邪魔ですのでお引き取りを」
ハンナの言葉に、カイトは小さく頷いた。
「……ありがとうございました」
そう告げて頭を下げる。
カイトの頭上から、微かな呟きが聴こえた。
「ええ、ぼっちさんのせいで少し忙しくなりそうなので…………剥奪の仕事までさせないでくださいね」
咄嗟に顔を上げたカイト。
そこにはカウンターの下から何やら書類を取り出し、作業を始めようとしているハンナの姿。
彼女が顔を上げる様子は無く、まるでカイトの存在等認知していない様にも思えた。
「剥奪って、もしかして冒険者資格って事……? ぷぷっ、カイトを剥奪したら一体何人が冒険者として残れるんだろうねっ」
そんなカイトに、横から楽し気な声が届いた。
顔を向ければ、どこか愉快そうな表情を浮かべたラヴィの姿。
「ま、いいやっ。とりあえずここでご飯食べとくから、君はあたしが泊まるホテル探してきてよ!」
表情を変え、何気無い口調でカイトに告げるラヴィ。
彼女はカイトの反応を待つ事無く、ギルド内に併設された食堂へと歩き始める。
それを見たカイトが慌てて口を開いた。
「わ、分かったよ……ホテルが取れたら、戻ってくるから」
ラヴィの背中にそう告げれば「よろしくー」という軽い返事。
食堂に着いたラヴィを、誰も見ない。
屈強な冒険者ですら、何か異質なものを感じ取ったかの様に、只黙々と手元の料理に集中していた。
普段とは真逆な、静かに飲み食いする音だけが聴こえる食堂。
その中の一つ、空いているテーブルにラヴィが腰掛けた。
顔を上げて、カイトを見る。
「ほらっ、急いで!」
彼女の言葉を受けて、カイトは漸く思い出したかの様に動き出した。
彼が目指すのは、ギルドの入り口。
ラヴィの言伝通りに、ホテルを取らなければいけない。
それは元々約束していた事でもあったから。
顔を俯かせたままに、歩く。
そして誰かの前を通り過ぎる。
「……あ……あのっ」
その声が真横から聴こえた瞬間、カイトは動く事が出来なくなった。
只その場で固まり、動きを止める。
「え、えっと……その、カイト」
声を掛けられたのは昨日ぶり、と言えば何の感慨も無い。
だがカイトには、一日も話していなかったその声が酷く懐かしく、そして動けなくなる程に、苦しかった。
聞き馴染みのある声。聞き間違う筈のない声。
絶対に忘れる訳が無い、声。
昨日まで時たま話しかけてくれていた筈の声は、どこか昨日のものとは違った。
最近話しかけられる際はずっと、一方的だった筈の声色。
それがどうして、何故か今の声はどこか遠慮がちに思えた。
その時、声が聴こえる。
「おーい、早くホテル取ってこーい!」
聴こえた声に、身体が震える。
そして再び動く様になった身体を、ゆっくりと動かした。
前へ、そして前へ。
視界に映る足が消える間際。
カイトの震える唇が、小さく開かれた。
「……ごめん、リーン」
昨日ぶりに、名前を呼んだ。
呼んで、後悔した。
名前を呼ぶ資格なんて、自分には無いのに。
只歩く事に集中し、徐々に速まる足を進めてギルドを出る。
そこで見た外の暗さは、まるでカイトの心情を表しているかの様だった。
ホテルを出る。
先程と変わらない夜景が、何故か少し暗さを増している様にカイトは思えた。
出るのは溜息。
これで、三軒目だった。
ホテルの宿泊を断られた件数。
無論カイト自身は、泊まるつもりは無かった。
けれども、断られた。
カイトの連れ。
たったそれだけの理由で、全て断られたのだった。
そして断られ方が、今朝よりも顕著になっているのがカイトには理解出来た。
ホテルに入り受付へと向かう。
主人が出てきたら、開口一番にカイトへと訊ねたのだ。
――カイトって奴じゃねえよな?
訝し気な表情、その言葉に、思わずカイトが固まる。
そして僅かな逡巡。
やがて、自分がカイトだと認めれば、鬼の様な剣幕でホテルを叩き出される。
一軒目、二軒目、そして今し方出て来たばかりの三軒目も同様。
拒絶されるのは分かっていた。
でも、これ程までとは思ってもいなかった。
一軒目の時は只呆然とするだけ。
二軒目の時は、追い出される間際に辛うじて自分は泊まらない旨を伝えたが失敗。
三軒目は、最初から自分は泊まらずに他の人を泊まらせて欲しいと願い出たが、結局自身がカイトである事を認めれば、拒絶された。
冒険者達のジンクス。
その本領が、漸く垣間見えた気がした。
自分がカイトでは無いと偽る事は容易だった。
けれどもカイトは、偽る事が出来なかった。
もし偽って、それが原因でそのホテルに宿泊していた冒険者が明日死んだらどうする。
それを考えてしまうと、決して偽る事等出来はしなかった。
力無くカイトはホテルの前から歩き始める。
ギルドを出てから大分と時間が過ぎた。
ラヴィを待たせてしまっているのではないか。
その事実にカイトの中で焦りが大きくなっていく。
何とか次のホテルを取れる様にしないと。
そう思い、心に決めて、覚束ない足取りで進み続ける。
やがて足を止めれば、目の前にはホテル。
何度か深呼吸をし、足を進める。
そしてホテルの入り口を潜ろうとした時、カイトの足が止まった。
まるで閃き。
言い方を変えれば、悪魔の囁き。
迷惑。
そしてラヴィ。
その二つがカイトの中で、天秤に乗ったのだった。
ホテルを門前払いされる現状。
ラヴィを待たせてしまっているという焦り。
それが混ざり合い、恐怖となる。
だからこそカイトの中に、天秤が現れた。
迷惑を考えてホテルに断られ続けて、ラヴィを待たせる。
ラヴィの部屋を取る事を優先して、迷惑を掛ける。
下へと傾くのは、果たしてどちらか。
ギルドにラヴィを迎えに行けば、既に食事を終えて待ち草臥れた様子でテーブルに突っ伏したラヴィの姿。
カイトに気付いた彼女は、開口一番に遅いと一喝した。
それに平身低頭で謝罪を続ければ、漸くと怒りを収める。
ギルド内に他の冒険者の姿はなく、残っているのは職員達のみだった。
ホテルは取れたのかと訊ねるラヴィにカイトが頷きを返す。
それを見た彼女はすぐさま、じゃあ案内してと告げ立ち上がった。
そのまま入り口へと歩き出した姿を見たカイトが慌てて追いかけ、共に外へと出る。
ラヴィが「一応何があるか分かんないから、一旦魔力提供しといて」と告げ、それに応えたカイトに対して満足した様に頷き、ホテルへと向かう。
着いたホテルで、受付で名前を言えば鍵が貰えるとカイト伝えればラヴィは相槌を返してホテルに入って行った。
だがすぐに再びカイトの前に顔を出して「魔力回復したいから、君が寝る前にはちゃんと魔力提供切っといてね」とだけ告げ、カイトの反応を待たずにホテルの中へと消えたのだった。
そして今、ホテルの近くの路地にカイトは居た。
人通りの多い通りとは違い、狭く殆ど人の往来が無いであろうと思える路地。
そこに荷物を置き、それを枕としてカイトは横になっていた。
側頭部を枕につけて、身体を丸める。
寝具を纏わずとも僅かな肌寒さ程度の気候に感謝しつつ、カイトはこれまでの出来事を振り返った。
四件目のホテル。
その入り口でカイトは、どちらかに天秤が傾こうとしていた。
迷惑か、ラヴィか。
どちらを優先し、どちらを後回しにするのか。
それは彼を酷く悩ませ、葛藤の様に心を苦しめた。
だが、やがてその天秤が傾いたのだった。
入口から入ろうとしていた足を下げる。
数歩と後ずさり、背中の荷物を横に下ろした。
そして荷物を漁り、目当ての袋を取り出す。
カイトは袋を手に持ち、荷物の横で石畳の上に膝をつけた。
上体を傾け、両手をも地面につける。
そして、声を張り上げた。
「お願いします! 今晩だけで良いので、一人泊めて頂けないでしょうか! 僕はカイトと言います! ですが僕は泊まりませんので、僕じゃない一人だけ泊まらせて頂く事は出来ないでしょうか! お金は勿論払います! 本来の料金じゃなくても問題ありません! 言い値で支払わせてください!」
その声はホテルを、そして周りへと響く。
「もし泊まっている冒険者の方がいれば、その方々に相談頂いても構いません! ご希望とあればその皆様の本日の宿泊代も全て支払います! 僕は絶対にこのホテルに一歩たりとも足を踏み入れません! 僕なんかとは正反対の素晴らしい人を何とか一泊させて頂けませんでしょうか!」
カイトは只無心で、声を上げ続けた。
「その人は"死神"と呼ばれる僕とは全く違う、人を明るくさせて楽しませて幸せな気持ちにさせてくれる本当に素晴らしい人なんです! キマラからも余裕で生き残れて、寧ろ倒してしまえる人なんです!」
キマラを倒したのは、カイトの力。
けれどもカイトは、ラヴィが居たからこそ自分の力を得られたのだと思っている。
故に彼の言葉に偽りは無い。
「僕なんかにも初対面でも明るく接してくれて! 色々と教えてくれて! こんな僕でも人の役に立つ方法を教えてくれた凄い女性なんです!」
何を言いたいのか、カイト自身も理解はしきれていなかった。
でも、ラヴィの凄さを少しでも知って貰えれば、もしかしたら泊めて貰えるかもしれない。
自分が泊まれないのは仕方の無い事。
だが、自分にあれ程の力を貸してくれたラヴィがホテルに泊まれないなんて、あり得ない。
ラヴィをホテルに泊められないのは、自分の責任。
ならば出来る限りの事をしてでも、ラヴィの部屋を取れる様にしたい。
カイトの中の天秤は、ラヴィに傾いたのだった。
だが完全に傾き切った訳では無い。
冒険者達のジンクス。
そしてホテルの損失。
その全てを凌駕させる事は出来なかった。
だからこの方法を思い付いたのだった。
「僕とは無関係というか、僕なんかじゃ彼女のシミの一つにもなれない程に果てしなく遠い存在なんです!」
ホテルに入るのが迷惑になるのなら、入らない。
外から問い掛ける。
それをする為に、カイトが捨てたものは一つ。
カイトの中の天秤は、厳密には迷惑とラヴィではなかった。
自身のプライドとラヴィ。
その二つでは、完全にラヴィへと傾き切っただけだった。
確かに五月蠅いし迷惑を掛ける部分もある行為。
それはカイトも自覚していた。
他にもっと良い方法があったのかもしれない。
だが、極力ラヴィと迷惑を共に取れるのは、この方法しかカイトには思い浮かばなかった。
果たしてそれは、日中にラヴィへと行った土下座があったからなのか、カイト自身にも分からない。
けれども真っ先に自分が捨てるべきはラヴィでも迷惑をかけない事でも無い。
下らないプライドだろうとは、思えたのだった。
「僕という存在すらも全く思い出させない程に素晴らしい人なんです! どうか! どうか彼女を一晩だけでも泊めて貰えませんか! お願いします!」
頭を下げたままに、叫ぶカイト。
そんな彼に、声がかけられたのだった。
「おい、うるせえからそれ以上はやめてくれ」
間近で聴こえた男性の声に、カイトの身体が震える。
土下座をしたまま、顔も上げられずに固まる。
そこに再び、声が届いた。
「誰かさんのせいで数少なくなっちまったうちに残った貴重な宿泊客全員から、黙らせろって言われてんだよ」
その言葉に、カイトの中で罪悪感が湧き上がる。
それは声を掛けてきた主に対して。そして苦情を伝えて来たという宿泊客達に対して。
次いで訪れる感情。
分かってはいた。
騒音という意味でも迷惑になるのは。
分かってはいた。
決して、結果が伴う訳では無いとは。
無力感に、身体が打ち震える。
ラヴィの素晴らしさを分かって貰えない事に。
ではなく。
ラヴィの素晴らしさすらも伝えられない、自分自身に対して。
そしてまた、ホテルを取れなかったという、彼女との約束を破ってしまった事に対して。
すぐ傍に、何者かがしゃがみ込んだと、衣擦れの音からカイトは察した。
自分の名前は既に告げた。
ならば後は、今までと同じく追い出されるだけ。
この後の展開がカイトには容易に想像がついた。
カイトの傍にしゃがみ込んだ人物が動く。
その手を伸ばし、カイトが握っていた袋を取り上げる。
金の入った袋。
それを取られても尚、カイトは動く事が出来なかった。
迷惑を掛けた。
この思いが、カイトの中で動きを止めたのだった。
「これで泊めろって言いたかったんだろ?」
差し詰め七万ゼルってとこか、中身を確認した男性がそう呟いた。
そして、カイトへと声を掛ける。
「……一泊で退去したって、これを宿泊代として頂くからな」
「…………え」
男の言葉に、カイトの思考が停止した。
構わずに男が続ける。
「数少ねえ宿泊客全員に言われたんだよ――泊めても良いからさっさと黙らせろってな」
その言葉に、カイトの身体が震えた。
それは驚きであり、そしてまた別の感情から。
「こちとらお前さんのせいで昨日、殆どの客が引き払っちまったんだ。残ってんのは冒険者のジンクスとやらを気にしねえ、イカれた奴らばっかでよ」
カイトの反応を気にする事無く、男の言葉は続く。
「うちの宿泊代は知ってるだろ? 七日か八日以上泊まるなら、そっからは今まで通り払ってくれや」
そう言って金の入った袋を持ち、立ち上がった男性。
「今残ってるイカれた野郎共の殆どが、自分のパーティーで大分と昔に誰かが死んだりした様な奴ばっかでよ。そいつらが一番の常連客ってんなら、ここの経営方針は一つだけだ」
ホテルの入口へと歩き出しながら、口を開いた。
「金さえきちんと払えば……誰であろうと客だ」
緑髪のエルフらしいな、そいつには受付に来いって言っとけ。
その言葉を最後に、男性はカイトの前から姿を消した。
残されたカイトは、只々身体を震わせるのみ。
ホテルの入り口から注がれる光で仄かに輝く石畳を、只見つめ続ける。
意識をしていた訳じゃ無かった。
寧ろ、今の今まで忘れていた。
ここが昨日までカイトが宿泊していたホテルだと。
何か思惑があって、このホテルを選んだ訳ではない。
ただ、次のホテルを目指して呆然と歩いていたら、このホテルに辿り着いただけ。
カイトの中に、先程かけられた言葉が蘇る。
――うちの宿泊代は知ってるだろ? 七日か八日以上泊まるなら、そっからは今まで通り払ってくれや。
このホテルの宿泊代は、八千ゼルだった。
そして彼が持って行った袋に入っていたのは約七万ゼル。
つまり声の主、このホテルの主人は、正規の金額でラヴィを泊めてくれると言ったのだ。
だがラヴィが仮に一泊でこのホテルを引き払った場合でも、その全額は持って行かれる。
それでも全く構わないと、カイトは思った。
元より手持ちを全額払ってでも、今日ラヴィが泊まれる場所を探そうと思っていたから。
地面に触れていた手を強く握りしめる。
ラヴィを、迎えに行かなくては。
そう思った。
ゆっくりと身体を起こす。
立ち上がり、そして再びホテルの入り口が見えた。
そこにカイトは、静かに頭を下げたのだった。
この気持ちを忘れない様に。
この感謝を忘れない様に。
いつか必ず、この恩に報いれる様に。
そして荷物を背負い直し、静かにギルドへ向けて歩き出したのだった。
出来事を思い出し、小さく息を吐いた。
カイトは、今日は朝から感情が休まる暇が無かったと思える程に、目まぐるしかったと感じた。
そして同時に、今日という日の全てを忘れない様にしよう。
心に、そう強く思った。
朝に出会った女将も、自分を立ち上がらせてくれた幼い女の子も、ギルドで宿泊費を請求した冒険者達も、突然の出会いからスキルの解明を手伝ってくれたラヴィも、幼馴染達も。そしてラヴィの宿泊を認めてくれた主人や、宿泊客達にも。
自分が仕出かした事を忘れない様に、自分が報いる人達を忘れない為に。
迷惑を掛けた人を忘れない為に、迷惑を掛けてしまう事を忘れない様に。
辛く、苦しい。
この思いを誰にも与えない様に。
頑張ろう。
そう、心に誓うのだった。
寝言地の悪い石畳の上で横になり、身体を丸めながら静かに目を瞑る。
明日はどうしようか、そんな事を考えつつも結論が出る訳も無く。
ラヴィにはいつ頃、魔力提供を止めれば良いのだろうか。
もしまだ起きていたら、急に魔力が無くなって何かしらで困る事があるかもしれないから、解くタイミングを完全に逸していた。
もう少し待ってから、解除しよう。
そんな事を考えながら、微かに意識が重くなる。
その時、カイトの耳に声が届いた。
「いよいよ外で寝るまでになったんですね、