異世界で追放されたからざまぁしてみようと思ったら割とリアルだった件について   作: ころっくー

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第19話

 聴こえた声に、カイトは咄嗟に目を開く。

 視線を向ければ、横になる彼の傍にしゃがみ、カイト見つめるハンナの姿があった。

 反射的に上体を起こしたカイトが壁に背を預けながら座り込み、驚きの表情をそのままにハンナを見つめる。

 

「え……あ、え、ハ、ハンナ、さん」

 

 五月蠅い程に素早くなった鼓動を感じつつ、カイトが彼女の名を呟く。

 何故ハンナがここに。

 一切の纏まりを見せない思考で、必死に考えを巡らせる。

 だが、答えが出る事は無かった。

 百面相の様に表情を動かし続けるカイトを、ハンナは無表情で見つめていた。

 やがて静かに口を開く。

 

「ぼっちさんはホテルには泊まらないんですか? それともホームレスが趣味だったのでしょうか」

 

 ハンナの言葉に、カイトが暫し見つめる。

 そして漸くと意味を把握し、おずおずと口を開くのだった。

 

「い、いえ……その、ホテルは泊まらないといいますか、泊まれないといいますか……」

 

 そう言ってどこか取り繕う様に、笑みを浮かべた。

 カイトを見る、ハンナの表情は変わらない。

 

「それで、今日はここに寝るつもりと?」

 

 ハンナの言葉に、カイトは只苦笑いを浮かべるに留めた。

 そして慌てた様に口を開く。

 

「そ、それより、ハンナさんは何でここに……?」

 

 話題を変える様なカイトの言葉。

 それを受けたハンナが僅かに首を傾げる。

 

「何でとは? 帰宅中だからですが」

 

 そう返したハンナに、カイトは漸く気付いた。

 ハンナの服装。

 それが普段カイトが見ている、ギルドの制服だと。

 そして下半身もまた変わらずのスカートであったが、しゃがんでおり足をカイトに向けているハンナは闇夜に紛れておりカイトの視界に特段の何かが映り込むという事は無かった。

 カイトの体感では、既に大分と遅い時間である現在。

 

「えと、その……お疲れ様です」

 

 上手い言葉が思い付かず、労いの言葉を掛けるのだった。

 そんなカイトを、ただ無言で見つめるハンナ。

 見つめられているカイトは、どこか居心地を感じつつ僅かに目を逸らすのだった。

 暫くと無言の時間が続く。

 やがて、ハンナが口を開いた。

 

「もしこのままここに寝られるのなら……私の家に来ますか?」

 

「……へ?」

 

 カイトの呆けた声が闇夜に溶ける。

 まだ夜は、終わる気配を見せなかった――。

 

 

「それでは、私はここで」

 

 そう言ってハンナが、カイトから離れる。

 彼女に頷き、カウンターへと歩いていくハンナをカイトが見届けた。

 ギルドには職員しかおらず、冒険者はカイト一人のみ。

 暫し立ち呆けてからゆっくりと歩き出して併設された食堂へと向かい、まだ誰も居ない中から一つの席を選びそこに腰掛けたのだった。

 現在はまだ朝早い時間帯。

 多くの冒険者は恐らくまだ寝ているか、ホテルの朝食を食べ始めた頃だろう。

 カイトは座りながら、只漠然とカウンターを見ていた。

 カウンター奥の扉に入り姿を消していたハンナが出てくる。

 そのままカウンターの前に腰掛け、手に持った大量の書類を置いていく。

 ある書類は右に、またある書類は左、はたまた別の書類はその真ん中に置き次の書類は更にその隣の空いた空間に置く。

 そして徐々に枚数が重なり厚くなる箇所とそうでもない箇所が、顕著になり始めた。

 やがて彼女の手から書類が無くなり、カウンターに並べた書類から一つの束を掴んで立ち上がる。

 カウンターの前に移動しては、その横の壁にかけられた掲示板の前でその足を止めた。

 掲示板に刺さっている中の針を一つ抜きその手で、反対の腕に抱える紙の束の一番上を掴み上げて掲示板へと押し付け、そのまま器用に持っていた針を刺し込み紙と掲示板を固定。

 その動作を繰り返し、やがて終わりを迎えたのだった。

 ハンナが今何をしているのか、それは傍目のカイトにも容易に理解出来た。

 カウンターのすぐ横に設置された掲示板。

 ここには基本的に、その日の緊急クエストが張り出されるのだ。

 早急な対応が必要であり、それに見合った高額の報酬となるクエスト。

 だが相応に、高難易度となるクエストでもあった。

 ある程度ランクの高い冒険者達はギルドに来れば、真っ先にこの掲示板を確認する。

 そして目ぼしいクエストがあればそれを取り、カウンターにて受付嬢に受注依頼をする。

 内容と冒険者の素質を比較して問題無いと判断されれば、そこで漸く受注依頼が受理されるのだ。

 自分では受けた事が無いが知識はある為、ハンナは今緊急クエストを張り出しているのだろうとカイトは予想出来た。

 掲示板に貼り終えたハンナが再びカウンターの奥に戻るのを眺めながら、カイトは思いに耽る。

 それは昨晩から、今朝までの出来事。

 

 ――いよいよ外で寝るまでになったんですね、宿無(やどやし)さん。

 路上で寝ようとしていたカイトに、そう声を掛けてきたのはハンナ。

 そして彼女から告げられた言葉。

 ――もしこのままここに寝られるのなら……私の家に来ますか?

 その言葉に驚き、最初は断りを入れたカイト。

 だがハンナは只々、無言でカイトを見つめるのみ。

 再びやんわりと、迷惑が掛かるからと断りを告げたカイトをも、ハンナは無言で見つめ続けた。

 ――……え、と……その、じゃあ、お邪魔しても……良いです、か……?

 やがて力無く、申し訳なさそうに呟いたカイト。

 それを受けたハンナが漸くと立ち上がった。

 事実上、カイトの降参であった。

 ――であれば早く移動の準備を済ませてください。

 見下ろしながら淡々と告げたハンナに、カイトが慌てて立ち上がり荷物を背負い直す。

 そして歩き始めた彼女の後ろを、恐る恐るといった様子で歩くのだった。

 ハンナの家は、歩き始めてからすぐに着いた。

 カイトが寝ようとしていた場所から約二分程度の距離。

 玄関を開けたハンナが魔道具のスイッチを入れれば、室内に暖かな光が灯る。

 彼女に促され、ゆっくりとした足取りでどこか怯えながらカイトも入室した。

 お邪魔します、と小さく呟けば「荷物はお好きな場所に置いてください」とハンナが告げ、そのまま奥へと歩き出す。

 恐縮しきった様相でカイトはゆっくりと室内を見渡せば、豪華では無くどちらかと言えば質素、だが全てが綺麗に整頓と整理がなされており清潔感のある部屋という印象を覚えたのだった。

 カイトは視界の端に映る階段を見て、二階もあるのかという漠然とした感想を浮かべる。

 

「どうぞ」

 

 そう言ってハンナは部屋の中央に設置されているテーブルの上に、白いマグカップを置いた。

 ハンナの行動を察したカイトは遠慮がちに礼を述べて、背中の荷物を静かに入り口の横へと下ろす。

 先程まで路上に置いていた事を思い出して床への接地面を違う箇所へと変えながら置き、開いたままだった入り口の扉を閉めてテーブルへと近付いたのだった。

 テーブルの手前側に置かれたマグカップ。

 その反対側にもう一つのマグカップを置いたハンナが、その傍にある椅子を引いて腰掛けた。

 そのままカイトへと顔を向け、見つめる。

 無言で見つめられるカイトが思わず目を逸らすが、彼女の意図を理解し軽く頭を下げてから手前の椅子を引いて静かに腰掛けるのだった。

 手元のマグカップを持ち顔へと近付けたハンナが一口啜る。

 口から離したマグカップを再びテーブルへと置き、カイトへと顔を向けその口を開いたのだった。

 

「外の硬い地面で寝るのと室内の柔らかい布団で寝るのでは、どちらの方が良いですか?」

 

「え?」

 

 ハンナの言葉に、カイトは思わず首を傾げた。

 何の脈略も無い内容に、理解が追い付かなかったのだ。

 だが無言で見つめてくるハンナに、何か返さなければとという焦りにも似た思いがカイトの中で強くなり始める。

 そして慌てた様に口を開いた。

 

「え、えっと……まあ、し、室内の柔らかい布団で寝る方が……」

 

 答えた内容は、カイトにとって本心だった。

 カイトとて好き好んで路上で寝ようとした訳ではない。

 自分という存在、そして周りへの迷惑を考えれば路上で寝た方が不幸になる人は居ないと判断した結果だった。

 カイトからの返答に、ハンナが小さく頷く。

 そして再び、カイトへと声をかけたのだった。

 

「それでは、今こうして私に提案されて室内で寝られるという事に、感謝をしていますか?」

 

 ハンナの言葉。

 それを聞いたカイトは、またしても首を傾げてしまう。

 だが、答えを迷った訳では無かった。

 

「は、はい。もちろん、感謝しています」

 

 そう告げれば、ハンナが再度の頷きを返した。

 ハンナへの感謝。

 それもまたカイトの本心。

 路上で寝ようとした自分を、家に入れてくれた事への感謝。

 女性であるにも関わらず男性を家に招いてくれた事への申し訳無さ。

 それらがカイトの中で複雑に絡み合いながらも、本心としてそう答えたのだった。

 だが結局の所、この様な質問をしてきたハンナの意図が分からなかった。

 そしてカイトは思う。

 もしやハンナに言われるまでもなく、それらの言葉を先にこちらから彼女に伝えなくてはならなかったのではないか。

 そう考えたカイトの中に後悔と罪悪感が広がる。

 何をしてるんだ俺は。その言葉を内心で呟き、自分を責めた。

 そこにハンナの言葉が届く。

 

「なるほど、感謝をしているのですね。ではその感謝を利用させて頂きます……覚醒したというスキルについて教えてください」

 

「……へ?」

 

 カイトの意識が、思わず浮上した。

 思考が停止した様に、先程までの後悔や罪悪感が脳裏からも消え去る。

 ハンナの言葉を理解するのに、僅かに時間を要したのだった。

 そして徐々に理解し始める。

 覚醒したスキルについて教えて欲しい。

 カイトの中で、ギルドでの出来事が思い出される。

 ――あたしのお陰で覚醒したこの子が、キマラを一瞬で破裂させちゃったって訳!

 脳裏に浮かぶのは、声高らかに言い放ったラヴィの姿。

 その事について、ハンナは聞きたいという事なのか。

 カイトはそう結論付けた。

 そして同時に、肩の力が抜ける感覚を覚える。

 良かった、迷惑をかけた訳じゃ無かった。

 その思いに心が安堵に包まれる。

 続けて、別の考えが浮かぶ。

 わざわざ恩着せがましい様なフリをしなくても聞かれれば普通に答えたのに、と。

 幾分か解れた心境で、カイトは口を開いた。

 

「えっと、じゃあ……少し、長くなるかもしれないですが、良いですか?」

 

 確認する様にそう訊ねれば、ハンナの頷きが返される。

 それを見たカイトも頷き、改めて言葉を続けた。

 

「じゃあ、その……切っ掛けはラヴィ、ギルドで一緒にいた緑の髪の子と、出会った時だったんですけど」

 

 ゆっくりと話し始めるカイト。

 ラヴィと出会った時、気付けば自分はキマラに喰われる直前だった。

 キマラの牙が首に触れた時、脳内に謎の声が聴こえた。

 その謎の声でキマラが破裂して、スキルが解放された事を伝えられた。

 だが使い方が全く分からなかった為、ラヴィに頼み込みスキルの解明を手伝って貰ったのだ。

 解放されたスキルは"魔力無限"と"魔力提供"。

 色々と検証してみたが、全てを解明出来た訳ではない。

 そして一段落がついた頃合いで、街へと戻って来た。

 ラヴィの様々な発言やリアクション等は省きつつ、スキルの解明に必要となった部分を全て伝える。

 脳内で流れた謎の電子音の内容も、全て話した。

 解放されたスキルの内容や、検証して分かった事も全て言葉にした。

 

「……その後は、ギルドでの出来事に、なります」

 

 言葉を纏めつつ、思い返しながら話したカイトの口調はたどたどしいものだった。

 前言の様に、言い終えるまでにそれなりの時間を要した。

 けれどもハンナは何も言わず、カイトを見ていた。

 カイトは、上手く話せなかった事への後悔を抱きつつも、言い漏れは無いと思えた。

 僅かな沈黙が室内に漂う。

 手持無沙汰に視線を彷徨わせるカイトは、やはりどこか分かり辛かったのだろうかと心配が増してくる。

 やがて一度瞬きをしたハンナが、口を開く。

 

「なるほど、理解しました」

 

 そう告げたハンナに、カイトが視線を向ける。

 交差した視線に映るハンナの唇が動くのを、彼は見た。

 

「では明日、一緒にギルドに行きましょう。そこであなたに見合ったクエストを、幾つか紹介します」

 

「え……?」

 

 ハンナの言葉に呆けた声を漏らすカイト。

 顔を僅かに下げたハンナが再びマグカップを口に寄せる。

 そして立ち上がり、踵を返した。

 

「寝具をお持ちしますので、申し訳ありませんがここで就寝をお願いします」

 

 そう言い残し部屋の奥へと歩くハンナ。

 向かう先にあったキッチンにマグカップを置き、魔道具を作動させて流し台に水を出して再び手に取ったマグカップを洗い始めた。

 洗い終えたそれを横に置き、近くにかけられていたタオルで手を拭いた彼女が再びカイトの方へと歩きだして、通り過ぎる。

 そのまま壁際に造られた階段を静かに上っていくであった。

 只々その光景を見送ったカイト。

 上手く思考が纏まらず言葉が出ない。

 ハンナに言われた言葉が、理解しきれなかったのだ。

 その後、布団を抱え下りて来たハンナに辛うじて礼を述べる事が出来たカイトであったが、出来たのはそれだけだった。

 

「灯りを消す際はそちらのスイッチを下げてください」

 

 そう告げたハンナが再び階段を上り、カイトの前から姿を消した。

 暫し呆然を続けたカイトだったがやがてゆっくりと動き出し、渡された布団を床に敷いて灯りを消し、就寝したのだった。

 

 ギルドの入り口が開き、ぞろぞろと冒険者達が入ってくるのを認識したカイトが、視界へと意識を戻した。

 今日は何のクエストがあるのか、その様な話をしながら冒険者達はカイトの存在に目もくれずに、カウンター横にかけられている掲示板へと直行するのだった。

 そんな姿を見ながらカイトは顔を俯かせる。

 まだ、人に顔を見られる恐怖が拭い去れなかったからだ。

 入口からまた冒険者達がギルドへと入ってくる。

 彼らもまた、同じ様に掲示板へと足を運んだ。

 クエストを選別する様な冒険者達の声、選んだクエストを取りカウンターに向かう冒険者の声。

 それらをカイトは視界に入れず、聴覚だけで捉え続けた。

 只々時間が過ぎるのを待つだけ。

 朝、何か音が聴こえてカイトが目覚めた。

 寝ぼけ眼で頭を起こせば、視界の奥に映ったのはキッチンに立つハンナの姿。

 ギルドの制服を身に纏い、その上から白いエプロンを前面に掛けて調理をしていた。

 暫し呆然と見つめ、やがて覚醒した意識で布団から飛び起きる。

 慌てて挨拶をしたカイトにハンナは軽く挨拶を返し、調理していた手を動かして出来上がった物を皿へと載せる。

 料理を載せた皿を二枚両手に持ち、昨晩カイト達が使ったテーブルの上に置いてカイトへと着席を促した。

 思わず遠慮するカイトだったが、腰掛けたままに無言で見つめるハンナに敢え無く敗北。

 申し訳無さを多分に含んだお礼を述べてから、ゆっくりと椅子に座り朝食を頂いたのだった。

 手が込んだ料理では無い。

 けれどもカイトはこんなにも美味しいと感じる料理を、久方ぶりに食べた気がした。

 朝食が終わり少しして、揃ってギルドへと向かってきたのだった。

 忙しそうに冒険者達を捌いているハンナ。

 僅かに視線を上げたカイトがそれを捉える。

 カイトが、肩身を狭そうにしながらもここに居る理由。

 それは昨晩に言われた彼女からの言葉。

 ――そこであなたに見合ったクエストを、幾つか紹介します。

 その言葉が、カイトをここに留めさせていたのだった。

 彼の脳裏にラヴィについて思い浮かぶ。

 彼女との待ち合わせを話していなかったが、大丈夫だろうか。

 そうは思うが、カイトは動けない。

 もしかしたらラヴィもギルドに来るかもしれない。

 そう思い、カイトは動けなかった。

 カイトの耳に、ギルドの入り口が開いた音が聴こえた。

 

「ねーアレックス、今日はどうすんの?」

 

「まだ決めてはない。だが可能なら俺達の実力よりも少し上の相手がいれば、それを選ぼうかとは考えてる」

 

「昨日みたいなのが起きない事を願うわ」

 

 聴こえた声。

 カイトの心に、強い緊張が走る。

 目をきつく瞑り、肩を丸めて可能な限り前方から顔を隠した。

 どうか、バレない様に。

 それだけを強く願った。

 

「……あっ」

 

 だが現実は、そんなに甘くは無かった。

 入って来た三人の内、一人の少女が食堂へと顔を向け、小さく声を漏らしたのだ。

 ギルド内の喧騒に比べればあまりにも小さな声。

 だがカイトには、それがはっきりと耳に届いたのだった。

 カイトの中から喧騒が遠退き、静寂に近い音量となる。

 彼の聴覚は今、一方向だけに集中していた。

 沈黙が、カイトの鼓動を速め続ける。

 やがてそれは、終わりを迎えた。

 

「……行くぞ」

 

 男の声が静かに、カイトの耳へと入って来た。

 聞き馴染みの深いその声。

 

「え……う、うん」

 

 それに続いた声に、カイトの中の緊張が僅かに解けた。

 どうやら、見過ごしてくれるらしい。

 カイトにはそう感じたから。

 全身の過度な硬直が徐々に解れてくるのを感じ、カイトは人知れず小さな息を吐いたのだった。

 そして外の様子が気になり、瞑っていた目を微かに開き目線を上げる。

 声を掛け、返答した人物達がカウンターへと歩いていく姿。

 それを見たカイトが再び安堵の息を吐こうと息を吸った。

 だがすぐに、その呼吸が止まる。

 目が、合った。

 カウンターへと歩いていく者達。

 けれどもそれは、全員では無かった。

 声を掛けた者、そして返事をした者が、歩いていたのだ。

 声を掛けなかった、返事をしなかった者が、その場に佇みカイトを見ていたのだった。

 ルイン。

 彼女と目が合ったカイトはその場で、まるで蛇にでも睨まれたかの様に動けなくなる。ハンナとも違う無表情で見てくる彼女から、視線が逸らせなくなる。

 速まった鼓動が、大きさを増していくのを感じながら、カイトは呼吸も忘れてルインを見つめる事しか出来なかった。

 やがて、ルインが目を逸らして二人の後を追う様に歩き始める。

 その姿を視認した時に漸く、カイトは呼吸を思い出したのだった。

 肩を大きく揺らし、荒い呼吸を繰り返す。

 膝の上に置いていた手の甲に、髪の毛から滴った汗が音も無く落ちてきた。

 只落ち着かせる様にカイトは呼吸を繰り返す。

 何度も呼吸し、漸く収まりを見せてきたのだった。

 それでも只無心で、カイトは呼吸し続けたのだった。

 幾ばくかの時間が経ち、徐々に気持ち的な落ち着きも取り戻してきたカイトが、再び目線を上げれば、視界のどこにも意識した人物達が居ない事に気付く。

 どうやら既にクエストを受注し、ギルドを出た後の様だった。

 そう認識したカイトが、長い息を吐く。

 良かった。

 内心でカイトが無意識に呟く。

 その時だった。

 入口から大きな音がして、驚きのあまりカイトの方が大きく震える。

 目線を向ければ勢い良く扉を開け放った姿で、誰かが入口の前に立っているのが見えた。

 カイトの視界には室内にいる全員の顔が、同じ方向を向いているのが見える。

 全員の視線の先。

 それはカイトにとって、見知った人物。

 そしてその人物もまたギルド内を見渡し、やがてカイトを捉えた。

 開け放った扉をそのままに、カイトへと直進。

 強く床を踏み鳴らしながら近付いてくる人物にカイトは、相手が今抱いているであろう感情が何となく認識出来た。

 やがてカイトの眼前で足を止めた人物が、椅子に座ったままのカイトを見下ろし、静かに口を開いた。

 

「おはよ、カイトクン」

 

 それは朝の挨拶。

 声色は女性で、鈴の様に綺麗で澄んだ音。

 静かな口調は朝に相応しいトーンで、一切の可笑しな点も含まない。

 だがそれを受けるカイト。

 

「……お、おは……おはよう、ございま、す」

 

 再び噴き出した大量の汗とどこか青褪めさせた顔で、どもりながら返事をしたのだった。

 何故こんな態度を取ってしまうのか、カイト自身も分からなかった。

 けれども本能的に、目の前の人物に恐怖を抱く自分がいたのだった。

 綺麗な笑顔で、眼前の人物がカイトへと声をかける。

 

「――魔力提供、解いてみ?」

 

 即実行。

 彼は、胸倉を掴まれたのだった。

 

「おんどらああああっ! 昨日の夜に魔力提供解いとけって言っただろうがぁぁッ! 昨日寝る前と感覚が変わらなさ過ぎてもしやと思ったらこれだよ! ぜんっっぜん回復してないんだけどどう落とし前つける気じゃコンチクショーッ!」

 

 持ちうる全力でカイトの身体を前後に揺さぶり続ける少女。

 

「ご、ごご……ごめんな、さいっ! 忘れてました!」

 

「謝罪で魔力は回復しないんだよバカやろぉぉぉぉッ!」

 

 謝罪を述べたカイトは、少女に対して火に油を注いだのだった。

 揺さぶられる力が更に強まる。

 途切れ途切れに謝罪を続けるしか出来ないカイト。

 すっかりと忘れてしまったのだ。

 今の今まで。

 昨晩の途中までは憶えていた。

 けれどハンナに会った事で、彼の頭の中からラヴィへの魔力提供に関して完全に抜けてしまったのだ。

 だからこそ謝るしか、出来ない。

 

「きみがッ、倒れるまでッ、揺するのをッ……やめないぃぃッ……!」

 

 息も絶え絶えになりながらも必死の形相でカイトの胸倉を掴み、前後に揺すり続ける。

 だが大分と弱くなった力で、既にカイトの頭は僅かに揺れる程度。

 けれどもラヴィは、揺すり続けるのだった。

 その時、二人の耳に声が届く。

 

「じゃれ合いは構いませんが、その続きはこちらの用件が終わってからでお願いします」

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