異世界で追放されたからざまぁしてみようと思ったら割とリアルだった件について 作: ころっくー
「……あ、起きた?」
微かに目を開けたカイトに届いた、第一声。
寝ぼけ眼でぼやけている視界に映るシルエット。
それが徐々に輪郭をはっきりとさせていく。
緑色。
カイトは上手く回らない思考の中で、漠然とそんな事を思った。
やがて意識がはっきりとし始める。
そして視界がクリアになり始め、僅かに離れた所から誰かがこちらを見ているという事を認識した。
更に、意識がはっきりとしてくる。
「……あれ、まだ寝ぼけてんの?」
その声が、カイトの中で特定の人物を浮かび上がらせる。
小首を傾げている様に思われるそのシルエットに、カイトの唇が動いた。
「……ラ、ヴィ」
微かな呟きとなったその声。
だが、カイトの視界に映る人物は、彼に対して言葉を返したのだった。
「お、さんを付けなかった。偉い偉い」
どこか違うベクトルで関心を示す言葉に、カイトはやがて表情を崩した。
苦笑。そう呼べる表情へと。
視界、そして思考がはっきりとした意識で、カイトが眼前の人物を改めて認識する。
緑髪の少女、ラヴィ。
彼女がカイトと向かい合う様な形で座っていた。
同時にカイトが気付く。
この光景。
それは馬車だと。
そして自分が今横になっている事にも気付いた。
これらを認識し、カイトの中で記憶が蘇る。
それは直前の記憶。
「あ、れ……モンスター、は……」
無意識でカイトが呟く。
それはこの状況を理解出来ていない証であり、受け入れられていない事を如実に表していた。
直前までの、カイトの記憶。
インセクトモンスター達の羽音が共鳴し、カイトの耳と脳を揺さぶった。
地面に倒れ伏せたラヴィ。
そして体調と態勢を崩した彼に飛び掛かるモンスター達。
動こうと足を動かした途端に、平衡感覚を失った身体は前方へと倒れ込む。
結果としてラヴィの上に覆い被さる形となり、襲い来るであろう衝撃に備えた。
順を追って記憶を掘り起こすカイト。
彼の耳に、前方からの声が届く。
「憶えてないの? 君が全部倒したじゃん」
ラヴィの声が、聴こえた。
「え……」
思わず呆けた声で、意識を視界に戻したカイト。
その様子を見たラヴィが溜息を吐くのだった。
「憶えてないのかぁ……」
そう告げたラヴィが、どこか面倒くさそうに言葉を続ける。
「じゃ、街までまだ時間あるし、このラヴィ様が教えてしんぜよう」
ラヴィの言葉を、カイトは無言のままで見つめる。
それは彼女が言った内容を理解したから。
いまいちと思い出せない記憶が分かる様になると、思えたから。
ラヴィが改めて、口を開く。
「まずあのモンスター達の音で、あたしがダウンしたじゃん?」
何かを思い出した様に、そう告げたラヴィの表情が苛立たし気なものへと変わる。
「それで唯一残った君……君が、あたしの上に倒れて来た」
それは憶えてる? そう問い掛けるラヴィに、カイトはどこかぎこちなさそうに頷きを返した。
彼の記憶でも、その事実は残っていた。
だが改めて振り返ると、ラヴィへの申し訳無さが内心で噴出し、はっきりと頷く事を躊躇してしまったのだ。
しかしカイトの様子に特段の反応を見せず、ラヴィは言葉を続けた。
「あたしもちょっと朧気ではあるんだけど、見たんだよね。君の身体目掛けて飛び掛かってくるモンスター達が」
言いながら、微かに身体を震わせたラヴィ。
それを見たカイトの中で、罪悪感が増していく。
「でも、君が怪我をする事は無かった」
「……え?」
ラヴィの言葉に、カイトは思わず言葉を漏らす。
そして自身の身体を鑑みて、確かに怪我や痛みが無いという事が確認出来た。
「あたしの目にはあの時、モンスター達が……まるで君の身体を滑るみたく通り過ぎて行く様に見えたんだよね」
「え……」
続けられた言葉に、カイトが再び言葉を溢す。
ラヴィの言葉が、信じられなかったから。
それは果たしてどの様な光景だったのか、想像すら出来なかったから。
どういう事なのか。
その先から思考が進まず、カイトは呆けるしか出来ない。
だがラヴィは、そんなカイトを気にする素振りを見せず、静かに口を開くのだった。
「で、その直後に、モンスター達が一斉に破裂したんだよ」
全然覚えてないの? 目付きを僅かに半目にしてカイトを見つめるラヴィ。
彼女からの視線に、カイトは僅かに視線を逸らす。
ラヴィの言葉で、カイトの中での記憶が補完されていった。
そして自分では憶えていない部分を指摘されて、気まずさを感じるのだった。
無言でカイトを見つめるラヴィ。
気まずさを隠す様に、カイトが口を開く。
「そ、そういえば、クエストって、どうなったんですか……?」
話題を変える様に話したカイトに、ラヴィの表情は変わらない。
静かに、カイトへと言葉を返す。
「……ていうかさ、その口調やめない?」
「え?」
ラヴィの言葉に、カイトの表情が固まる。
「君のその口調って何か変だし……どっか様子を伺いながら話してるみたいな? だからそんな話し方されると違和感があるんだよねぇ」
何気無しに告げるラヴィを、カイトは只見つめる。
その表情は、驚き。
全く予想だにしない彼女の言葉に、カイトの思考が追い付かなかった。
ラヴィが再び、口を開く。
「ちょくちょくそんな堅っ苦しい話し方やめてたじゃん。別にあたしは君の上司でも何でもないんだからさ、普通に話しなよ」
そう告げて「ほら、話してみてよ」と、カイトに促す。
突然の振りに慌てるカイトだったが、とにかく返さなければと口を開いた。
「えと……わ、分かった」
カイトの返答を受けたラヴィ。
「んー……まだ変だけど、まいっか」
やや不服そうな表情を残しつつも、そう言って表情を和らげたのだった。
それを見て僅かに安堵の息を漏らすカイト。
そこに再びラヴィが声をかけた。
「そんで、クエストだっけ? とりあえずあの後は、君を担いで村に戻って倒したって伝えたら完了って言ってくれたし、すぐに馬車に乗って今帰ってるってわけ」
もしまた現れたら依頼しといてねーって言ったし大丈夫でしょ、と告げるラヴィにカイトは目を丸くする。
彼女の言い分、そして補完出来た記憶から考えて、確実にクエストが完了したとは言えないとカイトは思ったから。
あのモンスターで果たしてターゲットは合っていたのか、それすらもカイトには判然としていなかった為。
だがそんなカイトに対して、ラヴィが腰元のポーチから紙を取り出した。
「はい、これで良いんでしょ?」
そう告げて、紙をカイトに差し出す。
受け取ったカイトがそれを覗けば、再び驚愕させられたのだった。
ラヴィが差し出した紙は、クエストの依頼書。
その中に、見慣れぬサインが記してあった。
それは、依頼主のサイン。
クエスト完了を示すサインが、指定箇所に記述されていたのだった。
馬車を使わない程度の距離で受けるクエストは、基本的にこの様な依頼主からのサインをクエスト完了の証拠とする事は無い。
周囲の環境をギルドが管理、把握しておりそれに基づきギルドへの完了報告書の内容を判断し、クエスト完了をギルドが定めるのだ。
だが馬車で移動が必要となる程に離れた場所でのクエストは、ギルドの管理外となる事があり、その場合は依頼主からクエスト完了を示すサインを貰う事で達成したとみなされる事もある。
今回はターゲットがはっきりとしていない事、そしてクエストの場所がギルドの管理外という事から依頼主に完了のサインをして貰う必要があった。
その説明は事前にハンナからされており、カイトと共にラヴィもまた聞いていた。
よって気を失っていたカイトに代わり、ラヴィがサインを貰っていたのである。
だが確実に倒しきったという保証は無く、何より倒したのがターゲットだという確証が無いカイト。
そんな彼の内心を察したラヴィが口を開く。
「一応聞いたよ、こんな感じのモンスターで合ってる? ってさ。そしてら合ってるって言ってたし、見る限り他にはいなかったからさ、それってクエスト完了だよねって言ったらサインしてくれたから大丈夫でしょ」
何と無しに言い放つラヴィ。
カイトの脳内に、その光景が想像として浮かび上がる。
有無を言わせぬ雰囲気で、笑顔でそれを告げるラヴィ。
一切の反論を許さぬ様に自分の意見を貫く姿。
昨日からの関係ではあるが、カイトには何故かその様な想像が浮かび上がった。
ラヴィが笑みを浮かべる。
「君は無事にクエスト完了、あたしはもうあんなキモい奴らの姿を見ずにさっさと帰れる、村の人達はあたし達のお陰で危機が去った……何か問題でもある?」
首を傾げるラヴィに、カイトはやや間を空けて首を横に振るのだった。
ラヴィの言葉を信じれば、確かにあそこに居た無数のモンスターがターゲットであり、それらは全滅した。
故に村が困っていた原因が解消され、助かったのだろう。
つまりはクエスト完了に他ならない。
どこかすっきりと晴れない心は、カイトの我儘なのだろうか。
そう考え、カイトは割り切る事にしたのだ。
クエストは無事に完了した。
その事実だけを脳内に残し、他を消す。
暗闇の中を馬車は走り続け、やがて街へと戻ったのだった。
ラヴィが扉を開けて中に入り、カイトが続く。
二人が訪れたのはギルド。
夜の帳がすっかりと落ちてから大分と時間が経った現在、ギルドは変わらずに開かれていた。
日中よりも柔らかな灯りが室内を照らす。
カイト達以外の冒険者の姿は無く、他には数名のギルド職員のみ。
二人はカウンターへと歩き、そこに座る人物へと声をかけた。
「あの……すみません」
カイトが遠慮がちに声をかければ、俯きながら必死に手元の紙へと書き事を進めていた人物が顔を上げる。
水色の短い髪が頭の動きに合わせて揺れ、やがてカイトの視界にそれと同じ水色の瞳が映り込んだ。
大きな瞳を携えたその様相はどこか小動物の様な印象を見る者に与え、可愛らしさや癒しを抱かせる。
ハンナと同じ制服を身に纏い愛嬌のある整った容姿は、カイトの姿を捉えた事で驚きに変わったのだった。
「へっ? あっ、カイトさん!」
その人物が、やや間を空けてから理解した様にカイトの名を呼ぶ。
「えと……すみません、こんな時間に」
相手の反応にカイトが恐縮しながら軽く頭を下げれば、それを受けた人物が慌てた様に手を前に出して首を横に振った。
「い、いえっ、大丈夫ですよ! ギルドは冒険者様の為にいつでも開けているんですからっ!」
語気を僅かに強め、どこか誇らしげに告げるその声に、カイトは僅かに表情を崩して再び会釈をするのだった。
「今、クエストから戻ったんですが……これから完了報告しても、大丈夫ですかね?」
そう訊ねれば、勢い良く頷きが返ってくる。
「はい、問題ありませんよ! この時間は事務作業が殆どなので、冒険者様がいらしたら最優先で対応しますっ!」
胸を張って言い切る言葉に、カイトは微かに笑みを浮かべる。
彼は、目の前の人物とは面識があった。
自分に対して以前と変わらない態度を示してくれる相手に、思わず嬉しさが込み上げてくる。
その時、カイトの背後から声が届く。
「うわ、ちっちゃくて可愛い子だねー。あの女とは正反対じゃん」
カイトの横から顔を覗かせたラヴィが、カウンターの向こうにいる人物を見て呟いた。
それを受けた人物が、ラヴィを見て驚いた様な表情を浮かべた。
「うわっ! あ、あれ、も、もしかしてエルフ……ですか?」
ラヴィの姿に疑問を抱きそう訊ねれば、ラヴィの表情が僅かに威圧を含む。
「……もしかして君も、エルフを馬鹿にしてるのかな?」
静かな声で告げるラヴィに、相手はぎょっとした様に目を見開き慌てて首を横に振る。
「いっ、いえっ! ち、違います違います! ただ気になっただけでして、馬鹿にするつもりはありませんっ!」
気分を害してしまったなら申し訳ありませんっ、そう言って勢い良く頭を下げる。
だが勢いがつき過ぎたのか、その額をカウンターに思い切りぶつけてしまうのだった。
「あうっ……いったぁ」
痛みに堪える様に両手で額を抑え、蹲る。
その姿を呆然と見るカイト。
やがて彼の耳に、笑い声が聴こえた。
それは彼の背後にいた、ラヴィから。
一頻り笑うラヴィをカイトと、額を抑えながら涙目になっている人物が見つめる。
暫くして息を吐いたラヴィが口を開いた。
「何か面白いね、君。その面白さに免じて特別に許してあげる」
そう告げたラヴィに、涙目だった人物は驚きに目を開いた。
そして再び頭を下げる。
「あ、ありがとうございますっ! そ、それと、改めて申し訳ありませんでしたっ!」
誠心誠意の謝意。
それを受け取ったラヴィが「いーよー、もう気にしてないし」と軽口で返せば、その人物がやっと頭を上げる。
「挨拶が遅くなりましたが、僕はヒナって言います! 今後ともよろしくお願いしますっ!」
名乗りを上げて、再び頭を下げる。
ヒナと名乗った人物に、ラヴィが再び声をかけた。
「ヒナね。ラヴィだよ、よろしくねー」
ラヴィも名乗り返せば「ラヴィさん、よろしくお願いします!」と、ヒナが元気な返事を返す。
その光景をも只、呆然と見ていたカイト。
用件はあれども口を挟む空気にあらず。
そう思い、黙っている事しか出来なかった。
やがてヒナの目線が、沈黙を保つカイトを捉える。
「あっ、カイトさん、申し訳ありません! ご用件も伺わずに自分の事を優先してしまって」
受付もしっかり出来ないなんてダメダメだよぉ、そう呟き自分を責めるヒナ。
それを見て慌てたのはカイトだった。
「い、いえ、僕は全然気にしてないんでっ」
慌ててヒナに伝えるカイトだったが、ヒナの表情は晴れない。
どうしたものかと悩むカイトに、別の声が聴こえた。
「ヒナ、そんなに騒いでどうしたの?」
それはヒナでも、ラヴィでもない声。
カイトが顔を向ければ、カウンターの奥の扉から一人の女性が姿を現した。
ヒナやハンナとは少し違ったギルドの制服を身に纏った女性。
腰までの長く整った藍色の髪を揺らし、ヒナの下へと歩み寄る。
多少小皺が見えるその顔は、カイトよりも年上であり、彼の母親と同年代程度であろうと予想が出来る。
その世代としては幾分か若く見えるその容姿、髪と同じ色を持つ瞳が優し気にヒナを見下ろした。
「あっ、ヘリーゼ副ギルド長!」
ヒナが、その人物を認識し声を上げる。
声を上げたヒナの言葉に、カイトが驚く。
ヘリーゼと呼ばれた女性は、ヒナへと微笑むのだった。
「あなたがいきなり大声を上げたから心配したのよ?」
語りかける様な口調で告げたヘリーゼの視線がヒナから動き、カイト達を捉える。
「あら、あなた達は……」
カイト達を見て微かに首を傾げるヘリーゼ。
それを見たカイトが、名乗り出ようと口を開く。
だがカイトの口から言葉が出る前に、ヘリーゼが再び言葉を発したのだった。
「カイトさんと……確か、ラヴィさんよね?」
「え……?」
ヘリーゼの言葉に、思わず声を漏らすカイト。
何故副ギルド長が、
その後ろにいるラヴィもまた、小首を傾げた。
「あれ、どっかで会ったっけ?」
ラヴィの疑問に、ヘリーゼは首を横に振る。
「いえ、初めてお会いしましたよ」
その言葉に、カイトもまた首を傾げるのだった。
二人の様子を見ながらヘリーゼは微笑みを浮かべる。
そして言葉を続けた。
「受付担当の者からあなた達については聞いておりましたので、私が一方的に知っていたというわけです」
優し気に告げたヘリーゼだが、ここで何かに気付いた様に軽く目を開いた。
「私とした事が、名乗りもせず失礼しました。ここのギルドの副ギルド長を務めております、ヘリーゼ・トーレスと申します」
以後お見知りおきを、と頭を下げる。
その姿はどこか洗練されたものを感じ、カイトはすぐに言葉を返す事が出来なかった。
頭を上げてカイトの様子を見たヘリーゼが、再び柔らかく微笑む。
「この時間にギルドを訪れたという事は、クエストの完了報告に来られたんですよね?」
ヘリーゼが言った内容に、カイトの表情が驚きへと変わった。
「え……何で、それを」
彼女の言葉は正に図星であり、全くと予想だにしない言葉だった。
それを見たヘリーゼが上品に笑いを溢した。
「これでもギルドの運営を任されている立場ですからね。クエストの受注状況や受注者の情報は全て頭に入っていますよ」
さらりと言ってのけるヘリーゼに、カイトは只呆然とするのみ。
ここのギルドに所属する冒険者。
ここのギルドで扱っているであろう依頼。
それらを思い出し、その全てを把握している様な口ぶりのヘリーゼに、カイトは驚きを隠す事が出来なかった。
そんなカイトに微笑みを浮かべた後、ヘリーゼはヒナへと顔を向けた。
「ヒナ、カイトさんに完了報告書を」
ヘリーゼからの言葉に、彼女に対して尊敬の眼差しを送っていたヒナが我に返り「は、はいっ、分かりました!」と元気よく返答し、カウンターの中から急いで紙を取り出す。
「完了報告書です! どうぞ!」
そう言ってカイトに両手で紙を差し出せば、やや間を空けて礼を述べたカイトがそれを受け取る。
そして隣にある掲示板の横へと移動し、そこに設置された長いテーブルの上に完了報告書を置く。
備え付けてある筆を取り、その横に置いてある瓶の蓋を開けて筆の先端を中に入れる。
字を書く為に必要なインク。
それを筆に浸み込ませ、再び瓶の蓋を閉じた。
完了報告書へと目を向けて、記入を進める。
大まかではあるがクエストの出発時間や依頼元への到着時間。
そしてクエストを開始した時間と、完了した時間。
相対したモンスターの詳細。
どの様な見た目か、どの様な行動を行っていたか、群れでの行動の有無。
どの様な攻撃を仕掛けて来たのか、そしてどの様に倒したのか。
その他クエスト中や移動中に発見したモンスターの情報等々記入をしていく。
興味深そうに横から覗き込むラヴィの助言も相まって、完了報告書が出来上がった。
それをヒナに渡せば、慌てた様に横へと流すジェスチャーを返され、カイトはヘリーゼにクエストの依頼書と完了報告書を提出する。
苦笑しながらそれを受け取ったヘリーゼが書類を確認し、やがて頷くのだった。
「ヒナ、カイトさんに依頼完了の報酬をお持ちしなさい」
そう告げれば、背筋を伸ばしたヒナが元気良く返答し、手渡された書類を持って扉の向こうに走り去る。
「ごめんなさいね、慌ただしい子で」
呆然とその光景を見ていたカイトに、ヘリーゼから声が掛けられた。
慌てて顔を向けたカイトは口を開く。
「い、いえ……」
だが答えられたのは、只の曖昧な相槌のみ。
しかしヘリーゼはカイトに向けて笑みを浮かべる。
「カイトさん、あなたの事はハンナから聞いています」
「え?」
ヘリーゼの言葉に、カイトが首を傾げる。
「あの女の事だから多分、悪口でも言ってんじゃないの?」
ラヴィがどこか不満気な表情を携えて、二人に聴こえる様に呟いた。
それを受け取ったヘリーゼの表情が苦笑へと変わる。
「ああ見えて、あの子も色々と大変ですので……もし彼女が迷惑をかけていたなら、代わりに責任者である私が謝罪しますので、どうか許しては頂けないでしょうか」
そう言って頭を下げたヘリーゼ。
その姿に慌てつつも、声を出せないカイト。
謝意を示すヘリーゼを暫くと見つめたラヴィ。
やがて、ラヴィがつまらなそうに顔を逸らした。
「別に、あたしは何も気にしてないし……」
呟く様に告げたラヴィに、顔を上げたヘリーゼが「ありがとうございます」と礼を述べる。
その言葉にラヴィは、鼻から息を吐いてそっぽを向くのだった。
ラヴィの様子を柔らかな笑みで見つめたヘリーゼが顔を動かし、カイトを捉える。
「冒険者の評価に関わる事でもあるので余り詳しくは言えませんが、ギルドでは冒険者の性格や人柄についても評価の一部として把握しています」
その言葉を、カイトは只聞き入る。
「極力正しく冒険者ランクやパーティーランクを査定する為にも、受付を担当する者には冒険者に関する人柄や性格、そして周囲との関係性等の情報を報告として上げて貰っているんです」
微笑みを携えたまま、ヘリーゼは続ける。
「話を誇張する者であれば、それを基に完了報告書や話を理解する必要があり、反対に消極的な者であれば、それに合わせて理解する必要がある。無論冒険者のスキルや実力を判定する事は当然ですが、それと同じくらいその人と成りを把握しなければ、正しいランク査定が行えないので」
ハンナから聞いていた情報、そして今知った情報。
カイトの中を驚きだけが支配した。
詳しくは言えないと言っていたが、言える範囲でもこれだけ細かい情報を精査していたとは。
カイトの中に、ハンナの姿が思い浮かぶ。
いつも変わらず淡々と業務をこなし、冒険者達をあしらっているハンナ。
その裏でいつもこれ程までの事を考え実行していたとは、露程にも思わなかった。
そして今、報酬を取りに行っているヒナ。
ヒナもまた受付を行っており、ハンナと同様のスキルを求められているのかと思えば、二人に対して頭が上がらないと感じるカイトだった。
「ギルド、依頼主、冒険者。それぞれが、それぞれの権利と責任を有しています」
ヘリーゼの言葉に、カイトの意識が現実へと戻る。
「依頼主は、ギルドに依頼し冒険者に受注して貰えるという権利があります。そして依頼内容と報酬に、制限はありません。特異事項に抵触した場合を除いて、ではありますが」
ヘリーゼの表情が僅かに変化した。
「しかし同時に、依頼に対しての責任を負う必要があります。依頼を出しても受注されなければ、それは依頼主の責任。報酬が安いのか、依頼内容が抽象的なのか、受注されない原因は全て依頼主の責任になります」
どこか真剣味を帯びた笑みに、自然とカイトの背筋が伸びる。
「そして冒険者は、クエストを選ぶ自由とクエストを拒否する権利があります。ランクに見合ったクエストという制限はありますが、その中で自由にクエストを選ぶ事が出来ます。また、冒険者個人やパーティーを指定した指名依頼に関しても、拒否する事が出来ます」
ですが反対に、そうヘリーゼが呟く。
「クエストを達成する責任、自分やパーティーメンバーの命に対する責任を負う必要があります」
カイトの心臓が、大きく高鳴った。
「クエストを達成出来なければ、責任を果たせなかったとして評価値が下がります。そして命に対する責任が果たせなければ……死にます」
カイトの脳裏に浮かんだもの。
アーマースネークの群れに噛み付かれた、ルインの姿。
そして今日見た、地面に倒れ伏すラヴィの姿。
一歩間違えればどちらも死んでいたかもしれない。
その事実を再認識して、カイトの背筋が凍った。
「そしてギルドは、特異事項に抵触した場合に依頼を断る権利、そして冒険者を査定しランク付けを行える権利があります。つまりは依頼主と冒険者、双方に対して一定の制限を設ける権利を有しています」
ヘリーゼの表情が僅かに変わる。
「その双方が円滑に物事を進められる様に、依頼のランク査定を厳密にする責任があります。そして冒険者の評価もまた、厳密に査定する責任があります。つまりはギルドの信頼性を担保する為に、クエストの失敗率を極力抑える責任があるのです。それでいて一帯環境の把握をして、依頼内容と冒険者の報告の整合性を担保、更には過剰にモンスターの討伐をしてしまい環境破壊に至る様な事態を防ぐ責任があります」
僅かに表情を引き締めたヘリーゼ。
その姿にどこか威圧感を感じたカイトが固唾を呑む。
「依頼主の言いなりになってはいけない、冒険者の言いなりになってもいけない。中立性を確保し続けなければ、ギルドの信用が落ちてしまいます。その為に冒険者を査定し、見合わないクエストを受注させない様な制度も必要なのです。更に、周囲の環境を把握せず特定のモンスターを依頼主からの要望で間引き続けた場合、その地域の生態系が破壊され、この街や付近の村々にその地を追われたモンスターが押し寄せる……スタンピードが発生してしまうかもしれない。それを未然に防ぐ責任もあるのです」
そう告げたヘリーゼの表情が僅かに和らぐ。
「それぞれが権利を行使する為に責任を果たさなくてはいけません。依頼主は受注して貰う為に報酬を高くするか内容を詳細に把握する責任、冒険者は自分に見合ったクエストを受注し達成する責任、ギルドは信頼性の担保の為に双方に肩入れしない責任、そして街や地域を守る責任があります」
やがて笑みを浮かべる。
「それぞれがそれぞれの責任を果たせば、それぞれの権利は何物にも遮らせません。相互監視と相互扶助。この仕組みを崩さない為にも、ギルドはギルドがやるべき事をやっているに過ぎません」
それに、とヘリーゼが小さく笑う。
「ここだけの話、それなりに貰ってはいるんですから、見合った働きは必要ですよね?」
他の方には内緒でお願いします、そう言って僅かに舌を出したヘリーゼに、漸くカイトは笑みを浮かべられた。
完成された大人の女性という雰囲気に幼さが混じり、それがカイトには何故か面白く思えてしまった。
「おばさんのぶりっ子とか……ないわー」
背後からラヴィの声が聴こえるまでは。
実際に何か見た訳ではない。
だがカイトには、何かが割れる様な幻聴が聴こえた気がした。
その時、扉が勢い良く開かれる。
「おっ、お待たせしました!」
微かに息を切らせたヒナが姿を現し、カウンターの前に駆け寄って来た。
幼子には見えないが、ハンナやラヴィと比べれば小柄なその姿を見たカイトは、思わず安堵の息を吐くのであった。
理由は分からない。けれどもヒナの姿を見て、酷く安堵を覚えたのである。
カウンターの前に立ったヒナが、その手に持った袋をカイトに差し出す。
「こちらが今回のクエストの報酬です!」
笑顔で告げるヒナに、カイトは微かに笑みを浮かべ礼を述べる。
袋を受け取り、頭を下げた。
それを見たヒナが満面の笑みを浮かべる。
「今回もクエスト、お疲れさまでしたっ!」
元気な言葉に改めて礼を述べ、その横に立つヘリーゼへと素早く頭を下げて踵を返す。
ラヴィの腕を掴み足早に歩き出せば、彼女の抗議の声がカイトに届くが一顧だにしない。
「そんな急がなくたって、後は寝るだけでしょ? それとも何かあんの?」
小首を傾げながらに訊ねるラヴィへと曖昧な返事をしながら、カイトはギルドを後にしたのだった。