異世界で追放されたからざまぁしてみようと思ったら割とリアルだった件について   作: ころっくー

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第25話

 カイトの荒い呼吸だけが辺りに響き続ける。

 心臓の鼓動は高速のままで戻らず、全身の汗腺から脂汗が噴き出し続けている様な感覚。

 極限まで目を見開きながらカイトは只、眼前を見つめていた。

 目の前の光景が、信じられなかった。

 唯一触れているその腕からは、まだ温度が感じられた。

 だから、信じられなかった。

 今こうして、目の前で起こった現実を。

 カイトの中で停止していた思考が、ゆっくりと回り始める。

 そして段々と状況を、理解し始める。

 やがて徐々に、これが現実なんだと、認識し始める。

 これが現実なのだと、受け入れ始める。

 信じられなかった現実を、信じる様になる。

 そして思考が、纏まり始める。

 酷く朧気なものから、漠然としたものへと。

 漠然としたものから、抽象的なものへと。

 抽象的なものから、具体的なものへと。

 具体的なものから、一つのものへと。

 思考が、漸く纏まった。

 それをカイトは、口にする。

 

「…………えっ」

 

「…………よか、っ……たッ……!」

 

 空間に放たれたのは、二つの音。

 一つは、カイトの思考を占めた言葉。

 そしてもう一つ。

 

「……あ、れ……?」

 

 驚愕といった様相でゆっくりと、カイトへと顔を向けたラヴィの言葉だった。

 ラヴィ目掛けて放たれた針。

 それが彼女へと刺さる直前、不意にその針が進路を変更したのだった。

 ラヴィの中心へと向かっていた起動が、横へと滑る。

 そして彼女の左脇の下を通って、後方へと飛び去ったのだった。

 まるでラヴィの身体を滑る様に流れた針。

 それはある現象と、酷似していた。

 

「……あた、し……いま、針、で……」

 

 カイトを見つめながら、混乱した様に呟くラヴィに、カイトがぎこちなく笑みを浮かべる。

 

「バリア……バリアが……ラヴィにも、使えたんだよ」

 

「……バリ、ア」

 

 オウム返しの様に呆然と発したラヴィに、カイトはゆっくりと頷く。

 

「昨日……インセクトモンスターの攻撃を受けなかったあれが……バリアだったんだよ」

 

「……あ」

 

 カイトの言葉に思い当たる節があったのか、ラヴィが小さく声を上げる。

 ラヴィの反応に、カイトは再び頷きを返した。

 そして、小さく言葉を続ける。

 

「……ホテルでラヴィと別れてから夜中に、使える様になれたらいいと思って、練習してたんだ」

 

 カイトがどこか気まずげに、僅かに顔を逸らす。

 

「昨日、ラヴィには迷惑もかけたし怖い思いもさせただろうからさ……もう少し俺が自分のスキルを使いこなせれば……もうあんな思いはさせなくても済むかと思ってさ」

 

 まだ全然理解しきれてないんだけどね、そう言ってカイトはどこか悔しそうに表情を歪めたのだった。

 もっと、ちゃんとバリアについて理解出来ていれば、今回もこうしてラヴィを危険な目に合わせる事は無かったかもしれない。

 その後悔がカイトの中で大きく膨れ上がる。

 彼女を危険な目に合わせてしまった。

 それはつまり、油断と甘えが自分の中にあったのだとカイトは思う。

 実際に針をバリアで防げたのは偶然。いや、奇跡と呼んで相応しい。

 何故ならばこれまでカイトは、蠍の攻撃を受けずに全て躱し続けていた。

 一重にそれは、怖かったから。

 もしバリアの耐久力が蠍の攻撃よりも脆かった場合、怪我をする。最悪、死に至ってしまうかもしれない。

 だからこそ、それを恐れバリアを纏いながらも必死に攻撃を避け続けていたのだった。

 けれども、ラヴィにはこうしてバリアを展開して守った。

 即ちそれは、蠍の攻撃をバリアで防げるのか、ラヴィを使って試したといっても過言では無い。

 あの瞬間、あの時間では他に方法は無かった。

 博打であろうが、上手く行って欲しいというイメージで彼女の胴体にバリアを張ってみたのだ。

 だが、博打だった。何故出来たのかも分からない。そんなものに頼るしか無かった。

 少なくともカイトは、そう考えてしまう。

 自分で先に蠍の攻撃を受けてバリアの耐久力を試していれば、いやそれよりも一応の警戒を残してラヴィと蠍との間にバリアを纏った自分が立っていれば。

 止めどない後悔が、カイトの中で重なり続ける。

 顔を逸らし表情を歪めるカイトを、ラヴィは見つめていた。

 酷く何かを後悔している様な苦悶に満ちた、それでいて悲しい表情。

 それはまるで自分一人だけの殻に閉じ籠り、他に誰も居ない世界を生きているかの様に錯覚してしまう様相。

 ラヴィの唇が、静かに開く。

 その時、カイトの顔が勢い良く動く。

 ラヴィがそれを追えば、晴れてきた土煙の中から、巨大な蠍が姿を現した。

 

「うぎゃああああ! まだピンピンしてるぅぅぅぅっ!」

 

 開いた唇から、絶叫が放たれる。

 あれ程の攻撃を受けたというのに、蠍の甲殻には目立った傷が見当たらない。

 悠然と四対の脚でその場に立っており、その姿は微塵の揺らぎも見せなかった。

 

「キモぉぉッ! キモいキモいキモいぃぃぃぃ!」

 

 再び現したその姿に狂乱したラヴィが蠍に向けて腕を伸ばし、魔法を行使する。

 その直前、彼女の眼前に横から手が伸びる。

 ラヴィの前に、カイトが腕を伸ばしたのだった。

 それはまるで静止の合図。

 不意の出来事に思わず魔法の行使を止めたラヴィが、カイトを見る。

 蠍へと顔を向けたまま、カイトは口を開いた。

 

「……ちょっと、考えがあるんだ」

 

 そう告げて、カイトが蠍へと駆け出した。

 

「えっ、ち、ちょっと!」

 

 思わず名前を呼かけるラヴィに、カイトは走りながら声をかける。

 

「ラヴィは離れてて大丈夫だから!」

 

 その言葉を最後に、カイトは蠍へと意識を完全に集中させた。

 

「近付いたら危ないから離れて破裂させた方がっ!」

 

 敵の倒し方を即座に模索し、提案するラヴィ。

 だが、カイトがそれを聞く事は無い。

 彼は既に息を止めて顔にまでバリアを張っていた。

 互いの距離が近付くにつれて、ラヴィの表情が不安そうに歪む。

 そして先に、巨体である蠍の間合いにカイトが入った。

 図体からは想像出来ない速度で、片方の鋏角をカイトに伸ばす。

 その先端たる鋏を大きく広げ、カイトをその中に収めた。

 

「カイトッ!」

 

 ラヴィの叫び。

 彼女には直後に、眼前の光景がどの様になるのかが想像出来てしまった。

 そして鋏が閉じられる。

 ラヴィが想像した最悪の光景が目の前に。

 

「……え?」

 

 現れる事は無かった。

 カイトを両断するかの如く閉じられた鋏はカイトへと触れた途端に滑り、カイトの手前に戻された所で閉じたのだ。

 まるで鋏がカイトを避ける様に動いた。

 少なくともラヴィには、その様に思えてならなかった。

 

「な、何が起きて……」

 

 信じられない現実に呆然と呟くラヴィ。

 だが蠍は動じる事無く、今度は反対の鋏をカイトに向けた。

 開かれた鋏が再びカイトを囲う。

 そして閉じられた。

 けれども、カイトは変わらずに蠍へと向けて走り続ける。

 再び鋏が、カイトを滑る様に動いて閉じられたのだった。

 直前まで迫ったカイトに、蠍が最後の攻撃と言わんばかりに、その堅牢な尾部を勢い良く突き伸ばす。

 その先端には鈍色の針。

 カイトへと触れた瞬間、その針はその尾は彼の身体を滑る様に横へと流れる。

 横を勢い良く通り過ぎる尾を見向きもせずに、カイトは正面を捉え続ける。

 そして遂に、蠍がカイトの間合いへと入ったのだった。

 蠍の頭頂部に、カイトの手が触れた。

 その瞬間。

 

「……えっ」

 

 思わずラヴィが声を上げる。

 それ程までに彼女は今、自分の目が信じられない様な出来事を目の当たりにしたのだ。

 ラヴィの眼前には相も変わらないカイトと、巨大な蠍の姿。

 だがその蠍が。

 

「…………浮い、てる?」

 

 地面から僅かに浮き上がっていたのだ。

 これが現実なのか確認する様に何度も瞬きを繰り返すラヴィだが、幾ら待てどもその光景が変わる事は無かった。

 僅かに地面から浮き上がった蠍に触れているカイト。

 蠍が必死に四対の脚を動かし、鋏角や尾をカイトに向けるが、それは全て空振りとなり只々空中で無様にもがいている様にしか思えない。

 暫くと蠍を見ていたカイトが漸く顔を動かし、ラヴィへと向く。

 

「……何とか、上手くいったみたい」

 

 そう言って安堵の笑みを浮かべた。

 カイトの中で思い付いた捕獲方法。

 それは先程、咄嗟とはいえラヴィの身体にもバリアを張れた事から、思い付いたやり方。

 彼女にバリアを張れた、その仕組みを考え実践してみる事にしたのだ。

 他者にバリアを張る。

 もしかしたら、触れていれば可能なのかもしれない。

 そうカイトは考えた。

 根拠としては、昨晩と先程の違い。

 昨晩、自分の身体以外にバリアは張れなかった。

 けれども、今日はラヴィにバリアを張れた。

 その違いを考えて出した結論が、接触か非接触かの違いなのではないか、という事。

 触れていれば、その相手にもバリアを張れるかもしれない。

 それを実践してみる事にしたのだ。

 足の裏以外にバリアを纏ったカイトが駆け出し、モンスターの攻撃をバリアが防いでいく。

 バリアへの信頼。

 それも先程、身を以てカイトは知れていた。

 ラヴィがこの場に現れる直前、カイトは絶体絶命のピンチに陥った。

 巨大な鋏の間に入ってしまったカイトに、その鋏が閉じる。

 絶対に躱せない、直撃以外考えられない攻撃だった。

 だが、躱せた。

 否、バリアがその効果を発揮して、攻撃を防いだのだ。

 そしてラヴィにバリアを張って、モンスターの攻撃を捌く事が出来た。

 どちらもが不測の事態での、奇跡。

 けれども、そのどちらもが自分の力を信じられるだけの出来事。

 それがカイトの中で、賭けに出れるだけの自信となった。

 だからこそ一直線にモンスターへと駆け出し、相手の攻撃を全て躱す事無くその身で受けていく。

 しかしその全てが、バリアによって防がれた。

 そしてついに手の届く範囲に、敵が入ったのを見て腕を伸ばす。

 手がモンスターの頭頂部に触れたのを感知した時、カイトは頭の中でモンスターの全身に最大限の厚みでバリアを張るイメージを作り上げたのだった。

 それはカイトのイメージ通りに現実として現れ、モンスターの身体が浮き上がる。

 故にモンスターは空中でもがくのみとなり、武器となる鋏も尾もバリアで包まれた事により、カイトへと攻撃しようにも覆っているバリアが邪魔をしてカイトを滑る様に逸れていく。

 昨晩気を失ったとはいえ、バリアに対する検証を行った事が功を奏したのであった。

 蠍の頭部を掴んだままに歩き出せば一切の抵抗無く、空中でもがき続けるモンスターがカイトに付き従う様に動き出す。

 

「……って、ちょっと待って! ストップストップすとぉぉぉぉっぷッ!」

 

 その光景を呆然と見ていたラヴィがふと我に返り、思い切り両手を前に突き出して大声で静止を呼び掛けたのだった。

 彼女の声に驚きの表情を浮かべたカイトが思わず立ち止まる。

 そんなカイトに構わず、ラヴィは震える脚で一歩二歩と後ずさり。

 

「……もい……キモいのを、あたしに……近付けるなこのバカぁぁぁぁッ!」

 

 その叫びを最後に、両の目から涙を流しつつ反転し、勢い良く走り去ったのだった。

 小さくなる彼女の叫び声を聞きつつ、一人残されたカイト。

 

「……忘れてたわ」

 

 呟いた後、小さく溜息を吐いたのだった。

 そして再び歩き出し、地面に落としていた魔導ランプを拾い上げて再び歩き出す。

 生け捕れたは良いが、この後どうしようかと考えながら。

 

 

 ゆっくりと歩みを進め、漸く森を抜けたカイト。

 道中で他のモンスターに出くわす事は無く、思いの外スムーズな帰路ではあった。

 カイトは視線だけを背後に向ける。

 

「……でも流石に、デカ過ぎるって」

 

 思わずそんな呟きをしてしまうのは、ここに来るまでの出来事。

 蠍が木々に当たっても滑る様に蠍が空中で動くので、そこまで道を選びながら歩く必要があった訳では無い。

 だが所々で、物理的に蠍の幅では通れない道もそれなりにあり、その場合は大きく迂回を余儀なくされた。

 故に往路よりも大分と時間が掛かってしまった復路を思い出し、溜息交じりにその様な悪態を吐いてしまうのも仕方ないのである。

 視界に映る蠍は相も変わらずに暴れているが、相も変わらず豆腐に(かすがい)といった状況。

 インセクトモンスターに触れている気色悪さも、徐々にではあるが慣れた頃合い。

 この村に来た時よりも幾分か光量が多いと感じた村へと、足を踏み入れた。

 来た道を戻る様に村の中を歩き続ければ、村長宅の前に人だかりが見える。

 その光景を疑問に思いながら近づけば人だかりの中にいた一人が、カイトの存在に気付いた。

 

「お、もしや英雄様のお帰――ぎゃああああッ! ば、ばけものぉぉぉぉッ!」

 

 その人物はカイトを見るや、突如として発狂したかの様に絶叫したのだった。

 不意の事態に思わず足を止めたカイト。

 人だかりの中での叫び。

 それはすぐに他の人間へも伝播する。

 

「は? おめえ何言って――のわああああッ!」

 

「え? どうし――うぎゃああああ!」

 

「あ、あなたッ、どうしたの――はぅ」

 

 絶叫、気絶。

 正に阿鼻叫喚がそこにはあった。

 蜘蛛の子を散らす様に走り去る人々。

 その場で気絶し置いて行かれた人を懸命に引っ張り、村長宅へと必死に引き摺る人々。

 この世の地獄が、ここに展開されている様だった。

 只々眼前の光景を見ているしか出来ないカイト。

 そこに、家の中から白髪の人物がゆっくりと出てくる。

 

「これこれお主達、一体どうしたというのか――むぉっ!」

 

 長い白髪を撫でながら現れたその人物は家の中を見てから周りを見渡し、カイトの方向へと顔を向けた瞬間に奇妙な声を上げる。

 その視線はカイトからは僅かに逸れており、カイトがその視線を追ってみれば、漸く解を得たのだった。

 

「……あー」

 

 カイトが追った視線の先には、未だに逃れようと動き続ける蠍の姿。

 それなりの時間を共に過ごしたカイトとしては、引き摺る様な苦労も無い背後の存在が何なのか忘れかけていた。

 この一連の集団パニックを引き起こした元凶が漸くと分かり視線を戻せば未だに極限まで目を見開き固まっていた、村長であるツロフトと目が合う。

 カイトの視線に気付いたのか、我に返ったツロフトがどこか大袈裟に咳ばらいを一つ溢した。

 

「お、お待ちしておりました冒険者様」

 

 その言葉にカイトはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「い、いえ、こちらこそご迷惑をお掛けしたみたいで……」

 

 先程の光景を思い出しながら謝罪を述べれば、ツロフトが首を横に振った。

 

「冒険者様が気になされる事はありませぬ。こちらこそ馬鹿共がご迷惑をお掛けして申し訳ありません……」

 

 そう言って頭を下げたツロフトに、カイトもまた軽く頭を下げたのだった。

 顔を上げたツロフトが再び口を開く。

 

「……そ、それで、もしや後ろのが」

 

 どこか恐る恐るといった様相で告げるツロフトに、意味を理解したカイトが頷きを返す。

 

「ええと……はい、そうです。恐らくこのモンスターが原因だったのではと」

 

「おぉ……」

 

 カイトの言葉に、ツロフトが感嘆を含んだ声を溢す。

 だがそうは言ったカイト自身、このモンスターがクエストのターゲットかという確信はどこにもない。

 強いて言えば、今回のクエストである得体の知れない大きないモンスター。

 この蠍の様なモンスターは、カイトの知識には無いモンスターだった。

 更には事前に聞いていたインセクトモンスターの可能性があるという情報から、このモンスターがターゲットである可能性が高そうだと踏んだまで。 

 ツロフトがその身を翻し、自宅の玄関を見た。

 

「テイゴラ! テイゴラ!」

 

 ツロフトが家の中へと大きな声で呼びかける。

 やや間が空き、その玄関から男が姿を現した。

 

「何だツロフトさ――うおあっ!」

 

 それはツロフトが呼び出したテイゴラ。

 玄関から顔を出してツロフト見た彼は、その奥に居るカイト、その奥に居る巨大な蠍を見て驚きの声を上げたのだった。

 テイゴラの反応に、ツロフトが溜息を吐く。

 

「男じゃろうて、そんな情けない声を上げるでない!」

 

 喝を入れる様に声を荒げるツロフトに、テイゴラは「す、すみません」と平謝りをするのだった。

 それを見るカイトの精神年齢は大人である。ただ、黙っているのみであった。

 

「すまんが、このモンスターで合っているか、あやつを呼んできてはくれぬか」

 

 声色を戻したツロフトの問い掛け。

 内容を理解したテイゴラが、合点が行ったという表情を浮かべる。

 

「あー、そういう事ですか」

 

 分かりました、そう言ってテイゴラが駆け出して行った。

 それを見やったツロフトが、カイトへと振り返る。

 

「申し訳ありませぬがカイト殿、悪さをしているモンスターを目撃した者にも、確認だけ取らせて頂いてもよろしいでしょうか」

 

 どこか申し訳無さそうに丁寧な口調で告げるツロフト。

 それを見たカイトは頷く。

 

「はい、大丈夫です」

 

 カイトの返答にツロフトは「感謝致します」と述べ、再び頭を下げるのだった。

 僅かな沈黙が流れる。

 どこか手持ち無沙汰な感覚を覚えたカイトは、ツロフトへと声を掛ける。

 

「……そ、そういえばラヴィ……僕の同行者って、先に帰ってきましたか?」

 

 話題を変える様な内容に、ツロフトが顔を上げる。

 

「ええ、少し前に戻って参りましたな」

 

 彼の言葉を聞いて、カイトは軽く安堵の息を吐いた。

 とりあえず迷わず村に帰れたらしい。

 未だに森の中に取り残されているという事は無い様で一安心。

 だが、ツロフトの表情は冴えない。

 

「ただ、どういう訳か大分と泣きはらしておりましてな……何か心当たりはありませぬか?」

 

 返された問いに、カイトは一瞬返答に悩んだ。

 しかしツロフトの表情、どこか心配を含んでいる様に思える顔を見て、正直に話そうと決めた。

 ラヴィには申し訳無いかもしれないけど、と心の中で言い訳を述べる。

 

「彼女がインセクトモンスターが苦手なのを忘れて、ついこの姿で近付いてしまったせいで泣かせてしまったみたいです……」

 

 僅かに背後へと振り返りながらそう返す。

 カイトの背後にいるのは、彼の手によって

ツロフトは漸く納得が行った様な表情を浮かべた。

 

「なるほど、そういう事でありましたか。泣きはらして帰って来た時に"ほんとサイテーな男"や"暫くは近付かないで欲しい"といった事を呟いておったので、もしや喧嘩でもされたのかと心配しておりました」

 

 ツロフトの言葉に、カイトの表情が引き攣る。

 まさかそんな事を言っていたとは。思わずそんな感想を抱いたのだった。

 一歩間違えば今頃は女の敵として見られていたかもしれない。

 前世の記憶でニュースになっていたセクハラの冤罪を思い出し、カイトの背筋が震えた。

 どこか疲れた様に項垂れるカイトを見ていたツロフトの表情が、柔和なものへと変わる。

 

「どうやら、仲はよろしいみたいですな」

 

 突然の言葉に思わず顔を上げたカイトは首を傾げる。

 

「仲が良い、ですか……?」

 

 オウム返しの様に返答するカイトに、微笑みを携えたツロフトは頷く。

 

「ええ。この老い耄れから見れば、随分と互いに信頼を寄せている様に思えましたな」

 

「……信頼」

 

 そう呟けば、ツロフトは再び頷いたのだった。

 だがカイトは、それを素直に受け止める事が出来なかった。

 

「……信頼、されてたら嬉しいですね」

 

 気付けば、そんな事をツロフトに告げていた。

 何故かは分からない。

 今まではその様な事は言わず、ただ愛想笑いで流していたかもしれない。

 だが気付けば、カイトはそんな事を口にしていた。

 カイトは思う。

 何故こんな事を言ってるのだろう。

 この老人が出す柔らかな雰囲気が、口を軽くしたんだろうか。

 それとも今日の、今日までの出来事が積り重なった結果だろうか。

 それとも、他に何かあるからだろうか。

 何故口にしたのかは分からない。

 けれどもカイトには、何故口にした内容を思ったのかは、理解出来ていた。

 ラヴィとカイトの関係。

 カイトから見ればそれは、一方的な関係性。

 自身のスキルの解明を手伝ってくれる。

 一緒にクエストを手伝ってくれる。

 そして彼女の性格が一緒にいて楽しませ、和ませ、安らぎを与えてくれる。

 パーティーを追放されて落ち込み絶望していた自分を、スキルという力も含めて掬い上げてくれた存在。

 彼女と居ると、落ち込んでいる暇が無い。

 前を向き、彼女について行く事だけで精一杯。

 思い返せば出会ってから、まだ数日しか経っていない。

 だが、カイトにとってラヴィは。

 既に大切な仲間と言える存在になっていた。

 幼馴染達と比べてどちらを優先するのか、その答えが出せないまでになっていた。

 大事な友人だと。

 そう思いたい。

 だが、一方的に頼るだけの自分がそう思うのは烏滸がましいのではないか。

 そんな思いがカイトの中に燻り続けている。

 これは、甘えなのではないか。

 そんな言葉がカイトの中で囁かれる。

 頼りになる人に甘えているだけではないのか。

 頼りになるから、一緒に居たいと思っているのではないか。

 そして何より。

 ラヴィから信頼されているという実感が、カイトには無かった。

 初日も昨日も、そして今日も困らせて迷惑を掛けて怒らせて。

 そんな自分のどこに一体、頼られる要素があるというのか。

 

「……只の生い先短い老い耄れの戯言です。聞き流して下され」

 

 不意に呟かれたツロフトの声がカイトの耳に届く。

 意識を再び現実に戻したカイトがツロフトを見た。

 柔和に微笑むツロフト。

 

「人間関係とは難しいもの。ですが、思い返してみれば……意外と単純という事も多いのです。何故あの人物と仲良くなったのか、何故あの人物は友人になったのか、何故あの人物を愛したのか等々……後から思い返せば意外と深い理由が無いものばかり」

 

 カイトの脳裏に、浮かび上がる記憶。

 アレックス、リーン、ルイン。

 何故、この三人と友達になったのか。一緒にパーティーを組んで冒険者になったのか。

 この三人が稀有なスキルを有し、類稀な魔力やセンスがあったからだろうか。

 カイトの中に湧き上がる答え。

 それは、否。

 この三人が、いつしかカイトのトレーニングに参加する様になったから。

 その中で仲を深め、一緒に居て楽しい、一緒に居たいと思えたからだ。

 そこには何も深い考えや理由があって、仲良くなった訳じゃ無い。

 

「そして人間関係とは悩み続けるもの。それは近隣の住人であれ、友人であれ、夫婦であれ、家族であれ、全てにおいて。いつも、いつでも悩み続けるものです……何故なら、人間とは変わり続けるもの。姿形も変われば性格も変わる、そして環境も変われば立場も変わる」

 

 日本に住んでいたが、神の手違いで殺されてこの世界に転生した。

 スキルはあれど全く使えない上に魔力も無い自分が、キマラすらも圧倒出来る力を持った。

 只々育てられるだけだった自分が、いつしか両親を幸せにしたいという夢を持った。

 仲良くトレーニングをし一緒に冒険者になった友人が、愛想を尽かされて離れていった。

 この世界に生きているだけでも、何もかもが変わってしまった。

 

「ですがこの老い耄れが思うに、一つだけ変わらなければ……きっと何れも悪くはならないと信じておりましてな」

 

 ツロフトは、言葉を続けた。

 

「いつでもその人を想い、言動をする事さえ忘れなければ……その想いに応えてくれる事でしょう」

 

 こんな草臥れた村の長を務める者が言った所で何の貫禄もありませぬがな、とツロフトはそう言って楽し気に笑い声を上げたのだった。

 ツロフトの笑い声を耳にしながら、カイトは黙る。

 やがて、小さな声で呟いた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 その言葉にツロフトは笑いを止めて首を傾げる。

 

「はて、何か言いましたかな?」

 

 その姿、言動に、カイトは思わず噴き出した。

 大きくはない、けれど確かな笑い声を上げる。

 いつ振りとも憶えていない、何の憂いも帯びさせない笑い声。

 その笑いを堪えながら、カイトが口を開く。

 

「……村はまだまだこれからなんですから、今耄碌されたら皆が困りますよ?」

 

 カイトの言葉にツロフトは僅かに目を開いた。

 

「おお、これは一本取られましたな!」

 

 そう言って目尻の皺を最大限に深め、大声で笑いだしたのだった。

 ツロフトの姿を見るカイトの表情は笑顔。

 ラヴィとの関係についての悩みが解決した訳じゃ無い。

 けれど、ツロフトの言葉を聞いて、カイトは思ったのだ。

 人間関係とは難しいもの。そして人間関係とは悩み続けるもの。

 だが難しく考える必要は無い。

 幼馴染達だってそうだ。

 気付けば、友人になっていたのだから。

 どうすれば友人になって貰えるのか。

 そんな答えは、カイトの中には存在しない。

 何故なら、友人になって欲しいと思って友人になった人が居ないのだから。

 前世を含めて、気付けば友人になっていたのだから。

 だからこそ、自分の中に答えが存在しない考え方をする必要は無い。

 ラヴィがくれた言葉。

 今出来る事だけを考える。

 つまり、今のカイトに出来る事。

 ラヴィへの感謝を忘れずに、自分を成長させ続ける事。

 未来の事は分からない。

 ならば今考えても仕方ない。

 過去の事を考えて悩み悔やんでいる時間は無い。

 今出来る事。

 それは自分を成長させる事だけ。

 カイトは思う。

 胸を張って友達と呼んでくれない人を、胸を張って友達と呼べるだろうか。

 答えは、否。

 ならばまずは、成長して自信を持って友達だと言える自分になる事。

 それが現時点で唯一分かっている事。

 だからこそ、それをやろう。

 

 カイトが笑い続けるツロフトを見る。

 彼に何故、自身の中にある不安の様な思いを告げてしまったのか。

 それが何となく分かった。

 導いてくれる様な言葉や雰囲気。

 それでいて見守ってくれている様な言葉や雰囲気。

 カイトの脳内に浮かんだ人物。

 それは、両親だった。

 ツロフトが醸し出す雰囲気が自分の両親、はたまた祖父の様な印象を抱いたのかもしれない。

 だからこそ、普段は口にしない様な事も喋ってしまったのかもしれない。

 自分の中にある不安、そして軽口。

 油断、ではない。

 言葉に言い表せない、そこはかとない安心感を覚えたのだ。

 豪快に笑い過ぎ咽てしまったツロフトを見てカイトは、小さくも屈託の無い笑い声を上げたのだった。

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