あの日の鳥の姿を誇りと呼ぶなら
私はあの鳥の側に立ちたい
あの日の鳥の声を決意と呼ぶなら
私はあの鳥の声に浸りたい
あの日の鳥の羽ばたきを強さと呼ぶなら
私はあの鳥のようになりたい
鏡の前で何度も髪型に乱れが無いのかを確認する。
匂香も忘れずに帯に下げる。白壇と梅を混ぜた私のお気に入り。
香水の匂いは露骨で好きじゃないのよね。
きっと隊長も好きじゃないと思うし。
鍛錬場にわざわざ足を運んでくださったのに、結果的に隊首室に追い返す形になったのは心から申し訳ないと思うけれど、汗をかいたままで隊長とお話するのは遠慮したい。
隊長の前では出来るだけ綺麗な私でいたいから。
隊首室の道すがらすれ違う隊士達に挨拶をしながら、私は胸の内がじわりと温かくなるのを感じる。
そう、私が向かっているのは隊首室。
あの人が遂に隊長になった、その事実に我がことのように喜びと感慨深いものがこみ上げる。
「
一度目の侵攻で2200名以上の隊士が虐殺された。
二度目の侵攻では退けたもののその被害は甚大であった。
隊長、副隊長の殆どがユーハバッハの居城である「
地獄
まさにそれは地獄の一言だった。
死神である身で軽々しく使うべきではない言葉であるが、あの光景を目にしてその言葉を思い浮かべない者はいないだろう。それが四番隊士であれば尚更。
まき散らされた血と肉と臟腑を避けながら怪我人の治療にあたり、助かる見込みの無い隊士達の苦痛と恐怖に歪んだ表情を向けられ、助けることが出来ず詰られ、時には苦しみからの解放を懇願され、痛みに呻く声が地の底から湧き上がる亡者の声のように瀞霊廷あちこちから木霊する中を走り続けた。
思い出すだけでも、噎せ返るような鉄臭さが蘇る。
血の臭いに慣れたはずなのに、吐き気を催す臭いは今も鼻の奥にこびりついている。
聖兵だけではない、私たちの目の前には異形の鳥と呼ぶのもおぞましい化け物達が見渡す限り蠢き、耳障りな鳴き声を上げて隊士達を切り刻んでいた。
満足に斬魄刀を解放出来ない隊士達も席官も区別無く、鳥のなり損ない共の放つ光は彼らを豆腐のように切り刻んでいった。
ギリギリ恐怖に耐えていた隊士達は刻まれた仲間を目にして恐慌に陥り、新たな犠牲者と化し、それが更なる混乱を招いた。
怒号と悲鳴と絶叫
そんな地獄の中、あの人は決然と立っていた。
『みんな僕の後ろに下がってください』
卯ノ花隊長がご逝去されて、虎徹副隊長が真世界城へと向かった最中、頼るべき者も無く地
獄の中を怯えながら奔走していた私達四番隊士を守ってくれたのはあの人。
『横嶌四席、無茶です!!』
ずっと憧れ続けていたあの人が死に行くのを止めたくて、私はなりふり構わず大声を上げていた。
あの人の強さは知っていた。四席と言いながら、伊江村三席はおろか虎徹徹副隊長すら純粋な戦闘力では上回っていると評されているのを私は当然知っていた。
しかし、それでもあまりにも彼の行動は無謀だった。少なくとも私には蛮勇にしか見えなかった。
瀕死の傷病者、怪我人、無事でいる者を探す方が難しい状況で、それを守ろうと一人で立ち向かうのは勇敢ではなく無謀に他ならない。
何よりも、私はあの人に、彼に無惨に死んで欲しくなかった。
『大丈夫だよ咲良さん』
だけど、彼は笑っていた。微かに首を巡らして殆ど表情は見えないけれど、確かな笑みが見えた。
濃厚な死の気配が漂う中、場違いな程おっとりとした笑みはすぐに消え、彼は化け物達に向き直った。
表情は見えずとも、彼がどれ程壮烈な覚悟を抱いていたのかすぐにわかった。
その背から伝わる刺すような強い壮志と闘志に私は息を呑むことすら忘れてただ見入っていた。
そして、彼は静かに言葉を紡いだ。
『···················卍解···········』
「葵ちゃん?」
頭上からの柔らかい声に思考が引き戻された。
ついあの日のことに想いを馳せてしまっていたらしい。
「虎徹副隊長、お疲れ様です」
小さな私と長身の副隊長の身長差では見上げる形になってしまう。
少し首が疲れるのだけれど、きちんと顔を見て挨拶するのが上官に対する最低限度の礼儀だ。
「副隊長も隊主室に?」
「ええ。裏廷隊の方達からの連絡をお伝えにね。葵ちゃんも?」
「私は隊長から呼ばれましたので」
「あ⋯あぁ〜そっか〜」
何か思い当たるのか、虎徹副隊長は納得したような顔をする。
「じゃあ一緒に行きましょうか」
「はい」
いつ見ても優しく穏やかで綺麗な人だ。
密かに彼女を聖母のように憧れている隊士達が多いことも頷ける。
私のような可愛げの無い生意気な女よりも遥かに女性らしい美点を兼ね備えた人。
心を和ませる彼女の空気にあてられて、荒くれ者の十一番隊士ですら大人しく治療を受ける場面を何度も目にしている。
穏やかで、緩やかで、闘いを好まない四番隊の象徴のような人。
だから、隊長になれないのだ。
心の中で吐き捨てる。
抜刀すらしていない旅禍に遅れを取った副隊長。後方支援だからと言って碌に戦うことも出来ない副隊長。
人として、女として素敵だと思う一方で、決して私は彼女に憧れたりはしない。
強いだけではダメだ。
それはただの暴力であって本当の強さではない。
だけど優しいだけでもダメなのだ。
強くなければ意味は無い。
隊首室の戸の前に立つと、虎徹副隊長が恭しく頭を下げる。
背が高く背筋の伸びたしなやかな身体はお辞儀をするだけでも絵になると少し羨ましくなる。
「四番隊副隊長虎徹勇音、並びに同隊第五席咲良葵、入室してもよろしいでしょうか」
隊首室から「どうぞ」と穏やかな声が返ってくる。この一言だけで私の胸の内は温かくなる。
「虎徹さんも一緒だったんですね」
書き物の手を止めて、横嶌隊長がにこりと微笑む。
「あ、隊長そんな⋯」私がやりますとその手を止めるよりも先に隊長が座布団を前に並べる。
虎徹副隊長は恐縮しながら一礼をすると視線を私に寄越す。「お先にどうぞ」と伝えるつもりで視線を投げ返すと、伝わったのか再び副隊長が隊長に視線を戻す。
「先ほど裏廷隊より連絡がございました。流魂街西72区にて虚が発生。管轄の部隊の隊士六名が現場に駆け付けるも処理出来ず応援要請がありました。また、虚の数は不明とのことです」
「西72区…十一番隊の管轄だったか」
「十一番隊⋯」自然と手に力がこもる。先日の綜合救護詰所での出来事がよぎってしまった。
普段は威張り散らしておきながら何と情けない連中なのだろうか。
考え無しに突っ込んで行って、怪我を負ってどうにもならなくなれば当たり前のように四番隊に泣きつく。なんて浅ましくて⋯
「咲良さん」
ぽんと大きな手が頭を軽く撫でる。
「顔が怖いことになってるよ」
「隊長⋯」鳶色の瞳が私を見下ろしていた。
「気持ちはわからなくもないけれど、僕らは四番隊なんだから」
「はい⋯」
嗜めるというにはあまりに優しい眼差しに心に蟠っていた暗い感情が溶けていく。
「でも十一番隊が応援要請を出すっていうことは怪我人を運び出すことも出来ない状況か⋯少し気になるね」
「引き際を見誤っただけではないんですか?」過ぎた言葉だと思いつつもつい棘のある言葉が出てしまう。
隊長は苦笑いを浮かべる。
私の言葉を否定しないのは、隊長自身も思い当たる節があるのだろう。ご自身も嘗ていたところなのだから。
「虎徹さん」「はい」
隊長の纏う空気が変わったのを察したのか、虎徹副隊長が姿勢を正す。
「十一番隊の性格は僕もよく知っています。半端な怪我で助けを呼ぶのは腰抜け⋯そう思う彼らが僕らに救援を申し入れてきたのは余程のことかもしれません」
「そんな…腰抜けだなんて…」虎徹副隊長が言葉を失う。信じられないことを聞かされたように驚いている。私は驚きよりも呆れてしまった。任務の遂行よりも意地を優先するなんて馬鹿馬鹿しい以前に護廷十三隊の隊士失格だ。
「信じがたいかもしれませんが、そういう人達の集まりなんですよあそこは」と、私の頭から手を放すと、壁際に掛けていた隊長羽織を羽織る。
手の感触が離れたことに少し名残惜しさを覚えてしまう。いけない、不謹慎過ぎるぞ。
「十一番隊から増援部隊が出るでしょうけど、虚の数がわからない以上負傷した仲間を庇いながら戦うのは彼らでも難しいでしょう。ただでさえあそこは70番台の地区の中では子どもが多い。その子達を庇いながら戦うにしても、逃がすにしても、人手は要るはずです」
斬魄刀を手にした隊長が虎徹副隊長と私を見据える。
「虎徹副隊長、伊江村三席に綜合救護詰所の管理運営その他全権を一時委託する旨を伝えてください。咲良四席、君の判断で構わないから回道に長けた上で動ける隊士を2〜3人選んで僕らに同行するように指示しておいてください」
「はい!」
「了解しまし⋯⋯⋯え?今何と仰られましたか?」
呼び名の違和感に無礼と知りつつも聞き返してしまう。
「咲良葵五席、貴官を新たに四番隊四席に任命します。こんなタイミングで申し訳ないけどね」
四席、つまり私が横嶌隊長の後任になるということ。四席が空位になるのだから五席の私が繰り上がるのは最も自然な流れはいえ、その事実は私を俄かに浮足立たせる。いけない、落ち着かなくては。
「咲良葵、四番隊四席を拝命いたしました!四番隊の発展と横鳥義壱隊長のお役に立てるよう尽力する所存です!!」
「頼むね、咲良さん」
細められた鳶色に背筋が伸びるような心地がする。
この人の期待を裏切る訳にはいかない。自ずとそんな決意がいや増した。