「ねぇ、ここまでにしようよ」
「まだだ、まだ終わってねぇ!」
寧ろようやく温まってきたくらいだ。
瞼の上がずきりと痛む。
触らずとも瘤になっているのがわかる。
向き合う義壱も頬を薄く切り裂かれている。
自分が斬ってやったのだ、この鬼灯丸で。
「一撃当てたらそこまでって言ったじゃん…」
「そんなこと言ったかぁ?」
「言ったよ」
「言ったね」
「言ったぜ一角さん」
端で見ていた弓親と赤い髪を後頭部で括った青年が突っ込みを入れたのは同時だった。
「恋次テメ、そこは『まだまだやれんだろ義壱さん』とか言って義壱を野次るところだろうが」
「えぇ…」
一角の無茶苦茶な物言いに、燃えるような赤髪の青年 ── 阿散井恋次は半目になって情けない声を漏らす。
一角の弟分のような、弟子のような立場にあるこの青年は口調こそぶっきらぼうだが意外にも上下関係には素直である。
年齢も立場も上の一角の理不尽に即座に反論することに思わず窮してしまう。
彼の頬にも一角と同じように殴られたような青痰が浮かんでいる。
「美しくないよ一角」
はだけた白い肢体を汗を拭う手拭いで隠しながら弓親が見かねたように助け舟を出す。
普段は服装を乱すことを嫌う彼にしては珍しいことである。
「始解使って鍛錬する時の約束でしょ?熱くなったらやり過ぎるんだから。特に恋次の蛇尾丸なんてかなり派手なんだし」
「お前ら悔しくねぇのか?揃いも揃ってやられやがって」
「悔しいけど、それはやられた僕達が悪いよ」
そう言って弓親が視線を落とした先にはに水に浸す自身の右腕がある。
水を張った桶から腕を出すと、何度か腕を回して具合を確認すると、一応納得しないこともないくらいに不服そうな顔をしながら弓親が服装を直していく。
「弓親大丈夫?やっぱり僕が治すけど?恋次も」
「別に良いって。そこまで大したケガじゃねぇし、義壱さんが気にするほどじゃねぇって」
「恋次…」
「それに一本取られた上に、その相手に治してもらうなんて無様過ぎるよ」
事実、ケガは大したことも無い。
恋次も弓親も、打たれて青痣が出来ている程度だ。
2人とも骨に異常はない。
弓親は単純に青痣が残ることが許せないに過ぎない。
「ありがとう、2人とも」
表情を和らげる義壱に、弓親と恋次は微笑で応える。
そんな和やかな空気が気に食わない者が一人いた。
「おい、こら、義壱。何で俺には聞かねー?」
「何?」
刀を鞘に収めた義壱がめんどくさそうに眉を寄せる。
「めんどくさそうなツラしてんじゃねーぞ!オラ!」
「だって面倒臭いし…それで…何?」
「何?じゃねぇ。何で俺には聞かねーんだ。治すかどうかって」
「いやぁ…だって、君それ言ったら断るでしょ?しかも、怒るでしょ?」
「当たり前だろぉが。負けた上に敵に情けをかけられるなんて恥以外の何でもねぇ!!」
「ほらぁ〜…」
弓親と恋次にも「ね?やっぱり面倒臭いでしょ?」と問い掛けるような目を向けると、二人とも呆れた様な視線を一角へと向ける。
「一角むちゃくちゃだよ」
「それに一角さんにはそれあるだろ」
恋次が指さすのは一角の手にした鬼灯丸。
ふんと鼻を鳴らすと三節棍から斬魄刀へと姿を戻した鬼灯丸の柄頭を外す。
柄に仕込んでおいた塗り薬を指先で軽く掬うと額の瘤に塗る。鬼灯丸に仕込まれている塗り薬は血止めにも腫れを引かせることも出来る。
「ん」
柄頭を義壱に向ける。
血止めを使えと言いたいのだと自身の頬に走る切り傷を思い出す。
「ありがとう」
回道を使えばすぐに治る程度の深さだが義壱はその心遣いを受け取ることにした。
「義壱さん、本当に四番隊に行くのかよ」
「どうしたの?恋次」
「だってよ、義壱さんには十一番隊が合ってると思うぜ俺は。わざわざ…」
「補給部隊に行くのかって?」
「四番隊を馬鹿にするつもりは無ぇけど、三席の一角さんにまで一発入れられる人が…四席のままなんだろ?」
一角との立ち会いを見ていた恋次の率直な感想でもある。
「確かに、僕も一角も見事に入れられたね」
「俺は一発入れてやりもしたぜ。今日は一勝一敗だ」
負けず嫌いな物言いを横目に、義壱は困った様に笑う。
「確かに…普通は昇進を兼ねることが多いね」
他の部隊に異動するケースは珍しくない。
例えば他の部隊の隊長からの副隊長任命権を用いた引き抜きなどがそうだ。
阿散井にとって身近な例と言えば、同期の友人である吉良イヅルがいる。
吉良は真央霊術院卒業後五番隊に入隊し、三番隊、四番隊と異動を繰り返している。
そして、近々三番隊隊長市丸ギンに副隊長として引き抜かれるという噂がある。
異動の度に出世を重ねとうとう副隊長にまで辿り着いた彼は阿散井の同期の中で間違いなく出世頭だろう。
阿散井は愚か、一角、義壱、弓親を一足飛びに追い抜くことになるが、これは吉良が阿散井達より秀でた強さを持っているというわけではない。
無論、吉良自身の才能と努力、それによる実績に裏打ちされた実力が副隊長に相応しいものと判断されてのことではあるが、強さが全てという程単純ではない。
彼はバランスに優れた死神であった。
鬼道の達人と呼ばれる同じく同期の友人雛森桃に勝るとも劣らない鬼道、阿散井と切磋琢磨し身に付けた斬術と白打。そして、四番隊を経て身に付けた回道と薬学の知識。
斬拳走鬼が揃っているバランス型の方が一能突出より副隊長に任命されやすい、そして一方で一角達十一番隊の隊士達は鬼道を不得手とする者が多い。
その上一角も弓親も十一番隊以外で戦うつもりは無いのだ。
その拘り故に彼らは実力にある意味でそぐわない立場にいる。
義壱ならば三席、副隊長でもおかしくはない。
それなのに昇進することなく四席のまま十一番隊から四番隊への移籍。
斬拳と優れた義壱が昇進する訳でなくわざわざ同郷の友から離れることが恋次には腑に落ちないのだ。
「恋次、男が決めたことだ。黙って行かせてやれ」
「一角さん…」
「テメェだって気質は十一番隊向きだろ。それでも譲れないモンがあるから六番隊を目指すんじゃねぇのか?」
恋次は口を噤む。
そこには超えたい男がいるから。
なぜならもう一度大切な者の側に彼は行きたいから。
心なしかしゅんとした恋次を手のかかる弟のような穏やかな眼差しで義壱は見ていた。
横嶌義壱という男は出会った時からそうだった。
闘争心、覇気、暴力性というものがいまいち感じられない。
刀より本を手にしている方が様になる、そんな青年。
一角が弓親や義壱を率いる時はいつも最後尾を付いてくるような子どもだった。
護廷十三隊に入隊後もその印象は不思議と変わらず、共に鍛錬に励み、戦場を潜り抜けても変わらないまま気付けば彼は四席になっていた。
正確には弓親に四席任官の話が来て、七席だった彼は弓親の就いていた五席に任官する予定だったのを弓親が辞退したため、四席の座が回ってきたのだが。
余談だが、この辞退の理由を弓親から聞かされてはいたが、一角にはいまいち理解できないものであった。
「てめぇが納得してんなら何も言うことぁねぇさ」
「ほんとに〜?僕がいなくて寂しくない?」
「抜かせ」
「いや、一角寂しがってるよ義壱が異動するって決まってから」
「ふかしこくな弓親」
「一角さんの鍛錬に付き合う人あんまいねぇしな〜」
「おい恋次。てめぇまでふざけんな」
「どうしようかな〜一角に泣いて縋られたら迷うな」
「ようし義壱。抜け!もういっぺんやんぞ!!」
ゲラゲラ笑う恋次と弓親を睨みつける。
義壱も声こそ出さないが身体を震わせて笑っているのは明らかだった。
弓親がいて、恋次がいて、義壱がいる。
バカを言いながらコイツらと高め合うのは、命のやり取りをするのとは違う楽しさが確かにある。
それが無くなることが、一角は少し、ほんの少し癪なことに寂しく感じていた。
「けど、ありがとうね。けど恋次にそう言われるとちょっと後ろ髪引かれるけど、あそこは僕を必要としてくれているからね。それに、僕も必要としてるからね」
「……お前の斬魄刀なら向いてるかもな」
「そういうこと」
入隊時から知っていてもなお十一番隊であることが信じられない優男は穏やかに笑った。