「おい、あそこで転がってる野郎を誰か運んでやれ」
斬魄刀を握り締めたまま事切れている隊士に微かに悼む視線を向けると、一角が比較的顔色の良い隊士の一人に言いつける。「ええ⋯俺がですか?四番隊の⋯」傷が治りたての自分などではなく四番隊の奴にでも、そんなことを言いたげな隊士の横面を一角は張り飛ばす。
「オイ、てめぇ何を言いかけた?戦って死んだ仲間を運ぶ役目まで押し付けようってんじゃねぇよな?」
「ひぃっ」
鼻血を流しながら一角を怯えた目で見ると、逃げるように仲間の遺体へと駆けて行く。
「おい、動ける野郎は見回ってこい!」
一角がへたり込んでいた自隊の隊士の一人を小突く。無情な振る舞いのようだが、一角には一瞥してその男が大した怪我でもなかったことを看破していた。
一角が舌打ちをすると、小突かれた隊士がびくりと身体を震わせた。
他にも気まずそうに顔を伏せる隊士達を一瞥すると一角は眉間の皺を揉み解すように手を当てた。反り上げた一角のこめかみに浮かぶ青筋を見た比較的傷が浅い、治療が完了した隊士達がそそくさと散り散りに走って行く。
「臆病風に吹かれやがって」
苛立ちを通り越して、嘆かわしさすら覚える。
一角の気持ちを分かりやすく言えば「まったく最近の若い奴ときたら軟弱になりおって」という年寄りじみた感想に似ている。
喧嘩上等、常在戦場、戦場で死ねれば本望。それが十一番隊ではなかったのか。
「一角、せっかく治したのにまた怪我させるのは止めてくれる?」
「義い⋯横嶌隊長。気にしないでください。ちょっと腰抜けに喝を入れてただけなんで」
「喝って⋯」いつの間にか己が定位置であるかのように義壱の隣に立っていた咲良葵が呆れたような視線を向ける。
物言いたげな目をしてくるが、確かにせっかく治した患者をぶん殴るのは医療従事者としては見過ごせないのかもしれない。
しかし、一角にしてみれば十一番隊たるもの怪我を理由にいつまでも戦場に蹲る等許し難いものがある。
何も命を捨てろと言っているつもりは無い。
怪我の治療を受けるなど弱虫だと言う気も無い。
一角は無情な男ではないし、副隊長として隊士達を消耗品のように玉砕前提で指揮する訳もない。
負けるのはいい。
怪我で動けないのも仕方がない。
戦って死んだのであればよくやったと褒めてやる。
しかし、守られて当然という面をしているのが気に入らなかった。
重傷軽傷問わず、回道で治癒を行っている間はその者は無防備になる。回道が如何に集中力を要するものであるのか回道は愚か鬼道すらとんと使えない一角でも知っている。
故に戦えるのであれば治療に当たる隊士達を守り、戦えないのであれば大人しく治療を受ける。まともに治療を受けるつもりさえないのであれば邪魔にならないようにならないように斬りかかってさっさと死ねばいい。
戦うことしか能の無い自分達十一番隊のそれは義務であり通すべき筋であった。
戦う気概を失い、あまつさえ四番隊達の陰に隠れるように戦いから逃げるような振る舞い等度し難い行いだ。
余談だが隊士達を叱責するのは専ら一角や弓親の役割である。
飴と鞭を使い分けるわけでもなければ、隊長である剣八に代わり憎まれ役を買って出ているという隊長の補佐としての職務理念でも無い。
剣八は自分の邪魔にならなければ良いだけだ。
血塗れになろとうも戦いを辞めないのも、慎重に戦うのも構わない。
無謀に突っ込んで行こうと、それはそいつの勝手である。
戦うこと、それのみ隊員に求めるのだから。
剣八は味方であろうと戦えない者に興味は無い。戦うことに臆する者など視界にも入らない。
生きていればツイていた、死ねば負けたのだなとそれだけを思う。
故に、一角が叱責するのをつまらなそうに見るだけで、剣八は物足りない戦いを反芻することすらせずに「とっとと風呂に入りてぇな」などと呑気なことをぼんやりと考えていた。
「「「ッッッ!!」」」
緩み始めていた空気が一気に張りつめる。
悲鳴が聞こえた。
微かな、悲鳴になりきる前に潰されてしまった声にすらならない"音"でしかなかったが、剣八、一角、弓親そして義壱はそれを確かに聞き取っていた。
ぞわりと鑢で肌を撫でるような不快感が彼らの背筋を駆け抜けた。
「チイッ」
やはりと呼ぶべきだろう、誰よりも素早く反応し剣を抜いていたのは一角であった。
剣八は鷹揚に霊圧の方へと振り向く。
霊圧を感じていないはずはない。
彼の振る舞いを疑問に思う者はいなかったのは、それは剣八が即座に警戒をする程の霊圧ではないことをすぐに察知したからだ。
しかし、それはあくまでも更木剣八にとって警戒する程のものではないという意味でしかない。
そこに蹲る存在に四番隊も十一番隊も、いずれの隊士達も顔色を青くしていた。
ガツガツガツ⋯
ボリボリ…
バリバリ…
剣八達が積み上げた大虚達の死体の山から咀嚼する音が響く。そこにいたのは下級大虚よりも遥かに小柄な虚。
熊や虎、鰐を思わせる頭部を持つ歪な人型の虚達だ。
しかし、放つ霊圧は下級大虚等比較にならない。
「ギギッ」
また一匹、大猿の虚が屍の山に降り立った。口には虚ではない人と思しき腕。
「ヒッ⋯」義壱の隣にいた葵が短く悲鳴を上げた。
虚が咥えている腕に握られている斬魄刀の意味を理解したからだ。
先ほど一角に見回りを命じられた死神のものと同じなのかは葵にはわからなかったが、少なくとも一人は犠牲になったと見て良いのだろう。
「ぎゃぁぁ!!」「あひぃい!!」「ぎぇっ」
声の方へと振り返ると、ようやく治療を済ませたばかりの十一番隊士達が血塗れになって倒れ伏していた。
生死については離れている葵からは判別が付かない。
流魂街の住人達の避難に当たっていた四番隊の隊士達は幸運であった。
突如として現れた虚達から攻撃を受けること無く、距離を取っている。救命・治療の人員が無事であることは不幸中の幸いであった。
「刈谷!磯螺!」
名を呼ばれた席官達は葵の意を汲んだようにいずれも頷き斬魄刀を抜く。
彼らの視線は虚……ではなく、虚達によって傷付けられ生死もわからぬ血血塗れにされている十一番隊の隊士達へと注がれている。
どうやって隙を突いて怪我人を助け出すか、混乱する頭を何とか落ち着かせながら思案する刈谷と磯螺の表情に焦りが浮かぶのを見て取ったのか、虚がゆっくりと腕を振り上げる。
(笑った?)仮面に覆われたはずのその顔に笑みが浮かんだように、葵には少なくとも見えた。
小さく呻き声を上げる十一番隊の隊士に虚の一体、昆虫を思わせる虚が鋭く伸びた腕を振り下ろそうとした瞬間、
「奔れ!!凍雲!!!」
三枚に刃が重なる斬魄刀『凍雲』を解放した勇音が虚の腕を斬り落とした。
『█████〜〜〜!!!!!』
「今の内です!!早く!!」
斬り落とされた腕を抑えて、聴き取れない悲鳴を上げる虚を、返す刀で斬り飛ばしながら勇音が叫ぶ。
「「はっ!!」」刈谷と磯螺が頷くと共に、倒れた隊士達をそれぞれ両腕に抱えて葵達の元へと下がる。
幾度か虚と斬り結んでいた勇音は一瞬の隙を突いて姿を消す。
何処へ行ったのか、そんな疑問を抱いたのは僅かな時であった。
すぐさま勇音が血塗れの死神を抱えて葵の側に現れたからだ。片腕が無い、おそらく先ほど猿の虚が口に咥えていた腕の持ち主なのだろう。
緊迫した状況にも関わらず、葵は勇音の瞬歩に内心舌を巻く。
(あれほどの距離をこの一瞬で移動するなんて…)
回道の術はともかく、戦闘における勇音の実力を自分が見誤っていたことを葵は悟る。
無論、副隊長としての申し分ない実力を持っていることは知っていた。
鍛錬で共に剣を交わしたことも、白打の組手を行ったこともある。
強い。
しかし、決して圧倒的なものは感じない。
旅禍にやられたのも仕方が無いと侮ってしまう程度のものであった。
葵は知らないが、事実勇音は旅禍黒崎一護に斬魄刀を抜かずして制された頃のままではなかった。
葵の侮りはある意味では正解であった。
ただ、勇音の伸び幅を見誤っていた。
「···
弓親が疑問形で口にしたのは
霊圧の大きさから間違いなく
そして、もう一つの理由は⋯
「なんで今まで気づかなかったんだ」
「弓親は感じてた?」
「まさか。さっきまでの僕はこの後湯浴みをしてから、今日は久しぶりに米酒を飲もうかなと思っていたくらいさ」
「ああ、俺もだ。冷やと豆腐で一杯やりてぇところだったんだけどな」
金糸雀を構え直しながら「いいね。僕は里芋の煮転がしがいいな」と義壱も軽口で応える。
一角も弓親も始解を解かずにいた斬魄刀を油断無く構える。
「オイ、てめぇら下らねぇこと話してやがる」
剣八の声に、軽口を止める。
ただ一人斬魄刀を抜かずにいた剣八は大虚の死体を貪り続ける中級大虚(と思しき虚達)を無感動に眺める。
その正体に思いを馳せているわけでは無い。
なぜ霊圧を感じ取れなかったのかに至っては元々霊力の感知が苦手な剣八が思い煩うことも無い。
剣八が抱いていた感情は「倦厭」であった。
彼にとっては下級大虚の群れ等錆落としにもならない。身体を軽く動かす程度の運動でしかない。しかし、斬りごたえの無い獲物をひたすら蹂躙する作業は、欲求不満を加速させるだけであった。
そこに来て現れたのは中級大虚なのかも疑わしい虚達。
霊圧こそ下級大虚を大きく上回ると言っても、剣八にしてみれば大差はない。
猫と豹では格が違うが、龍にとってはどれ程違いがあるだろうか。
ただ、風呂に入ってさっぱりとさせたいと思っていたところで、つまらない連中がまたぞろうじゃうじゃと湧き出て来た。
「一角、てめぇらが腹減ること言いやがるから余計にイライラしてきたじゃねーか」
「いや、理不尽っスよ隊長⋯」
「クソが。どうせなら破面でも上級大虚でも出てきやがれってんだ。つまらねぇ⋯」
「あ、やば」
弓親が口元を引きつらせる。
一角の頬にも冷や汗が一筋垂れる。
長い付き合い故に、二人は即座に剣八の苛立ちを嗅ぎ取った。
剣八は勝てない相手に苛立つことはまずない。
苛立つとすれば掴みどころの無い敵と相対した時、そして数だけは多い有象無象の雑魚共の相手をする時だ。
大して美味くもない食い物を「もう十分」だと思う程に食らったところで、追加がやってきたようなものだ。
ありていに言えばちゃぶ台をひっくり返してしまいたいという心境だろうか。
被害の規模は剣八の苛立ちに比例する。
ここが岩場や更地であればそれでもいい。
一角も弓親も更木剣八という男に心酔しているが故に、彼が存分に暴れ回るのを見るのは嫌いではない。寧ろ最前席で見られることに喜びすら覚える。
しかし、ここは流魂街の一地区である。
剣八が苛立ちを吐き出すように暴れることで生ずる被害は、虚の齎すそれを軽々と超えかねない。
一角と弓親が不味いと思ったのはまさしくそれであった。
苛立ちと共に四方へと放たれる霊圧にこの場にいる隊士達が身を竦ませる。
押しつぶされるような圧迫感、肌を焼くような霊力に気を失う者さえいる。
無限に霊力を食らう特別製の眼帯を付けているのにも関わらず、その霊力は隊長クラスをも凌駕する。
ピシッ
乾いた流魂街の土が剣八の霊圧に揺さぶられ罅が走る。
剣八の霊圧に耐えられず西区の土塀が崩れ始め、粗末なあばら家に至っては柱が悲鳴を上げてへし折れるものすらある。
殊更気合を入れているわけではない。
剣八にしてみれば激怒しているつもりは無い。
下らぬ長話に付き合わされた時につい顔に苛立ちが出てしまう程度のもの。
くどくどと絡まれて返す言葉の語気が荒くなるような些細なもの。
それだけのことであるのに、ぞろぞろと現れた中級大虚達の霊圧を塗り潰す程の膨大にして濃密な霊圧が72区全体を満たしていた。
葵は剣八の霊圧に晒され、今にも気を失いそうな己を辛うじて鼓舞する。
動悸が激しく、背中を流れる冷や汗が死覇装を濡らしていく。
(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い⋯い⋯⋯ッ)
逃げ出したい気持ちが胸中を埋め尽くしていく。震える膝に力を入れようにも霊圧に当てられて力が抜けていくようだ。
猛獣の顎に挟まれ、首筋に牙がそっと触れられた状況で既に観念してしまった小動物とはこのような心境なのだろうか。
そんな己を奮い立たせようとして力を込めていた手を大きな掌がそっと包み込んだ。
「咲良さん、大丈夫?」
「隊長」
赤銅色の髪から覗く鳶色の瞳に見つめられ、葵の震えが止まる。
横嶌隊長の目を見ているだけでどんな恐怖も不安も消えて行く。葵の心は安堵と幸福感に即座に満たされた。その柔らかい強さが自分の折れそうな心をいつも支えてくれる。
葵は戦場の直中であることを忘れてその手を握り返してしまいたい誘惑に駆られるが、葵の震えが止まったことを確認した義壱はそっと手を放す。
名残惜しげに義壱の手を見る葵の視線に義壱は気づかない。義壱の目は剣八へと注がれていた。その横顔は一角や弓親が見れば目を見開き驚愕しただろう。
それほどに普段の義壱を知る者が見れば目を疑う程険しく、そして⋯
剣八が斬魄刀をゆっくりと抜く。
を剣八の放つ霊圧に削られ、削がれ、歪に欠けているにも関わらず、愉悦に悶えるような悲鳴を上げる異質な斬魄刀を目の前に掲げる。
「呑め⋯」
ぼこりと発泡寸前のマグマのように剣八の霊圧が一際膨らむ。
その言葉を耳にした一角と弓親が同時に表情を強張らせる。
こんな住人の多い地区の中心で、解放するつもりなのだと当たって欲しくない予感が的中する。
「呑め」 ─── その解号はあくまでも始解を呼び起こす言葉に過ぎない。
それが他の隊長格であればここまで一角達が色を失うこともない。
しかし、それが更木剣八の始解であれば話は異なる。
そこから引き起こされる破壊の規模、荒れ狂う暴力の凄まじさは下手な卍解をも超える。
性質が悪いのは、当の剣人に引き起こされる被害への頓着が薄いことだ。
「待っ…」
起こりうる被害が瞬時に顔を青くした弓親が声を上げようとして⋯⋯⋯呑み込んだ。
「ああ?」
剣八の斬魄刀を握る手を義壱の手が押さえていた。
「義壱⋯テメェ⋯放さねぇか」
「放しません」
「俺の邪魔をするならテメェから斬るぞ」
「それはご容赦ください」
力は込められていない。振り払おうと思えば振り払えるが、その行動の理由が中級大虚達を殲滅する行為よりも僅かに剣八の興味を引いた。
「更木隊長がここで始解を使えば被害が途轍もないことになりますよ?」
「知るか。こんな下らねぇ奴らの相手なんぞいつまでもしていられるか。さっさと終わらせて帰るぞ」
「ダメです。指示があったでしょう。『四十六室の許可無く、市街地における更木剣人の刀剣解放、その一切を禁ずる』と」
「ジジィ共の戯言なんざ下らなくて聞いてられるかよ」
「それについては同感です。けれど、ここは引いてください。流境街にいたずらに被害を出すのを四番隊隊長として黙って見ているわけにはいきません」
獣を想起させる剣人の脱い視線と、鳶色の穏やかな義壱の視線が一瞬火花を散らしたように見えたのは、互いの霊圧が指向性を持ってぶつかったからだろう。
「チッ…」
剣を収めたのは剣八であった。
ホッと義壱が安堵の溜め息を吐く。
よくよく見れば長めの赤銅色の髪の間から頬に幾筋もの汗が流れている。
更木剣八の気迫を息も触れる距離で受け続けた緊張感がようやく解けたのだ。
「街をぶっ壊しゃ後々メンドクセーな…それにお前の面子もあるしよ」
「そう言ってもらえると助かります」
「
「まさか。更木隊長が剣を収めてくれなかったら逃げてましたよ。隊長に斬られるのは御免です」
「ハッ⋯」
鼻を鳴らすと剣八が斬魄刀を収める。
「目は全然そんなこと言ってねぇぜ?」
義壱の自分を見る目に一瞬剣呑な光が灯るのを見逃さなかった剣儿は愉し気に口角を吊り上げる。
「斬り合いがしたいならいつでも声を掛けろ。こっちは暇でウズウズしてんだからな」
「相変わらず怖い人ですね」
「抜かせ」
義壱は剣八から視線を虚達へと移す。
剣八の霊圧に圧され動きを止めていた中級大虚達が動き出す寸前であったのを、義壱が視線で制す。
びりっと肌のひり付きをその場にいる誰もが感じ取る。
「ホゥ…」
剣八が大歯を剥き出しにして愉し気に笑う。
先ほどまで場を満たしていた剣八の獰猛な燃え盛る炎のような霊圧とは異なる。
柔らかな綿で包み込むような霊圧だった。
しかし、それは温かく優しいというものではない。
綿がゆっくりと包み込み、水を含んで重く纏わりつき窒息させるように、誰もが息苦しさを覚えずにはいられない圧倒的な質量を誇る霊圧だ。
虚達を睨め付け、義壱は右手に握った金色の六尺棒を地に突き立てた。
リィィン…
音叉を地に立てた六尺棒に当たると、涼やかな音色が広がる。
つぅっと六尺棒が地に吸い込まれたかと思うと、煌々と輝く金色の網が勇達、瀕死の怪我を負う隊士達とそれを治療する勇音達の周囲を護るように取り囲み、円柱形の鳥籠へと形を成す。
「卍解…」
「