72区の一件は瀞霊廷に小さな波紋をもたらした。
護廷十三隊最強部隊と自他共に認める十一番隊、それも席官クラスが成す術も無く虚に敗
れた挙句に常日頃からあれほど馬鹿にしている四番隊に泣き付いた。
十一番隊士達の治療にあたったのは当然四番隊であったが、動けぬ彼らに代わり72区民の避難や保護を担ったのも四番隊であり、更には十一番隊長更木剣八や同隊副隊長斑目一角と共に戦場を駆け抜け虚達を倒したのは四番隊長であったことが面目を潰すことになった。
救護や補給ならば四番隊の隊務であるからと納得が行く。
傷を押して戦場に戻ったのであれば流石は十一番隊勇ましい、それでこそ勇猛果敢な十一番隊であると賞賛されたかもしれない。
しかし十一番隊士達は戦いの最中四番隊に助けられ治療され守られ続けていた。
彼らの体たらくに普段から十一番隊の振る舞いに眉をひそめていた者達の溜食下げ、口さがない者にいたっては「いつもは威張り散らしているくせに、口ばかりで四番隊の陰に隠れていた腰抜け共」と陰口を叩き、「更木隊長と班目副隊長、それに綾瀬川三席は確かに凄いが、それ以外は大したことの無い連中。虎の威を借る狐でしかないではないか」と嗤う者も出る始末。
四番隊の新隊長の古巣が十一番隊であることが好奇心を掻き立てた。「横嶌隊長は十一番隊に愛想が尽きたから四番隊に移ったのではないか」などと囁かれるようになっていた。
小さな波紋も立て続けに起これば人々の目に留まり、口の端に昇る。
意地っ張り見栄っ張り。短慮、短気が服着て歩く無頼漢揃いの十一番隊士達にとっては甚だ不愉快で面白くない。
普段ならば肩で風を切るように歩き、道の端でこちらを窺う隊士達を見ても、「腰抜け共がビビッていやがるな」などと得意満面になって更に意気揚々胸を反らしてのし歩いていた彼らが、今ではそんな視線を目にすると「おい見てみろよ。口先ばかりの連中が粋がってるぞ」「本当だ。隊長達がいなきゃ碌に虚も倒せないのによくやるな」とクスクスと嘲笑われていると感じるようになってくる。
事実、弱い犬程よく吠えるを体現するような隊士は少なからず存在し、そのような者達に至っては、というよりそのような者達だからこそ必要以上に視線に敏感になり、辺り構わず威嚇し、自分の悪口を言っていただろうと他の隊士達に因縁をつけるものまで出る始末。そして、そんな隊士に限っては見事に返り討ちに合って噂は事実だったのだと恥の上塗り、更に噂は事実と共に広がり、嘲笑、侮蔑、嫌悪に疎外を招き、陰口悪口の数はいや増すばかりであった。
闇雲に喧嘩を売って、暴れては最早護廷十三隊の隊士でも死神でも無いただのならず者でしかない。
「テメェの男を下げるだけならまだしも、隊の評判を下げることは更木隊長の顔に泥を塗ることだとテメーらわかってんのか!!この馬鹿野郎共が!!」と副隊長班目一角が真っ赤な顔に青筋を立て、隊士達を尽く鉄拳制裁と共にどやしつけたのは当然のことであった。
副隊長としても、十一番隊の矜持を持つ一隊士としても一角の叱責は至極当たり前のことであった、当たり前のことではあったのだが、事実虎の威を借る狐が割といたことが一角の不幸だったのか、十一番隊の不幸だったのか、護廷十三隊の不幸だったのか。
振る舞いに問題があれば改める。無礼があったのであれば謝る。そんな真っ当な改善策を実行できるような連中は比較的少ないのが十一番隊であり、そんな連中だからこそ問題を起こしたとも言えた。彼らが取った方法は自分達の強さを示すこと、自分は虎の威を借る狐ではなく虎なのだと思い知らせることだった。誰に思い知らせるのかと尋ねたくなるし、それを彼らに問うたところで「あ?おぉう?えっと…うるせぇんだよオラァ!!」と逆ギレすること必至であろうが、とにかく思い知らせてやるという思いが強迫観念となって彼らに伝播した。
結果、虚の発生が増加している地区へ、それが管轄外であろうと構わず出向き、そしてむざむざ犬死にする。阿呆である。
犬死にするだけならばまだいい、大怪我を負って四番隊に助けを求め、喚き散られを受ける。「おい、何をぐずぐずしてるんだ」「馬鹿野郎痛ぇじゃねぇか下手糞」「男じゃなくて女にやらせろや気が利かねぇな」「オイ、あっこの俺の斬魄刀もちゃんと拾っとけボケ」等など、列挙するだけでもうんざりする程見事な醜態を晒すこと晒すこと。
更木剣八が目にしていたならば「テメェの剣くれぇテメェで拾え」と隊士の腹を踏み付けていたであろう振る舞いである。
恥の上塗り、ベタ塗、厚塗りと来て、悪循環に次ぐ悪循環,最低中の最低な振る舞いを立て続けにしておいて、もはやここが底かと思えば最低と思われた桶の底は抜けていたとばかりの誤算があった。昔であれば十一番隊士にどやしつけられた四番隊士は「はい、すみません」「ひぃっ、ごめんなさい」と怯え、謝り、下手に出ながら治療に当たる。それは悪しき慣例であったし、そのことを熟知している十一番隊にとってはちょっとしたストレス発散、手頃な八つ当たりの対象であったのだ。
自分達の地に堕ちた評価を上げようという当初の目的を忘れてしまったのか、無謀な特攻で怪我をしたのは己が愚図で短慮で無力であることに他ならないという事実から目を逸らす格好の餌食である四番隊士を恫喝することは評判には無関係だと思っていたのか、それは定かではないが、ともかく今までのように彼らは自分達にとっての絶好のサンドバッグを殴り付けるが如く怒鳴りつけた。
そして、
スパァン
一も二も無く引っ叩かれた。四番がではない。十一番隊士がだ。引っ叩かれたことが理解できなければ、それが自分達に盾突くはずの無い四番隊の者によって行われたことも理解できない。暫し呆然としていた十一番隊の隊士が烈火のごとく睨み付け、「オイ、お前誰を…」殴ったかわかってんのかコラ、ボケ、カスと続ける前に、
バキイッ
拳だった。綺麗に振り抜いた拳に、グルんと首を揺らし失神するチンピラ基十一番隊士。バキィッでもあり、ボグッでもあり、ゴスッでもあった。兎も角恫喝する隊士を問答無用で叩きのめす光景が戦地の至る所で見られたのだ。
四番隊は近年稀に見る程に鍛錬に励んでいる。四番隊のマドンナが虎徹勇音ならば、四番隊のアイドルとなりつつあるのが四番隊第四席に就いた咲良葵だ。彼女目当てで鍛錬をする隊士が増加する中、如何に動機が不純であるとはいえ鍛えて身に付いた筋力も技術も体力も偽りはない。無論、少しばかり鍛錬の量が増したとて四番隊が戦闘部隊に匹敵するわけではない。しかし、虎の威を借り碌に鍛錬怠けていた隊士であれば話は違う。
そもそも、無謀な特攻による死傷者の増加、更に管轄外の地区にまで出張っての大怪我による呼び出しの数々はただでさえ激務の四番隊にとっては甚だ尋常ではない過重労働を強いていた。それによる疲労と心労の積み重ねによるストレスが、長年軽んじられてきた怒りや不満と結び付き、引火、そして爆発へと繋がった。
四番隊副隊長虎徹勇音は大いに怒った。
如何なる理由があろうとも、四番隊士として治療すべき患者に手を上げるなんて医療従事者の風上にも置けない蛮行、愚行。耐え忍び治療に当たるべき誇りを投げ捨てるその行い万死に値する!!!奔れ凍雲。四番隊の矜持を忘却した者どもに裁きを下せ。今宵お前の三枚刃は愚行を犯せし者共の血に染まるのだ!!!
─── というくらいの怒りがあったが、気弱で優しく、何より四番隊士達の溜め込んできていた鬱憤を痛いほど理解していた勇音は「患者さんを殴るのはいけません!」といった程度の叱責をすることしかできなかった。
はっきり言って可愛いだけで、全然怖くはない。いくらなんでも叱るの下手くそ過ぎでは?と隣で呆れていたのは勇音に代わり暴力を振るった隊士達に説教をかました三席伊江村八十千和。
十一番隊の人達を殴れるなんて凄いなぁ…と言葉にせずとも感心していたのは同じく三席の山田花太郎、彼に至っては伊江村の説教に飽き始めていた。
(そういえば、一護さんも「酔っ払いの患者が暴れて言うこと聞かねー時なんてウチのヒゲはぶん殴って治療してたぞ。花太郎も無闇にビクビクペコペコする必要無ぇんじゃね?患者だからって何しても許される訳ねーんだから」って言ってたなぁ…一護さん元気かな…)と長々とくどくど続く伊江村の説教を隣で聞き流しながら現世に住む友人に思いを馳せていたりする。
六番隊副隊長阿井恋次が十一番隊の副官室を尋ねたのは、気心の知れた兄貴分である一角を見舞うためであった。
「一角さーん、いますか⋯ってうおッ!?」
副官室に立ち入るなり恋次は思わず仰け反った。部屋に籠ったどんよりとした空気に知らず身体が後退る。
「....おう、 恋次じゃねぇか」
普段ならば良くも悪くもよく通る声で威勢の良い口調の一角に似つかわしくない昏く淀んだ声に、一瞬恋次は顔を出したことを後悔するが今更戻る訳にもいかず、ひとまず手近な椅子に腰かけることにした。
「弓親さんから聞いてはいたが、随分やられてますね」
「おう⋯もう二日寝てねぇな」
そうだろうなと、言葉にせずとも恋次は一角の両目に刻まれた隈を見て納得する。
顎には無精髭が目立ち、鍛練とはことなるじんわりとした脂汗が剃り上げた頭に鈍い光沢となって浮かび上がっている。
意外なことに普段は身綺麗にしている一角にしては珍しいことだと思いながら恋次は事務机にどっさりと積まれた書類に目をやる。
手近な書類を手に取ると、(意外なまでに)綺麗な一角の字が書かれた報告書が大きく×を打たれている。書き損じたのだろう。書き損じた字が黒く塗りつぶされ、勢いよく刻まれた×の字に一角の苛立ちと自棄が伝わってくるようだ。
「弓親さんはどうしたんすか?」
「遺族んとこだ」
「嫌な仕事っすね…」
一角は「言うな」と言ってすっかり温くなった茶を啜る。立て続けに起きている十一番隊の無謀特攻と戦死は単純な戦友の死への悲しみ以外も齎す。隊葬の手続きとその費用、遺族への訪問と弔慰金の支給。管轄外での戦闘で隊士達が破壊した施設等の弁償等。それらの事務仕事は席官クラス以上が担うものである。
通常ならば隊長も含めてことに当たるのだが、十一番隊は更木剣八が隊長である。
無論、剣八は粗暴で好戦的な男であっても冷徹非道な男ではない。「好きなだけ出してやれ」と自分の給金の入った袋を殆ど丸投げで一角に渡してきた。
ぶっきらぼうな男なりに戦って死んだ隊士達への惜別の念、もしくは隊長としての責任感…があったのかはわからないが、戦いの中で命を落とした男達とその守ろうとしていた家族への餞別の意があったことは確かなのであろう。
隊長である剣八が隊費からではなく自身の懐から惜しみなく金を出すと言うのであれば、副隊長の一角とて面倒な事務仕事を弓親以下席官達に丸投げする訳にもいかない。
或いはこれが馬鹿な隊士同士の喧嘩によるものならば知ったことかと放り投げもするだろうが、不甲斐無く、無理無茶無謀の果ての死とはいえ、戦いに殉じた男達を送り出す最後の花道に掛ける手間を惜しむのは一角の仁義に反することであった。
斯くして、一角は連日立て続けに生まれる事務作業に忙殺される次第となった。
弔慰金の持参には流石に手が回らないと弓親を遣いにやったのだが、弓親も忙殺されているのは同様のことであった。
「一角さん、手が足りねぇなら言ってくれ」
「あん?お前だって大して…っつーか苦手だろがこういうのは」
「いや、雛森がな。手伝ってくれるとよ」
「そういうことか。情けねぇ話だが、正直言ってありがてぇ…」
(こりゃマジで参ってんな)と言葉にはしないものの恋次は一角の疲労を見て取る。一角が力無く苦笑いで弱音を吐くなど見たことがない。
前線で剣を振り回していられるなら連日連夜に及ぼうとも泣き言一つ漏らさないのに。
「けど…
「さぁな…隠れ家…巣でもあるんじゃねーのか」
「
一角は自分で「巣」と言ってから、ふと思う。
無意識に隠れ家から巣と言い換えていた。
しかし、そんなものがあるのか。
舌の上に転がした言葉に酷く違和感を覚えた。