哀れみはしない
蔑むこともない
彼らは等しいから
ケダモノのなり損ないも
ヒトのなり損ないも
彼らは等しく あどけなく 愚かで
故に 愛しい
そこは
塵芥一つ無く整然とし
染み一つ無く磨き抜かれ
乱れ一つ無く調和があった
そして、
安堵すべきものの一つとて存在しなかった。
そこに足を踏み入れる者ならば、特殊な精神性を持つ者ではない限り、一つの感情を抱くだろう。腹の奥から何かが蠢くような、足元から無数の蜈蚣が這い上がってくるような、剥き出しの神経をぬらりと濡れた舌で舐められるような、すぐさま立ち去ろうという衝動に駆られる感覚。
恐怖とも嫌悪とも言い表すことが出来るその感情、「不快感」を抱くに違いない。
しかし、その場所に不快感に顔を顰める者もいなければ、恐怖に身を震わせる者もいない。
3人の男が立っていた。
一人は褐色の肌に何処か思い詰めた、何処か苦行に打ち込む修行者のような苦悩と使命感をその表情に刻み込んだ男である。
しかし、恐怖や不快感といった感情をその部屋から受けている様子はない。男にとってその部屋の在り方は当たり前のものなのだろう。
また、一人は口元に笑みを浮かべていた。
白い肌に刃物ですばっと三つ切り傷を付けたように目を細め、唇を笑みの形に釣り上げている。しかし、『笑顔という形』を簡潔に作った以上のものを何も読み取ることが出来ない。
笑顔なのに無表情のようにも見える、蛇を思わせる男であった。
そして最後の一人は誰よりもその部屋に似つかわしくない男であった。
その部屋から受ける不快な印象、悍ましさは男にはそぐわない。
柔らかい栗色の髪の下には涼やかな瞳が知性の煌めきを放っている。
端正な顔立ちも相まって、鋭さすら感じさせる知的な美貌となるのであろうが、縁の太い眼鏡がその男の鋭い光を柔和な色で包み込むことに役立っている様子であった。
曠野よりも青々とした草花の生い茂る野原が、治たい石と鉄の研究室で機材に囲まれているよりも木造建築の教室で幼い生徒達に囲まれている方が余程絵になる男であった。
その笑みを見なければ。
「藍染様、試験体四十七號自壊しました。内包霊力が臨界に達したことが原因でしょうか」
「あかんな〜。要は腹いっぱいになって破裂したんやろ?」
「そんな単純な問題ではない。その理屈であれば
蛇のような男がヘラヘラと言ってのけるのが気に障ったのか、褐色の男が険の有る言葉を向ける。「そんなムキにならんでも」と蛇のような男は嗜めるが、作られた笑顔には微塵も変化が無い。
「要、気にする必要は無いよ。実験とはある意味では成功以上に失敗することに意味があるのだからね」
眼鏡を掛けた男が穏やかに言うのを要と呼ばれた褐色の男 ── 東仙要は恭しく頭を垂れる。
あたかも神の宣託を受け取った宣教師のように。
「藍染隊長。この実験は何ぞ意味がありますの?」
「そういえばきちんと説明していなかったねギン。私はここで虚を作る実験をしているのは君達も知っているだろう。中級大虚以上の大虚は必ず自我を持っている。それは抱え込んだ膨大な霊圧と自我を一つに束ねるだけではなく、一つの指向性を持たせることで一個の存在として進化する過程で起きた必然とも言える。それが無ければ
藍染と呼ばれた眼鏡の男はその部屋にある一つの水槽を撫でる。
「ゆっくりと萎んでいくか、破裂するかだ」
「まんま風船みたいやないですか」
「ああ、そうだね。事象は時に複雑に見えて至極単純な構造をしていることもある」
水槽の中に浮かぶ虚だったモノの残骸を藍染は慈愛すら感じさせる笑みを以て見つめている。言いつけを守った子どもを見つめる親のように。
「ただ、一見同じ現象であってもそこに至る経緯、時間が持つ意味は異なってくる。四十七號の自壊は19日間⋯正確には447時間と18分だったね。要、四十六號の実験結果はどうだったか覚えているかい?」
「ハッ。115時間程で自壊となっています。理由は四十七號と同じ内包霊力の臨界ですね」
教え子が完璧に答えたことに満足する教師のように藍染が頷く。
「そう。そして、更に前の四十五號は89時間だった。四十五號と六號の共通点は削り取ったモノ、異なる点は餌の質だ。四十六號には最下級大虚を与え、四十五號には四十六號に与えた最下級大虚と総量においては同じ霊力になるだけの虚を与えた。中級大虚になった虚は同じ中級大虚い限り退化すると言われているが、餌に求められる霊力の質に実際にはそれほどの差異は見られないのかもしれない」
藍染はゆっくりと水槽の前を歩いて行く。
水槽は製作者の気質をそのまま表すように一部の狂いも無く統一のサイズごとに整然と並んでいる。
まるで墓標のように。
ずらりと並ぶ水槽、その一つ一つをゆっくりと眺める瞳には一片の焦りも苛立ちも無い。
「注目すべきは四十六號と七號の共通点と相違点だ。共通点は削り取ったモノと餌の質。異なるのは ──── 」
一つの水槽の前で籃染の足が止まる。
何もない水槽や残骸が浮かぶ水槽とは異なり、そこには一体の虚が蹲っていた。
「指向性を与えたかどうかだ」
水槽の中で、最下級大虚の頭部を貪る中級大虚と思しきサイズの大虚が監染の
端、ひどく怯えたように水槽の端へと後退る。それでも口に咥えた大虚の残骸を手放さない様子に藍染は満足気に微笑む。
「どのくらい経つ?」
「伍十弐號ですね。一ヶ月を経過しています。既に霊圧は中級大虚レベルかも。ですが…」
「知能は獣以下といったところか。しかし、思った通り指向性を与えると虚は参加する。それも喜びではなく強迫観念の方が長持ちするようだ。確かにそう考えるならば、中級大虚が同じ中級大虚を捕食するという強迫観念を抱くこととも一致する。強迫観念が彼ら自身を追い詰めることで自己進化を促すという訳だ」
「つまり、中級大虚には自我や知能等無くとも強迫観念さえあれば良いと仰るのですね」
「結論を出すには早いよ要。中級大虚レベルの虚を生み出すといっても獣と変わらなければそれは少し霊圧が高いだけの獣だ。知能を有する中級大虚には遠く及ぶまい」
実験の進捗を急くような京仙を嗜める。
「二十號までで最下級大虚の作り方と命令の刻み方はわかった、四十號までで中級大虚への進化のさせ方と『壊し方』も把握することが出来た。そして今は削り取ったモノに付け加えることで中級大虚を永らえさせることがわかった。実験は着実に成果を出している。対照実験にはデータが多い方が良い。石ころだと断じて捨てた物の中に玉が混じってしまうことの無いように、丁寧に根気良くやればいい。
謳うように、愉し気な声に水権の中で未だに動いている虚達が一斉に身じろぎすることさえ無く固まった。
ギンにはその光景に見覚えがあった。
獣がより強い獣が近づいた時に、息を潜めることすら止め、ただ捕食されるのを待つのだ。
助かろうという生存本能を凌駕する迫りくる死の実感と生への諦観。
それと同じ光景が目の前にあった。
たった一人の優男が愉悦と共に放った実に些細な感情の動き、歩いている時に顔を撫でる頬を撫でる風が心地良いから気分が良くなるとか、花の香に気持ちが和むといった心の機微でしかない感情の動きだけで、曲がりなりにも中級大虚やそれ以上の霊圧を持つ虚達が一斉に死を受け入れてしまったのだ。
つぅっとギンの背筋を冷たい汗が滑り落ちた。
「ギン、そんなに緊張しないでくれたまえ」
「おっかない人やわ〜。何でもお見通しですか」
掌に滲む汗を気取られぬように、飄々と返すギンに藍染はやんわりと嗤う。
「私とて未だに全知全能ではないさ。すべてを見通すにはまだ足りない」
傲慢な物言いと言うにはその言葉には強者の持つ優越感は無い。
心から己は全知全能ではないと思い、「まだ」と付けることが出来る程度にはその領域に近づいているという自負があるのだ。
「この実験もまた至るための手段の一つだよ。すべてを削り取り、本能を持ちながら私の命に従順な虚の子を作る。駒は一つでも欠けてしまえばゲームは楽しめないからね」
それは在りし日に密かに行われた会話であった。