「美味ぇな」
「美味いね」
月を眺めながら、一角は湯飲みを満たす酒を半分程飲む。
炙ったスルメを噛みちぎり、もう一度湯飲みを傾ける。
二口で湯飲みの中は空になっていた。
義壱は味噌ときゅうりの乗った冷奴を箸で切り分け一口食べる。
豆腐の風味を楽しむようにゆっくりと咀嚼すると、猪口の酒を舐めるよように味わう。
「相変わらず豆腐好きなのか。金はあるんだろ?」
「いくら隊長になったからって食の好みまでは変わらないさ。それに、この豆腐はかなりいい豆腐なんだよ」
「美味いっちゃ美味いけど、俺にはわかんねーな。いくらくらいすんだよ」
「ん〜〜…確か」
義壱の口にした金額に、一角がギョッと目を見開く。
とてもではないが一介の隊士ではおいそれと手が出る金額では無い。
そういえば先ほどから傾けている酒にしても市井の居酒屋では滅多にお目に掛かれないものだ。
清貧を重んじるような顔をして、しっかり金は使っている抜け目の無さに一角は感心と呆れが混ざったような顔をする。
「ちゃっかり舌は高級志向になってやがるな」
「一角だってかなり貰ってるでしょ」
無駄遣いをしなければ副隊長という立場は尸魂界でも屈指の高給取りに位置する。
しかし、一角は鼻でそれを笑う。
「んなもん酒代で消えちまうよ」
「高い酒を湯水のように飲みすぎだよ君も鉄さんも」
苦笑を浮かべながら、義壱は一角の湯飲みに酒を注ぐ。
身は恐縮することなく受け取る。例え無礼講の席であろうとも、隊長からの酌を副隊長が当然のように受ける光景は、見る者によっては眉を顰めるか、非難するかもしれない。
しかし、この場にいるのは一角と義壱だけだ。
「今更だけどよ、タメロじゃ不味いか」
「ははは、本当に今更過ぎない?いいさ今は隊長じゃないから」
義壱が指さす。縁側の奥にある寝室、そこに立て掛けられた隊長羽織。
一角も今は副官章を付けてはいない。
互いに死覇装のみを纏っていると、一角はまるで昔に戻ったような錯覚に陥る。
自分が三席、義壱が四席であった頃に。
一角は過去を振り返ることはしない。
意固地になって過去を振り返らない訳ではない。
振り返る余裕も暇も無い、理由はいろいろあるが振り返っても仕方が無いから、というのが一番しっくりとくる答えかもしれない。
満足の行く結果も、苦い失敗も、すべての先に今があると、明確に言葉にはしないが一角の心情を表すならそんなところだろうか。
しかし、それでもふと思い返すことはある。
突然脳裏に広がる懐かしさは、花の香に似ている。
不意に香って来た花の香が避けようもないことと同じだ。
「あの頃は馬鹿みたいに無茶していたよね」
義壱も一角と同じことを思い出しているようだ。
酒を傾けながら一角は視線だけで義壱の言葉を促す。
「弓親が五席で恋次が六席。一角は今よりも無茶をして、恋次は一角に戦い方を教わりに来てたね」
義壱は3つに分けた豆腐の一つを口に運ぶ。
酒で流し込むと、少し熱くなった息を吐く。
「任務以外でも朝から晩まで剣を振って。倒れるまで鍛錬して。碌に怪我の治療もしないまま朝まで飲んで。命知らずに無我夢中で虚を斬って…」
「悪くなかったな」
「楽しかったよ。恋次がどんどん腕を上げて行くのを見るのも楽しかったし、一角も結構刺激を受けてたよね」
「曲がりなりにも戦い方教えてる奴がすぐに超えられちゃ面子が潰れるだろ」
「朽木白哉を超える。その一念の奥にある『とある少女』を求める気持ち。
愚直過ぎる己の想いに藻掻き、足掻き、振り回されながらも恋焦がれるように、縋り付くように強さを求める恋次の姿に一角も弓親も、そして義壱も少なからず刺激を受けていた。
「そういえば…ふふっ」
短く笑う義壱を一角は訝し気に見る。「ごめんごめん」と手で制すると義壱は目を細める。
「僕も教わったんだよね一角に」
「そういやそうだったな」
「恋次と僕は兄弟弟子ってことか」
「よせよ。師匠ってガラじゃねーよ」
十一番隊の斬魄刀は直接攻撃型以外認めないというのが暗黙の了解だった。
今ならばともかく、お互い平隊士だった頃の二人、弓親も含めた三人は互いのみ始解を見せ合った。一角の鬼灯丸は槍から三節棍へと変化するギミックこそあれども十―番隊らしい武器であったが、義壱の金糸雀は異なった。
警戒心を和らげる。
大火炎や氷嵐を巻き起こす訳でも巨大な力で相手を押し潰す訳でもない、実に些細な能力だ。
言わなければ鬼道系の能力だとバレないのだから気にせずとも良いのではないか、そう思っていたのは一角だけではなかった。
それでも義壱は極力始解を十一番隊に所属していた頃は見せなかった。
一角や弓親、他部隊に移った恋次や射場という限られた仲間の前でだけの使用に留めていた。故に十一番隊の隊士の多くが義壱の戦う姿を思い浮かべる時は始解ではなく、鞘を左手に、刀を右手に持つ戦い方を浮かべる。
右手に鞘、左手に刀を持つ一角と同じ戦い方である。
違いがあるとすれば、
「昔から刀を防御にばっかり使ってたな、そういや」
刀で相手の攻撃を受け止め、捌き、鉄拵えの鞘で相手を打ち据える。
「平和主義者って訳でもねーだろ。きっちり殺る時は殺るし」
「人聞き悪いな。これでも四番隊だよ?十分平和主義者だよ」
「抜かせよ馬鹿野郎。何度テメーにぶっ叩かれて瘤が出来たと思ってんだよ」
「斬るよりマシでしょ」
「斬られた方がマシだ。つーか、頭かち割られて血がでりゃそんな変わんねーよ」
湯飲みを半分程満たしたところで、酒が切れた。
ちらりと見ると、二本の空き瓶が肴を載せて来た盆の隣に並べられている。
一角はその隣にたった今空いた瓶を雑に並べる。
三升分の酒が二人の腹に収まったことになる。無論、湯飲みでグイダイと飲んでいる一角の方が義壱よりも多く飲んでいるが、それでも十分過ぎる量を義壱も飲んだことになる。
しかし、不思議と酔いは無かった。
良い酒は酔わないというが、少し違う。
収まらないのだ、酒程度では。
一角の身の内を焦がし、破裂させようとする程の昂ぶりは無尽蔵に酒を呑み込み、今なお主を安らかな酔いへと浸ることを許してはくれない。
ピシッと一角の手の中の湯飲みに罅が走る。
湯飲みを置き、己が手を見つめる。
微かな震え。酒のせいでもなければ筋肉の酷使によるものでもない。
思い出して滾っているのだ。
今日、虚達を斬った感触を。見上げる程に屍を積み上げる程に肉体は疲労しているはずなのに、斬れば斬る程、走れば走る程、吠えれば吠える程、腹の底から体力が、活力が、気力が、精力が湧いてくるようだった。
慣れない事務仕事に忙殺され、鬱屈するような隊葬の連続、勇猛と無謀を履き違えた馬鹿共の尻拭いに催んだ心が、身体が、魂が出口を見つけて歓喜するように震えた。
今日の戦いの感触を反芻する一角の湯飲みに酒が注がれる。
いつの間に四本目を取って来たのか、義壱が一升瓶を手にしていた。
一角が少しだけ申し訳なさを含んだ苦笑を浮かべる。
「気ぃ遣わせたか」
「そういうつもりじゃないよ」
「いや、違ぇよ。そっちじゃなくて⋯」
義壱の顔と彼が手にした酒瓶を見比べて、ぽりぽりと頭をかく。
「今日の仕切りだよ。四十八区⋯あそこは四番隊と射場さんで事足りたろ」
一角、弓親、射場そして義壱。
たった四人が殆どの虚を殲滅した光景に隊士達は誰もが息を呑んだ。
しかし、一角の脳裏には義壱が見せた卍解が鮮明に蘇る
鳥籠の中にいる怪我人、死に片足踏み込んだような重傷者達が次々と癒され、目を覚ます奇跡のような光景と同時に消耗し、摩耗し、衰弱し、虚脱していく虚達。
静かで穏やかでありながら同時に肚が冷えるような力は、回道系でありながらも間違いなく卍解の名に相応しい力であった。
そして同時に理解する。
この卍解の前では敵の数は問題ではないことに。
義壱が卍解を使う以上あの場には一角と弓親はいなくとも良かった。
時間は遥かに要したであろうが、虚達を皆殺しにはできたはずだ。
だが、義壱は隊長の権限をもって十一番隊に副隊長及び三席の派遣を要請した。
「正直、スッキリしたぜ」
「見ればわかるよ。昨日までの君は顔中に欲求不満が溜まってたからね」
「んだよ、お見通しかよ」
照れ臭そうに頭をかくと、一角は破顔する。目の下に色濃い隈を刻み倦んだ表情をしていた昨日までとは打って変わった男臭いいい笑顔だ。思わずつられて義壱の口元にも笑みが浮かぶ。
「久々に暴れたからよう、体中に溜まってた膿が出たような気分だ」
「弓親もそんな感じの顔だったよ。君達の最近の状況は恋次からも聞いてたし」
「どいつもこいつもお節介な奴ばかりだな」
「余計な気を回しちゃったかな?」
「いらんお世話だぜと言いたいところだが、まぁ言えた義理じゃねぇよ。今回でどんだけ
「それは昔からだよ。十一番隊に限らないさ。隊長の威光を盾にする輩は何処にでもいることだし、一角が気にすることもないんじゃないかな」
「気にはしてねーよ。いや、してねーっつったら嘘になるけどよ。隊長の名を出したくらいでビビる奴だって腑抜けだってことだ。そんなもん関係なくムカついたならぶん殴りゃいい。俺はてめぇの筋を通して、てめぇが納得できる喧嘩をするだけだからな。くだらねぇ野郎達が行き詰った挙句に破れかぶれになろうが、自棄になろうが、その結果どういうくたばり方をしようとそれはそいつの領分でしかねぇ」
口を湿らせる為に酒を一口飲む。ゆっくりと喉を滑り落ちる冷酒の感触に少し毛羽立った感情が僅かに和らぐ。
「俺達はロクデナシだ。ガン首並べて吠えてる野良犬かもしれねぇ。馬鹿だなんだと揶揄されんのは慣れてる。鼻摘まみ者にされんのも構わねぇ。ゴロツキだと言われりゃ返す言葉も無ぇ。けど、馬鹿なりに命賭けた挙句にくたばったことを嗤われるのは…やっぱ堪えるな。嗤われるような腑抜けた喧嘩をする方が情けねぇのは百も承知だ。負けた喧嘩にケチ付けられるのも珍しかねぇ。俺だってそうだ。意地張って力を出し惜しみした挙句に無様に負けて、その上惨めな言い訳を晒しちまったこともある。それでもだ。みっともない奴らでも仲間で部下で、そいつらを弔い続けるのは辛いぜ。死んだから辛いんじゃねぇ。死に方を選べずに死んじまったのが辛ぇんだ。満足のいく喧嘩もできずに呆気なく虫みてぇな死にざまだと殊更よ。そうだ、ごちゃごちゃ言ってはみたが、単純に俺はあそこが好きなんだよ。喧嘩に意地張って、命賭けて。そんな奴等ばかりのあそこ
一角は一人一人の隊士の死にいちいち心を痛める男ではない。
護廷十三隊に属する以上、いつ何時危険の中に身をやり、命を落としてもおかしくはない。
戦いの中で命を落とすことは病や事故などよりも遥かに多く、死は慣れ親しんだ友のように気軽に近づき、閨を共にする連れ合いの如くぴたりと傍らへと寄り添ってくる。
それにいちいち声に出して嘆く方がおかしいのだ。しかし、決して冷血故ではない。冷徹だからではない。
心は痛まないわけではない。ただ、痛みを口にしない、訴えないだけだ。
これは矜持の問題だ。
護廷の隊士として、十一番隊として、副隊長として、男として抱くべき当然の。
そして、一角の矜持は軋みを上げていた。
死ぬのはいい。ただ、むやみやたらに、無為に、呆気なく死んでいくことが憐れだった。
満足することも、証を立てることも無く、踏みつ潰された虫のように、食い残された兎のように、惨めに死んだことが憐れだった。
死して尚蔑まれる彼らが憐れだった。
「負けた奴が悪い。隊長ならそう言うんだろうよ」
腰抜け呼ばわりされるのも、くたばるのも、死を笑われるのも、全ては負けたそいつが悪い。
更木剣八の理屈は実に単純だ。
そして、単純であるが故に揺るぎなく、冷厳とすら言える。
「あの人は…死んだ人を思い返すことなんてあるのかな」
「さぁな。聞いたこともねぇ。だが、いるとすりゃあ一人だけだろ」
「…ああ」
同じ女性を思い浮かべたのだろう。
一角と義壱はそれ以上何も語らず、ただ月を眺めながら盃を傾けた。
卍解:【楼籠金糸雀調歌(ろうろうかなりあしらべうた)】
使用者:横嶌義壱
能力:六尺棒を突き立てると、自身の背にした味方を守るように巨大な金色の鳥籠が出現。鳥籠内の味方には使用者が卍解を維持している限り危害を加えることができない。また、始解で金糸雀の音を聴かせた敵から味方へ霊力を移すことで鳥籠内の味方の傷を癒すことが出来る。
但し鳥籠の中に使用者自身は入ることは出来ない。