息を潜めて、ただ闇の中目を凝らす
声も立たず
身じろぎせず
されど 偽ることなく
ただ
息を潜める
鍛練場に漂う空気には未だに立合った者達の気迫や温度、汗の匂いが残っている。
拳西は檜佐木が踏み抜いた床板を眺めていた。
「修兵、お前の癖見抜かれてたぞ」
「はい⋯」
四番隊士達が帰った後、拳西と同じく鍛練場に残り、木刀を振っていた檜佐木に嗜めるように言う。檜佐木は木刀を振る手を止める。
「仕切り直す時に握りが甘くなるのはどうにかしとけ」
「気を付けてはいるんですけどね。いえ、完全に言い訳です」
檜佐木の始解「風死」は鎖鎌である。
彼が本気で戦う時、風死を解放している時の戦い方は通常の斬魄刀を用いた斬術とは大きく異なる。
鎖を握り鎌に回転を加えて離れた相手を斬り割く。
或いは鎌を手裏剣のように投擲し、鎖で軌道を変える。
絶妙な握りの力加減による変幻自在の戦術であり、直線的な動きの多い斬術とは異なり曲線を描く戦い方と言える。
風死は彼の慎重な戦い方に噛み合っている。
常に相手と一定の距離を保ち、相手の間合い外且つ己の間合いから的確に攻撃を当てる。
故に気持ちを切り替え仕切り直す際に必ず檜佐木は風死の握りを緩め、鎖へと手を滑らせる。鎖鎌を放ち相手と距離を測り直す為に。そして自らの呼吸を整える為に。
「あのガキ⋯咲良とか言ったか。あのガキはてめぇの剣を受けながらよく観察してたぜ。てめぇの斬撃が何度続くと呼吸を整えるのか、何度剣を振ったら距離を置こうとすんのか。剣の握りがいつ甘くなるのか」
「流石に出稽古を希望するだけのことはありますね」
「四番隊も随分変わったんだな」
近年増加している虚の出現率に比例し、戦線に出動することが増えた四番隊は否が応にも今までよりも強くなる必要があった。
少なくとも自分の身は自分で守れるだけの力量は必要であった。
戦死者が相次ぐ中、四番隊士を守りながら戦える者ばかりではないからだ。
それゆえに四番隊から稽古を付けて欲しいという声が掛かった時、拳西はその気概にいたく感心した。しかし、同時に拳西は四番隊士を怪我させないようにしなければとも思っていた。
拳西は四番隊士を決して侮ってはいない。
単純に適正による棲み分けをしているだけだと認識している。
しかし、四番隊が戦闘に特化した部隊ではないこともまた事実だ。
「あの咲良って奴だけじゃねぇ。六席も七席も、他所の部隊でも席官を張れる奴等だ。実際に立ち会ってみたお前の感想は?」
握っていた木刀に視線を落としながら、檜佐木は先ほどの立ち合いを反芻するように暫し口を噤む。
「.....教本に載せたいくらい基本に忠実っスね。瀞霊廷通信に手本として載せたら売り上げが倍増しそうですよ」
「なるほどな」
教科書通りと言えば侮っているようだが、それほど全ての隊士達の手本としたいくらいに基礎が仕上がっているということだ。
「どこまでも基本に忠実で、基本をひたすら練り上げた剣という感じっすかね。構えも太刀筋も基礎を何度もなぞったような。あそこまで基本とおりだと寧ろやりにくいし、何より虚にはそれで十分ですからね」
咲良葵の剣を思い出しながら「そういえば」と続ける。
「あの子⋯隊長はあの子の始解見たことありますか?」
「ああ?今日が初めて会う奴だぞ俺は」「そうでしたね」
眉間に皺を寄せる拳西に、檜佐木はそれもそうかと苦笑する。
「今日、帰りしなに聞いてみたんですよ、咲良に」
『…咲良四席』
『はい?いかがしましたか檜佐木副隊長』
帰り支度を済ませた咲良葵に檜佐木は幾ばくかの気まずさを押し隠しながら声を掛けた。
ただでさえ檜佐木が普段接する女性は乱菊や白といった気も癖も強い女性ばかりであり、可憐な少女でしかも先ほど自分が負かせた少女に声を掛けることに檜佐木は気が引けていた。
立ち合っていた時は凛とした眼差しと刺すような気迫、そして強烈な打ち込みのせいか意識していなかったが、剣から離れた今、目の前にいるのは檜佐木の胸元よりも低い位置に頭がある程に小柄で華奢な少女であった。
『手は大丈夫か?』
『お気遣いいただきありがとうございます。問題はありません』
葵はにこりと花が綻ぶように笑う。
言葉は柔らかいながらもびしゃりとした物言いであったが、生憎と檜佐木は女の言葉の細やかな機微に敏感な男ではない。しかし、少女の掌に出来た剣だこには目敏く気付いた。
葵は檜佐木の視線に気付いたのかスッと掌を隠す。
『いや、すまん。大丈夫かと思って!!』
少女の仕草に慌てたように首を振る。
不躾に少女の手を見たつもりはない。檜佐木としては立ち合いの範囲内とはいえかなり本気で何度も打ち込んだ少女の掌を心配してのことであった。
『いえ。あまり見栄えの良いものではないので』
可憐な乙女然とした見た目とは裏腹に、その小さな掌に出来た剣だこはかなり固いことが見て取れた。何度も何度も剣を振り、皮膚が破れても剣を振り、やがて皮膚が固くなり厚くなっても剣を振り続けた者の掌だ。
少女の剣の淀みの無さと、小柄ながら強烈な打ち込みの裏付けを檜佐木は目の当たりにした。
『四番隊で⋯』
『はい?』
『いや、四番隊でこんなに斬術を真剣にやる奴は滅多に見ないと思ってな。あれほどの腕があれば他の隊でも戦えるだろう』
『⋯副隊長は私の斬魄刀はご存知で?』
『ああ。この前ウチの隊士が世話になったからな』
檜佐木は咲良葵と会うのはこれが初めてではなかった。
先日、九番隊が虚に襲われた際に駆け付けた救護班は彼女が班長を務める班であった。
虚達を注意深く警戒を怠らぬまま、出血が止まらない隊士達を前にした葵が始解を発動させるのを檜佐木は仲間を守りつつその目にした。
葵の始解「藤袴」、薄紅色の針の束という珍しい形の始解を用いて葵は次々と深手を負った隊士達を止血し、毒を受けた者であればその毒の回りを止めていった。
その手並みの見事さに、医療については全くの門外漠ながら檜佐木は甚く感銘を受けた程だ。
霊術院卒業と同時に席官入りし、現在は若くして四席を任されている才女と聞いて驚き以上に納得したものだ。
『あの時は助かったぜ』
『いえ、任務ですから』
『しかし、それが何の関係が?』
檜佐木を見つめる竜胆色の瞳が一瞬温度を失くしたような気がした。
『私の始解はあまり戦い向きではないので。斬術そのものを鍛えなければ……隊長のお役に立てません』
「ほう。随分と自分に厳しい奴だな」
拳西は顎に手を当てる。
四番隊ならば回道が主である。回道に特化し戦闘能力においては同格の席官の足元にも及ばないという四番隊士は珍しいことではないし、恥じることでもない。
他部隊の隊士が戦闘訓練に当てる時間を回道の訓練や医療の知識習得に当てているのだから戦闘技術において他の部隊に遅れを取ることは怠慢でも何でもないことだ。
しかし、拳西の知る四番隊士像は変わりつつあるらしい。
「あの六席といい七席といい、今の四番隊は随分と様変わりしてんな。喚き散らす十一番隊の奴らをぶちのめして治療してた話もあながち嘘じゃなさそうだ。なぁ、修兵。俺達もうかうかしてらんねーぞ。今日のウチの連中のざまを見ただろ」
拳西は苛立ったように舌打ちをする。
今日の鍛錬で怒鳴りつけたことを思い出しているのだろう。
「俺としちゃあお前が出張らなきゃならねーって危機感を持たせたかったんだがな。まるでわかっちゃいねぇ。戦が終わって無茶な増員を図ったツケが来てんのかもしれねーな」
霊王護神大戦において、護廷十三隊はその半数近くの隊士を失った。
悲惨であったのは、特に前線に赴く席官の大半を失ったことが痛恨であった。
霊術院の見習い時期を繰り上げ、実力さえあれば学生気分が抜けていない者であっても護廷入りを推し進めていった。
結果として、護廷十三隊はその体裁を取り戻しつつあるが、内実は追いついていない。
肩書ばかりのひよっこ達で占められた席官。
藍染の乱以前の護廷十三隊を知っている拳西からすればお利口にはなっているかもしれないが、その精神性が未熟な子どもばかりと思わずにはいられない。
同じ隊長格や副隊長以下戦争を生き抜いた者達とではその心の在り方の差はなかなかに埋め難く感じる。
そんな拳西の抱く苛立ち、歯痒さを知っている檜佐木は視線を落とす。
檜佐木とて拳西程ではないにせよ、隊士達の未熟さは感じている。
上辺だけ死神として取り繕うだけの子どもやチンピラ達のなんと多いことか。
「あぁ⋯そうか⋯」
「どうした?」
「いえ。そういえば四番隊は他所より戦死者が少なかったなって」
「救護班だからだろ」
「いえ、あの時の瀞霊廷内には総隊長が倒した滅却師の分身みたいな化け物や聖兵達がうろうろしてましたから。場所が瀞霊廷全土なんで救護に当たってる四番隊も戦場の真っ直中にいたんですよ」
あの戦いの悲惨さは見えざる帝国の王、ユーハバッハの居城である「
流星の如く降り注ぐ瓦礫、無慈悲な殺戮を繰り広げる聖兵達、そして奇怪な声を上げて彷徨する光の怪鳥の群れ。
戦いから戻った拳西達は言葉を失った。
噎せ返る血と肉の焼ける臭い。
瓦礫の山に混ざる破れた死覇装。
炭と見分けの付かなくなった焼け焦げた肉。
倒すべき敵を倒しても地獄は消えてなどいなかった。
それでも半数で済んだのは、重傷を負いつつも生き延びた隊士達の治療に四番隊が奔走してくれたおかげである。
そして、四番隊の功績として同時に語られるのが救護班の陣頭指揮を執り迅速に瀞霊廷各所の救護活動に当たった四番隊第三席伊江村八十千和と、当時は伊江村の部下であった同隊四席の横嶌義壱であった。
「伊江村が指揮する救護班を横嶌隊長が守ってくれてなかったら、戦死者があと二、三割は増えたって話ですよね」
隊長である卯ノ花烈を失った四番隊が、皮肉にもその戦において頭角を現した者の出現をもって隊長を失ったどの隊よりも早くに代理ではなく正式に隊長を迎えることが出来た。
戦後、組織としての護廷十三隊の復興を最優先の急務と考える四十六室は半ば強引に隊長が戦死を遂げた各隊の副隊長を隊長代理に据えた。
実力不足か否かは考慮されていない。まずは組織としての立て直しを図ったのだ。
そのような中で、四席であっても卍解によって多大な功績を上げた者を隊長に任じない訳がなかった。
『俺は勇音ちゃんでもええんちゃうかって思うんやけどな〜〜卍解できたんはデカいっちゅうこっちゃ』とは平子真子の言葉である。
平子は横嶌義壱の隊首試験に立ち会った隊長の一人である。
横嶌義壱の隊首試験には総隊長の京楽春水、二番隊長砕蜂、そして五番隊長平子真子の3名であった。
「横嶌隊長ですか⋯」
「しばらくいなかった俺と違ってお前の方が詳しいんじゃねーのか?」
「いえ、あの人ずっと四席だったんで関りが無いっていうか⋯十一番隊に居たのは知ってたんですけどそこまで印象的でもなくて。斑目と綾瀬川の方が色々と派手だから地味に見えてたっていうか⋯」
「あいつらが騒がしいだけって気もするがな。確かに十一番隊にずっといたとは思えない奴ではあるな。しかし腕は本物だ。あんな奴が良く今まで四席なんぞで燻ってたもんだな」
「自己主張が強い人じゃないですからね。阿散井から腕は立つとは聞いてましたけど、隊長になる程とは⋯正直思ってませんでした」
卍解を会得し、隊長となり得る程の強さをこれまで隠しきり四席として存在感も無くあり続けていた男の心中は拳西には想像も付かなかった。