まだ夜が明けて間もないという時刻にも関わらず綜合教護護詰所は怒号と足音に溢れていた。
四番隊の隊士達が右へ左へと絶え間なく掛けていく。担架に乗せられた隊員を運び込み、より重傷の者を見極め治療室へと連れて行く。
戦場の如き綜合救護詰所の廊下を真っ白な隊長羽織を翻し駆け抜けていくのは平子真子であった。
普段は飄々としたその表情は険しく、焦燥に満ちていた。
平子はもどかし気に綜合教護詰所の中でも特に重症の者を治療する場所へと足を運んだ。
「拳西!!」
叩き付ける勢いで扉を開くと、そこには寝台に横たわる友の姿があった。
「お静かに平子隊長。六車隊長なら大丈夫ですよ」
口に人差し指を当てて囁くような声で子どもに対するように嗜めるのはつい先日正式に四番隊長への任官が決定した横嶌義壱であった。
ようやく平子は拳西の傍らに横嶌が腰かけていることに気付き、気まずげに口を引き結んだ。義壱は苦笑を浮かべるとちらりと拳西へと目を向ける。
「すまん。それで拳西はもうええんか?」
「流石は六車隊長です。あれ程の傷を負いながらもこうして命を繋げている…大した霊圧と肉体の強さです」
「拳西は頑丈やからな」
義壱が寝台の側にある椅子をそっと平子に勧める。
「血を失い過ぎているので輸血はまだ必要ですが、大きな傷は全て塞ぎました。両腕の縫合も無事に済みました。骨、筋肉、血管、神経に至るまで全て繋ぎ終えてるので、後は安静にして傷を癒していただければ」
多少の機能回復訓練は必要でしょうけど、と義壱は続けた。
「.....そうか⋯ありがとうな義壱」
容態を聞き終えた平子は深く息を吐いた。僅かに肩を落とし、彼の身体を覆う緊迫感がいくらか和らぐ。
平子が友人の重篤の報を受けたのは夜が明けてからのことである。
拳西達を発見し四番隊に応援を要請したのは六番隊の阿散井恋次であった。
最初に駆け付けたのは管轄地区が近く偶然にも別件の虚退治に足を運んでいた六番隊副隊長の阿散井恋次と同隊三席の行木理吉である。
彼らが異変を察知したのは強烈な霊圧の発生とその霊圧の消失を感知したからだ。霊圧の大きさは隊長格の、それも平常の比ではない程に高まったものであり、それが消失したのである。
隊長格が卍解を発動させ、そしてそれが消える。普通に考えるのであれば敵対者を討滅せしめたという結論に至るが、虫の知らせとも呼ぶべき予感が恋次を走らせた。
結果として、恋次の行動は拳西とその近くに彼同様に倒れ伏していた檜佐木の命を繋ぐこととなった。
霊圧が消えた場所に駆け付けた恋次達が目にしたものは凄惨の一言に尽きる。
虚に殺されたのであろう隊士達。
その中には恋次や理吉の顔見知りの隊士達もいた。住民達の安否と幾つも転がっていた虚の躯から、彼らが身命を賭して虚を倒したことは容易に見て取ることが出来た。
恋次が驚きに息を呑んだのは、倒れ伏す隊士達の中に彼の友人でもある檜佐木修兵と九番隊長六車拳西の姿があったからだ。
拳西も檜佐木も共に血だまりの中に半ば沈み込むように倒れ伏していたが、特に凄惨なのは拳西の方であった。
余談ではあるが、隊長格を始めとした隊士達の音信が途絶えたことに本来であれば隊長の到着を待つべき案件であり、浅薄な行動であるとして叱責されて然るべき問題ともなりえたのだが、阿散井恋次が隊長格の実力を認められること、そして彼の行動が結果的に九番隊長、副隊長等の命を救うことに繋がったことで不問とされた。
「なぁ、聞いてもええか」
僅かに青白い拳西の寝顔を眺めながら徐に平子が口を開く。
「義壱、今両腕言うたな。拳西は両腕をやられとったんか?」
「平子隊長は六車隊長の怪我については何も知らされていないのですか?」
「血塗れになって倒れとったっちゅうことしかな。拳西がそれだけやられるなんて只事やない。大虚の群れが相手やとしても、拳西の相手になる奴なんておらん。
「⋯⋯⋯そうですね⋯六車隊長は⋯「失礼致します!」
義壱が言いかけた時、盆を持った女性隊士が入室して来た。
「あッッ!お、お話中すみません隊長。平子隊長がいらしたと伺いましたので⋯」
まだ年若い女性隊士であった。
盆には湯気を立てた二つの湯飲みが置かれている。
隊長達の話を中断させてしまったのかと青ざめ狼狽える少女を平子は「ええて、ええて。サンキュウな」と笑い、彼女かは半ば強引に盆を受け取る。
雲の上の存在である隊長自らに盆を取り上げられ、半ば途方に暮れた顔をする女性隊士に平子はあえて軽薄な笑顔を向ける。
「気にせんといてやお嬢ちゃん。ちょっと何もナイショの話してるわけちゃうねんで」
「は、はぁ…」
「ありがとう。ここはもういいからね」
「は、はい!」
義壱がやんわりと退室を促すと、女性隊士は何処かホッとした表情になる。
気配りというよりも、緊急を要する医療の現場にまた年若い彼女が出来ることは無いのであろう、隊長二名に茶でも淹れるようにと先輩隊士に申し付けられた、そんなところだろうかと思いながら平子は盆から湯飲みを一つ受け取る。
「茶、美味いな。ちょい癖あるけど」
「
「ヤクヨモギか〜懐かしいわ。俺は饅頭にしたんが好きやな」
「四番隊の隊舎で色々と育てていましてね。薬草が主ですが、それだけでは寂しいだろうと各隊士がお勧めのお茶やハーブなんかも育ててるんです。薬に頼りすぎるのはいけないので、精神安定の作用がある香草なんかを混ぜたお茶をお出しすることも増えたんですよ」
「なるほどな。そうでもせんと気張り通しの奴もおるからな」
平子の脳裏には何名かの隊士の顔が浮かぶ。
目に見えて気負っているのは七番隊の隊士、特に副隊長の射場であろうか。
それ以外にも何人か平子には思い当たる。
「隊長がおらんところの副隊長は見てられんからな。自分が何とかせんとと思うてる奴が多いわ。十番隊んとこの乱菊ちゃんくらいテキトーで丁度ええのに」
「あちらはあちらで『すぐにサボる』と日番谷隊長が嘆いていましたけどね」
「それくらいええやん。あんなごっついおっぱいした美人がいつも側におって贅沢言うなや」
雛森が耳にすれば即座に目を吊り上げかねないことを口にする平子に義壱は呆れると同時にいたく感心した。
無責任に見えて、気を張り続けることの危険性を彼は熟知している。
力を抜くべき時に抜かなければいつか人は壊れてしまうことを知っているのだろう。
一見、無遠慮で無責任なように見えるが、その実は相手の心を正しく見通し、それによって保つ距離や踏み込み方を自然と変えることが出来る思慮深い男。
藍染によって心に深い傷を負った雛森桃を癒し、心を開かせ、彼女に明るさや快活さを取り戻させたのは彼でなければ出来なかっただろう。
「って、おっぱいの話はどうでもえええわ。いや、おっぱいは大事や。どうでもええことあらへんけど、とりあえず置いといてやな」
「六車隊長の怪我でしたね」
「せやせや」
「六車隊長の怪我は大きく分けて三ヶ所。両腕の切断と服部の裂傷でした。正確には左腕は皮と僅かな筋肉が千切れずにいたおかげでぶら下がっている状態でしたが」
「右腕は完全に千切れ取ったんやな」
義壱は頷く。
「そして胸部から腹部に掛けては幾つかの裂傷。一際深かったのは腹部に真一文字に走る傷で、これは幸いと言うべきか背骨には達していませんでした」
耳にするだけで気が遠くなりそうな怪我である。
ふと、平子は気がかりを口にする。
「待ってくれへんか義壱。確か⋯副隊長の檜佐木は胸を刺されとった言うたな」
「はい。辛うじて心臓をそれはしましたが貫通する程の深手⋯傷口から見ておそらく背中から貫かれたのでしょう」
平子は口元に手を当てて、胸の裡に生じた違和感を探る。
拳西と檜佐木の怪我の具合。
発見された状況。
虚の死骸。
九番隊士達の怪我、そして遺体の状態。
「さっき運ばれとる九番隊の姿をちらっと見たんやけどな、齧られたり爪で引き裂かれたりしとったわ。けど、檜佐木の傷は刺し貫かれとった言うたな。それは他の連中とは違うんか?」
「おっしゃる通りです」
義壱は疲労の滲む顔で溜め息を吐く。
気の進まぬこと、しかし重大なことに自分が切り込んだのだと平子は察する。
「隊士達の傷は全てが虚によるもの⋯という訳ではありませんでした」
「つまり虚じゃない奴の負わせた傷もあったんやな?」
頷く義壱に平子は「やっぱりか」と呟く。
「まだ情報は伏せられているのに、何故お気づきに?」
「綺麗過ぎるんや。檜佐木をやった奴が正面でも背後からにしろ、致命の一撃を与えたのに、それ以外の外傷が殆ど無い。お前も知っとるやろ。虚の食い残しがどんなもんか。仮に腹が減っとらんくても連中は死者を弄ぶ。命を奪ったと思ってもや。命を奪ったと思ってそれ以上手を加えんのは獣やない、意思のある奴のすることや」
虚が現れたことは事実なのであろう。
それは虚の死体があったからというだけではない。
食い散らかされた死体。
噛みちぎられた傷跡。
並の隊士や席官では手を焼くような虚が現れたのは事実に違いない。
そして、それを倒したのは⋯
「虚を倒したんは多分三席か四席あたりやろ。住民が無事だったんがその証拠や。三席らが全減させられとったら今頃あそこは流魂街の住人の死体の山や。つまり大きな損害を受けながらも九番隊の連中は拳西達が来るまでも無く虚を倒しとった。せやけど、連絡が途絶えた。その連絡を受けた拳西達をやったんは虚ちゃう。少なくともあそこに転がっとったっちゅう死体の虚じゃないやろ。義壱、さっき自分千切れた言うたな。拳西の腕は切断やのうて千切れたって」
義壱が頷く。
「六車隊長の両腕は刃物による切断ではありませんでした。大きな力で千切られた⋯傷口の様子からはそうとしか思えませんでした」
平子は得心する。
隊長である拳西の治癒に義壱が当たるのは当然だと思っていた。
それは必ずしも身分が理由というわけではない。
治療の最中に患者が暴れ出すことは少なくない。
傷口の痛みに耐えかねて、闘争によって溢
れ出る脳内麻薬に興奮状態が収まらず、若しくは傷を負わされた怒りに我を忘れて。
仮に隊長格がそのような状態になった時に治療を行いつつ取り押さえることが出来るのは同じ隊長格しかいない。
しかし、理由はそれだけではなかったのだろう。刃物で切断したのではなく、無理矢理引き千切った傷口は組織の損傷がより大きくなる。速さが求められる中で、損傷の酷い肉体の治療を行うとすれば回道の腕からすれば副隊長の虎徹か三席の伊江村でも良いだろうが、隊長の治療となれば義壱が最も適任であろう。
「ですが⋯檜佐木副隊長の胸の傷と六車隊長の腹の傷については⋯」
「刀やろうな」
「⋯そうなるのでしょうね」
「どっちが先かはわからん。拳西がやられたことに動揺した檜佐木が背後からやられたのか」
「不意打ちを受けた檜佐木副隊長を庇った六車隊長が⋯」
「多分そっちやろな。拳西が卍解を使ったんは霊圧でわかっとった。卍解を使った拳西を正面から倒せる奴がその後でわざわざ檜佐木を背後からやる意味もなければ状況でも無いわな」
タン、と空の湯飲みを平子が音を立てて机に置く。
「いずれにせよ、拳西をやった奴はまだおる」
「狙いは何だと思いますか」
「拳西がやられてからの被害報告は外から上がっとらん。虚なら周辺が無事なわけあらへん。とすれば拳西が深手を負わせたからどこぞで傷を癒しとる⋯それか」
「虚でないのなら何処かに潜伏しているか」
「そういうこっちゃな」
平子も義壱もそこで口を噤んだ。
言うべきことを言い終えたこともあるが何よりも目の前に生じている事態の大きさにしばし圧されていた。
拳西の寝息以外には何も無い、重く暗い沈黙が広がる。
「他の患者の様子を見てきます。よろしければ平子隊長はゆっくり⋯というのもおかしいですが、六車隊長の側にいてあげてください」
「おおきにな」
ペこりと礼儀正しく頭を下げる義壱に平子は「同じ隊長なんやから、そないに腰低くせんで
もええよ」とひらひらと手を振る。
義壱が去り、眠り続ける拳西と二人きりになった部屋の中で平子は重たい溜め息を吐いた。
「ホンマにどうなっとんねん⋯」
義壱の言葉を思い出す。
拳西の腕の傷は千切れていた。
腹の傷は刃物で斬り割かれていた。
虚との戦いで腕をもがれた拳西を、刀を持った何者かが襲ったのか。
刀を持った何者かに深手を負わされた拳西を虚が襲ったのか、刀を持った何者かが只者ではないことは明らかだ。その只者ではない者と虚が居合わせたのは偶然とは考えにくい。
虚を操っていたとでもいうのだろうか。
そのようなこと。
「できんことない。そいつを一番わかっとるんは俺やろが」
嘗ての部下であり、怨敵を思い浮かべた平子は吐き捨てる。
「って⋯⋯あくびすなや逆撫」
差した斬魄刀が欠伸(退屈の気配を出すことを平子がそう呼んでいるだけだが)
するのを平子が嗜める。
ひねくれ者の嘘吐きであるこの愛刀は、藍染のように裏の顔を持つ者、腹黒い者、天邪鬼な者を同類と見なし面白がる傾向がある。
良く言えば素直な、悪く言えば裏表の無い単純な者を前にするとつまらないと思うのか露骨に退屈する傾向がある。
自分と真面目で礼儀正しい義壱との会話は逆撫にとっては退屈極まりない時間だったのだろう。
しかし、平子としては有意義な時間であった。拳西の容態を聞くことも出来た上に未だに発表されていない情報を聞くことも出来たのだ。
「義壱にはホンマに感謝やな」
長く十一番隊に在籍し、四番隊に異動したと聞いた時は大丈夫かと思った。
他の部隊から四番隊へと異動を申し出る者は珍しくはない。その多くは戦いによる恐怖を克服しきることが出来ず、それでも護廷の役に立とうと思い後方支援部隊に転属するというものである。
特攻部隊とも言える十一番隊から転属したと聞いた時、平子はまずその可能性を思い浮かべた。「逃げ」として四番隊を選ぶような男であれば隊長格としては相応しくない。そのような軟弱な心持を少しでも見出そうものならば例え卍解を会得していようとも隊首試験で落としてやるつもりであった。
しかし、実際に対面した横嶌嶌義壱という男は穏やかながらも決して軟弱な男ではなかった。
更木剣八や斑目一角といった十一番隊の顔とも言える男達のようような燃え滾る血気盛んな気性こそ無いが、太い竹のような強かとも言える強さを持っていると平子の目には映った。
同席していた砕蜂も同意見だったのだろう、彼女は義壱を隊長格に相応しいと判断することにいささかも躊躇を見せなかった。
隊長格を失った部隊の中でも特に医療を担う四番隊の隊長が真っ先に決まったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
いち早く四番隊が安定していなければ、この一年に渡って増加し続ける虚の出現や今回の事態に何処まで対応できていたのか。少なくとも被害はより大きくなっていただろう。
「平子隊長、ここにいらしたんですか」
「勇音ちゃんやんか。どないしたん?」
軽く息を弾ませながら、勇音が困ったように平子を見る。
といっても、気弱な彼女はいつも少し困っているように平子には見えているのだが。
「雛森さんが探してらっしゃいましたよ」
勇音の言葉に、思わず「あ!」っと声を上げた。
怪我を負ったという報告を受けて行先も告げずに私室から飛び出して行ったのだ。怒った時の雛森の恐ろしさと面倒くささを知る平子は顔色を変えてすぐさま立ち上がる。
「アカン、アカン!!桃にどやされてまう!!」
慌てふためく平子の様子がおかしかったのか、勇音はくすくすと笑ってから、拳西に目を向ける。
「六車隊長⋯もう大丈夫な様子ですね。さすがは横嶌隊長⋯丁寧な処置だわ」
「ようわかるなそんなこと⋯って義壱が治療しとるのなんか知っとるか」
ぽつりと呟いた勇音の言葉に思わず反応してから、何をアホなことを聞いてんのやろと、自分自身に呆れたように笑う平子に、勇音も微笑み返す。
「回道を使うと暫く霊圧が残りますからね。誰が治療したのかとか、どれくらい丁寧に治療したのかはわかるんです」
「初耳やわ。凄いやんか」
「ええ、流石は隊長です」
「そうやなくて、勇音ちゃんがや」
平子は言われて初めて拳西の傷口の回りを薄靄のように覆う霊力が義壱のものであると気付いた。
それほどに微かな痕跡を勇音は入室するなり一目で見抜いたのだ。
「やっぱり勇音ちゃんが隊長でも良かったと思うで俺は」
「そ、そんな、私なんて⋯」
照れたように頬を染めて、肩まで伸びた髪を指先でくるくると弄ぶ勇音を、
(なんやのん、めっちゃ可愛いやんけ)と感動にも似た想いで平子は見つめる。
ひよりやリサといった一癖も二癖もある女にばかり長年囲まれてきた心が癒されるようである。
若き隊士達から可憐と言われ絶大な人気を誇っている雛森にしても最近はすっかり生来の生真面目さとしっかり者ぶりに加えて良い意味で平子に遠慮が無くなってきている。
堅苦しい人間関係を嫌う平子からすれば好ましい傾向ではあるのだが、もう少しお淑やかでもバチは当たらないのではないかとも思う。
「っと、早ぅ帰らんと桃にドヤされてまうんやった」
「六車隊長のことでしたら大丈夫ですから。早く雛森ちゃんのところに帰ってあげてくださいね」
奥ゆかしくそっと手を振る勇音の可愛らしい仕草を堪能していたいという誘惑を振り切り、平子は病室を後にした。