「失礼する横嶌隊長」
「義壱邪魔するで」
「砕蜂隊長⋯それに平子隊長まで」
「真子でええて」
部下から上がってきた患者の治療報告に一つ一つ目を通し判を押していた義壱が、来客を目にして微かに目を見開いた。
四番隊執務室に隊長が姿を見せることは珍しいことではない。
しかし、それは大抵の場合が負傷した隊士を隊長が見舞う場合だ。その他と隔絶した実力故に、
隊長自身が怪我を負って四番隊に足を運ぶことは稀である。
義壱が僅かに驚いて見せたのは、二番隊と五番隊、共に現在四番隊で預かっている隊士がいない部隊の隊長が揃っていたからだ。
そして、
「一服してるとこ済まんな義壱」
「いえ、どうぞおかけください。珍しいですねお二人が揃って」
「フン⋯やむをえまい」
「連れへんな〜俺はもっとつるんでも構わんけどな」
「黙れ」
義壱が苦笑する。
彼が何より驚いたのは砕蜂と平子という組み合わせ故にだ。
砕蜂が浦原喜助や彼と親しくする平子真子達を嫌っていることは半ば公然の事実である。
義壱は二つ湯飲みを用意すると、一つに茶を注いで平子の前に置き、もう一つの湯飲みと急須を砕蜂の前へと差し出す。
その所作に砕蜂は小さく「ほぅ」と感心したように声を漏らす。
「なんや、義壱。砕蜂にも注いだれや。ハブられて可哀想やん」
湯気の立つ茶をひと啜りし、「おー、ヤクヨモギやん」と嬉しそうな声を上げていた平子が砕蜂の前に置かれた空の湯飲みをちらりと見る。
「馬鹿め」
「はぁ?」
「馬鹿めと言ったんだ。これだから心配りの出来ん男は」
「なんやのん。めっちゃディスられてるやん」
「心配り感謝するぞ横嶌」
急須の注ぎ口に手を添えて、微かに仰ぐ。ヤクヨモギの茶の独特の風味が微かに鼻を突く。
ゆっくりと湯飲みに注ぎ、湯気を軽く吸い込む。やはり変わらぬヤクヨモギの香りだ。
「いただこう」
「お口に合えばいいのですが」
「ヤクヨモギは嫌いではない」
唇を湿らせる程度に茶を口に含む。
舌の上に微かに薬草のような独特の苦みが広がる。不快さは無く、優しく懐かしさを覚えるヤクヨモギの苦みだ。
「⋯⋯美味いな」
「それはよかった」
「大げさなやっちゃなぁ〜〜さっさと飲んだらええのに」
「まぁまぁ、真子さん」
「ふん」
憮然とした平子を一瞥すると、砕蜂は素知らぬ顔で茶を啜る。
護廷十三隊の隊士であると同時に隠密機動である砕蜂は幼き頃より暗殺についても徹底的に教育されていた。他者から提供された飲食物を無警戒に口にすることは言語道断である。
義壱の振る舞いはそんな彼女に無用の警戒を抱かせることなく、同時に来客としての礼は示すというものであった。気が付けば礼節を弁えた隊長格が随分と減って久しい。細やかな気遣いをする義壱はそれだけで砕蜂には好ましく思えた。
浮竹、狛村そして卯ノ花。このような気配りが出来るであろう者達は皆あの戦で命を落としてしまった。
死が隣り合わせの世界で生きる者として、なすべきものの為に戦って散って行った者達を誇り、讃えることこそすれども、それを嘆くことは彼らへの冒涜に他ならない。
それを理解するが故に死者へ哀悼の言葉を口にすることは決してしない砕蜂であるが、このようにふとした瞬間に彼らの不在を感じてしまうのだ。
「アカンアカン、思わずまったりしてもうた。茶しばいてる場合やなかったわ」
「横嶌、先日の九番隊の件について確認したいことがある」
平子の言葉に、砕蜂も感傷を打ち切った。
「俺が先やろ」
「どちらが先かなどどうでもいいだろう。貴様は後だ」
「ぜんぜんどうでも良くないやん。めっちゃ優先してくるやん」
「真子さん、どちらのお話も伺いますから。とりあえず砕蜂隊長から伺います」
宥める義壱の向かいに座る勝ち誇ったような砕蜂の顔に微かにイラっとくるが、即座に( コイツめんどくさそうな奴から済ませる気やな⋯ )と納得する。
「続けるぞ。先日、九番隊の六車と檜佐木他数名の席官が死亡若しくは重体になっていた件についてだが、現場を確認したところ微かに草鞋の跡が確認出来た。虚が暴れたことと六車の卍解の影響で確認作業に時間がかかったが一つだけわかったことがある」
ヤクヨモギの茶を一口飲み、喉を滑らせると砕蜂が続ける。
「現場には一つだけ他とは違う跡があった。一回り小さな草鞋の跡だ」
「子どもか女って言いたいんか?」
「現場にいた九番隊の隊士たちは全員が男だった。そして⋯」
「流魂街の民に草鞋を履く者はまずいない…」
義壱の言葉に砕蜂が頷く。
「子どもと呼べる年齢と体格の隊士は確かに護廷には何名か在籍している。しかし、いずれも見習いと呼んでも差し支えない立場の者ばかりだ。席官が出動する現場に足を踏み入れることすら難しい」
「そうなると女っちゅうことか。それもちっこい」
「そう考えるのが自然だろう。そもそも、不意打ちであれ、消耗している状態であれ隊長格を含む手練れを相手にあれほどの傷を負わせることが出来る者など限られている」
「まだその草鞋の跡がそん時のもんやっちゅう証拠は無いやろ。義壱、恋次から連絡受けて拳西達んとこに来てくれた四番隊の奴らに女の子はおったか?」
「ええ。ウチの咲良さんが向かいましたね。他にも数名、回道の腕が立つ子達は男女問わず。現場にいたのは恋次でしたから、戦闘力の大小は余り考慮には入れてませんよ」
平子は「ほらな」と言いたげに砕蜂を見る。軽薄で胡散臭い振る舞いに誤魔化されがちであるが、平子真子程に仲間想いの男は護廷においても数える程しかいない。
必要とあれば警戒を怠らない用心深さと思慮深さを持ちながら同時に出来る限り仲間を信じ守りたいと思うのが平子という男だ。
「可能性の話をしている。そして可能性は吟味されるべきだ」
「おっかない顔してるでお前」
うんざりしたように溜息を吐く平子は一息に湯飲みを空ける。
「そういや、その咲良ちゃん言う子は今はおるんか?」
「彼女は昨夜の内に流魂街に。十番隊の地区で虚が暴れているらしく、救護に派遣してまだ戻ってませんね」
「なんやまたかい。忙しないのう」
「横嶌、咲良というのは咲良葵四席のことで間違いはないな?」
「そうですけど⋯」
「席官が呼ばれるってことはまた怪我人か。それも相当厄介そうやな」
「ご名答。十番隊の席官他隊士達が複数名重軽傷を負った様子で。虚自体は日番谷隊長が倒されたそうなのですが⋯」
日番谷冬獅郎の力量を以てすればまず虚に後れを取ることは無いであろうが、逆に言えば日番谷自身が手を下さざるを得なかったことになる。
更木剣八のように日番谷は戦いに好んで身を投じる質ではない。
隊士達の怪我の度合いと治療に当たる四番隊士自身の力量を考慮したのであろう。
「それで、咲良さんがどうかしましたか?」
「いや、気にするな」「するやろそのフリは」「黙れ」
怪訝な顔の砕蜂に平子が茶々を入れる。
口にこそ出さないが、義壱も同様の気持ちではあったが、これ以上今は話すつもりが無い破蜂の様子に視線で平子に報告を促す。
「義壱、瀞霊廷に虚が出たで。今朝方やけどな⋯まだ一刻くらいしか経ってへん」
「何?そんな報告受けていないぞ平子!!」
「そらそうやろ。まだ京楽さんにしか言ってへんもん」
「貴様⋯」「まぁまぁ、砕蜂隊長。今朝のことじゃ流石に隊首会を開く訳にもいきませんし」
「チッ⋯ウチに報告が上がっていないということは、既に貴様の隊で処理をしたということか」
「処理言うても到着した時は跡形も無かったけどな」
「どういうことですか?」
「言葉の通りや。斬った後に鬼道で消し飛ばして終わりや」
「念には念を入れたということですか。さすがは真子さんの部隊ですね」
「せやな。俺かて驚いたわ。そこまで徹底するとは思ってへんかった⋯三番隊とおんなじや」
義壱の称賛に平子は浮かない表情を浮かべる。
「何か引っ掛かることがあるようだな平子」
「こないな事態になって、虚の死体をなんで残さへんのやろって思うてな。虚を消し飛ばす鬼道なんて瀞霊廷内で撃てば建物は壊れるし、狭い場所で使えば仲間に被害が出る可能性もある。虚を検分したいと万が一に言われるかもしれへんから死体残しとこと誰かが思ってもええやろ。俺らは虚が現れた痕跡を焼け跡と虚の残骸で確認する程度や」
「隊士達の行動が一貫していると考えてるんですか?」
義壱が一口茶を啜る。
「三番隊と五番隊、異なる部隊の隊士達が似た行動を取っていることがおかしいと」
平子は手ずから湯飲みに茶を注ぐと、温くなりつつあった茶をごくごくと喉を鳴らして飲み干す。
すっきりとしたヤクヨモギの苦みが澱みそうな気持をわずかに晴らしてくれる。
「不審っちゅう程のもんやない。たったの2件で一貫性もへったくれもあらへん、単なる俺の勘や」
「聞けば三番隊の方は年若い一般隊士が虚と交戦したと聞いている。経験が浅い故に加減があ
すぎてしまうのは未熟な隊士には珍しいことでもあるまい」
砕蜂の言葉にも一理ある。
実戦経験が乏しい隊士程虚を侮って仕留め損なうか、或いは必要以上の力を以って倒すか、いずれも珍しいことではない。
前者は虚を逃すか反撃に遭い命を落とすことが多く、後者は体力の配分を誤りジリ貧になることがある。
砕蜂からすれば、未熟者が矮小な力を過信して虚を逃がすなど愚の骨頂であり、逃がした虚によって新たなる犠牲が生じるくらいならば徹底的に叩くべきであると考える。
重たい沈黙が隊首室に広がる。
義壱が空になった急須に新しい茶葉を入れ熱い湯を注ぐ。
ゆっくりと茶葉を蒸らしながら徐に口を開いたのは砕蜂だった。
「虚に対処した隊士達は何と?」
「それがなぁ⋯」
平子が苦み走った表情を作る。
「若くて筋もええけど、何せクソ真面目な奴でな。『しかるべき対処をしました』て言うとったわ。死体を残そうと思わんかったんかって尋ねたんやけど、『そのようなご指示は無かったので。確実に逃さないようにしかるべき対処をしました』ってな。心強いっちゃ心強いんやけど遊びが無いっちゅうーか」
「馬鹿者。遊びなど不要であろうが。その隊士の対応は護廷の隊士として当然だろう」
「んん〜〜そうかもしれんけど、なんかちゃうんやわ。義壱は知っとる奴かもしれんげど、そいつ流魂街で虚が出た時に死にかけとってな。四番隊で世話になったんやけど、それからちょっと人が変わったいうか、思い詰めた顔するようになってな」
「虚に対して過敏になっているのかもしれませんね。死にかけることが心の傷になって剣が握れなくなる人もいれば、死を間近に感じた恐怖を振り払うように苛烈に剣を振るう人もいます。その隊士も或いは⋯」
「トラウマっちゅうことか」
隊士の顔を思い返しているのか平子は眉間に皺を寄せる。伏せられた瞳は痛ましげに揺れている。
部下想いの平子からすれば年若い隊士の心情を慮らずにはいられないのだろう。
砕蜂は不機嫌に顔を顰めている。
自他共に厳しい彼女から見れば心の傷から逃れようとする隊士も、そんな隊士に心を痛めている平子も共に「軟弱」と映っているのかもしれない。
しかし、それを口に出して侮蔑する程薄情な女でもない。
故に石のように口を閉じているのだろう。
「さ、お茶が入りましたのでどうぞ」
重くなった空気を払拭するように義壱が淹れたての茶を注ぐ。
既に砕蜂が気にせずに茶を飲むことを確認しているから、彼女の湯飲みにも注いでやる。
( 気ぃ遣いしぃやな )と呆れつつ平子はすぐに熱々の茶を遠慮なく啜る。
こんな奴があの十一番隊でよくやってこれたものだと感心すらする。
「それで、こちらにいらした要件についてまだ伺っていませんでしたね。砕蜂隊長は咲良さんに用事があったということでよろしかったでしょうか」
「ああ。咲良四席にはいくつか確認したいことがある」
「うわ⋯咲良ちゃんのこと疑っとるんか」
「草鞋の大きさは女子供のものだと言っただろう。女子供で席官となると数は絞られる」
「あんまイジメんなや」
「まだ参考人という扱いだ。手荒い尋問などはせん。貴様は黙っていろ」
義壱から湯飲みを受け取った砕蜂は平子に一瞥もくれることなく吐き捨てる。
そっぽを向く砕蜂に見えぬ位置からべぇと平子が舌を出す。
本当にある意味で仲が良いなと義壱は思わず苦笑する。
「俺の方は例の三番隊の現場におった隊士もウチのと同じようにここに入院しとった奴やないか確認させて欲しいわ。場合によってはローズの奴からフォロー入れさせんとアカン」
湯飲みを見下ろしながら、平子が目を眇める。
「それとな、ここ数日行方不明になった隊士がおる」
「何だと⋯?」
「本当ですか?」
砕蜂と義壱の顔色が一変する。
「アホか。冗談でこないなこと言うか」
平子を前に死神が消失する事件と聞いて、魂魄消失事件を思い浮かべない死神はいない。
110年以上前のことであるが、それの発端となった男が起こした争いと混乱の爪痕は今もなお生々しく残っているのだ。
少なくとも、砕蜂にとっては最も大切な人物が自分の目のまえから姿を消した大事件である。思い浮かべないはずがない。
「そいつらが足跡を消したんは虚が瀞霊廷に出てからや。そいつらも数ヶ月前に虚と戦って大怪我しとる奴らや。どんな状況やったか確認したい」
「行方不明⋯初めて聞きました」
「これも総隊長にしかまだ言ってへん。ローズんところも同じや。吉良の奴が調べてわかったらしいけどな」
「吉良君が⋯」
「何やらきな臭くなってきたな」
張りつめた空気を紛らわせるように、義壱は熱い茶を一口飲む。
熱いヤクヨモギの苦みが喉を通してゆっくりと胃へと降りていく。
瞬間、針で刺されたような強烈な痛みが義壱の胸に走った。