「薬と相性の悪い食べ物というものがあるのはご存知ですか?」
四番隊三席伊江村八十千和は目の疲れを和らげるように眉間を揉み解すと、眼鏡を掛け直した。彼が腰掛ける椅子のすぐ傍に置かれている寝台には、彼の上官である四番隊長横嶌義壱が横たわっている。
和紙のように真っ白く血の気を失っていた整った顔は微かに顔色に赤みを帯び、弱々しく不規則に乱れていた呼吸は落ち着き、今は穏やかな寝息を立てている。
「薬を酒で飲んだらアカンとかそういうやつか」
「一例ですがその通りですね。薬の効果を下げるものや、下手をすれば副作用を招くケースもあります。ヤクヨモギもそれに該当します」
「茶やろ?義壱は特になんも薬なんて飲んでへんかったで」
伊江村はかぶりを振る。
「ヤクヨモギとは薬草です。疲労回復と一般的には言われていますが、正確には消化を促し、胃もたれを改善するために処方されるものです。味自体も好まれるようになってから粉末にして餅に練り込んだり、煎じてお茶にするといった使われ方をするようになっただけで。そして、ヤクヨモギを煎じたお茶は一般の店では販売されてはいません」
「そういや店で見かけんな。ガキの頃祖母ちゃん家で出されたことはあるけど」
義壱に出された時は懐かしさにただ心が和んだものだったが、よくよく記憶を手繰ってみると平子には店で購入した思い出は無い。
祖母の家で出された饅頭を好んで食べていただけだ。味に独特の苦みがあり、子どもや若者が足を運ぶ菓子屋や甘味処には中々置いていないだけかと気にも留めていなかった。
「ヤクヨモギは煎じ方によってより濃い味わいのお茶になり、効果もその分上がります。ですが、ヤクヨモギのお茶は特定の草花や木の実を使った食物と一緒に食べた時に著しく体調を崩すことがあるのです」
「食い合わせが悪いみたいなもんかいな」
「あながち違うとも言い切れませんね」
鰻と西瓜、天ぷらと西瓜、蕎麦と茄子、蕎麦と柿。
消化不良を起こすとして食い合わせが悪いと言われるものはいくつもある。
「単なる食べ合わせが悪いだけならばそこまで問題ではなかったでしょう」
「何があったんや?」
含みのある言い方に平子が眉を顰める。
「先程ヤクヨモギを使った餅やお茶は市販されていないとお話ししましたが、『現在は』売っていないと言うべきでしょう。昔は売っていたと聞きますが、現在では販売は禁止されています。先ほど申し上げた特定の草花や木の実を使った食物と一緒に食することで体調不良に陥る者が続出したからです。しかも死者が出る程の」
「⋯⋯何?」
ぞわりと平子の背筋が総毛立つ。
それが事実であるならば食い合わせが悪いなどという呑気な話ではない。
「殆ど毒やんけ⋯」
思わず零れた平子の呟きに、伊江村は肯定するように頷く。
「ヤクヨモギとは薬蓬と書きます。栽培も加工も然程難しく無く、それでいて効果は高い。平子隊長のご祖母堂のように昔は民間でも栽培され、茶菓子やお茶として好まれていたのもその為でしょう。しかし、死亡者が続出するようになってからは一般に出回らないように護廷自らが働きかけた⋯と記録にはあります」
(卯ノ花さんの頃かいな)
「年々菓子の種類も増えてきて、初めて分かったっちゅうところか」
「おそらくは」
時代と共に成分が解析され、効能以上に危険性が発見されることによって市販を禁じられるようになる薬品、栽培が禁止された植物、食べられなくなる食品は数多くある。
文明の進歩とは、食物の進歩でもある。
昔は調理方法が確立されていなかったために食材として認識されていなかった物が広く普及することもあれば、危険性が立証されたり数を減
らしたために気付けば一般の食卓から消えたものもある。
「横嶌隊長の胃を洗浄したところ、固形物は特に見つかりませんでした。しかし、先ほど申し上げた特定の食品の中に一つだけ消化後にも効果が体内に残るものがあるのです」
伊江村が視線で指し示したのは、皿の上に乗った薄紅色の大福餅だ。
何の変哲もない大福の皿が証拠物品のように透明なケースに入れられているのは何処か滑稽に見える。
大福の数は二つ。
微かに粉の形跡から元々は四つあったのだろう。
「蜜桜の大福です。ヤクヨモギの茶と一緒に口にすることを禁じられているお菓子の一つです」
「蜜桜?」
「血桜の花びらを蜜に漬けた物を用いて作る茶菓子です」
「ほう、何やら手の込んでそうな菓子やな…で、それが咲良ちゃんとやらを拘束するんと関係があるんか」
「昨夜、彼女が調理室で蜜桜の大福を作って隊長に差し入れをしているのが確認されています」
「結果としてそうなったかもしれんが、悪意があったかなんてわからんやろ。慕っとる隊長に夜食の差し入れするなんて珍しい話やない。つーか、あの子だけが差し入れたとも限らんのやないか?」
咲良葵という死神の名は知っていた。
一見すると可憐な少女であるものの、回道のみならず斬拳走鬼に優れた女傑だと聞く。
雛森桃以来の鬼道の才能の持ち主で、真央霊術院を卒業と同時に席官となった才女。
昨年には隊長に就任した横嶌義壱に代わり彼の就いていた四席に任命された優秀なな死神。
四番隊でありながら斬術の鍛錬を怠らず、他の部隊の席官とも互角以上に渡り合うとも聞く。
そして、隊長である横嶌義壱を一途に慕う乙女であるとも。
「せめて話聞くとかでもええやろ。隊長格ならともかく、四席なら最悪暴れても抑え込める」
知らず知らず、平子の声に棘が含まれる。
伊江村が悪いのではない。そのことは平子としても十分理解している。
彼は平子の呼び出しにすぐさま駆けつけ、平子達の目のまえで突如胸の苦しみを訴え倒れた義壱の措置を迅速に行っただけだ。
義壱を救護室に運び、解毒措置を行い、症状から原因を解明し、それを説明した。
ヤクヨモギの茶と反応する可能性のある食物の中から最も可能性の高い物を挙げ、それについての裏付けを他の隊士達から取った。
刑軍に葵を拘束するよう命を下したのは砕蜂だ。
それでも葵のあの姿を目にした平子には伊江村の有能さ、ある種の融通の利かなさが小憎らしく思えてしまう。
十番隊と共に毒霊廷に帰還したところを、刑軍によって半ば捕縛のような形で拘束されているのを平子は見ていた。
初めて目にした咲良葵という少女は話に聞く以上に華奢で可憐な少女であった。
剣よりも花でも手にしている姿の方が様になるような、死覇装を身に纏っていなければ友人と恋話に夢中な年ごろの少女にしか見えないだろう。
何が起きているのか理解が出来ないのか、凍り付いた表情のまま刑軍に連れられて行く姿の余りの痛々しさに平子は思わず目を背けたくなった。
隊長を一途に慕い、そして策謀に巻き込まれ翻弄される少女のようで、つい己の副官の姿を重ねてしまったのだ。
「⋯あくまで咲良四席の可能性があると言っているだけです。平子隊長が仰るように他にも隊長に差し入れをする隊士がいる可能性も勿論あります。事実、横嶌隊長は…まぁ、女性隊士に人気のある方ですので、差し入れをする隊士も咲良四席だけではありません。ですが、今回の件に関してはやはり咲良四席の可能性が非常に高いと言わざるを得ません」
「言い切るやないか」
「この蜜桜の菓子は数が少なく調理に手間もかかるため、高級茶菓子の一つとして主に貴族に食されているものです」
俺が知らんわけや、そう言いたげに平子が呆れたようにため息を吐く。
隊長格ならば食べられないことは無いだろうが、そのようないかにも高貴な食べ物然としたものは平子の好むところではない。
「蜜桜は血桜の花弁を蜜に漬けた物を用いるのですが、この血桜というものを知って、それを菓子に用いるのを知っているのは貴族階級、若しくはそのお抱えの店の者くらいしかまずありえません。少なくとも隊長がご存知ではなかったように、護廷の者であっても知っている方は限られているでしょう。薬学を修めた者の多い四番隊の者であっても記録として名称を知っている程度です」
「なるほどな。どうりで」
砕蜂は下級とはいえ貴族である。それに加えて暗殺術に精通している隠密機動の長である。
故に彼女は伊江村が蜜桜の名前を出した時点で顔色を変えたのだと今更に納得する。
平子には食べ合わせの話に聞こえても、彼女には特別な伝手を用いた毒殺に聞こえたのだろう。
「けど待てや。それじゃ咲良ちゃんは」
「彼女は貴族の出身です」
「咲良⋯そうか、聞いたことある思うたらあの『朔夜家』の分家筋か」
「あまり知られた家ではないので、彼女を貴族と知る隊士は限られてはいますが」
平子の表情が苦いものになる。
状況だけを見れば限りなく黒に近い。
並の隊士がおいそれと手に出来るものではないのだから。
しかし、妙な違和感が平子の中に揺蕩っている。
「咲良さんはそんな子じゃありませんよ」
小さな掠れた声が重たい沈黙の中に響いた。
「義壱⋯起きとったんか」
「今さっきですけどね」
「ああっ!隊長まだ起きては⋯」
「ありがとう伊江村さん。もう大丈夫だから」
「全然大丈夫いう顔してへんで」
「真子さん、咲良さんは⋯」
「拘束されとる。言うてもまだ疑惑の段階やし席官相手やから手荒なことはしてへはずや」
青白い義壱の顔を平子はじっと見下ろす。
「咲良さんは暗殺なんて真似をするような子じゃありません」
「ですが、隊長が召し上がったのは彼女が用意されたものでしょう?」
「そうです。けれどそれだけで彼女の殺意を証明することは出来ないはずです。偶然ということだってありえる、そうでしょう?」
鳶色の瞳は伊江村ではなく、問い掛けるように平子を真っすぐに見つめる。
「随分擁護するんやな。あの子はそんなにええ子なんか?」
「少々一本気過ぎるところがありますが、素晴らしい子ですよ。気が強くてたまにやり過ぎてしまうこともありますけれど」
そう言って苦笑を浮かべると、義壱は伊江村の静止も聞かず隊長羽織を探し始める。
そっと平子は傍らに立て掛けた逆撫に触れる。義壱に逆撫は何の反応も示さない。
( 嘘一つ無い⋯そんだけ信じとるんか )
ふらつく身体を押して、立ち上がる義壱は恐らく葵の拘禁を解くように掛け合うつもりなのであろう。
平子は目を細めて小さく笑う。
「しゃーないな。俺も付き合うたる」
「真子さん?」
「咲良ちゃん解放してもらう気なんやろ」
「……ありがとうございます」
「部下を信じるのも隊長の役目やからな。お前は当たり前のことしとるだけや」
平子と義壱が葵の拘禁を解くように砕蜂に掛け合っている頃のことであった。
瀞霊廷内で虚が再び出現した、それも多くの隊士を殺傷されたとの報が護廷を駆け巡ったのは。