瀞霊廷内の各所にて、虚の如き化生へと変化した隊士を隊長格達が鎮圧していた頃、四番隊副隊長虎徹勇音は二番隊舎を訪れていた。
隊士が変貌を遂げた化け物への対応に各隊の隊長格が対応することで瀞霊廷は俄かに慌ただしくなってはいたが、その事態を免れた部隊もあった。
その隊の一つが二番隊である。とはいえ隊長である砕蜂が暇を持て余している訳ではなかった。寧ろ業務の煩雑さでいえば他部隊の隊長よりも忙しないとさえ言える。
先般より発生している事態、流魂街へ偵察に派遣していた裏廷隊より回ってくる報告、過去に同様の事態が起きた可能性のある地区の調査に関する報告、事に当たった隊士達へ行った調書(加えて聴き取りを行った隊の隊長からの見解も)の確認に目を通さななければならぬ彼女は休む間も無かった。(といっても、より細かく面倒でしかない事務作業については副官の大前田がその多くを押し付けられているのだが)
そのような中で四番隊副隊長の訪問は、作業を中断されたことへの微かな苛立ちを砕蜂にもたらさなかったかと言えば嘘になるだろう。
これが犬猿の仲である平子(砕蜂が一方的に敵視しているだけだが)であれば部下に命じて門前払いをさせていただろうが、実直で職務に忠実な勇音の訪問とあれば無下にする訳にもいかない。
何より四番隊士からの報告であれば尚更であろう。
故に、苛立ちはほんの一瞬のことで、砕蜂はすぐさま部下に丁重に勇音を招くように指示した。
「ご多忙の中、急な訪問にもかかわらずお時間を取っていただきも申し訳ございません」
「構わん。虎徹副隊長が事前連絡も無く来るなど余程のことであろう」
夜一が隊長の頃は鷹揚に座椅子にもたれ掛り列を成して控える隠密機動の隊士達を睥睨していた板間で砕蜂と勇音は向かい合っていた。
夜一の頃と異なるのは座椅子ではなく砕蜂もまた勇音同様に座布団に正座している点であろう。背中に真っすぐな鉄の棒を突き立てているかのように砕蜂の背筋は些かの緩みすら無い。両膝に手を置き、ただ正座しているだけであるというのに、一振りの刀が据え置かれているように勇音には見えた。
それも一たび抜き放たれればつるりとした軌跡を描き、するすると臓腑を音も無く裂くしなやかな刀だ。
瀞霊廷に起きている事態に関する調査と瀞霊廷内での警護等への対応に連日追われていることが生来砕蜂の持つ鋭さを否応にも研ぎ澄ませているのかもしれない。
ふつふつと粟立つ背筋を改めて伸ばし、緊張故にカラカラに乾いた喉を無理やりにも湿らせる。
「咲良四席の拘束を解いていただけないでしょうか」
砕蜂はぴくりと片眉を吊り上げる。
「横嶌と平子もついさっきその件で来ていたが、追い返したばかりだ。根拠は咲良四席への人格面に対する判断でしかなかったからな。しかし、虎徹徹副隊長は違うようだな」
勇音はゆっくりと頷く。長い睫毛が緊張で微かに震える。
「咲良さんにはあのタイミングで横嶌隊長にヤクヨモギを用いての暗殺企てることは難しいと思われます」
「根拠は?」
「横嶌隊長がヤクヨモギの茶を飲用した時刻から逆算すると、四時間前には血桜を摂取していなければおかしいことになります。しかし、胃の内容物に固形物は確認されませんでした。咲良四席が蜜桜の大福を差し入れたのは前夜の九時頃と証言にもあります」
「食物を消化しても血桜の成分は残るはずだったが?」
「はい、そのまま血桜を摂取する場合は効果が持続するのは確かに七から八時間なので、飲食物を消化してからも効果は残ります」
蜜桜にすると効果が増すことは砕蜂も知っていた。
蜜に漬けることで血桜の風味と共に広くは知られていない毒素(といってもヤクヨモギのような特定の物と合わせない限りは毒の効果を生じぬままに消化されてしまうのであるが)はより強くなる。嘗てはこれをそのまま蜜漬けとして茶菓子に添えヤクヨモギの茶と共に出すことが暗殺の手段の一つであったと砕蜂は過去の文献で目にした記憶がある。
それは彼女が隠密機動の訓練を受け始めた幼き頃であったことからもかなり古い手法であったのだろう。今程に腑分けの技術も分析する環境も無い時代の話だ。当時の暗殺のケースの多く
茶からも菓子からも毒物が検出できず突然の体調不良による死亡と記録していたとしても無理からぬ話であった。
「ただ…蜜桜にしたものを加熱すると効果が増す代わりに持続時間が短くなります」
「何?」
予想外の言葉に砕蜂の切れ長の瞳が僅かに見開かれる。
「咲良四席の作っていたお菓子を調べたのですが、薄紅色の大福だから粉末を餅に混ぜ込んだのかと思っていたのですが、蜜桜が入っていたのは餡子の方でした。小豆と煮込んだものを用いているのでしょうねおそらくは」
僅かに砕蜂は面食らったような顔になっていた。
菓子の作り方など彼女の想像の埒外であったのだ。加えて調理方法によって効果が変わることなど想像だにしていなかった。料理とは無縁の彼女にすれば血桜の花弁を蜜付けとして出そうが、大福やら饅頭やらの材料に用いようが同じようなものだと考えてすらいた。
「血桜の花弁は過熱すると風味と共に毒素も増しますが、その分効力も早く切れるようになります。三時間⋯長くても四時間程でしょうか」
「横嶌が私の目の前で倒れたのが九時頃だったのを考えれば最低でも五時頃には食べていなければおかしいということか」
「咲良四席は十番隊からの要請を受けて流魂街に着いた時点でまだ日付が変わる前ですから、残った菓子の数から見ても横嶌隊長が蜜桜の大福を食べたのはそれよりも前」
「…咲良四席には少なくとも横嶌に意図して血桜を食べさせることは出来ないな」
顎に手を当て、砕蜂は探るように言葉を転がす。
義壱がヤクヨモギの茶を好んでいることを知っていればヤクヨモギを摂取することは想像に難くないが、残りの大福を食べる保証はどこにも無い。
目の前で大福を食べながら茶を啜ったとしてもおかしくはない。そうなれば現場の第一発見者である自分への疑いが向くことは当然の成り行きである。
義壱の暗殺を目論んでいたとすれば、杜撰にも程がある。
それでも、状況的に葵以外に特定出来る者がいなかったのだから彼女の拘束は止むを得ない措置だっが、その前提は崩れた。
義壱が倒れた原因も、仮にそれが誰かによるものであればそれが誰なのかも依然として不明なままだが、少なくとも葵を拘束するだけの理由は無い。
「⋯⋯⋯考えが至らなかったな⋯」
故に、感嘆の溜め息と共に砕蜂は唇を固く結ぶ。葵に対して疑いを掛け拘束したことへの罪悪感よりも、そこまで考えが至らなかった己の無知を恥じ悔しさに歯を噛む。
「それを言われたら私達の方こそ不甲斐ないです。四番隊の者が揃って気づけないなんて⋯卯ノ花隊長がいたら⋯」
「隊長の横嶌すら気付けなかったことに気付き仲間の為に一人此処へと赴いた。それを誇りこそすれ恥じ入る必要はあるまい。卯ノ花隊長の薫陶をしかと受けているではないか」
むっつりとしたまま砕蜂が腕を組む。
「反省すべきは短慮だった私と、四番隊長であるのにも関わらず迂闊にも毒物を口にした横嶌の方であろうよ」
苦み走った表情になる砕蜂には申し訳ないと思いつつも、勇音は微かに唇を和らげて、泣きそうに笑う。
不器用ながらも砕蜂の気遣いに胸を突かれたこともあるが、敬愛し続けている上官との絆に言及されたような言葉に胸がいっぱいになったのだ。
砕蜂はすっかりぬるくなった茶を一口啜ると、
「現状、横嶌を昏倒させた事件については不明なままである以上咲良四席を完全な潔白とすることは出来ないが、彼女を拘禁する理由は存在しない。すぐにでも四番隊舎まで送らせよう」
噛んで含めるようにそう言葉にした。
「あ、ありがとうございます!」
「礼などいらん。流魂街のみならず瀞霊廷が怱々としている現状、四番隊が十全に機能しないのは護廷全体にとっても大きな痛手だからな」
そっと勇音から視線を逸らしながら砕蜂は素っ気なく言うが、それが彼女なりの気まずさ、申し訳なさ、或いは照れ隠しの表れなのだと勇音は薄っすらと察した。
そして、勇音のその思い至った結論は正しくその通りである。
大きな瞳を潤ませ、感極まったように礼を述べる勇音を前にして不器用な女隊長はむず痒さとも気恥ずかしさとも取れる感覚に些か居心地を悪くしていたのだ。
敵意、害意、悪意、叛意そして殺意といった感情に対しては過敏であり、且つ豪胆に受け止めてみせる女傑であっても、面映ゆくなってしまう程の裏表の無い感謝や好意には不慣れであった。それは、幼き頃より殺伐とした裏の世界で育ち、体躯に恵まれた男達と対等以上に張り合い、這い上がって来た砕蜂にとっては致し方がなかった。
自分とは色々な点で真逆の勇音の少女のような可憐さと素直さは屈強な男どもから向けられ続けてきたドロリとした負の感情よりも遥かにまごつくものなのである。
結果、暫くの間二人の間には何とも言えないくすぐったくなるような空気が流れることになった。
この場に平子がいれば「あぁ〜痒、痒いで。砕蜂なに柄にもなく赤くなっとんや」と茶化していただろう。
こうして、勇音の嘆願により咲良葵は晴れて拘禁を解かれることとなった。
総隊長の京楽より緊急の隊首会が各隊に通達されることとなる数刻前のことである。
隊長になった勇音がどストライク