荘厳且つ重厚な造りの建造物。
過去千年を超える月日に渡り君臨し続けた最強の死神たる山本元柳斎重國の威光と武名故に神々しさよりも威圧感、物々しさを漂わせる
それは総隊長の隊首会が行われる一番隊舎である。
見えざる帝国の侵攻の際に半壊した名残は既に無い。
復興の際、真っ先に修繕された一つがこの一番隊舎である。
一番隊長であり総隊長である京楽春水は隊首会が行われる一番隊舎にて、揃っている隊長格へと視線を向けた。
未だ隊長が空席となっている七番隊、十三番隊のみならず九番隊長が立つべき場所もぽっかりと空いていることに僅かに痛ましげに目を細める。
だが、感傷が京楽の瞳に浮かんだのはほんの僅かなことであった。揺らぎとすら呼べぬ程の微風程度の感情の羽音に気付いたのは傍らの伊勢七緒だけであった。
「忙しい時に急に呼び立ててしまってすまないね」
「隊首会と聞いたが⋯朽木と横嶌しかいないじゃないか」
個性的な者が多い護廷において、規律に厳しく、隊務に実直な朽木白哉と横嶌義壱が刻限前に到着していることは何ら不思議なことではない。
刻限を守らない隊長格がいることがそもそも問題であるが、それはさておき、いい加減極まりない平子真子や鳳橋楼十郎とて隊首会に堂々と遅刻をする程ではない。隊長不在の七番隊であれば射場鉄左衛門が隊舎の前に控えていてもおかしくはない。少々しかつめらしいところがあるものの。上下関係に厳しく、上の命令に忠実である男である。その男の姿も見えないことがより一層砕鋒の疑問を掻き立てる。
不機嫌、不審、不服を隠さない砕蜂を気難しい猫を見るように微笑ましますら感じつつ京楽は白哉へと視線を移す。
我関せずとばかりに瞑目していた白哉がその視線に気づいたのか、涼やかな眼を開く。
「貴族の屋敷で起きていることについてか」
質問というよりも、確認事項を口にするような語気に「やはり知っていたかい」と京楽もまた確認事項のように静かに呟く。
「貴族の屋敷だと…朽木どういうことだ」
白哉と京楽の僅かな言葉のやり取りから不吉な空気を嗅ぎ取った砕蜂は、その不吉さ故に自然と声を固くする。
疑問を口にしつつもその表情は既に大凡察しがついているものである。
「総隊長…どうして僕らだけを呼ばれたのかご説明をしていただけないでしょうか」
あと少し放っておけば白哉に詰め寄りかねない程に前のめりになる砕蜂を哀れに思ったのか、それとも小さな背中越しにも伝わる苛立ちと焦りに早々に話を進めた方が良いと感じたのか、言葉こそ丁寧ではあるが小さな不満を滲ませた話気で義壱が問う。
「ああ、ごめんよ義壱君。今回君たちを呼び出したのは今さっき朽木隊長が言った通りのことさ。瀞霊廷には貴族の屋敷があることは知っているね?」
「瀞霊廷で起きていることは既に知っているね?同じ事態が貴族の邸宅でも起きているんだよ」
「件の異形化か。異形化したのは死神か?」
「護廷隊士には貴族の子弟もいることは知っているだろう?以前より流魂街の事件で負傷していた隊士らしいんだけど、その頃から自宅療養を取っていた隊士が異形化したようだね。そちらは既に討伐されたのだけれど、随分と死傷者が出ていてね」
「回りくどいぞ。端的に言え」
ぴしゃりと砕蜂が刃物のような声で遮る。
自宅療養の言葉の時点で砕蜂の瞳には既に軽蔑の色が浮かんでいた。白哉も露骨なものではないもののその瞳は呆れたような冷たいものである。
護廷隊士に貴族の家の者は確かにいる。しかし、一度護廷に入隊した以上は命と誇りを賭して護廷のためにその身を捧げることは護廷の隊士としての義務ですらある。そう信じて疑わぬ砕蜂や白哉にとっては、任務で怪我を負うことなど当然のこと。それがわざわざ実家に戻り療養するという行為は自立が出来ていない貴族の子としての甘えが抜けていない振る舞いとしか映らなかった。あまつさえ、それによって家族に影響を被害を与えるなど言語道断の愚行である。
「ここからが不味くてね。負傷した貴族の中にはなかなかのお偉方もいたんだよ。四十六室の候補に上がっている家の者もいる程にね」
京楽の表情からは面倒さにうんざりしていることが如実に窺える。貴族の血が流れてしまったことへの嘆きといった殊勝なものは一切見られない。ただ、ただ、そこに付随する厄介事を煩わしく思っているだけだ。
「で、貴族の当主が子息が治療に行くのは真央施薬院な訳だけど」
「端的に言えと言っただろ」
「はは、ごめんごめん。そうだね、端的に言えば真央施薬院が占拠されたね。不幸中の幸いだったのは、入院中だった患者の何割かは総代の先導で逃がせたらしいけど。依然として半数以上の患者達は囚われたままだ」
「何!?」
「しかも、人質の中には四十六室のメンバーもいるらしいからね。まぁ、なかなか高齢の方もいるから通院しててもおかしくないか」
京楽は「いやぁ~困ったね」とすこぶる面倒くさそうに続ける。然程人質と化している貴族の身を案じてはいない様子だ。
「…成る程。我々を招聘したのは四十六室からの命か?」
「お察しの通り。四十六室はこの件を可能な限り内密に進めたいのさ。貴族の中から異形となった者が出たことも、真央施薬院が占拠されたことも、貴族の権威に関わることだからとしてね」
「貴族の我らなら相応の配慮をするだろうと見越してのことか」
「度し難いな…相も変わらず…」
眉を顰める白哉、切歯する砕蜂。
下級貴族の砕蜂はともかく、四大貴族の白哉に至っては上級貴族達の持つ実態を伴わない程の気位、格式への滑稽な程の拘り、名誉への執着を肌に感じているが故に思うところはあるのだろう。
「同感だね。ただ、この限りにおいては少数精鋭の方が都合はいい」
「総隊長。占拠と言ったな?襲撃ではなく占拠だと。虚でもなければ例の異形化した者達でもないのか」
「真央施薬院には四番隊の子達を派遣しているはずですが」
尸魂界には真央施薬院と呼ばれる貴族専用の病院が存在する。
四番隊副隊長であった山田清之介が総代を務めているように四番隊との繋がりは深い。
というのも、貴族専用の病院である真央施薬院で処方される薬品や用いられる医療技術は四番隊で培われたノウハウを元にしている。
争いが耐えない護廷十三隊は医学の観点から見れば絶好の治験の場である。多くの傷ついた隊士達に使った薬品や医療技術、そして回道の中から有益なものは真央施薬院にて使用される。貴族達に万が一にもリスクを負わせることは許されないためでもあるが、一方的に真央施薬院が四番隊を利用しその技術を搾取している訳ではない。
技術や薬品の提供と引き替えに四番隊は貴族達からの寄付により予算を他の部隊と比較しても大きく優遇されている立場にある。
また、薬草の栽培や薬品研究に使用される施設についての負担も貴族からの資金によって運営されている。
十二番隊直轄の技術開発局の予算が純粋にその成果、技術の有用性を示すことにより勝ち取らねばならないのに対して、結果を出さずとも予算の枠が確保出来ているのである。
その真央施薬院に定期的に運び込まれる医薬品の運搬を担うのは四番隊である。
ただの一隊士では真央施薬院の裏口に存在する搬入口に立ち入ることすら許されないため、その役目は十席以上の上位席官とされている。
真央施薬院は総代である山田清之介を始めとしする元死神であった者達がすべて斬魄刀を返還している為、運搬と搬入に携わる席官は護衛も兼ねている。
その為、明文化されてはいないものの運搬業務を任される者は責任者を始め腕が立つ者とされている。
「…うすうす察しがついているんじゃないかい?義壱君は」
表情を曇らせる義壱を労るような眼差しで見遣りつつも、京楽の言葉には甘さは無い。
それどころか、どこか糾弾の意思を帯びている。
「どういうことだ横嶌?」
「……」
「横嶌がここに呼ばれている理由…それは医療部門の長として呼ばれただけではないのだろう。違うか総隊長?」
「容赦無いね朽木隊長は。まったくもってその通りだよ。真央施薬院を占拠しているのは四番隊…そして、手引をしているのは二番隊の隊士達だね」
「何!!」
思いも寄らぬ言葉に砕蜂が目を剥く。
予想が付いていたのであろう砕蜂の反応に京楽は何度目かのため息を吐く。
「総代の山田清之介は四番隊の副隊長を務めていた程の男だ。あそこで医療に従事している者達は帯刀こそしていないものの鬼道や白打に覚えのある者も少なくはない。そんな彼らを制圧して、患者達を人質に取るなんて少数で容易く出来ることじゃない。貴族の屋敷で起きる異形化、発生した負傷者の情報を真央施薬院の職員達よりも先に察知していなければああまでスムーズにことは運べるはずも無いさ」
「待て京楽。貴族がそうも容易く制圧されるというのか?」
確かに京楽の言葉はある程度の説得力があるが、それは患者達が無辜の民、何の力も持たぬ市井の者であればの話である。尸魂界において貴族の地位にある者は元来高い霊力を持つ者が多い。嘗ては護廷に所属していた者、それも席官を務めていた者もいる。側仕えに真央霊術院にて優秀な成績を収めていた者を置いている貴族もいる。事実、異形化した者を討伐したのは貴族の屋敷にて腕に覚えのある者が行ったのであろう。故に、貴族としての誇りと死神としての矜持を持つ者達が家柄も身分も劣る隊士達にただ一方的に制圧されるものか。到底砕蜂には納得の行く話ではなかった。
「一人や二人じゃないんだよ。四番隊、二番隊、真央施薬院を占拠に当たった隊士の数は四十を超えている。真央施薬院へ薬剤の搬入の任を与えられる部隊は例外的に斬魄刀の帯刀を許されているのは知ってるだろう砕蜂隊長」
「 ─── ッ!!」
真央施薬院へ定期的に薬品、臨床試験のデータを運搬する任を負うのは四番隊の中でも腕に覚えのある隊士達である。それは自ずと席官を含む。というよりも貴族からの要請である。席官クラスでなければ真央施薬院に足を運ぶ貴族が許さないのだ。総代の山田清之介からすれば愚かしい気位の高さであるが、死神にとっての立場の高さは実力に比例するケースが殆どだ。故に利害は一致しているとも言える。そして帯刀を許されるのはこの任務に臨む隊士達である。
「多少腕に覚えのあるからってねぇ。斬魄刀を帯刀した現役の隊士達を相手にするには限界がある」
素手で斬魄刀を手にした死神を相手取れる者がどれほどいるのか。
それも真央施薬院を訪れる貴族の多くは大なり小なり病や怪我を負っているのだ。
「それに加えて…」
そこで、京楽の表情が目に見えて曇った。
ぽこりと泡が浮かぶように、言葉に先んじて彼の抱いている哀れみと事態へ感じているであろう不吉さを孕んだ予感がその表情に浮かび上がっていた。
「真央施薬院に派遣された隊士達の何人かを異形化したらしい。首謀者と思われる隊士達がそれを操っているらしいんだよ。異形化した死神をけしかけ、混乱に陥った真央施薬院を残りの隊士達が制圧した…想像も多分に含まれているけれどね報告を元にすれば遠からずだろう」
「…首謀者と目されている死神というのは」
「今回の搬入の任を任された責任者だよ」
「横嶌、四番隊ではその任に就いているのは確か四席だったな」
「ご存知でしたか朽木隊長」
「
現在、四番隊の上位席官の中でその役目を担っているのは第四席である咲良葵である。
嘗てはその役目は四席であった横嶌義壱であり、隊長就任時に葵に役目が引き継がれることとなった。隊長格を除く序列で言うならば三席の伊江村八十千和や山田花太郎が適任なのであろうが斬拳走鬼により秀でている者という点では彼らは護衛には不向きであった。
「待て、咲良四席なら」
「ええ。先般の件で先日まで拘禁されていましたね」
そして、その役目を担うべき咲良葵は拘束されていた。
横嶌がヤクヨモギの服用により昏倒した事件の容疑者として、咲良葵四席は二番隊によって拘禁されていた。彼女がこの任務に就くことは物理的に不可能である。
「だから代理の席官を派遣していたんです。四番隊の六席と七席を」
急遽代役として派遣されるのは席次の順序と斬術の腕前を考慮して六席の刈谷草玖と七席の磯螺居平のいずれかになることは当然の成り行きであった。
「そう、六席の刈谷草玖と七席の磯螺居平、彼らこそ今回の真央施薬院の占拠を主導した者達だよ」