幾度目かの火花が夕暮れに染まる廊下に綺羅星のように輝く。
窓から映る空は紅紅から暗い藍色へと変わりつつある中、廊下を満たすどす黒い赤も、物言わぬ血肉の塊も、一刻と経たぬうちに夜の闇に間も無く覆い隠すであろう。
立ち込める血と肉の臭いに眉を顰めることも無く、柱と夕暮れの織り成す影に身を潜める人影を見失うことも無く、斬魄刀の切っ先を正確に相対する者へと向けながら、砕蜂は小さく息を吐いた。
「大した腕だな」
「勿体無い言葉っす」
闇から返ってくるのは軽薄な言葉。
数合に及ぶ剣戟によって微かに息が荒い。
砕蜂は息一つ乱していない。
無礼者め。隊長相手に利いて良い口の利き方ではない。ましてや六席の立場で。
そうは思えども口にはしない。
叱責等最早何の意味も無い。
切先がほんの僅かに重い。浅くはあるが頬を抉った切っ先にこびり付いた血の重みだ。
頬だけではない、剣をかち上げた時に浅く胸板を裂いた。
右手に握った剣の振り下ろしを避け様に左の二の腕をやや深く斬った。
姿は見えずとも何処をどの程度斬り付けたのか、傷の大きさと流れる血の量に至るまで砕蜂は脳裏にははっきりとその姿を描くことが出来る。
砕蜂は無傷だ。
息も切らしていない。
はっきりと戦いのイニシアティブを取っているのは彼女だろう。
しかし、圧倒的なものではない。
勝負を決定付けるものでは到底無い。
これが剣道であれば、浅いとされいずれの斬撃も有効とはならない
真剣勝負と剣道の試合を比べるなど無益なことであるが、それほどに砕蜂と相対し剣を交えている男は彼女に食らいついているということだ。
隊長である彼女に。
だからこそ出た言葉である。
先ほどの言葉には挑発も皮肉も無い。軽口ではあるかもしれないが、同時に本音でもあった。
「六席とは信じがたい。ウチの馬鹿にも見習わせたい程だ」
事実だ。
数度、斬り結んで抱いた砕蜂の感想だ。
六席というのが俄かには信じがたい。
死神としての基本である斬拳走鬼のうち、斬術、身のこなし、瞬歩の練度は副隊長クラスと比較しても遜色がなかった。放つ霊圧に至っては下手な副隊長格を超えている。
これが四番隊士なのか。
影から影へと縫うように移るように闇の中から繰り出される剣を弾きながら感心すら覚える。
悪くない斬撃だ。
窓から差し込む微かな光を受けた刃の一瞬の煌めきと風切り音で自身の首筋を狙ってくる剣筋を読み取ることなど造作も無いが、実力差に委縮することも自棄になることも無い丁寧な攻撃だ。
斬魄刀を解放させていない相手の実力を完全に測るのは早計であるが、それは砕蜂もまた同様である。
百年もの間、護廷の隊長を務め上げて来た経験値故にほぼ実力を見切っていた。
壁と窓に囲まれた真央施薬院の廊下、限られた空間では砕蜂の速度は十全に発揮することが出来ない。
そして、砕蜂は斬魄刀を解放することができない。
義壱に釘を刺すつもりで強い言葉を使ったが、砕蜂は刈谷草玖と磯蝶居平をこの場で殺すつもりはなかった。
いや、殺す訳にはいかなかないのだ。
彼らが操っているとされる異形化した者達。彼らがそれを操る以上、聞き出す必要があるのだ。
異形化する条件とそれを操る術について、本当に彼らがそれを知っているならば、どのような経緯で手にしたのか。
刑軍として砕蜂はそれを如何なる術をもってしても聞きださなければならない。
異形化については涅マユリが解析する可能性も無論あるが、それを当てにして被害を拡大させることなど愚の骨頂である。
だからこそ斬魄刀を解放することが出来ない。砕蜂の雀蜂は二撃決殺であるが故に、この場においてそれを使う訳にはいかないのだ。
彼女の立場以上に彼女自身の持つ苛烈さを反映するように、彼女の持つ技術、能力のことごとくが暗殺、課殺に特化していることが本来であれば彼女の強みであるにも関わらず、この場において彼女の枷となっているのは皮肉と言わざるを得ない。
刈谷が副隊長に匹敵するとはいえ、言い換えれば副隊長程度の実力でしかないということだ。
本来であれば砕蜂との実力差は隔絶したものであるのだが、瞬関や卍解は言わずもがな、始解すら容易に使えず、自慢の速度と体術すらも存分に振るえない限定された状況と空間において戦況における優勢は本来の実力差を鑑みればごく小さなものでしかなかった。
そして砕蜂にはもう一つ気になる点があった。
二つの巨大な霊圧。
この二つの霊圧の方へと白哉と二手に分かれて進んだ先に刈谷はいた。
開き直ったかのように堂々と、これ見よがしに積み上げられた貴族の死体の山に腰掛け、ふてぶてしい笑みさえ湛えて。
侮られている!
お世辞にも沸点が高いとは言えない砕蜂の思考が熱くなった。
カッと火が灯るように怒りが瞬時に彼女の中を満たし、刑軍としての習性として染み付いた闘争への冷徹な思考を除いて、全てが怒りに塗り潰された。
その熱がやおら引きつつあった。
じりじりとした戦況に至りようやく戦闘にその
のリソースを割いていた思考に余裕が出来たのだ。
闇から夜へと闇が色濃くなるにつれ、砕蜂の冷えた脳裏に違和感が過ぎる。
(⋯他の隊士共は)
2人のものであろう霊圧に隠れて目立たないが、確かにこの建物全体から幾つもの霊圧を感じ取ることが出来た。
席官クラスから平隊士程度のものまで、二十を超える霊圧があちこちに存在するのを感知しているにも関わらず、砕蜂は何の抵抗にも妨害にも遭うことなく刈谷と相対している。
大きな霊圧がぶつかるのを感じるに、白哉も同様なのだろう。
隊長格が来たことに畏れ慄き逃げ出したのであれば建物内を立ち去らないの不可解だ。
数の有利に任せて襲い掛かるつもりであれば寧ろ廊下で戦闘行為を行うのは愚策だろう。
事実、砕蜂は刈谷と剣閃を重ねながらも周囲への注意は決して怠っていない。
彼女が感じ取っている巨大な霊圧は三つ。
一つは白哉。
その彼より大きく劣るものの眼前の刈谷と同じく並の副隊長程の霊圧は磯螺居平のものであろう。
そして三つ目、白哉とほぼ同じ霊圧は負傷者の捜索と治療に当たっている義壱のものだ。
三つの霊圧の内の二つは砕蜂が刈谷と斬り結んでいる最中に大きく膨れ上がっていた。
(朽木が始解する程か⋯)
白哉とおそらく磯螺の霊圧の上がり様から見て始解を双方発動したのだろう。
生け捕りに出来る自信があるのか、それとも首謀者の片方は砕蜂が生け捕りにすると見越して片方は殺してしまっても構わないだろうと判断したのか。
いずれにせよ始解を解放しなければ決着が付かないと判断したのは間違いなさそうだ。
義壱の霊圧は病棟中を駆け回っていた。
負傷者、生存者を探し回っているのだろう。
しかし、ひと所に留まる様子は殆ど無い。
治療の必要がある者がいないのか。
治療が出来る者がいないのか。
その義壱の霊圧がつつと近づいて来るのを感じ取る。
殺気立つ訳でもなく、動転し乱れている訳でも無い。
「砕蜂隊長」
「横嶌」
「お待たせしました」
「いや。その様子では⋯」
黙って義壱は首を振る。
生存者はいない。
少なくとも治療の必要のある者はいなかったのであろう。
微かに眉間に皺を寄せた表情は如何なる言葉よりも雄弁に物語っている。
山田清之介によって逃がされた一部の患者を除き、その中の何人が個別に逃げ出せたのかはともかく、この真央施薬院の中に生存している貴族はいない。
無傷で隠れている可能性もゼロでは無いだろうが、果たしてどれ程の者が現役で護廷隊士を務める死神達の目を掻い潜れるだろうか。
「刈谷君⋯ここからは僕が相手をするよ」
横嶌の鳶色の瞳が静かに刈谷を見つめる。
「横嶌隊長⋯」
先ほどまでの不敵さ、傷だらけになりつつも何処かふてぶてしさのあった刈谷が初めて表情を曇らせる。
まるで、親に叱られるのを覚悟する子どもがするような、師の期待を裏切ってしまった弟子が浮かべてしまうような、そんな表情である。
「もうここまでにしよう」
くんと、義壱が鯉口を切る。
「隊長⋯俺は⋯」
「もう、何も言わなくていい…」
鉄拵えの鞘からゆっくりと刀を抜いた義壱をちらりとだけ横目に見る。
「横嶌、貴様は手を出すな」
「·····砕蜂さん」
「私一人で十分だ」
足手纏いにこそならぬだろうが、嘗ての部下をこの男が躊躇無く斬れるとは思えない。
任務には冷徹であるべきと思うが、自らが下がり上官自らにその手を下させるような振る舞いは砕蜂の好むところではない。
そもそも、腕が立つとはいえ六席相手に隊長二人がかりなど恥と言える。
「下がっていろ」
そう手で制する砕蜂に従うように、抜き放った刀を手にしたまま義壱が一歩後ろへと下がる。
刈谷からは目を逸らさずに、空気の揺れと草鞋の床を擦る音だけで義壱が後ろへ下がるのを確認しながら、砕蜂は剣を逆手に持ち変える。
副隊長に匹敵しうる力量の持ち主。
言い換えれば副隊長程度の強さでしかない。
例え始解を用いずとも本気を出した砕蜂に対抗し得るものではない。
廊下という狭い空間。
しかし、決して身動きが制限される程ではない。
隠密機動の長であり、死神の中でも特に小柄な砕蜂には十分すぎる広さだ。
護廷において並ぶ者など殆どいない速度の瞬歩を持つ彼女にとって、例え限定された空間であっても虚を突くことは不可能ではない。
短く、そうとはわからぬ程度に小さく息を吸う。
彼女の中でかちりと切り替わる。
それは何か。
決意、覚悟、意思。
どれとも近いが微妙に異なる。
現するとすれば、自身の振るうべき太刀の深さを決めたという
ある程度の手傷を負わせて行動を止めるのではなく、ギリギリのところで生かせば良い。
即死させなければ義壱の回道で治療すれば良い。
そのことが、先ほどまで彼女を拘束していた見えない枷の一つを外させた。
行くぞ
言葉に出すことの無い、彼女自身に向けた宣言の言葉と共に砕蜂が瞬歩に移った ───
─── と同時に血煙が舞った。
「……何?」
擦れた砕蜂の声はただただ驚きを含んでいた。
線はおびただしい血を噴き出す膝下から千切れかけた自身の右脚ではなく、その先。
穏やかな表情のまま剣を振り上げていた横嶌義壱へと向けられていた。
「言ったでしょう。ここからは僕が相手をする、と」
普段と変わらぬ口調のまま義壱は同じ言葉を口にした ─── ついさっき、砕蜂に向けて口にした言葉を。