少なくとも、その街では。
細い女だと思った。
初めて出会った時に一角が抱いた感想だ
鶏ガラのように痩せて背中にまで届く赤銅色の髪と甘い顔立ちの女。
もう少し肉が付けばさぞいい女になるだろうとは思ったが、女だから一角は助けた訳ではない。
暴行を受けているからといってその女が完全な被害者とは限らない。寧ろそうではないことばかりだ。
稼ぎが悪い娼婦が女街に仕置きされているならばまだ同情の余地もあるが、財布をスろうとして失敗しただの、美人局で金を騙し取った報復だのといったことの方が遭遇するケースとしては遥かに多い。
実はゴロツキ共とはグルで、助けに入った者を袋叩きにすることだって珍しくない。
ゴロツキが複数いても臆さない者には腕に覚えがある者、それも刀を帯びている者が多く、そんな者から奪った刀を質に入れるのはよく聞く話だ。といっても、助けた男も単なる正義漢などではなく下心を抱えている者が殆どであり、殺した後で懐を探ってみると明らかに盗んだか奪ったかしたであろう銭袋が出てきたなんて話もある。
つまるところ流魂街では老いも若きも男も女も悪党には事欠かず、弱い奴が悪く、騙される奴が馬鹿という話だ。
その様な気風の流魂街に馴染んでいる一角が割って入ったのは正義感でも下心でもない。
いや、ある意味では下心だったのかもしれない。
一角は飢えていた。
喧嘩に、斬り合いに、血に。
その日、自分を目障りに思っている連中が徒党を組んで襲ってくることを弓親からの情報で掴んでいた一角は朝から滾っていた。
何時なのか。
何人で来るのか。
何処で襲ってくるのか。
獲物は何か。
素手で来たらこちらも素手で相手をするのは当然として、獲物が匕首程度でも素手で応える方が楽しいか。
集まってくるのはどんな連中だ。先日イカサマをしてきたから悪さをする手を少しばかりへし折ってやった博徒連中か、それとも肩がぶつかったと因縁を付けてきたところを足腰立たなくなるまで叩きのめしたヤクザ者か、或いは斬りかかってきたところを返り討ちにした死神崩れの仲間だろうか。
いずれにせよ派手な喧嘩の予感に一角の興奮は収まらなかった。
まだ少年と呼んでも良い年の頃ながら、既に一角は彼が縄張りとしていた地区ではそれなりに名の通ったゴロツキ、否、一端のヤクザ者であった。
強さもさることながら、自分よりも強い者であろうとも躊躊躇なく向かっていき、例え血に塗れようとも生き生きとした目で闘争を好む性分に恐れを抱くならず者達は数多くいる。
いくら凄んでみても、刃をちらつかせても、手傷を負わせても、実に楽し気に遊戯に耽る童の如く戦うのを止めない彼に挑む者は随分と減ってきている。
故に楽しみでならなかったのだ。
どれほどのものになるのか。
殺されるかもしれないという考えは頭に無かった。
負けないという自信からではない。
それは考えることではない。
迷うまでもない。
当たり前のことだからだ。
殺される可能性など当たり前のもの、今更語るべきことでもない大前提なのだから。
しかし、襲撃は呆気なく終わった。
襲撃は鬱蒼とした森の中で起きた。
整備された道など殆ど無い流魂街でも、特に獣道と呼ぶ事も憚られる道。
木々は人里からの光を遮り、叫び声の一つとして通さないであろう。
よく目を凝らしてみれば膝丈まで伸びた茂みには人骨らしき骨が転がっている。
獣に殺されたものもあれば、野党の類に殺されたもの、果ては犯罪の隠蔽として捨てられたものもある。
それ故に利用者はいない。
それ故に一角と弓親は度々利用する。
刺激に事欠かず、そして近道なのだ。
そんな物騒極まりない近道での襲撃だった。
人目にも付かず、闇討ちした死体を捨てるのにも都合の良い場所。
一角達の行動を把握していなければ選ぶことはまずない。
そんな茂みの中からまず一人の男が斬りかかって来た。
握った刀はそれなりに手に馴染んでいる様子だったが、初手で突きを選ばなかった男の間抜け具合に呆れ返った。
せっかくの奇襲もガサガサと音を立てて枝葉を掻き分けてしまえば意味が無い。
振り下ろされる剣を男の手首ごと斬り飛ばし、返す刀で顎から顔を斬り飛ばす。
背後でも短い悲鳴が起きた。
見れば同行していた弓親が一人の男の喉を一突きにしたところだった。手にした長物は恐らく槍だったのだろうが、その矛先は斬り落とされ、ただの棒きれと化した槍を手にしたまま貫かれた喉から血を溢れさせた男は仰向けになって茂みへと倒れていた。
さぁ、次の襲撃はどこから来るのか、一角が喜色満面に周囲を見渡したが、全てはそこで終わっていた。
最初の二人が殆ど声も立てずに殺されたことに怖じ気付いた残りの連中が蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったのだ。
恐らく集まった者達の中で最も腕の立つ男であったのだろう。
一人斬ってようやく身体に火が付いた一角としてはたまったものではなかった。
肚の底から背筋へ、脳へ、股間へと流れていく融けた金属のような熱をとにかく発散したかった。だからこそ一角は躊躇なく絡みに行った。
一角の視点では、暴行を受ける少女を颯爽と庇ったのではなく、何の呵資もなく斬ることが出来そうな獲物に喧嘩を売りに行っただけに過ぎない。
性根は腐っており、当時の一角からすれば中々に恰幅は良く、一言で言えば斬りごたえがありそうな連中であった。
女はゴロツキに足蹴にされている姿は明らかに演技には見えなかったものの実は庇った自分を背後から刺す可能性もある。
悪くない。
それもまた良い。
寧ろ期待してしまう。
それも含めて面白そうだ。
緊張感はあるに越したことはない。
「邪魔すんなよ弓親」
「わかってるよ。僕は彼女を助けることにするよ」
肩を竦めると、弓親は静観を決め込んだようだ。
「おう」と答えると同時に先ほほどの襲撃者の血に汚れたままの血刀を抜くと声もかけずにゴロツキの一人を斬り捨てた。
命乞いするもう一人のゴロツキを斬り終え、一角は不満気な溜息を吐いた。
もとより弱い女を甚振る連中に気骨を求めていたつもりはなかったのだが、それにしてもあえて下げていた期待の更に下を行く骨の無さだ。
高ぶっていた滾りが多少は鎮められただけ良しとすべきだろうと、一角は自分自身を納得させる。
「大丈夫?」
弓親が女に手を差し伸べる。自分にはあんな振る舞いは出来ないなと斬り殺した男の着物で血糊を拭いながら一角は感心半分呆れ半分といった心地になる。
捨て子にも関わらず弓親には生まれ持った気品のようなものがあった。それを羨むことは無いが、こういった時には役に立つ。
女に下手に怯えられても煩わしいからだ。
弱い奴を殊更否定するつもりはないが、煩い女は勘弁してほしい。
女は弓親の手を取ることなくふらつきながらゆっくりと立ち上がった。
弱いなりに、傷だらけであっても自分で立とうとする気概に少しだけ好感が持てた。
女は手を差し伸べた弓親ではなく、一角の方を見ていた。
人が斬られるところを目にしたのは初めてだったのだろうか。
「君、名前は?」
「よこ、しま…」
「あん?」
「おや?」
助けた女が子供らしい高さが残るものの紛れも無い男の声だった。
どうやら細い女ではなく、貧相な男だったようだ。
「よこしま⋯ぎいち⋯」
痛みに耐えているせいか、それとも飢えと渇きのせいか、零れ落ちる砂のような名乗り。
その目には助けてくれた一角達への感謝こそあれ、媚びる色は浮かんではいなかった。
鳶色の瞳には、飢えと疲れと痛みが色濃くにじんでいるが、その更に奥には強い光が灯っていた。
「……いい名前じゃねーか。名前に一と付く奴は才能溢れる男前と相場は決まってんだ」
強い光を宿した目に一角の口に笑みが浮かぶ。
不完全燃焼な斬り合いへの不満はとっくに消えていた。
「一じゃなくて壱かよ!!」
「惜しいね」
「言えよ!!」
「一角が勝手に勘違いしたんじゃん」
そんなやり取りをしたのはそれから少ししてからのことであった。
そう、それが最初。
班目一角と綾瀬川弓親が横嶌義壱との出会い。
共に腕を磨き、喧嘩に明け暮れ、流魂街を生き抜き、そして、更木剣八と出会い、死神へと至る最初の出会いだった。