骨が軋みを上げる。
打たれたところが熱い。
殴られて、突かれて、打たれて、叩かれて
熱を持ってないところを探す方が難しい。
口の中がかちゃかちゃと鳴る。
折れた歯が口の中でぶつかっているせいだ。
血が絡んだ唾ごと折れた歯を吹き出す。
あわよくば目つぶしになる。
躱される。
クソ。
棍棒を三節棍で受け止める。
片手でこんな重い物を軽々と振り回しやがって。
文句を思い浮かべるのと同時に斬り付ける。
十手で防がれた。
鬼灯丸を槍に戻す。
突く
突く
突く
突く
突く
突く
躱される。
避けきれないのは十手で弾かれる。
お、一発入った。
て言っても頬を掠ったくらいだが。
アイツの肩にも、腕にも切り傷はある。
そうだ。
多少は手傷をこさえてやってる。
俺だって意地があるからな。
意地?
何のだ。
副隊長としてか?
そこまでこの立場に固執しちゃいねぇ。
十一番隊として?
それもある。
それもって他に何があるんだよ。
意地なんてあるか?
負けねぇっていう意地か?
そんな意地を掲げられるような奴じゃねぇだろ俺は。
そんな意地を持てるのは負けてねぇ奴だけだ。
負け続けてねぇ奴だけだ。
負けっぱなしじゃねぇ奴だけだ。
そんな奴だけだ。
当たり前だが俺は無敗じゃねぇ。
なんなら結構負けてきてる。
勿論勝ってる喧嘩の方が圧倒的に多いがな。
それでも負けてる。
無敵じゃねぇ。
最強でもねぇ。
一護に負けてる。
でけぇ図体の破面にもやられた。
それで射場さんに説教されちまったっけ。
卍解を使わずに負けたなんて言い訳するつもりは無ぇ。
使うのも使わないのもてめえの決断だ。
その結果が敗北なら、それはてめえが選んだ敗北だ。
射場さんといや、あの人にも負け越してんだよな。
じゃんけん弱ぇから高い陣地取られちまうし。
そんで滅却師にも負けたな。
ゾンビになった日番谷隊長は数に入れなくてもいいかもしれねぇ。
そんでもってやっぱり一番は隊長だ。
更木隊長。
あの人に負けて、完膚無きまでに負けて、言い訳のしようもなく負けて。
その強さに惚れこんで。
その信念に惚れ込んで。
そうだ、それで死神になったんだ。
あの人を追い掛けて。
あの人の下で戦いたくて。
あの人の側で戦って死にたいー心で気が付きゃ副隊長になってたんだ。
じゃあ一体何の意地だ⋯
槍で突く
突く
突く
斬る
突く
薙ぐ
斬る
斬る
三節棍へ·······
クソ
十手で受け止められた。
何度目だ。
「直ってないね、その癖」
あぁ?
何を言ってやがる。
「鬼灯丸を三節根に変える時。僅かに手首をしならせる『溜め』を作る癖。直しなって昔言っったんだけどなぁ」
そうだったか。
そういや、そんな気がする。
結構前に言われたっけな。
そうだ、まだコイツが
なるほどと思ったんだよ。
だが結局直さなかったな。
そんなことよりぶった斬り方を覚えたかったんだっけか。
攻め手を増やす方が面白そうだったから。
「君は面白そうな型は前のめりに覚えようとするのにね。そちらの方が愉しかったからだろうけど」
胸の内を見透かされている。
こいつはよく見ている。
昔からそうだ。
当然と言えば当然か。
ゴロツキに袋にされてるところを助けてからずっと戦い方を教えてたのは俺だ。
コイツは俺のやり方を見様見真似で覚えた。
特別筋が良いとは思わなかった。
自分が一週間もあれば身に着けていた身のこなしも二週間、三週間、下手をすれば一月以上費やすこともざらだったんだから当然だろ。
ただ、こいつには根気があった。
義壱は酷く辛抱強い。
そしてよく観察する。
じっくりと観察し、しっかりと覚える。
じっくり観察するから欠点を見つけることも上手かった。
しっかり覚えるから動きをいつでも反芻することが出来た。
一度技や体捌きを修得すると、自分のやり易いやり方へと手を加えることもした。
俺や弓親が三つ攻め手を増やす間に、コイツは一つの欠点を解消することに鍛錬の時間を使っていた。
俺達の方がより早く、より多くの虚を倒す代わりに傷を拵えるのとは正反対に、決して傷を負うことなく虚を確実に倒すのがコイツだった。
勝つための戦い方じゃなく、負けないための戦
腰抜けと嗤う奴もいたが、こいつが席官になる頃には聞かなくなっていた。
嗤っていた奴らは勝つための戦いをして、死んでいたからだ。
十一番隊らしいともいえる。
そうか、意地ってのはこれか。
コイツに戦い方を教えたから負けたくねぇ。
そういう意地か。
十一番隊らしくない戦いをするコイツに負けることが、戦いを教えた俺のちんけな誇りも、十一番隊としての拘りも全部否定されるような気がしてんだ。
あぁ⋯クソッ
鬼灯丸を掴まれた。
癖とやらを完璧に把握されてやがるな。
音を立てて三節棍が引き千切られた。
馬鹿力がよ。
鎖だぞ?
簡単に千切ってくれやがって。
一護といい、人の始解を容易く壊されると流石にムカつくな。
千切った鬼灯丸の一部を投げつけられる。
手にしていた鬼灯丸で弾く。
しまった。
咄嗟にとはいえ迂闊なことを。
俺が逆に隙を誘われてどうすん⋯⋯
めきっ
突きが脇腹にめり込む。
息が詰まる。
やっぱりな。
隙を逃すような奴じゃねーな。
二本、いや三本は肋がイッたか。
痛え。
痛え。
下りながら爪先で転がる引き千切られた三節棍を探り当てる。
義壱から視線を逸らさずにゆっくりと三節棍の一本を拾い上げる。
痛え。
畜生。
痛え。
距離は十尺、いや十一尺くらいか。
呼吸をする度に折れた肋骨が引っ張られて痛みが背筋を駆け抜けていく。
「ねぇ、使わなくていいの?」
呆れたような口調で言うと、義壱は溜め息を吐く。
呆れたんじゃねー、飽きたのか。
カッと頭の奥が熱くなる。
打撲の箇所が熱を持ってるからじゃねー。
俺との喧嘩に退屈されていることに頭に来たからだ。
義壱にじゃない、俺に。
不甲斐ない喧嘩しかできない自分自身に。
拾い上げた鬼灯丸が手の中で軋みを上げる。
「別にそれが君の流儀なら文句は言わないよ。別に使われたところで大したことないし」
小さく息を吐いて義壱が嗤う。
べきりと握り締めた鬼灯丸が音を立てる。
奥の手をいつまでも使わずに、一方的に嬲られている俺を嘲笑っている。
射場さんに言われた言葉を思い出す。
「意地を通すなら強くなれ」って言葉を。
今の俺はそれが出来てねぇ。
むかっ腹が立つ。
何処まで腑抜けてんだ俺は。
ばきっ
握り締めた鬼灯丸がへし折れる。
だがまだ負けてねぇ。
深く息を吸う。
痛みは酷くなる一方だが、気を失わずに済むのはありがてぇ。
こちとら痛みには慣れっこだ。
「へぇ、まだやるんだ。
もう勝った気でいやがる。
無理も無ぇ。
こっちは満身創痍で向こうは薄皮を切られた程度。
こっちは副隊長で向こうは隊長。
だからこそだ。
どれだけ警戒していようが、少しは油断する
ここまで一方的に叩きのめしてりゃ、多少は緩む。
だが、こいつはそれに気付けばすぐに引き締める。
緊張の糸を張り直す。
だからここしか無ぇ。
二度、三度と息を吸っては吐く。
痛みが走ろうが関係無ぇ。
少しだけ足の親指に力を込める。
ほんの僅かに身体を前に傾ける。
右手の中でへし折れた鬼灯丸の感触を確認する。
左手の鬼灯丸を握り直す。
距離は十一尺。
少しずつ距離を詰める。
鬼灯丸が壊れていなければとうに間合いの内。
三本の棍のうちの一つを引き千切られた今では間合いは三分の二。
ギリギリ間合いの外。
そこから一寸ばかり距離を詰める。
おい、義壱。
気付いてるんだろテメーなら。
俺が今詰めた距離に。
ギリギリだ。
ギリギリだぜ。
気付かないはずが無ぇよな。
この場にて気付いているのは義壱だけ、それほどに慎重な一角の足運び。
和紙に墨が滲むように深く静かに詰めた距離。
火のような攻めを得手とする一角が滅多に見せることの無い動き。
だからこそ、意味がある。
わかるだろ。
考えてんだろ。
俺がここからどうするか。
猿みてぇに跳んだり跳ねたりするだけが能じゃねぇ。
猪みてぇに真っ直ぐ突っ込むばかりじゃねぇ。
ちったぁ驚いたか?
俺にだってこれくらいの身のこなしはできるんだよ。
へぇ、コイツにもそんな真似ができるのかって少しくらいは感心してくれてるか?
もしそうなら成功だ。
こっちの狙い通りだ。
俺はテメーに出来る限り気付かれねーように間合いを詰めている。
俺がテメーに出来る限り気付かれねーように開合いを詰めていることにテメーは気付いている。
俺がテメーに出来る限り気付かれねーように間合いを詰めていることにテメーが気付いていることに俺は気付いている。
ギリギリってのはそういうことだ。
テメーに気付かれねーように細心の注意を払ってる、そうテメーに気付かせるよう仕向けられるギリギリだ。
やろうと思えばもっと慎重にやれる。
だが、それじゃ意味がねぇ。
見てからでも対応されちまうからだ。
だからやれる足運びをギリギリ粗くした。
これがもっと粗けりゃわざとらし過ぎて明らかに警戒されちまう。
これくらいがちょうどいい。
俺とお前の間合いが触れるか触れないかの位置。
今の鬼灯丸じゃ突くにしても間合いが足らねぇ。
思い切り振りかぶって届くかどうか。
だが一足飛びに斬りかかればお前を真っ二つに出来る距離。
俺がさっき少しだけ、ほんの少しだけ前に身体を傾けたのがわかるだろ。
足の指に力を入れたのも。
虚を突くように、一気に飛び掛かる。
お前がそう思ってくれてるなら最高だ。
さぁ、
行くぜ。
親指で土を抉るように踏み込み、飛び出す。
一息に斬り捨てるには十分すぎる勢いだ。
だが、方向は違う。
前じゃなく、斜め上に飛び上がる。
驚いたな。
わかるぜ。
お前はいつもそうだったからな。
大袈裟に驚くなんてしねぇ。
身振り手振りなんてねぇ。
ただ目を丸くするだけだ。
俺にはわかる。
そりゃ驚くだろうな。
俺の跳んだ角度じゃ届く前に避けられる。
だからお前は戸惑ってんだ。
その怯み、一瞬の躊躇、それで十分だ。
右手に握っていた鬼灯丸、お前が引き千切ってくれた柄を投げつけてやれる。
棒切れをただ投げつけたものではなかった。
それは投擲と呼ぶだけの精度と速度を持っていた。
例え木の棒であろうと無防備に受ければただでは済まない威力を秘めた一発が義壱の顔めがけて矢のように一直線に飛ぶ。
お前が言ってたよな。
俺は攻め手を増やすことには熱心だったって。
その通りだよ。
お前の言う槍から三節棍へ切り替える時の癖は直せてない代わりに、俺はこれを身に着けた。
隠密機動の連中しか使わねぇ手裏剣術だ。
にわか仕込みじゃねぇぜ?
これでも交友関係は広くてな。
隠密機動にいるツレに教えてもらったんだよ。
苦無や脇差なら一発で命を奪えるくらいにはなった。
千本でもやってやれねぇことはねぇ。
竹串でも戸板になら刺さるくらいの腕前よ。
しかし、その一撃は義壱の左手の十手によって弾かれる。
至近距離と呼んで差し支えない距離から放たれた速度であるにも関わらず義壱さ見事に対応してみせた。
一角の狙い通りに。
一角の右手から放たれた一撃。
相対する義壱が左手の武器で弾くのは必然である。
そうだよな、そうなるよな。
取り回しの利くそっちで防ぐよなぁ。
そんで、こっちはどうする?
一角の右手から矢のように飛ぶものがあった。
折れて鋭く尖った断面が義壱に向かって放たれるのは赤い槍纓の付いた鬼灯丸の破片。
義壱によって鎖を引き千切られた三節根の一本、一角の右手の中でへし折れて「二つになった」うちの二本目。
赤い尾を引いて放たれた一撃。
振り下ろした掌から放たれた一つ目と全く同じ軌跡と速度にて振り上げる手から撃たれた二の矢。
刹那の内に放たれた回避困難な二撃目のはずであった。
左手の十手は一の矢を払い除けるために外側へと伸びている以上、右手で防がざるを得ない。
血の絡んだ折れた歯を吹きかけられるのであれば敢えて受けることも出来ようが、眼前に迫るのは当たり所によっては致命必死の一撃。
咄嗟に手で防げば視界を自らの腕で塞ぐことになる。
しかし、回避困難なはずの二の矢を前に義壱は手にしていた六尺棒をくるりと回す。
腕を殆ど動かすことなく、手首のスナップで弾みを付けるだけで六尺棒の重みそのままに勢い良く義壱の手元で回転する。
体勢を殆ど崩すことなく義壱は二の矢を叩き落してみせた。
一角が跳びび上がってから二の矢を叩き落すまでの一連の動きはほんの僅かな間になされた攻防である。
お前ならそうするって思ってたぜ。
俺が無策に飛び掛かるだけだと侮るなら楽だった。
一発目を食らってくれりゃ最高だった。
だが、それは虫の良い話なのもわかってる。
右手に獲物を握ってるんだから投げつけてくるってのは予想できらぁな。
二発目はどうだ?
見抜いてたか?
バレねぇようにへし折ったつもりだったんだけどよ。
情けない話だが鬼灯丸はお世辞にも頑丈じゃねぇってのはわかってる。
お前に引き千切られたばっかりだしな。
一護の奴に至っては手掴みで壊しやがった。
試したことは無かったが案の定へし折ることが出来た。お前の打ち込みを受けて罅が入ってたのもあるけどな。
これにやられてくれたら御の字だったんだが、流石はお前だよ。
俺が一番めんどくせぇと予想して、一番確信してたとおりのことしてきやがったな。
その棍棒の取り回しが悪いのはわかってる。
同じ長物を扱うからよくわかる。
そいつを咄嗟に放り投げるか、握ったまま受け止めるか。
そんな都合のいい二択じゃねーだろうってことものくわかってた。
わかってたから、俺はこう出来るわけだ。
「隊長!?」
2人の立ち合いを見ていた隊士の一人が思わず声を上げた。
二の矢を叩き落す為に掌の中で回転させた六尺棒、その先端に一角が着地するように踏み付けていたのだ。
跳び上がる勢いのまま、二の矢を叩き落す為に遠心力を付けたまま下へと振り下ろされていた六尺棒の先端を踏み付けられることで、義壱と一角の間合いは限りなく塗り潰される。
十手を持つ左手は外へと開き、六尺棒を握ったままの右手は一角が棒の先端を踏み付けることで地に縫い付けられる形となった。
並の者であれば掌の中で回した得物を勢いよく踏み付けられてしまえば、その衝撃に思わず手を放していただろう。
皮肉なことに並の隊士よりも遥かに強い膂力と握力を持つ故に義壱は右手を一瞬封じられることになった。
隊士が声を上げたのはこれのせいである。
一角に対して義壱は己が正中線をがら空きに晒す格好になった。
ブゥンッッ。
刃の姿が目に映らぬ程に回転を加えた鬼灯丸の風を切る音に、義壱の絶命の危機に隊士達がようやく気付いた。
ヌンチャクのように振り回した鬼灯丸の一撃。
一角の一振りごとの重さを見ていた隊士達には、遠心力をたっぷり付けた刃を一角の腕で振るわれる一撃の威力は想像するだけでも恐ろしく感じるであろう。
「もらったぁ!!」
そして、鮮血が舞った。
我慢した甲斐があった。
小癪かもしれねぇ。
小細工だって弄した。
二度目は通じない一度っきりの手だ。
けどよ、その価値はあったぜ。
鬼道を使う間も無ぇ。
死にはしねぇだろうが、動けなくなるくらいの一太刀だ。
は?
おい、嘘だろ?
なんでだ。
なんでなんだよ。
ありえねぇだろ。
だってよ⋯⋯
一角は目の前をやけにゆっくりと横切る赤い雫を目で追っていた。
自分が振り下ろした一撃によって無垢なる白を朱に染めた隊長羽織。
ほんのりと血で汚した鬼灯丸の切っ先。
横切る無数の水滴。
一角の視界で舞う血の雫の向こうで、義壱が微笑んでいるのが見えた。
次の瞬間、一角の水月に強烈な爆発が生じた。
無論、本当に爆発したわけではない。
鬼道を使う間も無いタイミングだったのは事実だ。
一角が爆発したと感じたのは、それだけの衝撃を受けたからに他ない。
引き千切られた二尺程度の鬼灯丸の間合い。
それは同時に十手の間合いでもあった。
詰められた間合いの中で、十手による突きの一撃は正確に一角の鳩尾を打ち抜いていた。
「うおぇぇぇーーっっ」
吹き飛ばされた衝撃よりも、鳩尾を打たれた痛みに一角はその場で嘔吐する。
蹲り何度も嘔吐する一角に追撃をすることなく、義壱は鮮血の滲む右肩を触診する。
「思ったより際どかったな」
地面にめり込んだ六尺棒を引き抜くと、右肩の具合を確かめるように二、三度素振りする。
鋼鉄の棒が空気を断ち切る音に衰えは見えない。
一角の与えた傷は隊長羽織を裂いたものの、義壱の皮を斬るに留まっていた。
「⋯⋯なんでだ」
吐瀉物に汚れた口元を拭いながら、一角は義壱を睨み付ける。
膝を付いたままでありながらも未だに闘志だけは衰えることなく、刃物のような視線を向ける。義壱は己に注がれる刺すような気迫をそよ風のように心地よさげに受け止める。
「確かに捉えたはずだ。例え瞬歩で逃げたとしても暫く得物を振るうことなんて出来ねーくらいの傷は負わせるつもりだった」
「そうだね。普段通りの一角ならね」
「あ?」
一角の怪訝な表情を愉し気に眺めながら、左手に持つ金色の十手を翳してみせる。
「85回」
「?」
「85回、君は金糸雀の声を聞いてる」
「ふざけんな。俺はテメーにそいつを打ち鳴らす暇は与えなかったはずだ」
音叉の如き形状の十手と六尺棒を打ち鳴らすことで響く音を相手に聞かせることで相手の持つ警戒心、危機感をほんの僅かに麻痺させる。
それが金糸雀の能力だ。
故に一角は義壱が始解を解放してから絶え間なく攻め続けていた。
彼が能力を発動する暇を与えない為に。
「178·····今のを合わせて179かな。君がこの場にやって来てから振るった僕と君の剣の数だよ。そのうち157が剣戦の数さ。そのうち118回、僕は君の攻撃を防いだ。君の方が多く攻めているっていうことだね。もっとも、身体に与えた手数は僕の方が多いけれど」
胸元を流れ落ちた鼻血で汚し、切れた唇の端から血をながし、体中を瘤と痣だらけにしている一角に対して小さな傷以外に目立った外傷の無い義壱。語るまでも無いことである。
「そして85回。僕は左手の金糸雀で君の攻撃を受けた……つまり、85回も金糸雀を打ち鳴らしてくれたわけだね」
「何だと…?」
「あれ?もしかしてこう思ってた?」
「金糸雀は僕の持つ六尺棒を
つり上がった一角の切れ長の目が驚きに見開かれる。
言葉は無くとも、彼が抱いた驚愕の大きさを雄弁に語っていた。
「金糸雀の要は
小さな笑みに浮かぶ愉悦と嘲笑に総毛立つ。
明確に意図しての行動だと、その笑みが雄弁に語っている。
『一撃当てたらそこまで』
嘗て義壱が十一番隊にいた頃、共に鍛錬に励んでいた頃に設けた一つの約束事。
任務外、瀞霊廷内において始解の使用は原則禁止とされている。
それを無視して鍛錬に始解まで用いるようになった際に義壱が言ったことだ。
長時間の使用は霊圧で感知されかねない。
発覚されれば最悪謹慎もあり得る。
そうでなくとも席官クラスが始解を用いて戦えば周辺に齎す被害は小さくは無い。
だからこその義壱の提案であった。その理屈に弓親は納得し、物足らなさを覚えつつ一角も同意した。
だからこそ一角は、いや一角だけではない、義壱と訓練を共にした死神は誰一人として疑問に思っていなかった。
儀式のように発動と共に打ち鳴らされる金糸雀。それが能力発動の条件だと。
「⋯⋯⋯いつからだ?」
歯を軋ませ噛み締めた歯の隙間から絞り出すように問う。
「テメーはいつから『こうなること』を考えてやがった?」
「もちろん、最初から」
「十一番隊に入った時からか?」
「言ったでしょう。最初からって⋯⋯⋯」
聞き分けの無い子を慈しみつつ叱る親のように義壱は鳶色の瞳を穏やかに細め、一切の負い目も無い柔らかな笑みを浮かべた。
「僕たちが死神になると決めた時からだよ」
一角が死神になると決意した時。
それが意味することが何かは容易に思い至ることが出来る。
彼にとって文字通り人生の指針を決めた瞬間であるからだ。
「それは⋯」
しかし、それが義壱の行動とどう結び付くのか、それが彼の何を決定付けたのか俄かには呑み込めず、故に一角は続くべき言葉を口にすることが出来なかった。
「おっと、やっと来たみたいだ。主賓が」
いまだ蹲る一角など眼中に無いかのうように、義壱が視線を移す。
それが何かなど問うまでもない。
一角もまたこの場に接近していた巨大な霊圧を察知していた。
その強大にして狂暴な霊圧が誰のものなのかを。誰よりも身近で触れ続けたが故に間違えようもなかった。
雀蜂雷公鞭の余波によって破壊された真央施薬院の門から、瓦礫を踏み砕き巨躯の男が現れた。
立ち上る霊圧の強さに蜃気楼のように周囲の景色が歪む。
禍々しい歪みが世界を侵食するように迫る。
ゆっくりと接近する嵐のように強烈な霊圧の塊が闊歩する。
中庭を囲むように展開していた若き隊士達が一様に顔色を青くする。
滝のような汗を流す隊士達が軟弱なわけでは決してない。
寧ろ暴力的な霊圧に晒されて気を失わない精神力を褒めるべきだろう。
男は特別何もしていない
威嚇も警告も威圧もしていない。
敵意も害意も殺意も放っていない。
ただ歩いてくるだけだ。
周囲への警戒など微塵も無く歩いている。
斬り付けようと思えばいつでもどこからでも斬り付けることが出来そうなほどに無防備なその身体に、しかし斬り付ける者は誰一人としていない。
刃を向けるどころか、刀を抜く者すら一人としていない。
刀を抜くことが出来ないというレベルではない。指一つとして動かせなかった。
それどころか斬り付けようという気概すら毛ほども湧かない。
その男の霊圧に晒された瞬間、彼らは気絶すまいと心を奮い立たせることに全精力傾けるしかなかった。
それ以上何一つとして出来ない。
戦場において男が彼らを自分に敵対する者達だと認識し、相対する者として視線に映しただけで年若くとも練磨絶やさぬ死神達の心を軒並み挫いた男が歩みを止めた。
「よう、義壱。随分面白ぇことしてやがるな」
「ご無沙汰してます。お待ちしてましたよ更木隊長」
禍々しい霊圧を抑えようともすることなく、髑髏のように骨ばった顔一面に獰猛な笑みを湛えた眼帯の男を前にして、義壱が涼し気に笑う。
巨躯の端々から滾る霊圧はただ垂れ流しているだけなのにも関わらず研磨の限りを尽くした刃の束の如き鋭さを放つ男、十一番隊隊長、更木剣八が笑みを濃くすると空気が軋みを上げた。
「一角よぉ⋯テメー、俺を差し置いて随分楽しんでんじゃねーか」
蹲る一角を一瞥すると、剣八は愉快そうに言う。
「すんません⋯独断で出撃した上に、無様な姿を晒して」
剣八の視線は既に義壱へと戻っている。
傷ついた部下から斬るべき相手へと関心が完全に移っている、いや、剣八が傷つき戦えなくなった者へ関心を持つことなどそもそもあり得ない。
そのことを痛いほど知る一角は己の不甲斐なさを恥じ入るように俯く。
「そんなこたぁどうでもいい。負けたのも生きてんのもテメーの勝手だ。楽しみには間に合ったみたいだしな」
「そうだよ。僕らを置いて行くなんてズルいじゃないか一角」
剣八から少し遅れてやってきた弓親は一角の側に駆け寄る。
「立てる?」
「当たり前ぇだろうが」
「そうこなくちゃ」
ふっと笑うと、弓親は剣を抜く。
「義壱、随分なことをしたもんだね」
「あははは、そうだね。僕もそう思ってるよ」
「一応聞くけど投降する気は無いかな?」
「その質問に意味はあるかな。投降なんかしたって極刑だろうし⋯それに更木隊長はもうやる気みたいだよ」
世間話のノリのまま、剣八に視線を向ければ、彼は口の端を釣り上げ剣を抜き放つ。
鞘から抜いた勢いだけで地面が抉れ、瓦礫が砕け散った。
「わかってるじゃねーか。テメーら全員⋯」
「隊長。他は僕が引き受けるので、安心して義壱とやってください」
「馬鹿野郎。テメーもやりてぇだけじゃねーか。俺は全員相手にしても構わねぇんだよ」
何気なく放たれた剣圧の鋭さを直に浴びて誰もが息を呑んだ。
周囲に広がる怯えを感じ取った剣八が舌打ちをする。
「ひよっこばかりかよ。相手になりそうなのは義壱と⋯そこの二人くらいか」
剣八の目が義壱の後ろに控えていた二人の隊士へと向く。
六席刈谷草玖と七席磯螺居平である。
「へぇ⋯隊長の霊圧を受けても立っていられるなんて若いのに大したものだね」
「うちの刈谷君と磯螺君は優秀だからね。それで、どうします?三対二がいいです?ただ、数でこちらが有利だし⋯あ、それとも隊長と弓親を順番に相手するのもいいですよ。どちらからにするのかはそっちで決めてもらえれば。勿論不安なら2人いっぺんに掛かって来てもらってもいいですけど」
挑発。
わかりやすい程の挑発に、弓親が抱いたのは怒りや驚きよりも困惑であった。
十一番隊に在籍していたこともある義壱が更木剣八の力量を知らぬはずが無い。
それ故に、彼のわかりやすすぎる挑発に真っ先に困惑を覚えた。
その挑発を挑戦と捉えたのは剣八であった。
自分を舐める発言をしたことへの怒りも無論あるのだろう。
しかし、それ以上に自分を前にして不敵に挑発する義壱に興奮を覚えた。
「念の為に確認しておきてぇ。朽木と砕蜂を殺ったのはテメェで合ってんのか義壱」
「殺してはいないはずでしたし、実際に死体も確認はしていませんが⋯退けたのは僕ですよ」
「ほぅ⋯⋯⋯それだけわかりゃあ十分だ」
「生死の確認はいいんですか?」
「生きるも死ぬもアイツら次第だろうが。それよりもお前がやったか確認する方が優先だ。他にアイツらをやった野郎がいたら、さっさとお前を斬ってその野郎を探さないといけねーところだったからな」
剣八はこの場に来るまでの道中からずっと興奮を抑えきれなかった。
嘗て自分の隊の四席だった目の前の男は既に朽木白哉と砕蜂という二名の隊長を退けているのだ。
強き者との戦いを好む剣八が興味を抱かずにいられるはずもない。
「弓親、手出しやがったらテメーから斬るからな」
「わかってますよ」
言っても聞ぐような状態ではないと瞬時に察すると、己の抱いた義壱への違和感も警戒心も、そこから来る剣八への注意も全てを呑み込み弓親は気持ちを切り替える。
「じゃあ僕はそちらの二人が相手かな?」
弓親が刃物のような笑みを浮かべ切っ先を刈谷と磯螺へと向ける。
「全然いいんすけど、場所変えません綾瀬川さん?隊長達の戦い絶対ヤバいじゃないすか。隊長達の戦いに巻き込まれんのは勘弁願いたいんで」
「どこでも構わないさ。すぐに戻って来ることになるからね」
「いやっすね〜〜そこまで謙遜しないでくださいよ。二人がかりでもちょっと苦戦するかなって俺らは思ってるんすから」
「⋯⋯⋯⋯浮薄な物言いだね。もう少し言葉はきちんと使いなよ。まるで僕に勝てるような言い方じゃないか」
弓親の瞳に剣呑な光が灯る。
笑顔こそ張り付かせたままだが、その白いこめかみには薄っすらと青筋を浮かんでいる。
抜き放たれる寸前の刀のように放たれる威圧感、怒り、殺気が刈谷と磯螺へぶつけられるが、二人は一向に怯える様子も無い。
「あれ?そう聞こえなかったっすか?俺そのつもりで言ったんだけど変だったかな磯螺」
「いや、多分この人は俺達に勝って戻って来るつもりなんだよ。だからお前の言いっぷりに腹を立ててるのさ」
「あぁ〜〜そっか〜〜〜そういう勘違いされちゃってんのか」
「仕方ないさ。向こうは三席、俺達は六席と七席。階級的にはそれくらいの差がら」
好青年然とした柔和な笑みそのままに磯螺が息を吐く。
「けど、俺も少し笑いそうにはなったよ。俺達に勝つつもりなんだって」
小さくとも明確な嘲笑に弓親の顔から潮のように笑みが引いていく。
「……場所を変えようか。聞きたいことはあるから、可能な限りどちらかは生かすように努
力してみるつもりだけど……殺してしまったらゴメンね」
弓親は能面のような表情のまま低く唸るように呟く。
凪いだ表情とは裏腹に、抜き身の刃物のようにギラギラとした殺気に光る双眸を刈谷は眠たげな顔のまま、磯螺は柔らかく微笑んだまま受け止めた。
次の瞬間、三人の姿が煙のように掻き消えた。
瞬歩でいずこか遠く離れた場所へと向かったのであろう。それを見届ける形になった剣八は一つ溜め息を吐く。
「やれやれ⋯勝手に盛り上がりやがて。だが、まぁいい。これで邪魔はいなくなった。遠慮なくやり合おうぜ、なぁ義壱」
「そうですね。更木隊長なら⋯⋯⋯手加減はできませんからね。全力で行きますよ?」