「馬鹿野郎。当たり前のことを言ってんじゃねぇぞ」
轟
無造作に放たれた一撃だった。
間話の合間に何気なく腕を振るうように、手持ち無沙汰を紛らわせるように、肩を回すように、目の前を飛ぶ羽虫を払うように、力みのない一振りでしかなかった。
しかし、更木剣八の剣である。
更木剣八にとっての戯れの一撃は獰猛な獣の牙の如く鋭く、大気までも焼き切る一撃だ。
耳を劈く金属と金属が擦れる音。
義壱の身体が蹴られた鞠のように飛ぶ。
剣八の剣の威力によるものだけではない。
自ら後方へと跳ぶことで威力を僅かに和らげていた。
真っ向から受け止めれば剣諸共肉体を豆腐の如く両断する一撃を捌ききっていた。
一太刀目。
二太刀目。
立て続けに放たれた剣閃を義壱は捌く。
両者の間合いが広がったところに、小さな輝きがあった。
輝きは朝日を浴びて光る「何か」であった。
剣八と義壱の間に舞う金色に輝く無数の粒子のような煌めき。
「やるじゃねーか。ウチにいた頃より遥かに腕を上げてやがるな」
「更木剣八にとっては誤差でしょ」
「誤差だろうとなんだろうと構わねぇ。出来るだけ愉しませてくれりゃよ」
「金糸雀が両断されるかと思いましたよ」
掲げて見せた六尺棒は微かに削れていた。
大気を舞う無数の輝きは、いなしきれなかった剣八の剣によって削られた金糸雀の破片である。無事では済まなかったのは金糸雀だけではない。
つぅっと義壱の腕を一筋の血が伝って行く。
「いなしたつもりだったんですけど」
殺しきれなかった威力に金糸雀を握る手の皮が耐えられず、裂けた傷口から流れ落ちた血である。
涼しい顔で幾度となく義壱に斬撃を捌かれていた一角は、改めて見せつけられた己と剣八との実力差に小さく呻いた。
「相変わらずおっかない人だ貴方は」
「義壱」
「はい」
「さっさと出せよ」
「使ったんだろ?」
「卍解をよぉ」
「テメェが真っ向から朽木達をやれるとは思っちゃいねぇ」
「見せてみろよ」
「隊長2人相手にしてぶっ潰したテメェの卍解を」
「だから突っ走ってきたんだぜ。誰の邪魔も入らねぇ内に」
「そいつとやり合いたくてよ」
槌を何度も打ち付けるように、固く尖った言葉を立て続けて吐く。
決して多弁な男ではない剣八が珍しく口数が多い。
愉しみで仕方が無いのだ。
一角には手に取るようにわかる。
今にも満ち溢れる熱、闘争心、興奮、飢餓で身体がはち切れそうなのを言葉で誤魔化しているのだ。
獰猛と呼ぶことさえ雅なことに思える程の衝動を知ってか知らずか、義壱は穏かな笑みを湛えたまま、六尺棒をそっと地に向けて手放す。
とぷん
鋼鉄の棒が溶け込むように大地へと呑み込まれていく。
「勿論、そのつもりですよこちらは。このまままともに斬り合っても十秒と持たせられる自信はありませんしね」
針の霧雨を浴びるように、痛みにも似た圧迫感が剣八と一角の肌を刺す。
義壱の霊圧が膨れ上がっていく。
より巨大により高密度に。
龍紋鬼灯丸を使う時の己の霊圧よりも間違いなく強い。
隊長格が卍解を解放する際に放つ霊圧に遜色の無い霊圧に、一角は今更ながらにこの幼馴染が護廷十三隊の隊長の一人であるのだと思い知る。
「卍解……」
「
それを目にするのは一角も初めてであった。
煌びやかでありつつも、何処かくすんだ黄金色の鉄格子は美しくも重苦しい。
ただ目の前にあって、見上げるだけで息苦しさを覚えるほど強烈な圧迫迫感を醸し出す。
「何だよ⋯こいつぁ⋯」
黄金の檻を見上げながら自ずと擦れた声が漏れた。
一角の知る義壱の卍解は煌びやかに輝く瀟酒な金の籠。
仲間を、部下を、傷病者を守り癒す為の眩く堅牢な鳥籠のはずであった
それなのに、今、目の前にあるものは大きく異なる。
剣八と一角、そして義壱を閉じ込める牢屋。
周囲を取り囲んでいた年若い隊士達は檻の外にいる。
まるで逆である。
「そいつがお前の卍解か」
一角のような驚きなど微塵も無く、ただこれから起こることに胸躍らせるように剣八は声を弾ませながら義壱の手に握られた一振りの刀を見る。
黄金に輝く粗目の鋸。
或いは櫛状になった刀身の剣。
護廷において唯一刃を一切持たない始解として知られていた金糸雀が神々しさを漂わせていたというのに、今の形状が纏う金色毒々しく、凶々しく映る。
剣八にはその形状すら面白くて仕方が無いようだ。
「正直、卍解を使う前に斬り掛かられていたらどうしようかと少し不安でしたよ」
「僕じゃひとたまりもありませんからね。ギリギリ捌くので精一杯ですから」
「そんなつまんねー真似するかよ」
「さっきのでぶち殺されるような奴だったら卍解見せるまでもなく期待できなかったけどな」
「安心したぜ」と言って剣を肩に乗せて剣八は首をこきりと回す。
「ですよね。僕の知ってる更木剣八ならそう言うと思ってました」
「ところで、隊長」
「外さなくても良いんですか?眼帯」
「必要ねーよ。戦いは少しでも楽しめる方が良いんだからよ」
「なるほど」
「やっぱり更木隊長だ」
「大胆で」
「不敵で」
「傲慢で」
「そして何より ───
─── 愚かだ」
一瞬にして間合いが詰められた。
風を切る音すら置き去った一太刀。
一閃
皮を切り、筋肉を裂き、血飛沫が飛び散る。
「あ?」
怪訝な声を上げながらも骨の髄まで染み付いた闘争本能と戦闘経験は主である剣八の意思すら無視し、動揺、当惑、驚愕に囚われることなく動いた。袈裟懸けに振り下ろした刃を返
し逆袈裟切りに振り上げられる刃を受け止める。
歪な剣と剣がぶつかり火花を散らす。
しかし、互いの剣が僅かにも拮抗することは無かった。
ぞぶっ
刃が深々と肉を抉る音が一角にまで聞こえた。
受け止めたはずの剣は義壱の剣の威力を殆ど殺すことなく呆気なく弾かれ、体勢が崩れた体は刃を浴びることを易々と許した。
致命の一撃を二度も浴びた剣八は怯むことなく、口の端を釣り上げる。
「ハッッ!!」
血をまき散らしながら繰り出された刺突。
切先は真っ直ぐに義壱の喉を狙っている。
喉に食らいつく獣の牙の如き一撃に、しかし一角は眉を顰めた。
2人から離れた位置で見ているからこそ気付いた違和感。
乾いた音が響いた。
剣八の剣が弾かれた音だ。
迫る切先を刀の腹で滑らせそのまま櫛状の刃で絡め取ったのだ。
がら空きになった剣八の腹に義壱の蹴りが食い込む。
それは距離を取るために放たれた蹴りであるが、並の隊士が受ければ悶絶し蹲るには十分すぎる威力がある。
あくまでも並の隊士であり隊長格相手には然程の威力も無い。
更木剣八であれば痛痒も感じない ─── はずであった。
剣八は蹴りがめり込む感触と同時にこみ上げる吐き気を覚えた。
痛みと吐き気に見舞われようとも剣八は動きを止めはしなかった。
呻き声を上げながらも剣を振るおうとし、しかし、即座に飛び退いた。
飛び退くと同時に白刃が煌めいた。
寸前まで剣八の首があった空間を横薙ぎの一振りが切り裂く。
吐き気と痛みに一瞬気が散っていた剣八に剣を振るう義壱が見えていた訳ではない。
ただ獣の本能とも呼ぶべき生存本能が認知を超えた退避を選ばせた。
「けふっ」
咳き込むと、ごぽりと血の塊が剣八の口から零れた。
首元に横一文字に赤い筋が走る。
恐るべき反射神経をもってしても完全には躱しきれなかった剣が剣八の首元を切り裂いたのだ。
血と首元から流れる血が前掛けのように剣八の胸から腹を赤く染めていく。
「つくづく…つくづくとんでもない人だ貴方は⋯金糸雀の声だって聞いているはずなのに」
始解時に音叉で一太刀受けた時に、剣八は確かに金糸雀の音叉が鳴る音を耳にしている。
それにも関わらず剣八は首を斬り落とすつもりで放った剣を躱してみせた。
「こいつはどういうことだ」
剣八は痛みや驚きよりも、当惑するように傷口を指でなぞる。
「解せねぇな」
「踏み込むのも、その鋸みてぇな剣を振るのも見えちゃぁいたんだ」自分の行動を確認するように、困惑を僅かに浮かべたまま剣八は独り言ちる。
「一撃目は受けてやるつもりだった。身体に刃がめり込む瞬間に斬るつもりだったんだがな」
「いちいち捕まえるよりその方が確実に斬れるからよ」
「だが⋯」と剣八は首を傾げる。
「思ったよりも深く斬られちまった。だから二撃目は受け止めるつもりだったんだが」
つぷっと水音を立てて、剣八は指先を傷口に潜り込ませる。
傷の深さを確認するためとはいえ異常とも言えるすさまじい行為前にしても義壱は涼しい顔を崩さない。
「踏み込みの早さも、剣の重さも、卍解を使う前と後でテメェが特に強くなったようには思えねぇ」
傷口から指を引き抜くと赤く染まった指先を軽く舐める。
「となると、俺が弱くなったか?」
べっと血を吐き捨てた。
一角は息を呑む。
同時に先ほどの違和感に納得がいった。
それは「更木剣八の剣とは思えない程に鈍い」という率直な感想だった。剣八へ尊敬が崇拝に近いものがある一角にはそのことを俄かに認めることが出来なかった。
更木剣八の剣が自分の目にも明らかな程に鈍いはずがないと無意識に否定しようとしていた。
だが、剣八は淡々の事実を口にする。
闘争においては純粋であるからこそ、自分自身のことを一角以上に冷静に観察していた。
「流石」
義壱は刀身に付いた血を振るい落とす。
「今の更木隊長は十六から二十等の間ってところですかね」
「何だその数字は」
「霊威のことですよ。ご存知ありませんか。隊長なら三等以上、副隊長なら四〜五等霊威と言われてますね。朽木隊長とやった時は八〜十等霊威くらいでしたね。大体六席とか七席レベルだとそんなものですかね」
「よくわからねぇが、テメェの卍解の能力は敵を弱くするってのか」
「概ねそんな理解で結構。限られた空間において相手に影響を与える卍解。東仙要と分類は同じになるんでしょうね」
「最も」と自嘲混じりの笑みを浮かべる。
「卍解に『格』というものがあるとしたら、僕の卍解は東仙隊長よりも数段落ちるのでしょうけど」
義壱が一歩で距離を詰める。
刺突。
切っ先が剣八の左脇腹に深々と突き刺さる。
直後、義壱の頭上に振り下ろされる剣。
突き刺さった剣に僅かにでも怯んでいたら間に合うことのない一太刀。
柄を握るのは両手。
腹を貫く剣を防ぐことを最初から放棄し、斬ることだけに意識を傾けた一撃。
己の身体を囮にした末に放たれたはずのそれを、義壱は片手で鍔を受け止めてみせた。
更木剣八の剣を片手で受け止めるなどというあり得ない光景に誰よりも呆然としたのは一角であった。
無造作に受け止めた剣を振り払うと、そのまま剣八の胸部に義壱は指先を添える。
「破道の五十九。咬鼬」
轟音とも呼べる空気を切り裂く無数の音と共に真空の刃が剣八に絡みつく。
指先から放たれた無数の鎌鼬が愛撫するように纏わりつき、引き裂いて行く。
至近距離から放たれた真空の塊は剣八の巨躯ですら容易く吹き飛ばす。
血煙を上げ瓦礫へと突っ込む様から目を離さずに、義壱は己の手の感触を確かめるように何度も握り直す。
「本当なら更木剣八の両手持ちの唐竹割なんて受け止めた剣ごと両断されるんでしょうね」
「更木隊長が鬼道に吹っ飛ばされるなんて…」
「一角も僕も見たことないかな。でも仕方ないんじゃない?今のあの人は一般隊土程度。ひよっことは言わないけれど席官になんてなれない平隊士と変わらないんだから」
「義壱⋯てめぇ⋯隠してやがったのか」
「何が?卍解のこと?」
「それだけじゃねぇ。何で使わなかった!!」
「別に君のように無意味に出し惜しみした訳じゃないよ。出し惜しみして負けるなんて馬鹿みたいだもの。必要なら使うしそうじゃないなら隠しておくってだけ。これは隊長達を相手にする時の奥の手だからね。君相手に使わなかったのは…使うまでも無かっただけだよ」
「言ってくれるじゃねぇか」
「事実、君は今そうしてボロ雑巾のように蹲ってるでしょう。それとも卍解を使っての負けは負けじゃないとでも?」
「ッツ」
「ま、仮に君が龍紋鬼灯丸を使ったとしてもこれを使うまでもなかっただろうね。形だけ取り繕った卍解なんてただの張りぼてだもの」
噛み締めた歯が割れんばかりに軋みを上げる。
一角は何も言うことが出来なかった。
義壱の言葉は全て正しい。
敗北を喫してまでも卍解を隠すことが愚かな拘りであることも、
完膚無きまでに叩きのめされ、ただ二人の立ち合いを見ていることしか出来ないことも、
そして、今の自分の卍解が阿近に形だけ修復してもらった壊れ物だということも、
全てが事実である。
力無く俯く一角を義壱は冷めた眼差しで見つめていた。
鳶色の目には失望が浮かんでいる。
瞳に浮かぶ感情は失望だけではなかった。
悲嘆、寂寥、苛立ち。
様々な感情が暗闇に浮かぶ蛍の光のように浮かんでは消えた。
何も言い返さない彼に落胆するように溜め息を一つ吐くと、剣八が埋まっている瓦礫の山へと視線を戻す。
「隊長〜生きてます?」
気の抜けた声を瓦礫の山に向けて投げかける。
しかし、柔和な笑みを浮かべる鳶色の瞳には依然として鋭い光が灯っている。
義壱は口調とは裏腹に油断無く剣を構える。
その言葉に呼応するように、砂が山から零れ落ちた。
乾いた音を立て小石が転がり落ちる。
一拍置いて、瓦礫が次々弾き飛ばされていく。
やがて人二、三人分はある大きさの岩盤が地響きを立てて押し退けられる。
地響きと共に立ち昇る土煙の向こうに人影がゆらりと佇む。
砂利を踏む音と共に浮かび上がったシルエットは土煙を破り、そこから更木剣八が姿を現した。
「当たり前じゃねぇか。ようやく少しばかり愉しくなってきたんだぜ」
血の絡んだ歯を見せて、剣八が笑みを浮かべる。
赤いペンキを頭から被ったように血に塗れた顔で犬歯を剥き出しにした笑みを浮かべる様は、獲物の腸を食らい尽くしたばかりの獣の如き凄絶さである。
顔だけではない。
咬鼬を至近距離で受けた身体は至る箇所にざっくりと裂傷をこさえ、流れ続ける血は足元に血だまりを広げている。
血塗れという言葉すら生温いその姿は重傷者に他ならない。
しかし、剣八は笑う。
それは強がりではない。
狂暴にして無邪気。心からの愉悦に堪えきれず沸々とこみ上げた笑みなのだと彼の部下である一角も嘗て部下であった義壱もよく理解していた。
「不思議な感覚だぜ。てめぇの身体がてめぇのモンじゃねぇみたいだ。早さも力も何もかもが思い通りにならねぇ。これが『弱ぇ』ってやつか。東仙の野郎の卍解よりよっぽど嫌な能力じゃねぇか義壱」
「視覚、聴覚、嗅覚そして霊圧知覚を奪う東仙隊長の閻魔蟋蟀は素晴らしく、恐ろしい卍解ですよ。間違いなく僕なんかの卍解よりも素晴らしい。けれど更木剣八を相手取るならそれだけじゃ足りない。更木剣八という嵐の脅威は進路を狂わせた程度では消え去らない。吹き荒れる嵐はただのそよ風になってようやく脅威の対象から外れるんです」
「面白ぇじゃねぇか。今の俺はただのそよ風かよ!」
剣八が大きく踏み込む。
フェイントも何もなく真正面から一直線に。
袈裟切り。
蝿でも払うように金色の剣が弾き、
返す刀で剣八の左脇腹を深々と切り裂く。
怯むことなく義壱へ向き直り剣を横薙ぎに振る。
義壱は受ける事無くふわりと後ろへと跳んだ。
飛び退いた先、
義壱の背後には檻があった。
周囲を囲む義壱の卍解。
黄金の牢獄。
その金色の鉄格子に足を掛ける。
とんっ
蹴った反動を瞬歩に上乗せした義壱が矢のように剣八へと向かう。
迎撃すべく斬り上げた剣八の刃は当然の如く空を切り、左肩から右脇腹に掛けて彼の背中を斜めに横断する斬撃が走る。
袈裟懸けに切り裂かれた傷口から噴水のように血が噴き出す。
「⋯⋯?」
僅かに義壱の目に違和感が浮かんだ。
「おうっ」
呻き声とも感嘆の声とも付かぬ呟きと共に背後の義壱へ身体を独楽のように回転させ右手に握った剣を振り下ろす。
乾いた音と共にこれも叩き落される。
義壱が左手の指を剣八の右肩に当てる。
破道の四 ─── 白雷
閃光が剣八の肩を貫く。
その瞬間、義壱の顔色が変わる。
ぼっ
剣が真っ直ぐに義壱に向かって突き出された。
紙一重で躱し、義壱が飛び退く。
頬の数センチ先を切先が走る。
剣八が右手に握っていた剣を左手に持ち替えていたのだ。
恐ろしく鋭く素早い刺突だった。
あくまでも「一隊士が放つにしては」という括弧付きであるが。
隊長格にとっては取るに足らない一撃だ。
しかし、それは義壱の顔から余裕を消し去った。
素早さではない。
タイミングだ。
繰り出されるタイミングが凄まじかった。
白雷で撃ち抜かれるのと同時に繰り出された突きでは間に合わない。
肩を撃ち抜かれる瞬間では遅い。
剣を振り下ろした時には左手に持ち替えていなければ、
肩を射抜かれた時には既に突き出していなければあり得ないタイミングだった。
十分すぎる間合いを取った義壱の頬をぬるりとした感触が伝う。
指を当てる。
冷や汗ではない。
血だ。
拭った指先は血で汚れていた。
「くはっ」
短く剣八が息を吐いた。
「はぁーっはぁ!!」
火を噴くように、熱い息を吐き出し剣八が笑った。
義壱を侮る嘲笑ではない。
己を鼓舞する強がりでもない。
熱気と興奮に息を荒げる子どものような笑い声だった。
「つい堪能しちまった」」
「堪能?」
「ああ。何せ初めてだったからよ、じっくり味わっちまってた。『弱い』ってことをよ」
ぼりぼりと首元を掻き毟ると、首元から乾いた血が零れ落ちていく。
剣八の首元に視線を向けていた鳶色の瞳が僅かに見開かれた。
ついさっき切り裂いてやった剣八の傷口が既に塞ぎかけているのだ。
「なるほどな。これが弱いってことなのか。満足に剣を振れねぇ、避けられねぇ、すぐに傷つく。苛つく。焦ってぇ。ここから強くなっていく奴等がいんのか。凄ぇな。面白ぇな」
「先ほどの背中への一撃……骨も断つつもりでしたが、届いていませんでしたね。隊長、何をしたんですか」
思わず問うていた。
戦いの最中に敵に手札を尋ねるなど愚の骨頂であるというのに。
剣八の背中を袈裟切りにした金糸雀を通じて感じた感触を思い出す。
噴水のように血が噴き出す程の傷は間違いなく致命傷だ。
だが、義壱はそもそも骨ごと断ち切り、その身を両断するつもりでいた。
しかし、振り下ろした剣は剣八を両断することはおろか骨を割ることさえ叶わなかった。
「何もしてねぇさ」
幾度も深手を負わされたにも関わらず、剣八は火の玉のように飛び出した。
敗北への不安も
痛みへの恐れも
傷を負う怯えも
何も感じていないかのように、
限界まで引き絞られた矢が飛び出すが如く。
待ちきれないように一直線に踏み込み、剣を振り下ろした。
激しい火花と共に、義壱はその剣を受け止めていた。
単純な攻め。
馬鹿正直すぎる剣。
異なるのは、蠅を払うように容易く弾くことができていた先ほどとは打って変わり、片腕とはいえ十分な力を込めて受け止めざるをえなかった点だろう。
小さく舌打ちをすると義壱は巨躯から繰り出された上段の一撃を、加えられる力に逆らわず、方向をずらしてこれをいなした。
身を翻しながら鬼道を至近距離から放つ。
破道の五十九 ─── 咬鼬
剣八の身体が風の渦にまたもや吹き飛ばされる。
しかし、瓦礫にぶつかりながらも転がる勢いのまま剣八は即座に立ち上がった。
その表情は遊戯に耽る童そのもの。
血に汚れ、暴力に酔いしれる悪童だ。
顔色が優れないのは鬼道を放った義壱の方である。
「ハッ。顔色が悪いじゃねぇか」
「本当に何をしたんです?」
患者の傷口を診察する医師のように剣八の身体に視線を巡らせながら呟いた声は微かに震えている。
血を流しているものの、たった今受けたはずの傷口は膾切りした一度目よりも遥かに浅い傷だった。
「言っただろ、何もしてねぇって。単純なことじゃねぇか。弱くなったなら、また『強く』なりゃあいいだけの話だ!!」
咆哮と共に撃ち出された巨大矢の如き刺突。
目を焼く程の火花が飛び散り、
吹き飛ばされたのは義壱であった。