ごうっ、
圧倒的な速度と質量、
そして霊圧の塊。
大気を押し退けるその気配に刈谷と磯螺の産毛が総毛立った。
風を切り裂く轟音より先に刈谷と磯螺はその場を飛び退いていた。
直後に大ぶりな刃が地を抉り取った。
刃は地を穿った後もうねり、飛び退いた刈谷を獲物を狙う大蛇のように追っていく。
「磯螺」
「おう」
粉塵を巻き上げながら刈谷へと迫っていた刃の蛇が飴色の盾に弾かれた。
蛇が伸びきった身体を縮めるように、鋼鉄の縄で繋がれた刃が元に戻るのを目で追いながら刈谷は素早く銃を構える。
「油断するな磯螺。次来るぞ」
言葉と同時に刈谷の放った銃弾は三発。
三発の銃弾が刈谷の目前にまで迫っていた白銀の波とぶつかるや否や赤赤とした焔へと変わり、すぐさま音を立てて爆発の如き水蒸気を放
水蒸気は瞬く間に霧状へと変わり辺り一面を覆いつくしてしまう。
高温の炎と絶対零度の凍気がぶつかった結果生じた現象であった。
水蒸気爆発が起きた方へと油断なく銃と視線を向けたまま刈谷は傍らの磯螺に話しかける。
「どうする磯螺」
「やめておこう。今の俺達じゃ十中八九勝てない」
刈谷同様に水蒸気爆発の起きた方を睨みながら磯螺はほんの僅かに口惜し気な口調で首を振る。
「無理か」
「可能性は低い」
既に二人は後方へと後退りを始めていた。
決して背を曝さず、
闖入者への警戒を怠らず、
ただ速度だけを切り上げ、後ろ向きに駆けだす。
「そんじゃあ、とっとと逃げるか」
「ああ、逃げよう」
「よし」
そう言ってひょいと二人揃って逃げてしまった。
「クソ、何も見えねぇっ!」
立ち込める霧を掻き分け、男が吐き捨てた。
「霊圧が消えた。既に逃げられている」
男の傍らの小柄な少女が男を窘める。
「追うか?」
「よせ。伏兵がいるやもしれん。綾瀬川三席を助ける方が先だ」
「それもそうか」
蛇腹状の刃を肩に担いだまま、男は刈谷達が消えていった方をひと睨みだけする。
見事な逃げっぷりである。
追って行った男二人が遠くへと消えて行ったことを確信しているのか、或いは警戒は自分の連れの男一人で十分だと信頼しているのか、小柄な少女の方は光の帯に拘束された弓親へと駆け寄る。
「ご無事ですか綾瀬川三席。すぐに解きますので」
「助かったよルキアちゃん。恋次もありがとう⋯」
「弓親さん大丈夫っすか。すぐに勇音さんのところに連れて行きますから」
「彼女も来てるのか…大丈夫、歩けるよ。肩だけ貸してくれるかい恋次」
戒めを解かれた弓親に恋次がすぐさま肩を貸す。
一目で弓親の怪我の深さを察する。
彼の霊圧の消耗具合が何よりもそれを物語っていた。
ルキアは手にした斬魄刀を収めながら、晴れていく霧を目で追っていた。
「恋次、あの男は確か六席だったな」
「確かな。六席のくせに袖白雪を防ぐなんてやるじゃねーか。けど、お前も加減して撃ったろ?」
不器用なフォローにルキアが少し苦笑する。
すっかり逃げおおせた男二人の消えた方を見つめ続けている自分を慮ったのだろう。
大方逃がしてしまったのが自分の責任だと思い詰めているとでも思い心配しいるのだ。
「余計な気遣いなどするなバカ者。確かに白蓮は加減して撃った⋯だが」
「他に気にかかってることがあるのか?」
「白蓮を相殺した炎⋯詠唱こそ無かったがあれは廃炎だ」
「はいえん⋯っつーと⋯」
「破道の五十四。狭い範囲に高密度の熱を発生させる鬼道だよ」
「弓親さん」
「習わなかったのかい?」
「あ〜〜いや、習ってなかったような⋯」
「習っておるわ⋯」
「鬼道は苦手なんだよ」
「変わらないね恋次」
弓親とルキアの呆れた眼差しから逃げるように恋次は決まり悪げに明後日の方を向く。
「けど、けどよ。その廃炎を撃ったのか?あの六席の野郎が鬼道を撃つ気配はなかったが⋯もう一人の奴、七席の方か」
(誤魔化したな⋯)「いや、彼も違うだろうね。撃ったのは間違いなく六席⋯刈谷といつ男さ」
「白蓮を防げる程の鬼道って少なくとも八十番台じゃねーと難しくないっすか?ましてや詠唱破棄した鬼道なら尚更」
腑に落ちないと言いたげに眉を顰める恋次に対して、ルキアも言葉にこそ出さないが不可解さを隠せぬように顎に手を当てる。
破道の五十四【廃炎】は鬼道としては中級レベルであるが、範囲を絞って高密度のエネルギー
を放つ特性であるだけに、攻撃力のみに着目すれば上級鬼道に近い。
放つ者の霊圧によっては十分過ぎる程に必殺の威力を秘めている。
ルキア達は知る由も無いが、嘗て元九番隊隊長東仙要が切り落としたグリムジョー・ジャガージャックの腕、並の死神の斬魄刀では傷一つ負わせることの出来ない鋼皮に覆われている破面の腕を木っ端微塵にしている程だ。
しかし、並の死神の技であれば相殺できるとしても、隊長格に匹敵すると言われるルキアの袖白雪の技、「白蓮」を防ぐに足るものではない。
「弾…」
ぽつりとルキアが零した。
刈谷が白蓮に向けて放った銃弾は三発。
それらの弾丸全てに廃炎が込められていたのであれば。
三発分の廃炎の威力ならば相殺できる威力にも達するだろう。
ルキアの言葉に弓親が頷く。
ぽつぽつと頬を伝う汗が地に落ちる。
りを常に気遣う彼らしくもなく、流れる汗をぬぐうことも
傷の痛みを堪えるだけで精一杯なのだ。
「やっぱり勇音さん連れてきましょうか?」
「大丈夫。歩きながら話そう」
安静にすべき傷だろう。
顔色の悪さと汗の量が彼の痩せ我慢の度合いを示している。
しかし、恋次は敢えて弓親を止めることはなかった。
嘗て十一番隊で一角と共に己を鍛えてくれた先輩であり上官でもある弓親が中性的な外見とたおやかな物腰とは裏腹に本質の部分が意固地なまでに「十一番隊らしい」男であることを恋次は熟知していた。
故に彼の意地を恋次は尊重する。
「僕を縛っていた六杖光牢も同じだった。足元に銃弾を撃たれたと思ったら気付けば絡め取られていた」
「鬼道を弾丸に込める能力」
「おそらくそれが彼の始解の能力」
青白い顔を顰めていた弓親は浅く頷く。
「いやらしい能力だな⋯」
「けど、厄介なのは能力の方じゃないね。彼らの霊圧⋯あれは副隊長クラス。いや、或いはそれ以上か」
「何度か現場で顔を合わせたことはあります。こう言っては失礼ですが、四番隊ながら斬拳走鬼いずれもよく練り上げられ、五席、四席相当の実力はあるのではないかと思っていました。ですが⋯」
「副隊長レベルとはとても言えなかった⋯だろ
「⋯⋯はい」
「急激に強くなったってのか?」
「確かに才能があるとは思ったが、天才という印象は無かったのだがな」
「そこまで急速に成長を促す訓練法が確立されているならもっと話題に上るだろうしね」
護廷十三隊の平隊士と席官とでは大きな差がある。
そして、席官と副隊長以上との差は更に大きい。
任務において、隊長と副隊長のみ限定霊印により霊圧を制御されているのがその証拠だ。
副隊長から上のレベルとはそれほどに死神において別次元の存在だといえる。
無論、鍛錬によって六席、七席が副隊長レベルまで強くなること自体はおかしい話ではない。
六席から副隊長に昇格した恋次がいい例である。
しかし、死神としては破格の才能を持っている阿散井恋次であっても護廷に入り四十年の歳月を戦果と鍛錬の結果辿り着いたのである。
恋人としての贔屓目を抜きにしてもルキアの目には刈谷や磯螺が恋次以上の才能を持つ者にはとても見えなかった。
「いずれにせよ⋯」
走る足を緩めず、弓親が顔を歪める。
「義壱がすべてに関わってる、それだけは確かだね」
顔を歪めたのが痛みのせいではないことを、恋次もルキアもわかっていた。
──── 半ば廃墟と化した、真央施薬院。
辺りを包む空気は、焼け焦げたような鉄の匂いがした。
石畳には血が滴り、壁は抉れ、天井の一部は崩れ落ちていた。
本来は治癒と安寧の象徴であるこの施設は、今や惨劇の証人でしかない。
「……そんな……」
崩れた門をくぐり、駆けつけた虎徹勇音は、その光景に立ち尽くした。
そこには、血まみれで地に倒れる男がいた。
更木剣八。
護廷十三隊十一番隊隊長。
赤い雨に打たれた様に全身を血に染めた凄惨さよりも、彼の手足の関節が逆方向に曲がっていることに勇音は言葉を失った。
そのすぐ傍らで、もう一人の男が膝をついていた。
斑目一角。
十一番隊副隊長。
彼の眼差しは虚ろで、切腹したように真一文字に切り裂かれた傷口からは血が流れている。
乾いて固まった血と、塊かけたぬりとした血と、新たに流れる血、あらゆる血が一角の下半身を赤く染め、足下に血溜まりをつくっていた。
生きているのか?
まずそう思う程、夥しい傷を負った剃頭の男は、地面を握りしめていた。
握りしめた拳が微かに震えていることが彼の生存を伝えていた。
戦闘があったことは明白だった。
だが、誰一人として“敵”の姿は見当たらなかった。
勇音はすぐさま剣八の脈を取り、一角に呼びかけた。
「斑目副隊長! 意識はありますか!? 誰が……」
一角は、ゆっくりと顔を上げた。
「……義壱……だ」
「……」
この地に足を踏み入れた瞬間に半ば予想は付いていた。
刈谷と磯螺が如何に腕に覚えのある若者であろうと、この2人をここまで出来るはずがないと。
しかし、わかっていたとはいえ明確に口にされた言葉に頬を打たれたような衝撃を受ける。
「……あいつが……隊士達を……四十四人も引き連れて……」
勇音の顔色が変わる。
「……あいつ……俺たちを……殺そうと思えば、できた……。だが……しなかった……」
その言葉の先に、何かを探すように、一角の視線が虚空を彷徨っていた。
──── 同時刻、貴族街。
焔に呑まれた静寂の中で地鳴りのような轟音の余韻が、まだ空気に残っていた。
並ぶ屋敷は瓦礫と化し、所々からまだ炎がくすぶっている。
その中で、一人の青年が懸命に走っていた。
四番隊三席山田花太郎だ。
「……はあっ、はあっ……」
息を吸うたびに咽せ返りそうになる。
熱と灰、そこに人の焼ける匂いが混ざり言葉に尽くせぬ凄まじいものとなっている。
焼かれた木が爆ぜる音、人々の呻き声、子供の泣き声。
花太郎とて護廷の一員。
四番隊の三席である。
血の匂いも戦火の跡地も初めてではない。
しかし、ここまでではなかった。
花太郎の知る最も大きな戦場は「見えない帝国」の侵攻を受けた時だ。
あの時ほどの規模ではない。
それなのに、吐き気を堪えているのは何故か。
(だって、あの時は…)
戦地は瀞霊廷。
死者の多くは護廷の隊士達であった。
いつ何時であっても死ぬ覚悟を持った者達の屍ばかりだったのだ。
しかし、ここで消し炭になり、瓦礫に潰され、死にきれず呻いているのは民。
貴族ではあるが、戦場に身を置いていないという点ではただの民間人でしかない。
貴族だろうと貧民だろうと、そこに違いはない。
少なくとも山田花太郎はそう考えている。
少なくとも山田花太郎はそう思っている。
「あ、あれは……!」
目に飛び込んできたのは血に塗れた死神の姿だった。
倒れていたのは二人。
一人は、二番隊隊長砕蜂。
もう一人は、彼女を背負って意識を失っている六番隊隊長朽木白哉。
砕蜂の背からは血が滲み、隊服は焦げ付き、体の至る所に切り傷が刻まれていた。
白哉は胸部の骨が折れており、もはや呼吸もままならぬような状態だった。
傷の多さは白哉かもしれないが、傷の深さは砕蜂の方が深刻である。
深く切り裂かれた膝からは赤い筋繊維が覗き、骨まで露出しかけていた。
右肩は骨が外れ、千切れかけた腕が辛うじて皮膚でぶら下がっている状態である。
「……し、死んじゃ……っ、いや……まだ……!」
花太郎はすぐに緊急処置を始めた。
震える手で止血を行い、呼吸も苦しげに喘ぐのみの白哉には口移しで回復用の薬を飲ませる。
全霊圧を込めて回道をしようとする焦りと、隊長二人の命が自分の手に掛かっている事態への緊張感に卒倒してしまいそうになる意識を使命感で引き戻す。
溢れそうになる涙を死覇装の袖で拭いながら、必死に回道が乱れぬように集中する。
「お願いです……死なないで……! あと少しで……応援を……!」
炎の向こうで、花太郎の小さな声が祈りのように響いた。