想いを乗せた剣は命を奪い
流れる血と、零れる刃と共に地に落ちる
如何に瀞霊廷が混乱の渦中にいようとも、虚にとっては関係の無いことである。
当然すぎる理屈を勇音はこの数日で嫌という程痛感している。
「こちらの患者の処置は完了しました。四十八時間経過して容態が安定しているなら一般病棟へ移してください」
「裏廷隊からの報告は些細なものでも上げてください。報告は伊江村三席に随時伝えておくのを忘れないように」
「三号棟の患者はもう隊舎に帰してもらって構いませんので六番隊に連絡を⋯あ、念の為三席にも為連絡をお願いします」
「先ほど運ばれて来た九番隊の隊士はどうなりましたか。霊圧洗浄は終わりましたか?」
四番隊舎に運ばれてくる怪我人は尽きることが無い。
虚による被害報告に加えて異形化の発生。
護廷の戦力はこの数ヶ月、そして先日の「事件」によって大きく削られている。
絶対的な隊士の不足
隊長不在による士気の低下
指揮系統に混乱をきたした部隊の機能不全
派遣されている隊士の数や練度によっては壊滅する事態も起こる。
虚はその生存本能、殺戮本能から獲物が弱い場所へと群がる。
そして、更に死傷者が増えるという悪循環。
横嶌義壱による反逆が起きてから既に一週間が経過した。
護廷は裏切り者の討伐はおろか、虚と異形化の対応すら満足に出来ていない状況である。
一、三、五、八、十、十二番隊の六部隊は隊長、副隊長共に健在であるが、総隊長である一番隊が中央で指揮をする以上残り五部隊で対応する他ない。如何に超然たる力を誇る隊長とはいえども、物理的に間に合わない敵には対応の仕様がない。
尸魂界の歴史に深い爪痕共に刻まれた事件のいずれよりも静かに、しかし確実に瀞霊廷はその力を削がれつつあった。
次々と回ってくる報告の束を目まぐるしい速さで捌く勇音の手が一つの報告に止まる。
「咲良四席」
「はい」
勇音の呼び掛けに応える声は早かった。
今しがた急患の治療を終えた咲良葵が、手を消毒しながらすぐさま勇音の側へと駆け寄る。
「いの十八番地区で防衛に当たっている七番隊から救急要請が来ています」
「いの十八番地区⋯北門に近いですね」
「ええ。北門は断蔵丸さんが守護していますが、相当数の虚が出ているのか対応に苦慮しているようです」
「わかりました。腕の立つ隊士で救急部隊を作ります」
「お願いします。人選は任せますから」
音の言葉に頷き、襷掛けにしていた帯を解こうとしたところで葵が手を止める。
「どうしました?」
葵の様子を怪訝そうに見る勇音に対して、勇音よりも頭一つ分以上背の低い葵は自然と勇音を見上げように見つめる。
「あの⋯⋯」
竜胆色の瞳は憂いを帯びていた。
「人選は副隊長がお願いいたします」
「え?」
「多分その方が周囲は安心するはずです」
「別にそんなこと気に⋯」
「気にしない訳にはいきません」
固い言葉であった。
拒絶にも似た固い言葉である。
冷たさすらある固い言葉が葵の小さな口から硝子の破片のように零れた。
「私は横嶌隊長を強くお慕いしています。一応は疑惑が晴れたとはいえ、そんな私が出るのは、それも私が隊士を選んでしまえば、最悪私だけでなくその隊士達まで疑惑の目を向けられてしまうかもしれませんから⋯」
縅口令が敷かれているとはいえ、それは他部隊の話である。
少なくとも隊長を始めとした席官や隊士が数十名も姿を消している現状にただならぬものを感じない訳も無い。
事の詳細がわからずとも、不穏な何かが起きていることを多くの隊士達が察していた。
先日の横嶌義壱暗殺未遂事件に伴う咲良葵の拘束の件もあって、横嶌義壱の不在と葵の繋がりを疑う者がいることも事実であった。
隊内に流れる重苦しい空気、息が詰まりそうな程に用心するような眼差しを互いに送り合い、慎重に言葉を選び、そして呑み込んだ果ての固い沈黙。
葵を気遣う一方で、彼女の申し出は実際のところ勇音の気持ちを楽にさせた。
そして安堵を覚えてしまった自分自身に勇音は自己嫌悪を覚える。
「わかりました。ただし咲良四席に指揮を執ってもらうことに変更はありません。今の四番隊に能力のある者を出し惜しみする余裕はありませんから」
葵の目を見て、勇音は彼女にしては珍しい程はっきりとした強い口調で言い切る。
ただでさえ予断を許さない程の殺伐とした騒乱の中で、隊長の反逆という部隊の屋台骨を揺るがしかねない状況にあって互いを疑い合い、不信を抱き続けていては四番隊そのものが瓦解する。
副隊長として、そして卯ノ花亡き後彼女の大切にしていた四番隊を守る者の一人として、そのような事を勇音は看過するわけにはいかない。
「よろしいですね、咲良四席」
真っ直直ぐに自分を見つめる勇音の瞳に僅かに息を呑んだ葵は、小さく口を開くがそのまま何も言うことなく噤む。
喘ぐ様に呼吸をしたのか、それとも何かを言葉にしようとしていたのかは勇音にはわからない。
数秒、竜胆色の瞳が足下へと移る。
十秒にも満たぬ沈黙を経て、葵が勇音を見つめ返す。
普段の彼女が放つ柔らかい瞳ではない。
依然として拒絶にも似た頑ななまでの緊張と憂いは残っている。
しかし、迷いも無かった。
一つの決意を秘めた強い眼差しである。
「はい」
決意をそのまま声にしたかのように、固く揺るがぬ声と共に葵は頷いた。
* * *
ここは七番隊から救援要請のあった「いの十八番地区」。
四番隊咲良葵の小隊が到着した時、虚の姿は無かった。
七番隊士が死力を尽くして虚を追い払ったのだ。七番隊は五席を含む席官3名と、席官がそれぞれ指揮する4名の隊士からなる3小隊の計15名の布陣であったが、死亡者3名、意識不明者が2名、重傷者5名、その他無傷の者は一人もおらず、追い払ったとはいえ実質質壊滅状態であった。
隊士達の容態から医療テントの設営を行い現場で治療することとなった。
夜営の設置を終えた報告をすべく、一人の隊士が咲良葵の下へと駆けつけたところで彼は息を呑んだ。
腰に二振りの刀を差し、強く引き結んだ唇は紅を差してもいないのに鮮やかな朱を纏い艶っぽくすらある。
少し痩せただろうか。
元々小柄な人だったが、今は以前よりも小さく、そして儚く見える。
抱き締めてしまえば容易く手折れてしまいそうな菖蒲の花のようで。
健気で儚く、そして控えめな美しさを放っている。
無論、容易く手折れてしまうような弱い人ではない。
ましてや自分ごときが抱き締めることなど到底許される人ではないことは承知のことだ。
だが、せめて妄想するくらいは許されるだろう。
虎徹勇音副隊長から映良四席の指揮する小隊に加わるようにと声が掛かった瞬間、声を上げて飛び上がりそうになった。
咲良四席に憧れ、四番隊が剣術に心血を注いでどうするのだと陰口を叩かれようとも鍛錬に励み続けた努力が実を結んだと思った。
強くなりたいと思う先には咲良四席の役に立ちたい、あわよくば認められたいという想いがあった。
動機としては不純かもしれない。
隊の力になるべく練磨を絶やさなかった、隊に尽くすべく邁進した、護廷隊士としてはそうあるべきなのかもしれない。
下心と断ぜられかねない。
しかし、理由はどうであれ努力に嘘は無い。
自分の努力が認められたことで、自分の想いも報われた気がした。
「あの、咲良四席⋯」
「ん?」
「咲良四席は二刀使いなのですか」
言葉にしてから後悔した。
もっと他に言葉は無かったのか。
気の利いた台詞を言える性質ではない自覚はあるが、それならばせめて冴えた言葉を、そう例えばこれから臨む任務に有益な質問の一つでも言えなかったのか。
「いえ、二刀一対の斬魄刀といえば総隊長の花天狂骨か浮竹隊長の双魚理しか知らなくて」
焦りと共につい早口になる自分を情けなくなるが、葵はくすりと小さく笑う。
隊士はその笑みに嘲弄や呆れるといった気配が無いことに胸を撫で下ろす。
「ふふ、紛らわしいわよね」
葵は刀の柄をそっと撫でる。
「私の斬魄刀は一振りだけ。こっちは普通の刀。勿論、結構な業物だけどね」
そう言われてみれば、確かに葵の腰に差された刀の一振りからは斬魄刀特有の霊圧が感じ取れるが、もう一振りからは余り感じられない。
と、そこまで思ってから葵の腰回りを凝視している自分に気付き隊士は慌てて目を逸らす。
細く薄い少女のような腰つきに不埒な目を向けてしまいそうになったからだ。
そのような目で見ているともし葵に気取られようものならば、羞恥心からとても生きていけない。
幸いにも葵は隊士の仕草に特に不審を抱いた様子も無く、自分の斬魄刀に視線を落とす。
「こっちは護身用」
「護身用⋯ですか?」
「そう」
葵が斬魄刀を抜き放つ。
「あ⋯え?」
隊士が間の抜けた声を上げる。
彼の視線は葵の斬魄刀、その刀身へと向けられていた。
葵が戦う姿は何度も見た事もある。彼女が刀を振るう姿も。
その時に彼は目にしていた。
光閃を引く刃。
迷いの無い真っすぐな太刀筋。
猫のように軽やかな身のこなし。
その時に目にした葵の斬魄刀は二尺四寸程であった。
しかし目の前で葵が抜いて見せた刀身は一尺にも満たない。
短刀程度の長さもない。
「これが理由。私の斬魄刀⋯藤袴は使う程目減りしていく斬魄刀なの」
「その為の刀ですか」
葵は笑顔で頷いた。
咲良葵の斬魄刀「藤袴」は毒や出血、病の進行すら止めてしまう能力を持つ。
「まだ藤袴を解くことは出来ないから」
虚の発生が増えているせいで、今でも多くの隊士が怪我や病に喘いでいるのは隊士も知っていることだ。
「だからこその護身用⋯」
「自分の役目や能力を誰かに護ってもらう理由にはしたくはないの。別に強制されたわけじゃないし、誰かに強制するつもりもないけどね」
隊士は目も覚めるような思いがした。
四番隊舎で床に臥せっている隊士達、虚に身を裂かれ、噛み付かれ、毒を身に受けている者達の多くに、葵が藤袴の針を打ち込んでいることは隊士も知っている。
回道よりも迅速且つ効果的な能力に、自然と四番隊の誰もが彼女の能力を当てにしていた。
それが彼女から戦う術を削るものだということに思い至ることなく。
何故、四番隊士でありながら葵が剣術の腕を磨くのか。
彼女が憧れる横嶌義壱に近づくためだと思っていた。
そう思ったからこそ隊士は密かに失恋の涙を流したのだ。
しかしそうではなかった。
いや、横嶌への恋慕もあったかもしれないが、彼女にはより明確な理由があったのだ。
一人の隊士として、己の身を守る為に強くなるという護廷の隊士としての矜持が。
誇り高く凛然とした上官の在り方に感動する。
同時に、勝手に恋慕し勝手に失望していた自分を恥じる。
思わず拳を握り込む。
失恋するのも当然ではないか。
そもそも自分如きが彼女に恋慕の念を向けることすらおこがましい。
「咲良四席」
「はい」
「自分如き未熟者が…身の程知らずも甚だしいですが」
緊張と羞恥で口の中が乾く。
「自分は咲良先輩に⋯咲良四席に憧れて四番隊に入隊しました」
追い払ったとはいえ、ほんの数刻前までは虚達が跋扈していた戦地の真っ只である。
「四席の強さに少しでも近づきたくて自分なりに剣術の鍛錬も積んできました」
いつ何時命の危機にさらされるかわからぬ状況であることは十分に理解している。
「恥ずかしながらまだまだ四席には遠く及ばないことは承知しています」
恥は承知の上だ。
「しかし…」
それでも言わずにはいられなかった。
「微力ではございますが、四席のお役に立てるように死力を尽くします」
せめて、身の内から湧き上がる感情の熱を少しでも葵に知って欲しかった。
葵は僅かに目を丸くすると、ゆっくり頷いた。
「はい。ありがとうございます。頼りにしていますね」
花が綻ぶような可憐な笑みを間近で目にして、それだけで隊士は天にも昇る気がした。
* * *
それから一刻後。
葵の部隊は生き残った七番隊の小隊共々壊滅することになる。
虚によって。