ただ野良犬として牙を剥き
ただ野良犬として爪を研ぎ
ただ野良犬として吠え続け
ただ野良犬として野垂れ死ぬ
四番隊舎、席官以上の者に宛がわれる病室の一室に班目一角はいた。
高い地位にいるから特別扱いを受けるという訳ではない。
席官クラス以上を厚遇するという表向きの理由とは別に彼らを「隔離する」為にそこは機能していた。
霊圧差が大きければ呼吸すら出来ず気を失うことも珍しくはない。
もしも一般隊士、未熟な隊士が更木剣八と同じ病室に寝かせれば強すぎる霊圧に当てられて回復に支障をきたすだろう。
怪我人の為の病室でそのような事態を起こせば治療が立ち行かなってしまう。その為の配慮だった。
一角が四番隊舎に運び込まれて三日が経った。
横嶌義壱に深手を負わされてから三日が経った。
傷は概ね塞がった。
霊圧も回復している。
鬼灯丸は砕けた折れたままである。
明日まで入院するように言われているが、今すぐにでも退院してしまいたいというのが一角の本音であった。
深手であったが一角は「深手のみ」で済んだ。
剣八、白哉そして砕蜂の霊圧は戻らないままだ。
故に焦る。怪我ぐらいでじっとしていることは耐え難かった。
不甲斐なく敗れた上に、何も出来ずに病床に就くのは傷の痛み以上の苦痛となって一角を責め苛む。
しかし、逸る気持ちとは別に「退院してどうなる」という昏く諦めにも似た気持ちが肚の底にあった。
龍紋鬼灯丸を砕かれた瞬間を克明に思い出せる。
あたかもガラス細工を割るように、脆く呆気なく砕け散った己が分身。
一度壊れた卍解は元に戻らない。
例外は斬魄刀の生みの親である二枚屋王悦によって鍛え直してもらうことだけだ。
破面との戦いで壊れた卍解を阿近に形だけ修復してもらっていたが、それは文字通り形だけであった。
一角の想像以上にそれは脆く、形ばかり取り繕った刃を振りかざすことがどれ程無謀で愚かな事であるかを痛い程思い知らされた。
もう一度阿近に修復してもらうのか。
それが一番の方法だろう。
そうして、また繰り返すのか。
陽光を浴びて輝く鬼灯丸の破片の一つ一つが瞼の裏に焼き付いている。
いや、そもそも卍解が万全であったとしても勝てるのか。
龍紋鬼灯丸が通じなかったのではない。
それ以前に一角の強さが義壱の強さに通じなかったのだ。
始解同士の立ち合いで一角は義壱に不覚を取っていた。
卍解を砕かれたのは剣八を嘲られた時だ。
激情と共に振り下ろした卍解の一撃をまるで羽虫を払うように一太刀で打ち砕かれたのだ。
その事実が一角の心に圧し掛かるり進もうとする意志を挫く。
一角には非常に珍しいことであるが、今すぐにでも起き上がり戦いに赴きたいという激情を躊躇が上回っていた。
一人になりたいといじけた子どものような気持が彼自身を床に縫い付けていた。
そんな一角の心情を勇音は感じ取っていたのだろうか、彼女は医療として必要な診察の時を除き一角の病室を訪ねることはしなかった。
その配慮に一角は救われ、また打ちのめされていた。
「よう」
「⋯⋯んだよ⋯阿近じゃねぇか」
珍しい客に班目一角が微かに眉を顰める。
関りが無い訳ではない。寧ろ副隊長のなかで一角よりも阿近と言葉を交わしている者などいないかもしれない。
「何か用かよ」
「用が無きゃこんなところ来やしませんよ
「へっ、テメーらしいな」
阿近は溜め息を吐くとベッドの脇の椅子に腰かける。
「聞いたぜ」
「あ?」
「手酷くやられたんだってな」
「見りゃあわかんだろ。知ってるからここまで来たんだろうが。それともわざわざ言いに来たのか?」
「噛み付くなって」
阿近は袂から煙草を取り出すと、そのうちの一本を一角へと差し出す。
「病室は禁煙だろうが」
「吸わねぇのか」
「そうは言ってねぇ」
一角の咥えた煙草に火を付けてやると、そのまま自分の煙草にも火を付ける。
暫し何も語らず二人は深く煙草を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
一角は目を細めて実に美味そうに煙を吸い込んでいた。
そんな一角をちらりと一度だけ見ると阿近は病室の天井へと視線を向けた。
自分と一角の吐き出した紫煙はゆるやかに上り溶け合っていくのを目で追っていく。
「鬼灯丸、砕かれたんだってな」
吸殻を携帯用灰皿に捩じり込むと阿近がポツリと呟いた。
「⋯⋯知ってんのか」
口にしていた吸殻を行儀悪く窓枠に押し付けて揉み消すと一角は不機嫌さを隠すことなく眉を顰める。
手酷くやられたとはそのことかと一角は納得した。
よく考えてみれば阿近が自分の敗北などいちいち気に留めるはずも無い。
彼が気に掛けるとすれば自分が修復した龍紋鬼灯丸が砕かれたことだろう。
自分が手掛けたものが壊されたならば気にするのは一角とてわからなくもない。
「悪いけどよ、また直してくれねーか」
「直す?」
「出来るだけ急いでくれ」
「鬼灯丸をか?それとも龍紋鬼灯丸をか?」
「どっちだって同じだろ」
「違ぇよ。鬼灯丸なら直せる。だが龍紋鬼灯丸は無理だ」
「なんでだよ」
「聞くのかそれを?アンタならとっくにわかってるんじゃないのか」
阿近の表情は変わらないが、その目だけは何は何処か苛立ちを帯びている。
わかりきったことを聞くなと一角を責めるように。
「前みたいなので構わねぇ」
「はっ。それでまた横嶌隊長に砕かれるのか?」
せせら笑うように吐き捨てる阿近の胸倉を一角は思わず掴んでいた。
「ハリボテでも無ぇよかマシだ」
「始解で挑む気か?」
「ああ。始解は問題無く使えんだからよ」
小さく息を吐くと、阿近が嘲るように口の端を釣り上げる。
「正気か?隊長格に始解で立ち向かえるのは黒崎一護くらいだろ。アンタ程腕に覚えがあるわけじゃない俺でもそいつが無謀なことなのはわかるぜ?」
「尻尾巻いて逃げるよかマシだ」
犬歯を剥き出しに唸る一角に阿近は顔を顰めた。
息が触れる程に顔を近づけると、煙草の匂いが互いの鼻腔を突く。
「たとえ棒切れ一つだって構いやしねぇ」
「そんで無謀な戦いに出て犬死するのが十一番隊とやらの流儀っすか」
ぎしりと音を立てて歯を噛み締めた一角は、しかしそれ以上の激昂を見せることはなかった。それどころか気が抜けたかのうように阿近の襟を掴む手が緩む。
傷が完全に塞がっていないのに無理に動いたせいなのか、或いは痛いところを突かれたからなのか、一角はただ俯く。
そのこめかみからみから頬へと大粒の汗が伝い顎先から膝へと落ちた。
「んなこたぁわかってんだよ⋯」
シーツに出来た小さなシミを睨むように、俯くと一角は搾り出すように呻く。
「鬼灯丸が完全に直っても勝てねーかもしれねー⋯隊長達も義壱の野郎にはやられてんだ。俺がどうこうできるもんじゃねー⋯だがよ、何もしねー訳にはいかねーだろ」
阿近の襟から力なく手を離すと一角は己の手をじっと見る。
剣だこの上に剣だこが重ねられ固く硬質化した武骨な手だ。
剣を振り、戦い続けてきた男の手である。
「何もしなかったら俺は俺自身を裏切ることになっちまう。今までの俺の生き様を否定することになっちまう。そんなもん死んでも御免だ」
嘗て射場鉄左衛門に『意地を通すだけの力を付けろ』と言われた。
ぐうの音も出なかった。
「大死するかもしれねーのに無謀な喧嘩に向かって行く俺はただの野良犬でしかねー。いや違うな。力も無く吠え続けるだけなんだ⋯今の俺は野良犬以下の負け犬だ⋯」
意地を張り通す力も無いのに意地を張ろうとしている。
射場がいれば「馬鹿たれが」と一喝するだろう。
一角なりには射場に殴られた時から力を付けてきたつもりであるが、それでも及ばなかった。
あの頃と同じく意地を張り通すだけの力が無かった。
そういう意味では何も進歩していないのかもしれない。
十一番隊のことを思えば副隊長という責任を考えればまずは傷を癒し、義壱への個人的な拘りを捨てて隊をまとめ上げることを優先すべきだ。義壱はいずれ隊長の誰かが討伐するものだと割り切るべきだろう。
一角の理性はそのことを十分理解している。
射場が一角の立場であれば間違いなくそうするだろう。
個人的な悔しさや怒りを押し殺し、隊の為に尽くすことを選ぶはずだ。
しかし一角はどこまでいっても一角だ。射場ではない。
「だがよ、ここで吠えるのを止めちまったら負け犬にすらなれねー。牙も無く、吠えることも止めちまったら、俺はただの畜生でしかなくなっちまう」
牙が折れようと、爪が割れようと、吠えることだけは止めることは出来ない。
もし吠えることすらしなくなれば、ただのケダモノだ。
どれだけ無様で情けなくとも、それだけは許せなかった。
今まで生きてきた班目一角という生き方全てを否定することを、一角だけはするわけにはいかなかった。
己の惨めな心情を吐露し終えた一角を阿近は暫く何も言わずに見つめていた。
同情は無い。
嘲りも無い。
彼の瞳はただ冷静に乾いていた。
冷静が科学者の観察する眼差しだ。
「用がなきゃ来ないって言ったでしょ」
ふぅと、阿近が一つ溜め息を吐いた。
「アンタに用があるからここに来たんすよ。俺が用があると言ったら鬼灯丸のことしかないでしょ」
「直せるのかよ」
「だから出来ませんて」
「あぁ!?テメーおちょくってんのか」
「話を最後まで聞いてくれって」
阿近は手にしたままの灰皿を指さす。
そこには先ほど彼が吸い終えたばかりの吸い殻が圧し潰され歪に押し込められている。
「この煙草を元通りにすることは出来ねぇ。また煙草を吸うにはどうする?」
「新しいのを吸やいいじゃねぇか」
「普通はそうだ。しかし、この世にたった一本しかない煙草で、どうしてもそいつを吸いたいとなればやれることは二つ。一つはこの潰れた煙草を無理矢理に吸う。もう一つはどうにかして同じものを見つける」
阿近に促されるように一角は小さく薄汚れた吸殻に目を向ける。煙草の例えで言えば自分のしていることはシケモクをみみっちく吸っている状態であろうかと一角が阿近に問えば、阿近は頷く。
「この煙草は二つと無い。だがシケモクは吸いたくない。同じものが無いとすれば後はもう自作するしかない」
「手巻煙草かよ」
「そういうこった。まったく同じ味になる保証は無いし、そもそも上手く出来る保証も無い」
「つまり龍紋鬼灯丸を元通りに直すことは出来ねーが、龍紋鬼灯丸に近いモノなら作り直せるかもしれねーってことだろ」
「そういうことだな」
「回りくどい言い方しやがって」
「悪いな。勿体ぶって話したがる隊長の癖が移ったみたいだ」
勿体ぶった割に阿近の声は自慢するように強くもなく、申し訳なさげに弱くもない。
病室を訪れた時から変わらない。彼の上官にして師匠ともいえる男が自身の発明やアイディアを誇らしげに語る時のような高揚感を滲ませた声も恍惚とした表情も無い。
淡々とした声と変わらぬ不愛想な顔。
その口調は話す当人すら大して面白いと思っていない世間話をするようである。
「で、どうする?」
「迷うまでもねーだろ」
「だろうな」
阿近は椅子から立ち上がると腰に手を当てて軽く身体を伸ばす。
「じゃあアンタは虎徹にこれから退院する上手い言い訳でも考えておいてくれ」
「今すぐにかよ!準備はいいのか。よくわからねーが、機材やら設備やらの準備とかいるんじゃねーのか」
「とっくに済んでる」
「手際いいじゃねーかおい」
「早く試したいんでね
「阿近、お前もしかして楽しんでねーか?」
「さぁてな」
* * *
一角の病室を後にしてから阿近は自分の研究室で調整を終えた「それ」を見上げていた。
準備は万全。不具合は一つも見つからない。
煙草を一本口にする。
その口元には特別な達成感も満足感も浮かんではいない。
「実験」の準備を慎重に入念に執拗に行うのは科学者として当たり前のことだ。そのことに達成感や満足感を抱くなど馬鹿げている。
煙草に火を付けると、ゆっくりと吸って行く。
吐き出した煙の中に徐に上官である涅マユリの顔を思い浮かべた。
マユリを心から尊敬し、彼の背を追い続けている阿近であったが、マユリは煙草のような嗜好品を嗜むことは無かった。
煙草だけではない、酒もマユリはやらない。「脳細胞への悪影響を及ぼす愚かな行為だヨ」と言うのがマユリの言葉である。
全くもってその通りだと阿近も心から賛同している。賛同はするが、阿近は喫煙も飲酒もすれば麻雀といった娯楽も行う。
それで生活を持ち崩すようなことは無く、研究よりもそれらの趣味が上位に来ることは決して無い。あくまでも嗜む程度である。
しかし、それらの嗜みがマユリになくて己にあるものとなっている。それらを通じて友情とは言えずとも腐れ縁と呼べる縁が出来たことは事実だ。
友がいることが人生を彩るというつもりはない。ただ、それらが己を涅マユリの劣化コピーではなく、阿近という別個体たらしめている要素の一つになっていることに小さな満足感を覚えているのだ。
涅マユリを尊敬はするが決して崇拝はしない。
そうある己に阿近は満足している。
そして、マユリとは異なる存在であることへの拘りも、阿近という科学者であることへの意地も自覚している。
目の前にある「これ」もその一つだ。
一角に頼まれ阿近は龍紋鬼灯丸を形ばかり修復した。
形ばかり取り繕ったハリボテは実に呆気なく壊れた。
その光景を阿近は「見ていた」。涅マユリと共に。
『フン、やはり一度壊れた卍解はあんなものだネ。つまらない結果だヨ。わかりきった事象を観測すること程退屈なことは無いネまったく。ただ一度壊れた卍解の脆さを確認できたことだけは一応の収穫としておくとしよう。阿近、記録は取っているだろうネ』
技術開発局の一室、展開されるモニターに映る横嶌義壱にいとも容易く打ち払われ粉々に散る龍紋鬼灯丸を阿近は何も言わず目にしていた。
マユリの言葉の通りつまらない結果であった。
わかりきった事象であった。
退屈な光景であった。
しかし確かな苛立ちがあった。
微かではあるが屈辱すら覚えた。
形ばかり直したとはいえ阿近は決して手を抜きはしなかった。
彼が当時持ちうる技術で修復をした。
修復が無駄であることは承知の上であった。
だが一角は直すことを要求した。阿近もまた未だに未完成だった技術を用いることに躊躇していた。
双方の意図でもって壊れた龍紋鬼灯丸は壊れたまま上辺のみ元に戻った。
脆いであろうと予想は立てていたが、脆くても良いと思っていた訳ではない。
不出来ではあるが自身の技術が形になったものであった。
それが壊された。踏み躙られ一顧だにされることなく塵の様にされた。
そのことに科学者としての矜持を僅かながら傷つけられた。
だからこそ用意したのだ。
躊躇していた技術を用いることを。
修理を依頼された頃から更に改善と試行を繰り返し完成させた技術を、
斬魄刀を「打ち直す」のではなく「作り直す」技術を、
斬魄刀を「改造」する涅マユリとは異なる「作り直す」という阿近の技術をどうしても試したかったのだ。
「そうだよ班目。温めていた自分の研究を実験出来て喜ばない科学者はいねぇさ」
吐き出した紫煙は実験室に取り付けられた換気扇によって数秒で名残すら残さず吸い込まれていく。
用意した「これ」と同じくらいの時間をかけてチェックを行った計測器の数々。
そのうちの一つを阿近はそっと撫でる。
愛しい子の頭を撫でる親であってもそこまで優し
く撫でる親がどれ程いるかという程に柔らかな手付きで。
どのようなデータが取れるのか。
どれほどのデータが取れるのか。
自分の予想内に収まるのか。
自分の予想を超えてくれるのか。
「例え成功しても ──── 失敗してもな」
阿近の口角は自然と上がっていた。