病室を抜け出した一角は阿近の研究室にいた。
丸腰である。
鬼灯丸は既に阿近に手渡していた。
三日前のことだ。
名称も目的も不明な機器に囲まれた雑然とした場所を想像していたが、一角の予想に反してそこは広大な空間が広がるのみである。
阿近曰く「そういった機器は別室に移した」のだとか。
果てが見えない広々とした空間に黒い布で覆われた膨らみが一つ目の前に鎮座していた。
膨らみの高さは一角の背丈を優に上回り十尺以上は優にある。
もしかしたら十二尺近くあるだろうか。
高い膨らみを囲む柱のように一寸程小さな膨らみが二つ。
一番高い膨らみに連なるようになだらかな曲線を描いた膨らみが一つあった。
それは黒い布に覆われなだらかな曲線を描き、小さな山のように見えた。
膨らみが天井に届くことは無い。膨らみの天辺よりも天井は遥かに遠い。
十二番隊舎の敷地内に隠されていた入口から狭く薄暗い階段を下りて辿り着いた地下室であるが、階段を下りた距離と見上げる地下室の高さはどうにも噛み合っているようには見えない。
一護から聞かされていた浦原喜助の地下室といい、十二番隊の隊長格には独自の空間を作る術でもあるのだろうか。
そこまで考えて一角は思考を断ち切る。考えても答えの出ないことを考えても仕方が無い。
阿近は手にした一角の刀を鞘から抜く。義壱に卍解を砕かれた直後は砕け散っていた刀身は既にその傷一つなく元通りになっていた。
しかし、それは上辺だけのものであると感じる霊霊圧の低さが物語っている。
「卍解は斬魄刀とは別物だということは知ってるか?」
「どういうこった。斬魄刀を解放させたもんが始解や卍解だろ」
「そういう反応になるわな。斬魄刀の極意が卍解、俺らはそう教わってきている。でもある。じゃあ何で具象化なんてプロセスが必要なんだ?そもそも自分だけの刀の名がどうして生まれる?自分の持ち物に名前を付けたわけじゃねぇのに」
「んなもん魂があるからだろ」
「そうだな。だが斬魄刀は元々は全て『浅打』と呼ばれる刀が原型になっている。同じ『浅打』がな。刀が同じモノなら、魂が個々に生まれる原因は持ち主にある」
「持ち主の魂を反映させるってのは聞いたことがあるな」
「班目、あんたメダリオンって覚えてるか?」
「滅却師たちが使ってた奇妙な円盤か。卍解を奪うんだったか」
「ここだけの話、ウチの隊長はアレを見て驚いてたんだよ」
「涅隊長じゃなくたって驚くだろ」
「違ぇよ。自分の仮説がまんま正しかったからだよ。卍解を奪われた連中はその後も斬魄刀を扱えてたろ?始解だって使えた。おかしいとは思わないか?」
「そりゃ卍解を奪われたんだから始解は使えるままなのは⋯」
一角は思わず言葉を切る。
眉を顰め己が口にしたことへ微かな違和感を抱いた。
「アンタも思ったか。奴等は『斬魄刀の能力』を奪ったんじゃなくて『卍解だけ』奪ったんだ。おかしいだろ。斬魄刀の能力の延長上に卍解があるならわざわざ卍解だけ奪っていく必要はねぇ。同じライン上にある能力をわざわざ選り分けて抽出する方がめんどくせぇ。本当に同じライン上にあればな」
「まどろっこしいな。結論から話せよ」
「せっかちかよ。聞けよ。理解が大事なんだよ。説明責任を果たそうとしてるんだからよ」
「何だそりゃ」
「いいか、始解は斬魄刀の名を知ることで会得出来る。使用者の魂を写し取った斬塊刀が使用者の霊圧に反応して固有の能力を解放する。つまり使用者の魂の『鏡』って訳だ。その理屈だと斬魄刀に魂があるとすればそれは使用者自身ってことになる。だが卍解の魂は卍解自身だ。つまり、使用者と深く結びついた結果斬魄刀の中に生まれた魂こそが卍解と俺達が呼ぶ存在。卍解は死神の分身じゃなく『子』と呼ぶ方が近いかもしれねぇ。親と子じゃあ似ていようが別の存在だから始解の要領でその能力を使うことはできねぇ。滅却師たちの使っていたのは卍解の魂だけを奪っていく術だったというのは隊長の憶測だが、その後の事象から判断するに恐らく正しいだろうな。『解号』が斬魄刀と使用者の魂を接続するプロセスだとすれば、斬魄刀に力を貸すように命令を聞かせるプロセスとして『具象化と屈服』が必要なんだろうよ」
一通り説明を終えたのか阿近は僅かに満足気に唇を吊り上げ、一角を試すように視線を向ける。
「前置きは終わりだ。俺が言いたいのは『卍解』は斬魄刀とは別の存在であり、それは使用者の魂の影響を受けた斬魄刀の中から『生まれたもの』ってことだ。その魂を甦らせる術が見つかってないから壊れた卍解は直せないと言われている」
『まったく同一の存在』を蘇らせる術など阿近は勿論、涅マユリにすら見つけられていない。
「だからこそのコイツだ」
阿近が黒い布を引き下ろす。
布は如何なる素材で作られているのか、引っ張られたのを皮切りに音も立てす
ぼろと破れ、破れた切れ端は灰のように散って空気へと溶けていく。
思わず一角は目を見開いた。
布の下から現れた物を声も無くただ見上げる。
それは一言で言い表すならば『仰向けに寝そべった餓鬼』であった。
十二尺はあると思った膨らみは大きく膨らんだ腹であり、一寸程低い柱と思ったのは窮屈そうに折り畳まれた膝であった。
骨と皮だけになった細い手足は縮こまり、錆び付いた機械のようにピクリとも動かない。
眼窩からは二つの管が伸び、一角には用途の見当もつかない機器へと繋がれていた。
口は苦悶の声を上げるように耳元まで裂ける程に開かれている。
腹には微細な血管が網目状に走り、皮膚は半透明に透き通り薄紅色の液体で満ちていた。
それが液体の色なのか餓鬼の腸の色なのかはわからない。
「こいつの中にアンタと鬼灯丸をぶち込む」
「⋯⋯何だこりゃ」
「
「ゲルニカの四文字に物騒なものが含まれてねぇかオイ」
「ただ魂魄を一旦溶かして再構成する装置だって」
「滅茶苦茶物騒じゃねぇか!!」
一角は目の前の餓鬼をもう一度見上げる
彼の説明と餓鬼の巨大に膨らんだ腹からすぐに想像が付いた。
「うるせぇなぁ。文句を言ったって仕方ないでしょ。アンタの選択肢は三つだ。一か八かに賭けるか。壊れた斬魄刀のまま戦い続けて死ぬか」
「二つじゃねぇか」
「一か八かって言っただろ」
「失敗するかもしれないってことか」
「卍解は刀の中で生まれた魂だってのは話したな。その魂を屈服させるのが卍解を得るためのプロセスだ」
「そいつは聞いた」
「本来それは斬魄刀との対話を通じて時間をかけるものだが、これは人工的に『生まれやすい場』を作り出す装置だ」
「生まれやすい場?」
「斬魄刀との対話は魂で繋がることだ。コイツは死神と斬魄刀の境界線を取り払うことが出来る」
「なるほどな。死神だの斬魄刀だのの敷居を取っ払ってやるから、後は手前で腹割って話し合えっつ一段取りするのがこの餓鬼な訳か」
「理解してくれて何よりだ。だったらわかるだろ。そこから刀の魂を掬い上げるのはアンタ自身の役目。それが出来なきゃ刀は作り直せねぇ」
「鬼灯丸を作り直すどころか失っちまうってことか?」
「いいや、少し違うな」
阿近はこともなげに頷く。一角はやっぱりなと小さく呟いた。
境界線を取り除くということは、一角は一角の、鬼灯丸は鬼灯丸の形を崩すということなのだろう。
「へっ、最悪刀無しで義壱とやり合えってか」
「いや、違うな。この
「へへっ。同じじゃねぇか」
「はぁ?」
「俺が木偶になるのも鬼灯丸を失うのも同じことだ。コイツを失くすってことは俺が俺じゃなくなるってことだからよ」
「ふん。アンタらしいな。で、聞くまでもねぇとは思うが一応聞いておくが⋯どうする?」
一角は阿近の手から斬魄刀を奪い取ると、肩に乗せる。
「さっさとコイツの入り方を教えろや」
その口には実に愉し気で獰猛な笑みが浮かんでいた。