ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
鬱展開
ルーナは床に広がる血溜まりを見つめながら、視界の隅で崩れ落ちた娘にかける言葉を探していた。
ルーナの心はズキズキと絶え間なく痛んでいる。
呼吸をすることさえ苦しい引きつるような胸の痛みと、断続的に心臓を鷲掴みにされるかのような痛み。
真実を吐露したい気持ちと、絶対に言わないという強い決意。
その感情の板挟みになりながら、絶望に項垂れる娘の姿を真っ直ぐ見れずにいた。
時は、少し前に遡る。
外は豪雨だった。激しく風が吹き荒び、横向きに雨が刺さるほど。ビュンビュンと激しく通りを吹き抜ける風が砂利や石だけに留まらず、なにか重たいものまで吹き飛ばしてガランガラン音を鳴らしている。風自体の音が凄すぎて、物の吹っ飛ぶ音さえ些細なものに感じられるが。
びっちょりと全身濡れ鼠になり、青い顔をしたクロウがヒソカを抱いてルーナの家へと駆け込んできた。
濃いクマを拵えたクロウは整った眉尻を左右両対象に下げて、昏い瞳で首を振った。
それだけでルーナには意味がわかってしまった。
とうとう、限界がきてしまった。
クロウは深く俯いた。
血の気の失せた真っ白い頬に張り付いた、真っ黒い髪。
鼻先からぽたりぽたりぽたり、と水滴が絶え間なく落ち続ける。
ルーナの大切な娘は、日に日におかしくなっていく。
自身の生命エネルギーを吸い取られ、ぼうっとする時間がどんどんと増えていき、身体の自由は少しずつ奪われてゆく。
娘は意識がないままにクロウへと襲いかかる。
誰彼構わずということはなく、クロウにだけだった。
一緒に住んでいる息子には手をかけることをしなかった。
だけど、とうとうその一線も超えてしまったのだろう。
ルーナは何も言わない義理の息子の精神状態を慮り、あえて言葉はかけないままに双子の妹へと電話をかけた。
一刻を争う。
それが伝わっているみたいに、ワンコールで繋がった。
『ルーナ?』
双子の妹セレネが緊迫した声で言う。
彼女もまた、わかっているのだ。
だって時間の問題だったから。
それに、私たちは不思議と繋がっているところがあるから。
「準備しとくれ。今すぐにだ」
『わかった、選別は終わっているよ。たまたま場所も近い。
能力をかけて貰い次第、すぐにそっちへ向かう』
これからルーナたちは一生を賭けても償えないほどの罪を犯す。
綺麗事など言っていられない。
もう、やるしかないのだ。
唇を噛み締めるルーナに、俯いたままのクロウがようやく話し出した。
生気のない乾いた声だった。
「……目が覚めたら、ヒソカの首に、手をかけていた。
ボクはヒソカの泣き声がしなくなって、ようやく目が覚めて……
慌ててヒソカを取り上げたら、そこでボクに気付いた様子で襲いかかってきた。
いまは昏倒させて家に置いてきている……
首を絞める、彼女の指が、震えてたんだ。
抗っているみたいだった」
ぽつり、ぽつりとクロウが語る。
ヒソカの細い首には痛々しい指の形が浮かんでいる。
胸は上下しており、ちゃんと生きている。
それだけが救いだった。
「お前の目から見て、もうあの子は限界かい」
わかっていることを聞いた。
それは、どこまでも甘いこの男にこれからすることを了承させる目的で。
クロウは油を注していない人形よりも鈍い動きで、頷いた。
クロウからあの女が流星街に現れたと聞いてから、自由に動けるルーナと双子の妹セレネは色々と準備を進めていた。
だがこのままでは、正攻法ではもう間に合わない。
賭けにはなるが、もう一方の手段を取るしかなくなってしまった。
ルーナは娘を守らなければならない。
そして娘の大切なヒソカとクロウの命を守らなければならない。
娘にかけられた念を解かなければならない。
これが出来れば万事解決するのだが、念を解いてくれる除念師がいない。
まずもって、念能力が一般には秘匿された技術なのだ。
この街に念という概念がもたらされたのだって最近のことで、それも汚い取引と引き換えに一部の人間だけが得たものだ。
ルーナとセレネもまたその一部に入っていたのは、単にそれだけの立場に生まれていたから、というだけ。
双子の妹セレネの能力で除念師をコツコツと探していたが、除念師を見つけるよりも娘の命が尽きるほうが早いだろうという段階に、とうとう至ってしまった。
セレネの能力ならば、きっといつかは見つけ出せるだろう。
妹への強い信頼と多大なる願望とを抱いていたルーナだったが、探しはじめてすぐに除念師の存在がとてつもなく少ないことを知識として知ることになった。
それでも見つかるはずだ、と心から願っていたが、除念師が本当にレアな存在なのだということを痛感するに終わった。
遅れて見つかったって意味がないのだ。たったいま、必要なのに。
違う。
ないものを嘆いたって仕方がない。
そんなことに思考のリソースを割くんじゃなくて、この状況でどうすればいいのかを冷静に考えなければ。
まず除念は必須事項だ。
だがそれが今すぐは可能ではない。
このままだと娘が死んでしまう。
娘の命を稼ぐ方法はなんだ。
端的に2つ。
1つ目は、娘自身の力を強くすること。
今更ながらにクロウから念の手ほどきを受けてもらっているが、アレに生命エネルギーを吸われつつの修行だ。捗らない。そして根本の解決には至らない。
あの子がオーラが見えると言ったときに、能力を秘匿せねばならないなんてルールは気にせずに教えてやればよかった。
今更ながらに深く、深く後悔している。
あの子には才能があった。もしもあの時に念を覚えていれば、能力者でもない一般人の
でもそんな後悔は、無駄だ。
そして2つ目。
掛けられた念の力自体を弱めること。
クロウへの強い執念でかけられた念だから、クロウが近くにいると強まる。
物理的に距離を離せば、多少の改善は見られることは確認済みだ。
その間、娘が人を傷つけることもない。
だがクロウの姿を探し求めて、ぼんやりとしたまま徘徊してしまう。
そしてこれは賭けであり、仮説であるが。
念獣を満足させること。
念獣が満足し、除念されれば御の字。
されなくても、意図する行動を取れば、弱体化されると考えれる。
要するにらあれは執拗にクロウの命を狙っている。ならば、念獣にクロウを殺させればいい。
クロウは依然として俯いている。
「覚悟を決めな。
厳しいことを言うようだが、もとはといえばお前がきちんと線引きをしなかったからこうなったんだ」
クロウが頷く。
「あの子がどれくらいで目覚めるのかわからないが、時間はないよ」
クロウが頷く。
「今からお前にできることは、限られている。
ただヒソカを守り、慈しみ、二度とあの子の前に姿を表さないことだ。わかっているね?」
クロウが頷く。
「……その指輪を貰うよ。
死体につける」
クロウは頷き、眠ったヒソカを抱いたまま指輪をそっと引き抜いてルーナへと渡した。
「申し訳ありません……なにから、なにまで」
「お前のためじゃないよ。あの子のためだ」
「はい……」
「大切なあの子の宝物を、ヒソカを頼んだよ。
セレネが準備を終えたらすぐにここにくる手筈になっている。ほんの少しでも休みなさい。温かい茶を淹れるよ」
クロウにタオルと着替えを渡してから台所で茶を淹れつつ、しようもない思考に耽る。
自分に除念の能力があれば。
ルーナは心からそう思った。
念が願望の成就を助けてくれるというけれど。
己は非才の身だ。
双子のセレネと二人でようやく一端の能力となるのに、さらに新しい能力――それも除念の能力を身につけることは不可能だ。
流星街の住民たちの結束は強い。
部外者が街の人間を傷つけようとしていると知れば、善意での情報提供を惜しみなくしてくれる。
ルーナは忌まわしいあの女がどこに潜伏しているのかの情報を掴んでいた。
娘の意識がなくなったときにだけ現れる般若の形相をした女。
クロウのストーカーであるその女が念能力者でないことは既に確認済みだ。
一般人でありながら
違う方向にその情熱が注がれれば、きっと大成しただろうに。
「お待たせ、ルーナ! 連れてきたわ。簡単な指示にしか従えないけれど大丈夫よね? クロウはいる?」
ノックもなしに転がり込むようにしてセレネが玄関から入ってきた。
彼女もまた、びっちょりと余す所なく濡れている。
「セレネ、すまない、ほんとうにすまない。
ありがとう。疲れているだろうが早速やるよ」
「もちろんさ。あの子のためだもの」
クロウは黙って深く、深く頭を下げた。
セレネの背後には男がぴったりとついてきている。
その男はクロウと全く同じ顔をしていた。
驚くほどにそっくりだ。
そのようにしてもらったのだが、やはり念というのは凄い。
操作系の能力者によって操られ、ロボットのようにセレネの背後にぴったりとついていくだけのその男。
流星街に収容された犯罪者のなかから、最もクロウに近い背格好の男を選んだ。
これからこの男は、クロウの身代わりとなって殺される。
命の取捨選択だなんて、神でもないのに傲慢な所業をする。
でももう後戻りはできないのだ。
セレネは腕にぐるぐる巻きにされた毛布を丁寧に抱えていた。
流星街は死体に事欠かない。
赤子の死体だって探せばある。その哀れな死体に、あろうことかさらに細工をして持ってきたのだ。
あの毛布のなかには、ヒソカと瓜二つの赤子の死体が入っている。
敵を騙すには、まずは味方から。
除念師を見つけるまでに、大切なあの子が死なないために。
クロウに、セレネと二人で念をかける。
クロウが生きていると悟られないように、彼の年齢を必要以上に幼くしておく。
クロウには詳しい能力の説明はしておらず、年齢を自由に変えられる能力だとだけ伝えている。
そして彼が流星街を出ていくのは見送らず、セレネと操り人形と3人で連れ立って急いで娘のもとへと向かう。
道中、豪雨が全身を打ちつけた。
目も開けられぬ大雨のなかをルーナたちは走った。
玄関をノックもせずに開く。鍵はかかっていなかった。
屋根があるだけで随分とほっとする。
ほっとしたのも束の間、人の訪れに気づいたかのようなタイミングで寝室からあの子が現れた。
セレネの背後にいる
なぜか手には研ぎ澄まされた出刃包丁を持っている。
この家に刃物の類はひとつも置いていなかったはずなのに。
誰が? どうやって?
疑問を覚えるルーナの横で、セレネは冷酷に男へと命じた。
「棒立ちになれ」
そうして二人で壁際へと寄る。
ルーナにとってもセレネにとっても、大切な娘だった。
そんな娘が髪を振り乱し、
地面は血だらけになる。
棒立ちになれ。その指示通り立ち続けようと試みる男だが、絶え間ない斬撃により床に貼り付けられて動けなくなる。
すでに息絶えている
ルーナとセレネは二人固く手を握り合って、瞬きすらせずにその凶行を見続けた。
動かない
ナイフが刺され、抜かれるときだけ動く
びしゃり、ぐちょ、ぐちょ、びちゃり。
絶え難いほどに長すぎる凶行のあと、余すことなく
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
セレネが抱いていた毛布を受け取り、開くと穏やかな顔で眠ったように死んだ赤子の姿。
「ごめんなさい」
ごめんなさい、ごめんなさい。
ルーナは
セレネがぎょっとした顔をしている。
セレネはヒソカが母の手によって首を絞められ、殺されかけたことを知らない。
「……セレネ、手筈通りに」
ルーナがそう言うと、固まっていたセレネが頷いて玄関から駆け出していった。
ルーナは
血濡れて倒れた娘を寝室へと連れて行き、ベッドに寝かせる。
濡れタオルを準備して、無心で娘の全身を拭き続けた。
それが終わって手持ち無沙汰になると怖くなってきた。
クロウはこの子を気絶させた。
もしもこの子に気絶させられた記憶が残っていたとしたら、どうしよう。
仮説が間違っていて、目覚めたこの子の様子が、まるで変わらなかったらどうしよう。
「母さん……?」
起き上がった娘は不思議そうにルーナの顔をまじまじと見つめている。
目線がしっかりと合うことにわずかに安堵する。
「分かるのかい……そうか、やはり念は弱まったか……。そうだよ、お前の母さんだ。
いまセレネが除念師を探しているからね」
賭けには、たぶん勝った。
だが、なぜこんなにも心が晴れないのだろう。
無垢な瞳の娘が恐ろしい。
娘は操られていただけだ。あんな所業をするような子じゃない。
わかっているけれど、その凶刃が振り下ろされる危惧を心のどこかでしてしまっている。
大丈夫、これほどまでにまともに目があって、しっかりと会話をできることなんてここ最近なかったのだから。
間違いなく生霊は悲願を達成して消えているか、もしくは確実に弱まっている。
大丈夫、大丈夫。
不審そうにわずかばかり眉を顰めて娘は問う。
「どうして母さんは突然そんなに……あら……? クロウとヒソカは?」
「いまのお前には耐えられない……酷な話だ。だが、それでも聞くかい?」
お前に説明しないといけない。
偽りの、
ルーナは心が壊れそうだった。
いや、苦しいのはルーナだけではない。セレネもまた同じように苦しんでいる。それがわかるからこそ、耐えられていた。
もしかしたら真実を吐露してしまっていたかもしれない。いや、それはない。
でも本当にそうしてすっきりしてしまいたくなるほど、愛する娘の慟哭は心に突き刺さった。
簡素な葬式で彼らを見送ることにした。
大きな棺と小さな棺。
どちらも穏やかな顔をして美しい花々に囲まれて眠るように死んでいる。
誰も呼んでいない。家族だけの静かな葬儀だ。
故人の顔が穏やかな状態というのはとても大切なことだ。
故人の安らかな死に顔をみて見送りをすることが、送る側にとってどれほど大切なことなのかルーナは身に染みて感じていた。
無惨な裂傷だらけの死体を忘れさせるほどに美しい、穏やかな笑みを浮かべたクロウの死体。
きっと娘は自分の能力をエンバーミングだと思っていることだろう。
だが、これが本物のクロウではないことを知っているルーナは、娘の能力がどんな対象の遺体でも送り人が思うような姿に変じさせるものであるのだろう、と娘よりも深く能力を理解していた。
娘がそうだと思い込めば、その見た目は変えられる。
娘は真っ黒の服に身を包み、真っ黒いマスクをし、濁った目で遺体を眺めている。
ただただ痛ましい、虚偽の時間がゆっくりと流れていく。
そこに
「あは、あはは……あはっ、本当に死んでた……! 夢にみた通りだ……!」
粛々と別れを済ませていた娘は、美しい眉を顰めてその女を見た。
「どなた?」
娘が聞く。
肌を露出して露骨に男に媚びる服装をした女は、まだ産まれたばかりに見える幼い赤子を抱いていた。
ルーナはその女を知っていた。
事前にクロウから聞いていたからだ。
その女がマフィアの下っ端の男を引っ掛けて子どもをこさえたことも知っていた。
女が子どもを連れてクロウたちの家へと押しかけたこともまた、クロウから聞いていた。
だが娘は、その女のことをまだ知らない。
娘が知らない女のことを、ルーナが知っているという訳にもいかない。
「なんだい、あんたは?」
ルーナは不審そうに眉を顰めて、女とストーカーの間に隔たるように立ち位置を変えた。娘に背を向ける。嘘の表情がバレてしまわぬように。
女はとても美しかった。
ここらでは見ないほど見目麗しい女でありながら、吐き気を催すような嫌悪感を感じさせる。
「わたしぃ? わたしはぁ、クロウ様の恋人よぉ! あんたよりずっとずっと前から、クロウ様の恋人だったのぉ! それをあんたが奪ったのよ! ほら、ほら、ほら、見て! この子、クロウ様にそっくりでしょぉ?」
話にならない。
大量のミミズを胃いっぱいに詰め込まれたような気持ち悪さ。酸っぱい唾液を飲み下しながら、ルーナは赤子を抱く女の肩に触れた。
そして身体中の念を練り上げる。
「本当にあんたは……醜い女だね」
セレネと目を合わせて頷きあう。
ルーナとすぐ近くにいたセレネの姿がみるみるうちに小さくなっていき、来ていた服がだぼだぼになる。
美しい女の艶のある肌がみるみるうちに水分を失い、シワだらけになる。艶やかな髪は水分を失い、ぴしゃんと伸びた背筋が曲がる。
わたしの20歳とセレネの20歳、合わせて40歳分、お前にやるのは惜しいがくれてやる。
「な…………? なに…………? なにが、おきたの…………?」
「さて、なにが起きたのかね。見りゃわかるんじゃないかい?」
女は大層自分の美貌に執着していた。
ポケットに忍ばせていた鏡を差し出す。
女はひったくるように鏡を受け取り、自分の顔を写して叫んだ。
鼓膜を突き破らんばかりのつんざくような叫び声。黒板を爪で引っ掻いた音のほうがまだ聞ける。
自分の両頬を押さえ、手に抱いていた赤子を落として女は叫んだ。
落下途中の赤子はすぐ近くにいたルーナがキャッチした。
やわらかくて、ちいさい赤子。
脳裏によぎるのは死んだ赤子の首を絞めた記憶だ。
黒髪の、目を瞑っているのにクロウによく似た赤子はとても温かくて、ひんやりと冷たかったあの赤子とは似ても似つかない。
「いや、いや、いや、いやあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
なにをしたの!!!!!!! わたしに、なにをしたぁぁぁぁぁ!!!
ぉぉぉぉぉぉぉオオオォォォ!!!!!」
叫ぶ老婆。
ルーナとセレネは意地悪く笑った。
己の美貌に相当な自信を持っているお前には丁度いい罪だろう。なに、死ぬよりマシなはずだ。
苦しめばいい。
お前の苦しみよりも、もっとずっとわたしたちの娘は苦しんだ。
わたしたちの息子は苦しんだ。
わたしたちの孫は苦しんだ。
女は自らの赤子を取り落としたことさえも忘れた様子で、顔を覆い隠すようにして叫び声をあげながら消えていく。
残されたのはルーナとセレネと、そしてわたしたちの大切な娘――レンコだけ。
毒親の息子が、めちゃくちゃいい奴で
ものすごいまっすぐな綺麗な眼差しでレンコにごめんなさいって謝って
レンコに 綺麗な目……にくったらしいわね……!
って言われるシーンいれたかったけど、やめました。