ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
ルイの身体の回復は、医者が驚くほどに高かった。
本当に同じ人間なのかと何度も言われたので普通の人間とは桁違いの速さで治ったのだろう。
ルイが身につけている特殊な技術であったり、念であったりが関係していると思う。
身体の回復は順調だったが、記憶が一向に戻らない。
解離性健忘だろう、と医者に診断された。精神科は専門じゃないんだと残念そうに言っていた。じゃあなにが専門だったのかと尋ねると、産婦人科だという。なぜ産婦人科医がこのような場所にいるのかと疑問を覚えたが、根掘り葉掘り聞くのも憚られたのでまだ聞いていない。
自分にも何か事情があるように、医者にも何か事情があるに違いない。相手が話したかったらそのうち話すだろうと思っている。
医者――イサクは行き場をなくしたルイに対して、好きなだけ此処にいたらいいと選択肢をくれた。
孤児院のようなものもあるので、どちらか好きな方を選んでいいと。
流星街は余所者を嫌う土地ゆえに、住宅街からかなり外れた場所に診療所を構えていた。
長老に許されて診療所兼自宅を構えているものの、外部の人間であるイサクへの住民からの目は冷たい。
ルイが少し悩んでこのまま此処で世話になってもいいかと訊くと、イサクはもちろんだと答えた。
息子ができたみたいで嬉しいと心から幸せそうに笑う。
一人は結構寂しかったんだ、なんて冗談まじりに言いながら、その日のうちに一室をルイ用に明け渡してくれた。
イサクは此処――流星街の生まれではない。
医者としての能力だけでなく人格も優れていたが、そんな彼でも爪弾きにされるらしい。ただ生まれが流星街ではないというだけで。
献身的に患者を治療するイサクを見ていると、ルイは時々やるせない思いになった。もっと彼が認められる場所があるだろうに、どうして流星街で働いているのか気になった。
ピンク髪の少女――マチは、あれからもちょくちょくと見舞いに来てくれた。
ぶっきらぼうな物言いでツンと澄ました表情をしているが、ルイをわざわざ診療所へ連れてきてくれたことといい、元来面倒見がいいのだろう。「別にあんたにだけ特別ってわけじゃないからね」頬を赤らめながらそう言われたことがある。「大丈夫だよ、全然勘違いしていないから」マチを安心させるために微笑みながらルイがそう返したら、ぼこすかぼこすかと殴られた。彼女の怒るポイントはちょっと難しい。
排他的な住民とは正反対のマチは診療所によく遊びに来る。街の住人で調子が悪そうな人を見つけてはイサクに往診をお願いして、住民達とイサクとの橋渡しのようなこともしている。
マチと話して流星街について色々と教えてもらったが、記憶は刺激されなかった。
この街は捨てられたものを再利用することで暮らしているらしい。
貧困層が目立つ部分が顕著だったり、ゴミの塔ができてたり死体の海のような場所があったりする以外は、自分の思う街とそう違いはないように思う。……死体の海はさすがに大きい違いか。
外の人間に対する当たりは異様なまでに強い。良いように言うと、内部の結束が強いと言い換えれるのか。
記憶喪失のルイは不思議なことに比較的好意的に受け入れられた。
街中の人間がボロボロの状態でルイが捨てられていたことを共有しており、捨てられていたからこそ受け入れられたらしい。
「あんたはあたし達と同じく、捨てられたんだね。
でも大丈夫、これからはあたし達が仲間だから」
これはマチの言葉だ。濃い碧の瞳が恥ずかしくなるほどに真っ直ぐとルイを見つめていた。一片の曇りもなく輝く宝石のような瞳が、安心していいよと語りかける。
桃色の髪と碧の瞳を持つ綺麗な少女は、見かけの幼さからは考えられないほど大きな愛情と広い懐の持ち主だ。
これほどに真っ直ぐな子が育つのだから、流星街は悪い場所じゃないのだろう。
捨てられたのではなく、自分で此処に来たイサクは、住民へ無償で往診をしたり治療をしたりと献身的な活動を長年続けている。それにも関わらず、外の世界の人間だからと一線を引かれているのだ。
基本的にはイサクの手伝いをして過ごしていた。ルイは器用で覚えも早かったため、イサクのよい助手となった。
ルイがいると住民はあまり身構えないらしく、とても助かっているとイサクは大絶賛してくれた。これに関してはルイの努力でもなんでもないので褒められても困るのだが。
手伝いをする生活のなかで、医学の知識を日々少しずつ教わった。スポンジのように知識を吸収するルイに教えるのはイサクも楽しかったようで、新たな教材がたくさん買い揃えられた。
傷の手当の仕方から人体の構造に免疫系、治療器具、薬の名前やその働き、化学構造式からその化学反応まで様々なことを教えてもらった。
自分探しの旅以外にやることはなかったため、ルイは喜んで知識を教わった。
そして自分が異様に人体や毒について詳しいことを知った。イサクに教えてもらう前から既にルイのなかに知識があったのだ。自分はどういう暮らしをしていたのだろう。
休みの日には一人で外を出歩くルイをイサクは過剰に心配し、身を案じてくれた。
人攫いが出るのだという。特に子どもはよく攫われるから本当に気をつけるんだよ、と何度も言って聞かせた。
ルイは見かけこそ子どもであるが、その実力は大人が束になっても勝てないほどである。そのことを知らないイサクは普通の子どもと同じようにルイを案じるのであった。それがどこかくすぐったい。でも悪い気分じゃない。
長く暮らしているうちに、この街が密接にマフィアと繋がっていることには気づいた。
なんなら人攫いの現場を見たこともある。
その日はマチと一緒に隣町まで行く途中だった。
嫌な視線を感じたルイは、素早くマチの手を引いて物陰に隠れた。
突然のルイの奇行にマチは目を白黒させつつ目的の方向へと歩き出そうとしたが、ルイはマチの肩をしっかりと抱いて止めた。
マチは頬を真っ赤に染めて「なにするの!」とルイを睨み上げてきたが、人差し指を唇に当ててシーと小声で囁く。真面目な顔をしたルイを見て、マチはそれ以上暴れなくなり、すんと腕のなかに収まった。
マチを背後から抱きしめるような形で、崩れた家の残骸に隠れていると、少しずつエンジン音が大きくなってくる。
この車の中からだろうか。あの嫌な視線は。
ここは街外れなので人はまばらにしか歩いていない。
ルイたちの近くには痩せぎすの少女が郊外へ向けて歩いていた。
マフィアたちのゴミ捨て場になっている場所にでも行くつもりなのだろう。そこには、色々な掘り出し物が捨てられているらしく、マチもよく拾いにいくのだという。
黒塗りの車がエンジン音を響かせながらどんどんと近づいてくる。車は少女のすぐ隣で止まり、少女を通せんぼするように後部扉が開かれた。にょきっと車内から腕が出てきたかと思うと、あっという間に少女が車内へと引き込まれた。
そして何事もなかったかのように車は走り去っていった。
マチは小さく震えながらそれを見つめていた。
「今の、もしかして分かってたの?」
「攫われるとは分からなかったけど、嫌な視線を感じるとは思ってた。隠れていなければ、攫われてたのはオレたちだった可能性はある」
「…………そっか。あの子にも声かけて、一緒に隠れたらよかったね」
マチは悔しそうな眼差しでルイを見つめて、寂しそうにそう言った。
車を今からでも追いかけて、少女を救出するくらいルイには訳ないことだ。
昔の自分ならば、どうしていたのだろう。ルイは無感動にそう思い、黒塗りの車が走り去っていくのを物陰に隠れて眺めた。
人攫いがすっかりいなくなってから、ルイがマチを解放するとはっとした様子で言う。
「あ、今更だけど……守ってくれてありがとう」
「命の恩人に対してこれくらいお安い御用だよ」
自分を知る人間は今のところ見つかっていない。
他の街にも出掛けて自分を知る人間を探したが、いない。ルイは目立つ容姿をしているらしく、いたら絶対に覚えているとのこと。
正体に繋がりそうなものは根こそぎ奪われてしまったが、携帯や服をパクっていった少年の顔はしっかりと記憶しているので、その少年を探しがてらイサクの家を拠点に流星街を
ルイがすっかりイサクの弟子として街の人間に知られるようになった頃には、ルイはこの辺りに住む人間がどれほどの強さなのかを把握していた。
念使いを見ることは極々稀なことで、念使いのなかでも強い人はもっと稀だ。
ルイの身体に傷をつけられるような実力の持ち主は今の所一人もいなかった。
それなのにボロボロだった己の身に何があったのか益々疑問が募る。
休みとなれば街へ出掛けていたルイだったが、子どもの足でその日のうちに帰って来られる近場の情報は、既に得尽くした。
人目につかぬよう気をつけて、高速で移動して遠距離での情報収集もできる。それも考えたが、心配性なイサクへの言い訳が大変なので結局止めた。
記憶は思い出したいが、別に今すぐに思い出さねばならない切羽詰まった理由がない。
ゆったりと家で過ごすルイに、イサクは珍しそうに、しかしどこか嬉しそうにしていた。
「今日はマチちゃんと遊ばないのかい?」
「約束はしてない。でも暇だったら来るんじゃないかな」
携帯がないので会うとなるとどちらかの家へ訪ねることになる。マチがこの診療所を訪れることばかりで、今のところルイがマチの住んでいるところへ行ったことはない。
「じゃあ、私とゆっくりお茶でも飲むかい?」
ほっこりと嬉しそうに笑い、大切にしている茶葉をいそいそと抱えてイサクは紅茶の準備をする。
ルイは教会の神父から貰ったクッキーを皿に出した。
「ルイがここに来て、まだ半年しか経っていないんだね。もうずっと一緒に住んでいるような気がするよ」
「オレからしたらもう半年も経ってるんだ、って感じだけど」
「記憶はゆっくり取り戻したらいい。大丈夫、君はまだまだ若いんだから」
「じじ臭いこと言わないでよ。イサクだってまだまだ全然若いよ。生涯現役だ……って……爺ちゃんがいたような気がするんだけど……あれ? なんだろ、これ」
「記憶が少しずつ戻り始めているのかもしれない。
元気なお爺さんがルイの近くにいたのかもね」
「そうなのかな。それはともかく、イサクっていつからここにいるの?」
「3年ほど前だ」
「なんで此処を選んだの?」
「流星街、という場所に興味があったのもそうだし、此処ならば誰にも迷惑がかからないと思ったんだ」
「迷惑?」
「変な話なんだが、私は二度ほど攫われたことがあってね」
「へぇ!」
なるほど、妙にイサクがルイの心配をするのは、自分が攫われたことがあるからなのかと納得する。
「子どもの頃?」
「それが、二度とも成人してからなんだ。
勤務していたら突然気絶させられて、全然知らない場所へ連れて行かれた。
そこには産気づいた妊婦がいて、お産を手伝って、また気絶させられたかと思えば元の場所に帰っていた。
そして帰ってきたら大量の金を持っている。夢かとも思ったが、大量の金を持っている。
恐ろしくなって勤務地を変えたが、全く同じことがまたあったんだ。しかも今度は現金じゃなくて口座に振り込まれてた」
「それは……普通に怖いね」
「攫われるのももちろん怖いが、一生かけても稼げなそうな金額をポンポンと渡されるものだから、その金に目をつける者もいてね。それで色々と困ったことになったんだよ」
「世の中皆、色々あるんだね……。壮絶でビックリしてる。
お金を狙う人達から逃げるためと、流星街ならまた攫われることもないかも、って感じでここに来たの?」
「概ねそんなところだ。
一生で使いきれないくらいの金をどうしたものかと考えてね。
丸々募金をすることも考えたけど、世の中の団体の金の動きは不透明だ。正しく使われないとも限らない。
あの時は政府の裏金問題や急激な食料品の値上がりなんかが話題になって個人的に政治への不信感も増していたし、募金をしてはい、終わりでいいのかと悩んでね。
せっかく医師の資格を持っているのだし、お金がなくて救われない人たちを自分が一人でも救えたら、って傲慢な考えに至ったわけさ」
「傲慢というか……それは壮大という方が正しいと思うよ」
「そんなことはないが、そう言ってくれて嬉しいよ。
何処だって大変だろうけど、国に管理すらされない流星街が一番困っている人間が多いんじゃないかと考えて此処に診療所や孤児院を建てさせてもらったんだ」
「イサクがお金取ってるのを見たことがなかったけど、実際は長老からお金を貰っているのかと思ってた。
……イサクの私費だったんだね。それって到底できることじゃないと思う。
オレを養ってくれてることといい、色々凄いよ」
「私のお金、という感覚はあまりないからね」
「そういえば、なんでオレを孤児院にいれるんじゃなくて、此処に置いてくれたの?」
「それはね……ちょっと恥ずかしいんだけど、なんだか運命を感じたんだ。
私が初めて攫われた時、産まれた赤子が君のように綺麗な銀髪の子でね。
それで、だと思うがとても懐かしい気持ちになったんだ。
産院は産むところだから、それ以外で来ることは基本的にはない。
でもたまに、先生、この子こんなにも大きくなったんですよ、なんて見せにきてくれるお母さんもいてね。
小さかった赤子が健康に大きく成長しているのを見ると、自分の子どもじゃないのに自分の子どものように心から感動するんだ」
イサクは目をキラキラと輝かせて、過去に思いを馳せている。
ゾルディック家に攫われた産婦人科医は、時を越えて本当に自分が取り上げた子との再会を果たしているのだが、本人たちは知らない。
赤子の頃と今とで類似点を見つけられるのは銀髪くらいで、さすがのイサクにも分からない。赤子だったルイはもっと分からない。きっと永遠に知られぬ事実になることだろう。
「君がボロボロで連れてこられた時は、ただ助けなくてはとしか思わなかった。
君は並外れた生命力で私の力などなくてもみるみる回復していったけれど。
君が元気になって目を覚ましたときに、私は大きくなった子どもと再会したような不思議な感動を覚えたんだ。
あの時のことがあったから、私は此処にいる。
良い出来事も悪い出来事も、捉え方次第でなんとでもなると私は思いたい。
だって、全ての物質は毒にも薬にもなるだろう?
ニトログリセリンはよく知られた爆薬だが、一方で狭心症の治療薬にもなる。
有名な麻薬のアヘンだって、身体がバラバラにちぎれそうな痛みで苦しんでいる者にはモルヒネとして投与されてその苦しみを和らげることができる。
あの時誘拐されたことだって、巡り巡って此処に来ることに繋がって、ルイやマチちゃんと出会えた。
一見すると悪いことだって、巡り巡っていいことに繋がっているんだ。
君はね、そんな私の考えを象徴する天使のような存在なんだよ」
ルイは、イサクの話を聞きながら、この心優しい産婦人科医を誘拐した者たちに内心で憤っていた。
天職を追われたのは間違いなく誘拐のせいだ。そんなことがなければ、いまもイサクは産院で頼りになる医者として活躍していたに違いないのだ。
それがいまは流星街で、ただ外の人間だからというだけで排外されている。
自らの境遇に一切嘆いていないどころか、物事を過剰なまでに前向きに捉えようとするイサクとは正反対に、ルイは真面目に生きてきた心優しい医者に対して、あまりにも酷い運命ではないかと世の不条理を嘆いた。
記憶をなくしてからというもの、妙なまでに感情が動かぬまま生きてきたルイが、久しぶりに心を動かされた瞬間であった。