ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
昼下がりの食事屋。
慌ただしく食事を済ませた人たちは皆会計を済ませ、仕事に戻っている。店内はすっかり人が入れ替わったがルイ達は未だ席に座っていた。
先ほどまでの人の多さが嘘のように、遅い昼食を取る人とデザートを食べる人がちらほらと離れた席に座っている程度だ。
店側にもようやく余裕ができたようで、キッチンに立つ夫とホールに立つ妻が楽しげに談笑している。女性の軽やかな笑い声が店内に響く。
喧騒で掻き消されていた穏やかな音楽が店内にやさしく流れていた。
コーヒーのお代わりを注文したルイとクロロは、大量にあった空の器を下げてもらって話を続けていた。
湯気の立つコーヒーがパステルカラーのマグにいれられている。給仕の女性は惜しみない笑顔で、たっぷりのミルクと砂糖瓶をコーヒーと一緒に持ってきてくれた。「可愛いあなたたちが窓際に座ってくれてるからね。新規のお客さんが今日はとっても多いわ」ごゆっくりどうぞ、と豆菓子を添えてくれた。
長居をして嫌がられることはありそうだが、喜ばれるとは。
きっとマチの知り合いであるルイが気兼ねなく長居できるように心遣いをしてくれたのだろう。
好意を有り難く受け取りつつルイはクロロの話を聞いた。
クロロの話を聞くなかで、これは神の采配だ、とルイは思った。
ルイの記憶の中に存在するのはクロウだけ。
そのクロウの名前がクロロから出てきたのだ。
クロロは語った。
母親が連れてきた老婆がベッドの上で日がな一日中譫言のようにクロウの名を呼んでいる。
会いたい、ごめんなさい、どうして、クロウ、クロウクロウ。
願いのように、呪いのように呼び続けている。
だからそのクロウという人に会わせてあげたいと思った。
老婆は基本的に何も話さない。だが口を開くと呼ぶ名は決まってクロウ。
クロウとは誰かと問うと老婆は沈黙し、代わりに母が「あなたの父親よ」と答えた。
だからクロロは父親を探し始めた。
どうか死に目に立ち会って貰えないだろうかと懇願するために。
それが無理ならば、老婆が死ぬ前に一目でも会わせてあげたかった。
そうクロロは言った。
幼い子どもの真心はどこまでも純粋に他人のためにあった。我欲は存在しない。きっとその人が喜ぶだろう、そんな優しい気持ちで満たされた行動だった。
父親を探しにいって見つけたはいいが、一歩間違えばクロロは死ぬところだった。優しい願いが無碍にされるどころか、ルイが介入していなければ実の父親に害されていたかもしれなかった。
それなのに。
それを認識してなお、心優しい少年は見ず知らずの老婆のために身を尽くす。
なぜそこまで他人のために行動することができるのだろう。
母と名乗る女が連れてきただけの老婆に、クロロはなんの思い入れもないはずなのに。
ルイは目の前の少年の異常なほどの善性が解せなくて、その理由を見出したかった。
クロロが語る『クロウ』という人物が誰かは結局分からない。
『クロウ』が一体どこに住んでいて、どんな人間なのかは分からない。
クロロが知る情報だけでは到底『クロウ』を見つけられるはずもない。
自分の知るクロウが妙に頭を擡げるのは、若い女と黒子のような老婆というキーワードが引っかかるからだ。
そのせいで、たまたま名前が一致しただけだとは思わなかった。
ルイが知るクロウと、クロロが語るクロウは同一人物であると半ば確信していた。
「もう二度とあの人に会うつもりがないと言ったのは、僕と血のつながりのある父の名前がクロウではないとわかったからです」
クロロはブラックコーヒーを一口啜り、苦そうに目を細めた。
ルイは砂糖とミルクをクロロの方へと差し出した。だが断られる。
「クロウという名前の人は、僕の父親なのだと思い込んでいました。
母が僕を見て本当にクロウ様そっくりだ、と何度もうっとりと……遠い目をしていたので。
クロロとクロウ、名前も似ていますし」
だが、クロロの母の言葉は偽りだったことはすぐに判明したと言う。
街に出入りするマフィアは目立つ。
街の人間に聞けばすぐに自分の父親の名前が判明した。
だから父親に願っても無意味だ。
彼は願い事を叶えてはくれることはない。それとは違う意味でも、無駄だと思ったという。
「あの老婆が譫言のように呼んでいるのは誰なのか。
きっと流星街の外にいる人なんでしょうね。
クロロは滔々と語った。
老婆は日に日に衰弱していっており、流星街の外にいる人間を見つけ出すのには時間が足りない。情報も足りない。
それ即ち、老婆が死ぬ前にクロウなる人と会わせることは叶わないということだ。
クロロは尽くせる手は尽くしきって、どうしようもなくなって諦めた。
諦めたけれど、それでもなにかしていないと不安でどうしようもなくて、さまざまな予定を詰め込んだ。
そして、ルイに会いに来たのだと言う。
「こんな面白くもない話を長々としてしまってすみません。いつもはもう少し気を遣った内容を話せるんですけど……。
これは仲の良い誰にも話したことがなかったんです。誰にも話さないつもりでした。
それをまさかルイさんに話してしまうだなんて、本当に不思議です。
ルイさん。話を聞いてくれて、ありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げたクロロ。
次に顔を上げた時、肩の荷が降りたようにすっきりとした表情をしていた。
何の解決もしていないが、人に話すだけで楽になったようだ。
ルイはクロロが何度も何度も感謝してくることに対して、もういいよ、大丈夫だ、もう十分だと苦笑しながら応える。
クロロが熱烈に要望するので近いうちにまた会おうと約束する。
話を聞いてもらった礼だと言って料金を支払おうとするクロロに「年上に格好つけさせろ」とルイは伝票を奪った。
クロロと店前で別れたルイは、街中を一人で歩いていた。
ルイは気づいていなかったが、クロロはルイの姿が見えなくなるまでずっとその背中を見つめていた。
もしもルイが振り向いてくれたら、すぐにでも手を振り返せるように。そんなことを思いながら。
早足に進むルイは数人とだけすれ違った。相変わらず人通りは多くない。
鼻をかめばティッシュが真っ黒に染まるほどの汚い空気。
舗装されていない道はぬかるんでいるところがあって、酷いところでは浅い池のようになっているところさえあった。
前日の雨で出来た水溜りを避けながら診療所へと戻る道すがら、ルイはずっと考え事をしていた。
記憶の中の老婆と、クロロの家にいるという老婆。
クロロの家にいる女と老婆を見れば、それが記憶のなかの老婆と一致するかどうかはすぐにわかる。クロロをつけて家の中に入り込むくらい、簡単なことだ。だが確認したくない気持ちがある。
もしも一致してしまったら。その老婆はとんでもない悪女だ。
ルイの心許せる大切な友人であるクロウとその家族を激しく害した。
そしてこれから先もクロウたちのことを害する恐れがある。
悪女である一方で、その女は恐らくはクロロの産みの親であり、何も知らぬクロロはその女のことを大切に思っている。
恐らくは念獣の方を母だと思っているのだろうが、命尽きようとする老婆(母)にできることをしてやりたい、とクロロは心から願っている。
クロロの願いを叶えてやりたい気持ちと、その老婆と距離を置いてほしい気持ち。
その老婆はとんでもない人間だから距離を置きなさい。
そう口にするのは簡単なことだ。
クロロが信じるかどうかはさておき、ただ己の記憶のなかにある老婆の悪行をありのままに語れば良いだけなのだから。
先ほどクロロと話しているときにそう忠告することはできた。
だがそうしなかったのは、ルイのなかで記憶が記憶でしかなかったからだ。
色や映像、そのときの感情を伴う強烈なビデオテープのように感じられて、現実味に欠けていた。
老婆は悪いやつだ、と人から聞いただけに近い感覚だった。
記憶のなかでは色鮮やかに輝くクロウという少年を、いまのルイは実際に見たことがない。
妄想の産物である可能性はゼロではない。
ルイの目の前にある現実はイサクであり、マチであり、クロロであって、記憶のなかにしか存在しない
携帯でもあればクロウと電話をして、その存在が確かなものであると確認ができたかもしれない。
だが生憎携帯は流星街に来た初日に奪われており、未だ自分の手に戻ってきていない。盗人の姿を見つけることもできていない。
もやもやしつつ、そんなことを考えながら診療所へと戻る道中でマチと偶然すれ違った。だがルイは考え事をしていて彼女の存在を見落とした。
マチの方はしっかりとルイの存在に気づき、いつものように手を振ってルイをよく通る声で呼んだ。
「ルイー! 珍しいね! 外にいるなんて。研究は落ち着いたの?」
そう言いながら駆け寄ってきたマチに、ルイは曖昧に頷いた。
「うん、まぁね」
「歯切れが悪いね。
なんだか呆っとしていたようだし、なにか考え事?」
相変わらず鋭い少女だ。
そんなにも自分はわかりやすいだろうか。いや、たぶんどちらかというとわかりづらい方だと認識しているのだが。そう思いつつ、ルイは逡巡する。
マチに相談するべきか、否か。
勘の鋭いマチにはすでに何度も助けられている。
彼女の勘には神がかりなところがあって、その通りにしておけば基本間違いなく良い方向へと物事は転がるのだ。特別な資質を産まれつき持っているのだろう。占い系の念を作れば大成しそうだと思う。
ちなみに、相談するといってももちろんクロロの身の上話をそっくりそのまま話すつもりはない。
悩んでいるルイを見て、マチが悩みを見透かしているような口を聞く。
「別に何もかも全て話さなくていいよ。
漠然とした内容でもいい。ルイが突っ込んで欲しくないのなら、あたしは聞かないから」
だから相談事に乗らせてよ。
優しく微笑んでルイの手をそっと包み込むように両手で握ったマチは、濃い碧の瞳を潤ませながらそう言った。
「それとも、あたしじゃ相談相手になれない?」
「いや、そんなことないよ」
悲しそうな彼女の声色にほぼ反射的にそう答えていた。
これほど歩み寄ってくれる彼女を突き放すような真似は出来ない。
「……ただ、言葉の言い回しを悩んでいるだけだよ」
ルイがマチの不安を一声で払拭する。
マチは輝くような笑顔でぎゅっとルイの手を握った。
少女の柔らかな手のひらに包まれ、その体温を分け与えられていながら、ルイはまるで気にせずに己の思考に没頭していた。
クロロを助けることは、即ちあの老婆の願いを叶えることだ。
クロロはクロウのことを知りたがっている。
クロウの情報を教えれば、老婆、もといクロロたちは喜ぶだろう。
だが記憶のなかにいるクロウを裏切ることに繋がる。
これをどう話したものだろうか。
「それほど大層な相談じゃないんだけど……。
記憶の中にいるとても大切な人と、いま目の前にいる人。
どちらを優先すべきだろうかと悩んでたんだ」
なんだか違うような気もするが、おおよそこういうことだろう。
「どちらかを優先しないといけないの?」
「片方の願いを聞けば、もう片方を裏切ることになるかもしれない」
「なるほどね……。
あたしだったら目の前にいる人を大切にしつつ、記憶のなかにいる大切な人も傷つけなくてもいい道を探るけど、そう簡単なことじゃないんだよね?」
宝石のように輝く碧い瞳がルイを見上げている。
やわらかな風が吹き抜けて、マチの桃色の髪をさらりと揺らした。
マチからは甘やかな香りが漂ってきて、ルイの凝り固まっていた思考を優しく解きほぐした。
目の前の人を大切にしつつ、記憶のなかにいる大切なひとも傷つけない。
クロロの願いを叶えつつ、クロウのことを傷つけないような方法。
クロウのことを教えることは、クロウを裏切ることに繋がる。
だけど、クロウのことを教えないままにクロロの助けになる方法があるじゃないか。
思いついたその方法に、ルイは満面の笑みを浮かべた。
「それだ! 両立できるかもしれない。ありがとう、マチ。さすがはマチだ。相談してよかったよ、本当にありがとう!」
ぎゅっとハグをして嵐のように去っていったルイ。
残されたマチはしばらく頬を染めてぼうっとしていた。
「ルイにぎゅってされた……」