ゾルディック家のブラコン長男   作:見切り発車丸

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イルミ=ゾルディック

 イルミ=ゾルディックは、正しく暗殺人形だった。

 

 産まれたときは余りに余って無感情。産後泣かぬのはゾルディック家のしきたりか。表情筋のひとつすら動かさず、日がな一日中天井を瞬きもせず眺めているような赤子であった。このまま情緒のかけらもない子どもになるところだったのを大きく変貌させたのは、兄であるルイだ。

 

 実の両親からイルミへの興味はほとんどなかった。出来た兄へと集中する両親の興味に対しても、イルミは何も思わなかった。これは異常なことだ。幼い子どもであれば親からの愛情を求めて、近しい兄弟に嫉妬することもあっただろうに。そうならなかったのは単にイルミが他者からの愛情を欲していなかったこと、そして実の兄から自分が受け取れるキャパシティ以上に惜しみなく注がれる愛情があったからだ。

 

 だからイルミという人間の器のなかで、人間味であったり他者への情といった部分はルイがもたらした部分が非常に大きい。

 

 イルミは、ルイの世界の中心が間違いなく自分であると自負していたし、実際今までそうだった。兄が長らく不在にしたときだって、そのことを疑ったことはない。

 

 誕生日プレゼントが毎年針であることに、父親はなんとも言えない表情を浮かべていた。だが当の本人であるイルミにはそのプレゼントが、兄が心の底から頭を悩ませて時間を費やして自分のために選んだものであると不思議と理解していた。チョイスのセンスはともかく。

 

 ゾルディック家に既に後継となるべく人材は産まれたが、両親はまだまだたくさんの兄弟を作る計画であるらしい、とは執事から聞いたことだ。

 

 イルミお坊っちゃまにも弟ができるかもしれませんね。

 

 執事はそれが喜ばしいことだと心から信じている様子だった。純粋な笑顔でそう言われたイルミが思ったのは、その子がカワイソウ、ということだった。

 だってその子は誰も一番でもない。

 父親の一番は父親自身で、母親の一番はルイだ。ルイの一番はイルミで、イルミは誰も一番に定めていない。強いて言うならば己だろうか。

 執事や乳母からどれほど愛情を受けたって、所詮それは他人だ。実の家族がそばにいるのに他人からしか得られぬ愛にどう感じることだろう。

 

 だからイルミは次に生まれてくる子はカワイソウだと思った。

 別に可哀想だという感情は伴っていない。ただ、兄ならばそのように形容するだろうと判断したのだ。イルミの情緒の構成にはルイの影響が著しい。

 

 今はルイの一番はイルミだが、新たに子どもが生まれても、ルイの一番が変わるとはまるで思いもしなかった。だってルイは実の両親よりもなお、イルミのことを溺愛している。実の両親よりもイルミのことを想っているという意味ではない。それも正しいのだが、ルイが実の両親のことを思う以上にイルミのことを思っているということだ。

 あれほどの放任主義の親だ。ルイがそのように思う気持ちはイルミにもよくわかる。だが、あの両親からどのようにしてあのような性格の兄へと形成されたのか、それがまるでわからない。

 暑苦しいほどに愛情深く、強くて格好良くて闇夜に輝く月のような存在。それが自分の大好きな兄であった。

 

 兄のためならば、多少の骨を折ってもいい。

 面倒なことだって渋々ではあるがやるつもりだ。

 そうすれば、輝くような笑顔で兄は自分に抱きついて、鬱陶しいほどにお礼を言うはずだ。それがイルミには、くすぐったいような、嬉しいような恥ずかしいような、不思議な気持ちになる。だが悪くない気持ちだ。

 

 兄が家を不在にすることはままあった。修行であったり任務であったり、はたまた娯楽のためであったり。

 用事がなければ家をあまり出ることがない家人がほとんどなのだが、ルイだけは例外だった。ルイは外出をするたびにイルミにお土産を買ってきてくれた。

 基本的には食べ物が多いのだが、変わった文房具や、切れ味の良いナイフ、昔ながらのゲームから流行りのゲームまでさまざまなものを買ってきてくれた。

 何事にも興味が薄いイルミのために買い集められたゲームはイルミの部屋には収まりきらず、ゲーム部屋が作られた。

 

 兄が在宅のときには、森で遊んだり一緒に修行をしたり、ゲーム部屋で過ごしたりした。ルイはイルミとともにそれらのゲームに少しばかり手を出すものの、すぐに興味を失う。兄は実は、飽き性だ。

 

 家にいる時間がルイよりも長いイルミは必然的にルイよりもゲームが上手くなり、幼いイルミにボロ負けしたルイは、弟のことを天才だ、神童だと褒め称えるのだった。その顔には悔しさなんてひとつもなく、晴れやかな笑顔で心から嬉しそうにイルミのことを褒め称えるものだから、イルミは興味のないゲームにもそこそこ熱心に取り組んだ。

 

 ルイの世界の中心は、イルミだ。

 

 そして同様に自分の世界の中心近くにも兄が据えられていることに気付いたのは、兄がいなくなってからだった。

 

 いつものように帰ってくると思っていた。

 

 少しばかり不在の時間が長くても、兄が帰ってくる場所はこの家しかないとイルミは心から思っていたのだ。

 

 

『身体的に拘束されているでもないのなら、どうしてルイにぃは帰ってこないの?』

 

 つい先ほど、父親にそう尋ねたイルミの心境は、本当に単なる疑問しかなかった。

 

『さあな。帰ってこれない事情があるのか。

 ――それとも帰ってこないことを自ら選んだのか』

 

 帰ってこれない事情とはなんだろうか。

 これほど長らく不在にしなければならない事情とはなんだろう。

 手紙の一つや二つくらいはあってもいいのに。

 プレゼントだって贈られてきていない。

 手が離せない用事である可能性があれば、父――シルバはそのように言うはずだ。それを言わないどころか、わざわざ『帰ってこれないことを自ら選んだのか』と口にした。

 その言葉が指し示すのは、ルイが誰にも拘束されていないのが一目瞭然なのに、自由意志で家に帰ってこない、ということだ。

 

 父は頭脳面も身体面も非常に優れた暗殺者であるが、家族間においては余計な憶測を招くようなことは言わない人だ。

 瞬間湯沸かし器のような母親の逆鱗に触れないよう、遠回しな言い方もしない。

 

 イルミは呆然と呟いた。

 頭の中で理解できているはずなのに、それでも何度反芻しても心の底までは理解できないその言葉が、思わず口をついて出たのだ。

 

『……帰ってこないことを、選んだ?』

 

 それはすなわち、どういうことだ。

 

『…………オレを置いて?』

 

 ルイはイルミのことを置いて、帰ってこないことを選んだということか。

 

 ガンと頭を殴られたような衝撃が走った。

 実際に殴られたほうがまだ対処が出来ただろう。誰にも物理的な衝撃は与えられていないことの方が衝撃だった。ジンジンと激しく心臓のあたりが痛んだ。なんだ、これ。

 

 黒いイルミの瞳が、より一層深い闇に染まる。

 

 ――ルイのような者をたまたま見つけただけで、ルイとは断定できていない。姿形が似ているだけで、赤の他人かも知れない。なにせあの“ルイ”が知り合いを見つけて何のアクションも起こさないはずがないだろうからな。だから俺たちは――

 

 シルバの声は聞こえている。

 音は情報として脳内で処理されている。だがその情報がイルミのなかで意味を持ち得ない。

 

 イルミの根幹をも揺るがす衝撃が、未だイルミのなかで余震のように続いていたからだ。

 

 ルイにぃが、オレを捨てた?

 

 事実ではない。

 

 まだ捨てられたと決まったわけではない。

 

 だが、確かにルイは突然消えた。なんの連絡もせずに。

 イルミとの約束も反故にされた。きっとあとで償ってくれるだろうと思っていたけれど、ルイは自らの意思でこの家へ帰らないことを選んだという。

 

 この家へ帰らずとも、イルミへと連絡をとる手段はある。どうとだってできるはずだ、あの兄ならば。

 

 ルイにぃは、オレのことが、いらなくなった?

 

 ルイにぃが、オレから離れていく。

 

 そのようなことが起こり得るとは思っていなかった。天地がひっくり返るほどの衝撃だ。

 幼いイルミの世界はいま、確かにひっくり返っていた。

 

 そんなはずがない、と否定する気持ちにイルミは冷静に問いかける。

 

 どういう根拠で?

 

 何もない。

 何もないのだ。

 

 ルイから注がれていた無償の愛は、何に縛られるものでもなかった。

 何に縛られるものでも、何から強要されるものでもないその愛情が、どうして永遠に続くものなのだと確信していたのだろう。少しも恐れたことがなかった。その愛情がなくなることを恐怖したことがなかった。

 日が昇り、沈むがごとく当然の摂理であるとイルミは思い込んでいたから。

 

 そうだ、何か理由があるかもしれない。

 

 そう、父さんも言っていた。帰ってこれない事情があるかもしれない、と。

 

 愕然とし、衝撃を受けていたイルミであるが、シルバたちが情報の共有をしていたことは、音の情報として頭の中に留めていた。それらを今更ながらに情報として受け止めて、それから会話に入った。

 

「――明朝、その人物が確かにルイであることを確認させるために人を送るつもりだ。まずそれがわからねば動きようもないからな」

 

 シルバがそう言う。

 

「それ、オレも行っていい?」

 

 さらりとイルミが名乗りをあげた。だんまりを決め込んでいたイルミが突然発言をしたのは予想外のことだったのか、全員の視線が集中する。視線には感情が乗る。さまざまな感情を乗せた視線が突き刺さるイルミは堂々としたもので、全員の視線を飄々と受け流した。

 

 ふぅむ、と顎をさすりながら唸ったのはゼノだ。

 

「妙案じゃな」

「うむ……むしろ、最適だ」

 

 なぜ思い当たらなかったんじゃろうな。ゼノがそう言うのに、シルバは視線を逸らして鼻を鳴らす。

 

 当主が肯定的な意見を述べるということは、イルミの出発が確定したようなものだった。

 

 本来であればゴトーだけを遣いにやって、その者がルイ本人であるかを確認させ、ルイの気持ちもまた確認させるつもりであったのだ。

 

「では明朝、ゴトーとを伴ってイルミが行け。

 流星街にそれほどの傑物はいないはずだが、マフィアが蔓延る色々と特殊な地だ。十分に注意していけ」

 

 イルミは頷いたが、シルバの指示はいまホールの隅に控えているゴトーへ向けたものであると理解していた。

 

 だからイルミは考えていた。

 

 いま、どんなつもりでルイが動いているのか。

 

 もしもルイがイルミという存在をすっかり忘れて行動していたら。

 もしくは、覚えていてなお、イルミを捨て置く気なら。

 

 もしも、ルイの世界の中心がイルミでなくなるだけでなく、世界の片隅にさえもイルミの存在がなくなっていたのなら。

 

 ――オレ、自分がどんな行動を取るかわかんないな。

 

 自分のことなのにわからないなんて。

 

 ぽっかりと胸に穴があいたような。どこまでも不気味に凪いだ心でイルミはそう思った。

 

 

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