ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
それにしてもクロロとクロウと書いててもよく間違える。
一番間違えたらあかんとこ。
何回か見直してるんですけど、漏れがあったらすみません。
「クロウ……さま?」
老婆が震える声でそう言って、
皺が刻まれた目元は奥まっていて、小さな瞳が大きさに似合わずギラギラと底光している。
ぞくり、と背筋が凍った。老婆とまともに目があったのはこれが初めてのことだとクロロは今更ながらに気づいた。
クロロはルイから教わった通りに、口角を上げるだけの笑みを浮かべている。ぴたりと表情を顔に貼り付けて、一言も発さない。まるで顔の上に薄皮一枚の仮面が張り付いているかのような感覚だった。心臓はドキドキとうるさいくらいに高鳴っていたが、不思議と表情は固くならない。まるで身体の外側と内側が、すっかり隔てられているかのようだ。
黒のヴェールで顔を隠されていない老婆は、顔中の至るところに皺が刻み込まれている。酸っぱいレモンでも食べたかのようにきゅっと窄まった唇から、老婆独特の口臭と共にぬるい吐息が漏れる。
弛んだ皮としぼんだ目。落ち窪んだ瞳の奥だけが爛々と輝いた不気味な表情。
正直に言って、怖かった。得体の知れない恐怖を胸に抱きながらも、クロロの身体は少しも動揺を見せなかった。
「ああ、クロウさま……クロウさま……まさか、まさか、わたしを
バレていない。
老婆は本気でクロロのことをクロウだと信じ込んでいる様子だ。……今の所は。
それほどまでにクロロとクロウは似ているのだ。
それが母親の執念がもたらした結果である、とはルイから聞いたことだ。
世の中に不思議な力があることは、クロロとて知っていた。流星街では長老や近しい者たちがその力を使っている。
クロロの母親もまた、その不思議な力を用いてクロロの顔がクロウそっくりになるようにと
ルイから説明を受け、本当にクロウによく似ているとのお墨付きは貰っていたが、やはり不安な気持ちはあった。
なにせこの姿は、クロロが年齢を重ねて到達する未来の己の姿でしかないのだから。
生き写しのようにそっくりになったのが、遺伝子のもたらした奇跡ではなく、母の特殊な力がもたらしたエゴであることがクロロにはなんだか虚しかった。
自分の存在って、なんなのだろう。
何のために生まれてきたんだろう。
思わずクロロは母を見た。
母は老婆の横に佇んで、瞬きひとつしない。まるで物言わぬ置き物みたいだ。
老婆は我を忘れたかのようにずっとクロロを通してクロウを見つめている。
クロロは己の背中にクロウというその人が本当にいるような気がしていた。
指南されたように声を出す。
出来る、と心からの自信があった。クロロはクロウになり切ることができる。
「そうだよ。キミに
「ああ……ああ、ああああああ」
そしてその自信は正しかった。
その証拠に、クロロの演技で老婆は泣き崩れた。顔を覆い、地面に膝をついて嗚咽を漏らしながら泣き続ける。
「クロウさま……クロウさま……やっと、わたしのもとに……」
クロロはなにも言わなかった。
なにも言えなかった、と言う方が正しい。老婆の発言に水を差して、偽物だと気づかれるリスクを避けたのだ。
「そう……そうね。そうよね。
わたしが選ばれたのだものね。
そうよ、あの女に
わたしが、クロウさまに。選ばれた。やっと選ばれた。
老婆は何度も何度もそう呟いて、喜んだ。
地面に膝をついたまま、頬にあとからあとから溢れてくる涙を拭いもせずに。
険のある顔だったのに、涙が流れるとともに顔から刺々しさが抜け落ちていく。
生気とともに、するすると。
雪解けを迎え、新緑が芽吹くように老婆の瞳の奥に淡い感情が灯る。
「ああ……愚かよね、わたし」
いっそ別人に思えるほどの表情の違いであった。
瞬く間に変化した老婆のあまりの変わりようは、目の前でそれを見続けていたクロロが目を疑うほどのものだった。
彼女は思い込みがかなり激しいのだろう、とは薄々思っていたことだ。
その突き抜けた思い込みで自分を苦しめ続けていたのかもしれない。
「……すでに死んだはずのあなたの気配を、ずっとずっと遠いところで感じていたわ。
いないってわかっているのに、随分と探し回ったわ。
だってあなたが、わたしのそばにいなかったから。
普通の人間なら恨むはずでしょう。末代まで祟ったっておかしくないわ。それだけのことをしたわ。
だからわたし、ずっとあなたが来てくれるって信じてた。
信じて、信じて…………いたの。
あなたの瞳に映ることができるのなら、その感情がなんであってもよかった。無感情なあの瞳が、ほんとうに辛かったわ。
欲しかったの、心から。あなたさえいれば、他にはなんにもいらなかった。ほんとうに、なんにもよ。
ただただ、……欲しかったの。あなたの存在が、あなたの眼差しが、あなたの全てが。
……そうして、意地になって、自分を見失っていたのね……わたし。
どれほどのことをしても、結局クロウさまの瞳に、わたしは映らなかった。クロウさまはわたしを憎むことも、恨むことも、しなかった。わたしを存在しないものとして、扱った。
欲しかっただけなのよ……ただ、そう。……わたし……。わたしは……わたしの、
ねえ。
流れ落ちる涙は皺へと流れていき、顎先からぼとぼとと落ちていく。
何を言っているのかまるで分からない。目の前にいるクロロを置き去りにして、老婆は一人で呟いている。
涙のヴェールで覆われた老婆の瞳は、クロロを突き抜けて壁を見ているようであった。
見窄らしい老婆の背中はとても小さく、後から後から涙を流し続ける小さな姿にクロロは胸が痛んだ。
その背中に駆け寄って支えてやりたいと思うのは、クロロの気持ちだ。ルイから聞いたクロウはそうしない。
演じ切るのであれば、それはしてはならないことだ。
クロロはそうわかってはいたが、身体が動くのを止められなかった。
そっと老婆の背を撫でた。
ビクリと老婆の背中が揺れる。
骨ばった薄い背中だった。ひんやりとしていて、生者の温かみがまるで感じられない。この掌の熱を少しでも分け与えることができれば。そう願いつつ、クロロは優しく老婆の背中を撫でた。
「許してくれるの……? こんなわたしを………………」
絞り出すような老婆の濁声。皺だらけの指を老婆がクロロの顔へと伸ばす。
死にゆく人間の、今にも消えそうな儚さがあった。
その指はクロロの頰に触れる直前で止まり、震えた。
触れば壊してしまうとでも恐れたかのように、ゆっくりゆっくりと頰に指先を触れさせる。カサついて冷たい指先だった。
老婆は涙に濡れた瞳で、
その時、同じ流星街のすこし離れた土地にいた、老婆が放っていた念獣が姿を消した。
長らく女に取り憑いていた
それはクロロには知り得ない情報であったが、老婆が心から満足した証拠であった。
人を呪わば穴二つ。
人を蝕み、自らをも蝕み続けていたその女は、最期の最期に我が子の愛により救われた。
「ああ……ごめんなさい……ごめんなさいね……ありがとう、クロ……ロ」
クロロ。
老婆はたしかにそう呼んだ。
クロロは息を呑んだ。胸がギュッと苦しくなる。
「かあさん……?」
指先がわずかにクロロの頰を掠めて、地面へと落ちる。
糸が切れたように、土下座するように倒れ伏した老婆。
その息はもう、ない。