ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
老婆が息を引き取るのと同時に、すぐそばにいた若い女の念獣もまた消えた。
不測事態の対処のため、室内で気配を消して待機していたルイは一部始終を見ていた。
暗殺者特有のすべるような動きで気配を消したまま音も立てずに歩いていく。
しゃがみ込んだままのクロロのそばに行き、その横顔を見る。
貼り付けた笑みがそのままに、瞳の奥が光を失っている。
ルイはそんなクロロの様子を、無感情に見つめていた。あまりにも無感情すぎるその顔を、ルイを知る人が見れば心底驚いたことだろう。
普段のルイからは考えられないほどに冷たい表情だ。触れると血が流れそうなほど刺々しく凍てついた氷のような。なにかに静かに憤っているかのような。
ルイは自身の表情がどのようなものなのかはわかっていなかった。
記憶と感情がごちゃ混ぜになって、吐き気がする。
記憶と妄想がごちゃ混ぜになって、何が真実なのかがわからない。
吐き気がするほど何度も何度も記憶にある、刻み込まれているコレはなんだ。
冷え切った廃工場。
埃が積もってカビ臭いそこのニオイ。
鼻の奥にねっとりと纏わりつく独特のニオイ。
手先はすっかり冷え切っていて、かじかむ一歩手前になっている。血流を操作できるのに、自律神経が乱れてすっかり血の気が引いている。
それは夢、らしいのだ。記憶によると。
何度も繰り返し見る夢。現実のような夢。
いっそ現実よりも、現実みたいな質感を持った夢。
大量の血を流すイルミに、さらに心臓へとナイフが振りかぶられ、トドメが与えられて殺される。
イルミは、オレの弟だ。
大切な、大切な弟だ。
ルイはごちゃ混ぜになった記憶のなかで、唯一その部分を救い出すことができた。
弟への想いが詰め込まれた箱の蓋が、砂糖が熱せられたようにどろりと溶けたみたいに、後から後からあたたかな気持ちが溢れてくる。
ルイは首を振った。
夢だ。これはただの、夢。
早鐘を打つ鼓動を無意識に手で押さえて、飛びかけていた意識を現実へと引き戻す。
ルイと同じく時が止まっていたかのようにクロロはしゃがみ込んだままだ。
それほど時間は経っていないのかもしれない。
老婆の念獣のことをクロロは自分の母親だと勘違いしていたはずだ。……そのはずなのに、クロロは念獣が消えたことなどまるで気にする素振りすら見せず、床に土下座するように死んでいる老婆を見つめていた。
死してなお、最期のときのままに土下座し続ける彼女が懺悔をする対象は、誰か。
好き勝手に迷惑をかけたクロウではなく、一方的な感情で恨み続けたクロウの妻でもなく、逃亡生活を余儀なくされたヒソカでもないはずだ。
女は、最期に気づいた。
己の産み落とした息子が己へと向けていた視線に、愛情に。
自分がずっと追い求めていたものがなんだったのかを悟った。
そして、奇跡的にもその追い求めていたものを自分が得ていることに気づいた。
初めて込み上げてきたであろう罪悪感を胸に抱えることもなく、相手に向けた。謝罪できた。
自分だけが気持ちよくなって死んでいく、最期まで独りよがりな女だった。
いっそのこと己が本当は何を求めていたのか、気づかなければよかったのに。
こんな罪人が報われるなんて、面白くないじゃないか。
散々人を苦しめた人間が罰されることなく、心から満足して死んでいくなんて、許したくないじゃないか。
ルイは外にいる人の気配を感じ、やるせない気持ちになった。
「もう入ってきて大丈夫だよ」
外の者
はっと顔をあげるクロロ。
意図して消していた気配を元に戻す。
音と声でルイの存在に気づいたクロロは、呆然とした表情から力のない笑みを浮かべた。
「ルイさん。どこにいるのか、まるでわからなかった……」
1日で何年もの歳を取ったような。
肉体的に見れば実際にその通りなのだが、顔に浮かべる疲れ切った表情がクロロを一層老け込んで見せた。
これが己よりもずっと幼い子どもが見せる表情なのか、とルイは内心で気の毒に思った。
クロロの家の外に待機していたパクノダは、玄関から気遣わしげな表情を浮かべて室内へと入ってきた。
「パクちゃん……」
クロロは力無くそう言う。その声には安堵の色も含まれていて、空元気であれなんであれ、クロロの声に正気が戻る。
「……がんばったね」
パクノダはそう言った。
「がんばったね。すごくすごく、がんばった。きっとクロロは自分のことを労うことがないだろうから、代わりにあたしが言うよ」
クロロの表情から諦観に似たものが剥がれ落ちていき、年相応の顔となる。小さく丸まるようにしてしゃがみ込んだ、細い背中。
「ちゃんと頑張れて、ない。僕、ちゃんとしてあげられなかった」
「うん」
パクノダのその頷きは、とても優しい響きだった。そんなことない、と否定したかっただろうに、パクノダはクロロの言葉をそのまま受け止めた。
「謝ってたんだ。最期……僕のことクロロ、って、言ってた」
「……うん」
「僕、クロウさんならしないことを、しちゃったんだ……」
「うん」
「だから、クロウさんじゃなくて、僕だって……気づいちゃったんだ。
きちんと、騙してあげられなかった……!」
取り戻せない過去を嘆くクロロの背を、パクノダは寂しげに眺めている。
触れれば届く距離にあるのに、透明な壁でもあるかのようにパクノダはクロロに近づかない。
ルイからしてみれば気に食わない女でも、クロロからしてみれば、大切な人だ。どんなにクズに見える人間でも、そんなクズを大切に想う人の心が存在する。いまのクロロのように。
だから命は尊いし、簡単に奪ってはならないものだ。
暗殺業、なんて人の命を奪う職に就いている我が身の浅ましさに反吐が出そうだ。
たくさんの命を奪って生きてきた自分に、平穏な未来など訪れない。
無垢な少年の背中が震えている。その背を寂しげに眺める少女がいる。
ひたすらに寂しいその光景が、ルイの罪悪感を突き刺してくる。
涙すら流せずに慟哭する子どもに悪意なんてひとつもなくて、気に食わないから、と意地悪な気持ちになっていたルイはため息をついた。
ああ。なんて、自分らしくない。
「クロロ」
ルイは言う。
濡れた瞳がすがるようにこちらを見上げている。
パクノダが越えなかった透明の壁を、ルイは越えた。
ルイもまたしゃがみ、クロロの両肩に手をつく。
瞳を強制的に合わせさせたまま、瞬きもせずに言う。
「お前は最期までクロウに成り切ることはできなかった。
確かに当初は騙し切る予定だったろう。
だが、お前の心が叫ぶままに行動したからこそ、あの
もしもお前がクロウになりきっていたら、きっとあの人は虚像に縋り続け、最期までなにも得られず、虚しいままだったろう」
どういう訳だか、あの女は気づいていた。
この壁の向こう側に本物のクロウが来ていたことを。
だからこそのあの発言だ。
『いまあなたの気配はこんなにもすぐ近くにあるの』
すぐ側に、ならばクロロのこと指していたとルイも判断した。
だがあの女は、すぐ近くに、と言いながらクロロの奥の壁を見据えているような目線だった。
ルイからすればあんな女、最期でも報われずに惨たらしく死ねばいいと思っていた。そうなるべき存在であると、思っていた。
自分と同じように、罰されるべき存在であると心から思っていた。
そんな内心はひた隠しにして、ルイは優しくクロウへと語りかけた。
「あの人は、最期に悟ることができた。
追い求めていた虚像なんかではなく、お前という存在こそが、自分が追い求めていたものだったんだって。
だから
お前がその優しい心で、相手を想って行動したからこそ引き寄せられた結果だ。満たされなかった彼女が最期に満足できたのは、紛れもないお前のおかげだ。誇りなさい」
ルイは姿ばかり大きくなった少年の頭を撫でた。
白い頰を一筋の涙がするりと伝う。
「ちょっとだけ、出てくる」
ルイはそう言って、玄関へと歩き出した。
窓の外で待機しているに違いない人たちのもとへ。