ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
ルイは急ぎ足に荒地を駆け抜けていた。
気配を消しているため、街中であれば疾風が吹いたとしか認識されないほどの速さで走り続ける。
流星街に来てからルイは本格的なトレーニングをしていなかった。
昔ならば鼻歌を歌いながらでもこれくらいのスピードで走れたものだが、いまは足が千切れそうだし心拍数もかなり上がっている。
一朝一夕で体力や筋力はつかないものだ。それでも過去と同じくらいの動きができているのは、念で自らの身体能力を底上げしているからだ。
先ほど得たおおよその位置情報を元に脳内マップを描いて走り続ける。
ルイの脳内GPSはかなり優れたもので、長年の特訓の成果もあってコンパスやマップ要らずだ。
おおよその場所さえ分かればそれでいい。
詳細の場所は気配を感知して地道に探すしかないのだから。
ルイは無理矢理に口角を持ち上げ、笑っていた。
不安な気持ちを抑え込むように、あえて笑顔を浮かべていた。
そして思い込む。
久しぶりにイルミと会えるのだ。嬉しくないはずがない。
記憶を失っている間に、幾日も幾日も月日は流れていった。
成長盛りのイルミも、すっかり大きくなっていることだろう。
男子三日会わざれば刮目して見よ、というが、電話口の声だけを聞いても以前よりも流暢に話せるようになっていた。
それが嬉しいやら寂しいやら。
ルイにい、と呼ぶイルミの声がどことなく気落ちしていたのが気がかりだった。今にもなにかをしでかしそうな、儚く暗い印象の声。普段のイルミであればあんな声は出さない。
考えれば考えるほどに不安になってしまう。
イルミのために何かをしてやりたい気持ちばかりが募って、だけど今できることは何もなくて。
だからルイは必死で脚を動かした。
もうすぐイルミに会えるのだという喜びの感情に焦点を当てて、無理に笑いながら爆速で駆け抜けていた。異様な光景である。
記憶がなくても不都合はなかった。
普通に生きてゆけた。
しかしながら己の記憶は、過去は、経験は、感情はこんなにも素晴らしいものだったのだと、思い出すたびに嬉しくなる。
ビスケとの出会いなんて奇跡の賜物だ。
それを次回へと繋げることができたあの時の行動力は、今思い出しても拍手ものだ。
イルミが産まれたとき、ちいさなイルミを胸に抱いたとき、イルミがぎゅっと抱きしめてくれたとき、イルミが笑いかけてくれたとき、イルミが不眠症を克服したとき。
走馬灯のようにさまざまな記憶が頭のなかを巡っていく。
走るのがあまりにもキツすぎて自分が死にかけているのかと思った。
でも、これほど必死に走っているから心臓が激しく鼓動しているのだ、ただそれだけのことだ、とルイは自分に言い聞かせた。
夢が現実になってしまいそうな不安なんて、人間誰しもが持ち得るものだ。
怖い夢をみて、どうかその通りになりませんようにと願わない人はいないだろう。
10キロほど走ったルイは、速度を緩めて気配を探るほうに重点を移す。
流星街がどこからどこまでの場所なのかはわからないが、おそらくこの辺りは外れのほうだろう。
廃れた工場街に一際大きな廃工場がある。
そのなかに人の気配があった。
いくつもの気配があれば捜索は難航しただろうが、外れで人がいないことが幸いした。
きっと、あそこなのだろう。
繰り返し見る、嫌な夢があった。
ちょうどこんな感じの廃工場が舞台となっていた。
しかし夢は夢だ、と切り替える。
どうしてあんなところにイルミたちがいるのだろうか。
疑問に思いつつ、ルイは念のため気配を消したまま廃工場へと近づく。
ぐるりと一周回って偵察し、傾いた扉の隙間からするりと身を捩って侵入した。
中はひんやりと冷たい空気が立ち込めていて、カビ臭い。
随分と人が立ち入ってなかったのか、床には塊のような埃が積もっていて、ふわふわと小さな埃が傾いた窓枠から差し込むわずかな陽光で浮かび上がって見えた。
奥へ進むに連れて窓がなくなっていく。殺風景な廊下は、陽がないせいで奥に進むにつれてどんどんと暗がりを増していく。
ルイの目は暗闇にすぐ慣れる。それでも光源がなければ見えないのだが、目的としている工場の奥から光が漏れていた。
奥にある重そうな引き戸のさらに奥に、人の気配がある。
扉は左右から中央へ向けて閉じ、錠を掛けられるようになっているのだが、隙間が空いている。
その隙間から光が差し込んでいるのだ。
扉の前に、コインが落ちている。
血に濡れたコインだ。まだ新しい血液が付着したそれを見下ろした。
どこにでもあるただのジェニーだ。
ルイはゴトーがコイン遊びでよくあやしてくれたことを思い出す。
幼い頃、両親はルイに興味がまるでなかった。ルイを育ててくれたのは執事たちであると言っても過言ではない。そのなかでも特にゴトーはルイを可愛がってくれた。
家に帰ったら、なにか改めてプレゼントを贈ろう。
そうだ、ツボネにも。
ついでに家族にも贈り物をしよう。
父さんが言うには、待ってくれているらしいし。
溢れてくる記憶に温かい気持ちになる。
オレ、恵まれてるなぁ。
ルイはしみじみとそう思った。
可愛い弟がいて、家族がいて、優しい執事がいて。
心許せる親友がいて、憧れの女性がいて。
こんなに幸せで、いいのだろうか。
人の命をいくつもいくつも奪ってきた自分が傷ひとつない美しい遺体で死ぬなんて、許されないことだ。
昔、そう考えていたっけな。
扉を音が鳴らぬようにわずかに開き、自らの身体が入る分だけ開いて、奥の部屋へと入り込んだ。
明るい。
奥の部屋は電気が点いていた。
鼻につく鉄臭さは血の臭いだ。
至る所に黒服の死体が転がっている。
ルイが廊下を歩いてくる間も、ずっと響いていた。
この幸せな世界は、すべてが夢みたいなものだ。
ルイは夢見心地にそう思う。
剥き出しの鉄骨に死体がぶら下がっている。
白かったであろう床が真っ赤に染め上げられている。
幾人もの黒服を相手に、広い空間の2階部分でゴトーが戦っている。
ゴトーもすっかり血濡れている。白いシャツが余すことなく血に染まっている。それでもゴトーの瞳は険しく前を見据えており、十分な戦意を感じさせる。
これは、あの夢のなかなのだろうか。
イルミは誰かに致命傷を負わされていた。……夢では。
目の前で広がっている光景では、致命傷かどうかはわからない。
大量の血液を付着させているイルミは青白い顔をして迫り来る能力者を見上げている。
自分よりも格上と戦うな、とは口すっぱく教えられているはずなのに。
イルミの心臓へとナイフが振りかぶられる。
相手の動きの方がイルミの回避よりも速い。
これがトドメとなる。
――夢では、そうだった。
コンクリートの地面がめり込むほどの勢いでダッシュしたルイが、イルミと男の間に割って入る。
ガキン、と爪を硬化させてナイフを弾き、そのまま駆け抜けて、ルイは不意をつく形でイルミの命を狙っていた男を殺した。
敵の心臓を綺麗に引き抜く。
ぬちゃり、と温かい心臓を握りつぶした。
これは、夢か、現実か。
ふと目の端に、桃色の髪の少女が見えた。マチだ。
戦闘に巻き込まれぬよう、瓦礫の裏に隠れるようにして震えている。
ルイはその情報を目の端だけで確認し、流した。
目の前に立つ血濡れたイルミは言う。
「随分早かったね、ルイにぃ」
「お待たせ。迎えにきたよ、イルミ」
ルイはそう言って、綺麗に笑った。
「オレがむかえに、きたんだけどね」
イルミの顔色は悲しいほどに白かった。鮮やかな赤が生への冒涜のように映える。
ルイは上着を脱ぎ、地面へぱさりと置いた。
膝をついているイルミを壊れものを扱うように抱き、丁寧に床に寝かせる。
「どこを怪我した?」
「全身。特に酷いのは脇腹と右太腿部。自分で自分のことはわかる。何したって、無駄だよ」
記憶のなかよりも随分大きくなったけれど、まだまだ小さいイルミ。
イルミは、こんな時にも落ち着いて話すことができるんだ。
未だ戦闘音は鳴り響いている。ゴトーが必死に戦っている。
「ルイにぃ。オレのこと――」
イルミは虚な目でそう言った。
ふ、と一瞬瞳から光が消える。
イルミ、と声をかけると、ゆっくりとイルミが瞬いてルイに視線を合わせる。
命の灯火はいまにも消えてしまいそうだった。
語尾もまた、消え入る。
どくどくと小さな身体から溢れ出る血液が止まらない。
ルイは夢とは違い、間に合った。
夢ではイルミは胸にトドメの傷を負わされていた。
それを弾いて、敵を殺した。
何度も見た夢では、イルミは殺されていたけれど、いまは間に合って、イルミは生きている。
せっかく間に合ったのに。
叫びたかった。
暴れ出したかった。
気が狂いそうなほどの激情を皮の下一枚に抑え込んで、ルイは笑っていた。イルミを安心させるために。イルミの理想の兄でいるために。
「ルイにぃ……」
「ん?」
「オレ、しぬの怖くないよ。だから泣かなくていいよ」
泣いてる? 泣いてないはずだ。
完璧な笑顔を浮かべられている、と己の感覚が伝えてくる。
「イルミ、お前は死なないよ。
死ぬわけないだろう。
世の中には順番ってもんがあってな、兄のオレよりも先に弟が死ぬことは許されないんだ」
「……変なの。
人なんて、いつしぬかわからないじゃん」
イルミがゆっくりと目を閉じる。
「それも正しい。けどオレがイルミに嘘なんて言ったことないだろ?」
イルミの鼓動が少しずつ弱まっていく。
「……ううん、あるよ。一個だけ。オレは、覚えてるけど」
苦しそうな吐息でイルミが言う。
ずきん、と胸が痛んだ。
ルイが誘拐される前に、イルミと交わした約束のことだろう。
「そうだった。嘘、一個吐いてたな。……ごめんな、イルミ」
その約束はもう二度と、果たせない。
「でも、よかった」
「うん?」
どう言う意味だ、と尋ねても、返答はなかった。
呼吸が不規則になっていく。刻一刻と、死期が近づいてくる。
「ねえルイにぃ。いまさ、自然と……ねむいや。いまならふつうに、眠れそう」
幼いイルミの小さな身体は、ルイと会話するために限界以上まで頑張ってくれた。
「ねえ、ルイにぃ……オレのこと、忘れちゃ、ダメだよ」
「当たり前だろ。忘れるもんか」
オレが記憶喪失になっていたことを知っていたのだろうか。
それとも、また別の意味があるのだろうか。
ルイは紙のように白い顔色をしたイルミの頭を撫でた。
樹海でミケと3人で遊んでいたとき、イルミが転んだことがあった。
両手と膝小僧を擦りむいて、血を流していたイルミ。
あの時と今とでは傷はまるで比にならないけれど、あの時もイルミはまるで痛くないような顔をして、痛くないと言っていた。
ルイは笑顔でイルミの頭を撫でた。
「よく頑張ったな、イルミ。
――痛いの痛いの、とんでいけ」
ルイは自分に発がなかったことに心から感謝した。
きっとこの時のために、取っておいたんだ。