ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
マチは自分が影から震えて見ているだけだ。なにも特別なことをしていない、強いていえば勘が冴える以外に特技もない自分に心底嫌気が差していた。
マチよりもずっと幼い子どもが戦っているのに、自分は何もできない。あんな動きはできない。どういう環境で育てば、あれほどまでの強さを持つ子どもができるのだろうか。
流星街は決して安全な場所ではない。
自衛のためにも戦う方法を学んでおけば、いまこうして震えているだけではなかっただろう。
カタヅケンジャーみたいにバッタバッタと敵を薙ぎ倒すことはできなくても、今ほど歯痒い思いをしなかったはずだ。
時間は捻出できた。少しでも身体を鍛えておけば全力で逃げることもできたのに、過去のマチはそうしなかった。過去の選択をマチは心底悔いていた。
そしてこの悔しさを必ず己の糧にすると、拳を握りしめて誓う。
何よりも迂闊だったのは、口車に乗せられてポヤポヤと郊外を一人で歩いてしまったことだ。
いつもよりも人通りが多かった。話の通り車通りも多かった。
一台だけならば人攫いを警戒するのだが、何台も連なって動いているときは、物資の輸送であることが多い。
そんな経験則からマチはエンジン音にさして警戒していなかった。
黒いワゴンが猛スピードでマチに横付けしてきて、車内へと引っ張り込まれたのはあっという間。
しまった、と思ったときにはもう遅い。身体に浮遊感を感じ、鉄臭く生臭い空気が充満する車内へと引き込まれる。
顔面に白い布を被せられ、辺りが見えなくなり、恐怖で喉の奥が自然と引き絞られる。
叫ばなかったのは乱暴な扱いでガチンと顎を打たれ、舌を噛んだからだ。
「ラッキー、最後に一匹捕まえた♪
これは俺の獲物でいいんだよな?」
「ほどほどにしておけよ。車内がこれ以上臭くなるのは勘弁だ」
フンと鼻を鳴らす男。そいつがこれから行われる行為を快く思っていないことは、声色からありありと察せられた。しかしながら止める気はないらしい。
マチは両手両足をチクチクしたロープで乱暴に結ばれながら思い出していた。
ルイとともに歩いていたときに、同じようにして攫われた少女のことを。
あの少女もきっと、今のマチと同じくらいに怖かったはずだ。絶望したはずだ。もしかしたらエンジン音が聞こえる前まですぐそこにいたマチたちに向けて、車内から助けてくれ、と悲鳴を上げていたかもしれない。それを見殺しにしたマチが同じ目に遭って、どうして文句を言うことができるだろう。
助けなんて、こない。
あの少女は絶望して苦しみながら死んでいっただろうか。
もしかすると生きているかもしれないが、死んだ方がマシな扱いをされると聞く。
迂闊だった。
後悔先に立たず。
どれほど悔やんでも、己の愚かな過去の選択は変わらない。変えられるのは、ただいまこの瞬間の行動だけ。
マチは呼吸のたびに悲鳴じみた音が漏れそうになるほど緊張していた。ガクガクと震える全身。意図してゆっくり少量ずつ息を吐いていく。
こういうときは吸うんじゃなくて、吐くのが正しい。息が苦しくて、一生懸命息を吸おうとして吸えないときは、大抵上手に息を吐けていないのだ。
ゆっくり、ゆっくり呼吸が苦しくなっても腹の底まで息を吐き切って、そうしたら自然と空気が体内に飛び込んでくる。
嫌な臭いだ。生臭くて鉄臭くて酸っぱくて、それから獣臭い。鼻呼吸をやめて口呼吸に切り替えなければ今すぐ吐いてしまいそうだ。実際吐いた人間がいるのだろう。吐瀉物のような刺激臭もあった。
「随分静かだな……俺は活きがいいのが好みなんだが」
マチは手足をギッチリとロープで結ばれた。その後、ぶちり、と上着のボタンが引きちぎられる。胸元がスースーとした。
「おい、泣けよ。ほら。ほらァ!
どうせお前はすぐに殺すんだし、今からお前がされることを見せてやろうか?
何も見えないなか、何をされるかわからねェほうがいいか?
ん? どっちが好みなんだ? アァ?」
布漉しの頭上で恫喝されて、大人の男のドスが効いた怒声に身体が竦む。
「わ、なんだ?!」
急ブレーキの音と衝撃。
どん、とシートか何かに身体をぶつける。痛みを覚えるよりも、状況のわからぬ恐怖が先立った。
バリン、と何かが割れる音がする。
「テメェどこのもんだ?! この人数を相手にする自信があるんだァグフゥッ」
スポ、と顔に被せられていたものが取られる。
目の前には随分と無表情な子どもがいた。
「あ、いた」
無感動にそう言う子ども。
マチ以外にも攫われてきた子どもたちが車内に何人もいたようだと今更ながらに気づいた。
皆、顔に被せられた布が取られている。気絶している子も多い。
「キミ、結構迂闊なことするよね」
マチと同じく攫われた子どもかと思っていたが、どうやら違うらしいと気づいたのはその子がマチを拘束する縄を切ったときだ。ナイフを随分使い慣れている。
黒髪の少年はまだ幼児にも分類されそうなほどの幼い見かけであったが、口ぶりは実に達者だった。
マチが迂闊な行動をしたのはその通りだ。だがどうしてそのことを知っているのだろう。
まさか、攫われるのを見ていて助けてくれた、ということだろうか。
そうだ、と確信する。勘だ。
マチの勘はよく当たる。
なぜだか知らないがこの子はマチが攫われたのを見ていて、助けてくれたのだ。
「あ、ありが……」
「いくよ」
そう言って腕を引かれる。途中で少年の執事という男にマチは担がれて、大勢の黒服集団が追いかけてくるなか、廃工場内へと逃げてきた。
そこから戦えぬマチは物陰に隠れ、震えて様子を見ていた。
ルイがこの場に現れた時、とうとうマチは自分がおかしくなったかと思った。あまりの恐怖に自分に都合の良い幻覚を廻始めたのではないか、と正気を疑った。
ルイは自分ではなく、黒髪の少年のほうへと駆け寄る。
戦い続けて傷だらけになった少年と、なにか会話をしている様子だった。
少し離れているだけなのに上の階から絶え間なく戦闘音が聞こえていて、それが反響してよく聞こえない。
マチは足がすくんで立ち上がれなかった。
本当なら、自分もあの場に行きたいのに。
自分を助けてくれたあの少年になにかできることがあるかもしれないのに。
「――痛いの痛いの、とんでいけ」
その声だけが鮮明に聞こえた。ルイの声だ。
溶けそうにやわらかな声色だった。痛いところが、不安な気持ちがすべて雪のように溶けてゆきそうな。聞くだけで人を安心させる不思議な声色だった。
それと同時にルイから溢れ出した美しい金色のなにかが、地面に寝かされた少年を包みこむ。
風もないのに辺りの塵埃が舞う。水面に石を投じたように、埃が円状にふわふわと。
ルイを中心とした光のドームが粒子を空中に漂わせながら美しく輝いている。
教会で見た天使の絵画は、こんなふうにキラキラとしていた。
常人には見えぬオーラの輝きが、マチには見えた。
先天的にオーラを見ることができる体質であったマチは、それがオーラであることは知らないが、金色の美しい生命の輝きに魅せられた。
「なんて……キレイ……」
光が収束していく。
少年は未だ眠ったままで、ルイは大切そうに、愛おしそうにその少年の髪を撫でた。
少年を見つめるルイの瞳がいままでに見たことがないほどに優しいもので、マチはどきんと胸が高鳴った。
そしてなぜか、同じくらいに切なくなった。
ルイとは一番親しいと自負していたけれど、自分の前であんな顔を、あんな瞳をしてくれたことはない。
少年を寝かせた自分の上着ごと、ルイは少年を横抱きにして立ち上がった。
少年の返り血がついたルイの白衣が赤く濡れている。
ルイはマチの方へと歩いてきているようだった。
崩れたコンクリートの塊が頭上からルイを襲うが、見ることもせずに危うげなく避けている。
「ルイ、どうしてここへ……」
久しぶりに出したマチの声は掠れていた。
ルイはにこりと笑った。その表面的な笑顔にマチは押し黙る。笑顔での拒絶だった。マチの心はじくじくと痛んだ。
いつものルイならばマチにも一言二言優しい言葉をかけて安心させてくれる。それがなかったことで、己の迂闊な行動を知っていて詰られているような気持ちになった。ルイにはすっかり己の愚かな行為を知られ、この幼児を巻き込んで、声なくそのことを責められているように感じた。
事実はそうでないかもしれないが、己を叱責するマチにはそう見えてしまった。
ルイはマチのすぐ近くに少年を寝かせる。
少しでも乱暴にしたら壊れてしまうとでもいうような、もどかしいほどに丁寧な仕草だった。
マチは干渉に浸りそうになる気持ちを立て直す。
しょげていて、何になるんだ。
パチン、と両頬を叩いて気合を入れた。
「オレは上に加勢してくるよ。
マチはこの子とここで隠れていてくれ」
「わかった」
マチは真剣な眼差しで頷いた。頰は強く叩きすぎてジンジンと熱を持っている。しかしこれくらいで丁度いい。
ルイはもしかしてこのことを知っているかもしれない。だけど、この子に助けられた自分こそがルイに伝えなければならぬ、とマチは強く思った。
だからこそ時間がないなかでも言った。これはルイが欲しがっている情報だと確信していたから。
これほどルイが心を傾ける相手のことだから。
きっと知りたいはずだ。
――だって今言わないと、もう二度と
「ルイ、あのね、この子、あたしのことを助けてくれたの」
「イルミが……マチを?」
ルイが目を見開く。
「あたしが攫われたところを、救いに来てくれて……。
だから今度は、あたしが守る……!」
この子の名前はイルミ、というらしい。
ルイは「だからか」と誰に言うでもなく呟いた。
いつもみたいに優しくされなかったから、ただそれだけで責めているように感じてしまったルイの行動が、自分の思い込みであったことを確信する。マチは恥ずかしかった。
どこまでも甘えたな自分は、無意識のうちにルイから優しくされることを望んでいたのだ。その願望が叶わなかったから、ルイを責めようとして、だけどそれも出来なくて、ルイが己の愚かな選択に怒っているのだと思い込もうとしたのだ。
マチ。教えてくれて、ありがとう。
その言葉を残して、瞬間移動でもしたようにルイが目の前からいなくなる。
マチは自分のことを助けてくれた少年が傷だらけだったことを思い出し、せめてもの大きな傷に止血をしなければと少年の血濡れた衣服を脱がせた。
「え……?」
血に濡れているのに、傷口がない。
触れてみても、健康な肌の弾力だけ。
心臓も規則的に動いているし、呼吸も穏やかだ。
顔を上げたマチは目を見開いた。
「え…………?」
先ほどまでルイが片膝をついていた場所に、血溜まりができている。
先ほどまでは、たしかになかった。
「ルイ……?」
オレは生まれたとき、本当に空っぽだった。
傷を癒す能力はすぐには作れないが、相手の傷を自分の身体にそっくりそのまま貰い受けることならできるはずだ。
だって、自分は空っぽだった。
だからこそ、なんだって取り込めるはず。
治療するとなると、さまざまな制約を考えねばならなくなる。
もっと単純でいい。
傷を貰い受けるだけならば、今のオレにだってできる。
――痛いの痛いのとんでいけ