ゾルディック家のブラコン長男 作:見切り発車丸
友からの電話を受け、急いで現場に駆けつけたクロウは、自らの能力で地図を出して、建物内の情報を確認する。
中にいるのは3人だ。それが誰かまでは能力ではわからない。だがおそらくはルイとその弟、執事といったところだろう。
奇襲の可能性は低い。
建物内へと侵入したクロウは奥部まで一直線に向かった。
建物内の中心にある大きな部屋。そこに3人がいる。
クロウは一本道の暗い廊下を滑るように走り抜け、引き戸を思い切り開いた。途端差し込む光に一瞬目を細めたが、すぐに再び見開くことになった。
なにせ目の前に広がっているのは地獄絵図だ。
想像の倍は酷い。
血と臓物と死体とが色々な場所に転がる。灰色の床や壁部分が悉く汚された空間は、現実感を失うほどの死の臭いで充満していた。
つい先日の一件もあり、人の死にわずかばかり慣れてしまったクロウは、死体のほとんどがほぼ一撃で殺されていることに気付いた。なかには心臓だけが抜き取られているものもあったが、惨殺されているわけではない。
戦闘が激しくなると、自然と遺体の損傷が激しくなる。
だが、ここに転がるほとんどの遺体は急所をほぼ一突きで殺されている。だから出血量は少ない。それなのにこの地獄絵図だ。
ざっと見ただけで100人はいるだろうか。
一体ここで、何が。
それはルイに問い掛ければわかることだ。
改めて地図を開いて確かめると、3人は同じ場所に集まっていた。
1階の隅の辺りだ。視線を向けるが、人の姿はない。だが気配はある。
クロウがゆっくりと近づくと、大きな瞳に涙を溜めた少女が両手に血濡れたナイフの切先をこちらへ向けて、クロウを見上げていた。
「……だれ」
クロウの目は、少女の奥へと自然に吸い込まれた。
壁にもたれかかるようにして座り込んだ人影。
銀色の髪。見知った姿。
ぴくりとも動かない。
全身の力を抜いて、首を垂らして。
まるで、他の死体のように、生の気配を感じさせない。
右手には携帯電話を持っている。力無い指先、ただ手のひらに載っているだけの携帯電話。
クロウは自らの心が凍りついていくのを感じていた。
凍てついた心臓がじわじわと周囲へ冷気を放つように、胸の中心から冷えた不安が広がってゆく。
スピーカーのままにしていたクロウの携帯が、少女の声を拾った。そして相手の電話へと届ける。
『……だれ』
あまりの衝撃に一瞬が引き伸ばされ、1秒が何秒にも感じられていた。
聞こえてきた音声とともに、時間の流れがもとに戻る。
携帯は、潰れていなかった。
少女はクロウを見る。
「ルイが言ってた。オレの友達が助けにくるから大丈夫だ、って」
そう言い、我慢していたらしい涙をだくだくと流した。あとからあとから溢れてくる。
クロウは電源ボタンを押し、携帯をポケットにしまった。
少女は誰よりも前に立ち、後ろにいる傷ついた者たちを守っているようであった。
「……うん。もう大丈夫。ボクはルイの友達だよ」
少女を刺激しないようにゆっくりとした動きで屈み、言う。
少女が頷き、ナイフを持つ手を地面に垂らす。
「……ルイ」
クロウは恐る恐る呼びかけた。
彼のすぐ近くには虫の息の執事が一人と、すやすやと眠る黒髪の少年が一人。
緊急に診療所へ運ばなければならないのは、執事とルイの2名だ。
まず最初にこの2人を運んで、それから少女と少年を運ぼう。
「いいかい、まずは緊急を要するこの2人を診療所へ運ぶ。
それまでキミはここでこの子と待てるかい?」
クロウは少女に言った。
「待てるわ……でもね、ルイが……随分と前から息してないの。……助かる……よね?」
喉を締め上げたような悲鳴じみた少女の声。
少女は何度も何度も目を拭っている。
溢れ出る涙を邪魔だと言わんばかりにゴシゴシと。しかしながら何度拭っても涙は溢れ出てくる一方だ。
一瞬の間に目が腫れぼったくなるほどに少女は泣き続けていた。
その瞳は絶望に濡れていた。
死は、突然に訪れる。
そのことをクロウはわかっていたけれど、つい先ほど別れたばかりの彼が、目の前で冷たくなっていることは信じられないことだった。
受け入れたくないことだった。
クロウの能力では建物内にいるのは初めから3人と出ていた。
クロウの能力は生者の情報しか反映しない。
3人――少女と、眠ったこの少年と、今にも死にそうなこの執事。
自分をここへ呼び寄せたルイの情報は、他の死体と同じくクロウの能力には反映されなかったのだ。
「……とにかく連れていく。すぐに戻るから待っていてくれ」
医者ならばもしかしたら。
特殊な能力を持っていれば、もしかしたら。
一縷の望みにかけて、クロウはルイと執事を背負って駆けた。
連絡は既にしている、というルイの情報通り、診療所の前で医者らしき男が待っていた。
彼はルイを一目見て悲痛な顔になり、歯を食いしばって視線をルイから引き剥がし、執事の処置に取り掛かった。
……そういうことだ、とクロウは理解せざるを得なかった。
「まだ残してきている人がいるので、行きます」
処置室へと執事を運んだクロウは医者にそう言い、再び廃工場へと向かった。
足が鉛のように重かった。
とてつもない喪失感にいまにも足を止めてしまいそうだった。
吸う空気が、重かった。
身体に鞭打ち、無心で少年少女を診療所へ送り届け、クロウは必死に処置をする医者に頭を下げる。
医者は懸命に執事の処置をしている。
診療所には医者と、先ほどクロウが連れてきた
別室で丁寧に安置されたルイを、クロウは横抱きにして抱えた。
「どこにいくの?」
ルイのすぐ隣で顔を伏せて三角座りをしていた桃色の髪の少女が言う。目の縁が真っ赤に染まっている。
もう一人の少年はベッドで寝息すら立てずに静かに眠っている。
「……綺麗にしてもらいに。またすぐに戻るよ」
こんなにも傷だらけの姿を、いま眠っているこの少年が見たらどう思うことだろう。
ルイはきっと己が傷ついた姿を見せたく無いはずだ。
この少年が自分の姿を見て、傷つかないようにと心から願っているはずだ。
いまクロウにできることがあるとすれば、これだけ。
ただ、こんなことだけ。
クロウは物言わぬ存在となったルイを抱いて、家へと向かった。
――ああそうだ、連絡しないと。
「……今から向かうよ。
レンコに、綺麗にしてもらいたい人がいるんだ」
『?! そうかい……こっちのじょーきょーだけど、レンコの念の呪いが、とけた。
おおよそのことは、わたしたちから はなしをしている。
そのひとは クロウのだいじなひと でしょう? すぐにつれておいで。レンコにも伝えておく』
話しづらそうに、だけど真摯に。伝えられた言葉に少しばかり慰められたような気持ちになる。
なにか考えごとをすれば途端に動けなくなりそうで、丁寧にルイを抱えたクロウは、無心で自宅へと向かった。
レンコたち3人は自宅の前で待っていた。
「クロウ!」
面と向かってレンコと会うのは、もう随分と久しぶりなことのように感じる。
クロウは心の片隅で懐かしく思いながらも、心がそれ以上動かなかった。
「……レンコ。募る話はあるけれど、まずは彼を見てくれないか。
彼は、ボクの一番の親友なんだ」
言いながら、そっと地面に寝かせる。
セレネとルーナが目を見張っている。
きっと電話口ではルイのことだとは思っていなかったのだろう。
レンコは何も言わず、すぐに能力を発動してくれた。
全身がズタズタの傷だらけになっていたルイの身体がみるみるうちに癒えてゆく。
全身余すところなく傷だらけだったというのに、レンコはあっという間にルイを綺麗な姿へ変えた。
そのまま死という概念すら書き換えてくれればいいのにとクロウは声に出さず思った。
クロウはつい先ほどまで着ていた上着を脱ぎ、血濡れた衣服のうえに被せた。
まるで、眠っているだけのようだった。
寝息すら聞こえないほどの静かで深い眠り。
そうであったらどんなに嬉しいだろう。
先ほど眠っていたルイの弟のように、耳をすませば彼の寝息が聞こえそうだった。
セレネとルーナは悲痛な面持ちでクロウを見ている。
レンコもまた、悲しげに眉を顰めてなにも言わずクロウを見ている。
皆、クロウの発言を待っていた。
「……わからないんだ」
だってクロウが行った時にはもう既に終わっていた。
おそらくはマフィアの抗争にでも巻き込まれたのだろうが。
ずっと電話をつないでいたが、音はしなかった。
きっとルイがクロウに電話をかけてきたときには全て終わっていたのだろう。
どうしてもっと早く電話をしてくれなかったのだろう。
嫌な予感がしたのに、どうしてクロウはルイに着いていかなかったのだろうか。
ルイはクロウのことを2度、救ってくれた。
1度目はヒソカのことで。
2度目はクロウ自身のことを。
いや、いまこうしてレンコのことも救ってくれたのだから、3度だ。
レンコの能力は死者にしか発動しない。
先ほどとは打って変わって綺麗な姿になったルイを見て、クロウはようやく思った。
――本当に、死んでしまったんだね、ルイ。
***
「レンコ」
優しく、ルーナが呼びかける。
ルーナが呼びかけるまでずっと、クロウの横顔を見上げていた。
クロウの瞳には光がなく、魂さえも抜けたように無表情で嘆いている。そんなクロウを見て、レンコもまた暗い顔をしていた。
レンコはクロウのすぐ側で、支えるように寄り添いつつ、ルーナを見る。
本来ならば、どれほど喜ばしい再会になったことだろうか。
そう思うとルーナは少しだけやるせない。
ルイという少年のことをルーナはセレネほど知らない。だが娘の命の恩人であることを重々承知している。
それでもルーナは、レンコの母だった。
ルーナはセレネとともに、ずっとそばで見ていた。
苦しみ、苦悩する娘の痛々しい日々を。夫と息子を殺してしまった深い嘆きを、重すぎる罪を背負いながら日々贖罪に生きるレンコを。
ルーナは知っていた。レンコのために辛い選択をし、命を削るように奔走していたクロウのことを。
何の罪もないのに普通の暮らしができなくなった可愛い孫のヒソカを。
誰かが側にいなければ自死を選んでしまいそうなほどに、レンコは打ちのめされていた。
愛する娘レンコの嘆きは、それはそれは深いものだった。
自分もまた死んでしまいたい、と何度思ったことだろうか。何度もそう思い、耐えてくれた。
念獣の呪いは続き、本来の性格とはかけ離れた荒々しい言動が時折飛び出す。
そんな不安定な精神状況でも、死人が出ればすぐに駆けつけてエンバーミングを施した。
懸命に、日々を生き抜いてきたのだ。
我が娘ながら、心から誇らしく思う。
レンコの側からすれば、死んだと、殺してしまったと思わされていた夫と息子と、再び暮らしていけるようになった。
クロウの側からすれば、ようやく除念が済んで愛する妻と子と3人で暮らしていける、そんな門出の日になるはずだったのに。
この少年が死んでしまったことは心から残念に思うが、どうしてもやるせない気持ちが湧いてしまうのだ。
人間は悲しい生き物だ。
自らの立場でしか物事を考えられない。
他者を慮る気持ちすら持たずに、自分のことばかりでいっぱいになってしまうほどに浅い人間もいる。
長く生きたルーナだが、まだまだ人間は未完成だ。
人格者たれ、とセレネと共に互いを律して生きてきたが、思うような人にはなれなかった。
まだほんの少ししか生きていないのに、レンコは自らの悲しみを乗り越えて、人のために奔走した。エンバーミングを幾人に施したことだろう。
己のことを犠牲になどしなくていい。
心からそう想っている。しかしながら己が辛い状況であっても、同じような傷を抱える人を想える優しい子に育ってくれたことを、ルーナは誇りに思っていた。
門出の日が幸せでだけあればいいのに。
そんなことを考えてしまうルーナとは違って、レンコは嘆くクロウに心から寄り添っている。
セレネはルイを見て瞠目していたが、ルーナがセレネを見るタイミングで弾かれたようにルーナを見た。
お互いの目をしっかりと合わせて頷き合った。
ルーナが口を開く。
「レンコ。この子はね、クロウのいのちをすくい、おまえののろいをといてくれた子なんだよ」
「そんな……!」
そんなことって。
黒いマスクをつけた口元に手を当てたレンコがよろめき、クロウに支えられる。
ルイは目を瞑っている。死んでいるとは思えないほどに綺麗で、しかしながら長く生きてきたセレネたちには、死んでいるのだと一目瞭然だ。だって生の気配がない。身体を絶え間なく駆け巡る血が動かなくなり、その肌からは血の気が失せている。もともと白かった肌だが死人のそれになっている。
「わたしたちは ずいぶんとながく いきた」
念能力を覚えてから、加齢が穏やかになった。
副次的な効果ではあるが年齢を操作する能力を持っていて、だから余計に他の者よりも長く生きた。
長い生のなかで、色々な人を見送ってきた。
肉体は永久ともいえる長い間生きていけるけれど、若返りのできない心は年々疲れていって、終わりを求めるようになってきた。
流星街でも重要な立ち位置になって、でももうこれ以上は、と思ったときに拾った子がレンコだった。
生きることに疲れたルーナたちの心を、レンコの存在が癒した。
真夏の爽やかな風のように、一時の安らぎを与えた。
「レンコ。おまえをそだてることができて ほんとうにしあわせだった」
レンコがもっと大きくなるまで一緒にいるつもりだった。
「わたしたちにとって おまえこそが いきるきぼうだった」
だけど終わりの刻は、いまだ。
ルーナがセレネが互いの手を、鏡合わせのように同じ動きで合わせる。
そしてルーナは反対の手でレンコの手を取った。
「別れのときがきた。
クロウとヒソカと、これからは3人で生きていける。
ささえあって、いきぬいて」
セレネもまたルーナと合わせたのと反対の手でレンコの頭を撫でる。
「あなたたちは、もうにどとひきさかれない。
そう、うらないにあった。
3人でいればなんだってのりこえられる」
「しんじて、がんばりなさい」
「どんなこんなんがあっても、のりこえられる。
じぶんをしんじて、みらいをしんじて」
セレネとルーナがそう言う。
突然の物言いに困惑したのはレンコだ。
「なに、突然……どういうことなの? 意味がわからないわ……」
どこか泣きそうな顔でぎゅっとルーナの手を握る力を強めるレンコ。
ルーナは名残惜しそうな顔で手を離した。
レンコの頭を撫でていたセレネも、手を離す。
「あいしているわ、わたしたちのむすめ」
「そのみらいに、さちおおからんことを」
「いつかまた べつのかたちで あいましょう」
万感の想いを込めて紡がれる二人の言葉は、しかしながら。
困惑したレンコには届かない。
だけど老人というのは得てして、身勝手に生きているもんだ。
別れの言葉の言葉はこれくらいにしようか。
ルーナとセレネは目を合わせた。そして頷きあう。
「
「
同じタイミングで能力を発動したセレネとルーナがルイを挟むようにして立ち、互いの両手を合わせる。
そしてその掌をルイの身体のうえに載せた。
彼女たちは時間を巻き戻しするようにどんどんと幼くなってゆき、服のなかへとすっぽり収まるほど小さくなり、そして。
まるでその場にはいなかったかのように消えた。
「え……?」
レンコが呟く。
ぱさり、と衣服だけが地面に落ちた。
「なに、どういうこと……?」