ゾルディック家のブラコン長男   作:見切り発車丸

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旅立ち

 

 任務から帰ってきて、修行が終わって、なにかの折につけイルミの姿を見て暮らしていたのに、天空闘技場で200階に到達するまで帰ってくるな、だって?

 

 ルイはイルミを抱っこしながらシルバの部屋を強襲した。

 

 こんなにも可愛い弟から自分を引き離さないでくれと生まれて初めて駄々をこねた。

 

 表情が豊かになり、感情表現が豊かになり、そして抜きん出ていた才能もまたさらに磨きがかかっていた。

 

 イルミに早く会いたいからと、修行に打ち込む熱意が桁違いに増えたためである。

 

 変わったのはルイだけではなかった。

 

 キキョウは今まで以上にルイを溺愛した。お人形遊びも楽しかったが、自分に笑いかけるシルバそっくりの才能をもつ愛らしい我が子は、格別に可愛かった。

 

 育児に興味のなかったシルバでさえルイの様子を自分から気にするようになっていた。

 

 満面の笑みでおかえりと言われ(もちろんイルミを抱っこしながら)、任務おつかれさまと肩を揉まれ(この後イルミのおもちゃを買わされた)、申し分がないほど真面目に訓練に取り組み(一刻も早く課題を終わらせてイルミと遊ぶため)……エトセトラ。

 

 シルバからすれば懐いてくる我が子に情が芽生えないはずがなかった。

 

 渓谷のように深く刻まれた眉間の皺も、にこにこと笑うルイを目の前にするとやわらいでしまう。

 

 ルイはイルミを抱っこし、笑顔のままに冷たい瞳で尋ねた。

 

「天空闘技場なんてさ、いつだっていけるはずだよ。

 父さん、どうしても今じゃないとダメなの?」

 

「ああ」

 

 少し前ならばこの返事だけでわかった、と引き下がるのがルイだった。

 

「どうして?」

 

「念をできるだけ使わずに修行を進めてきただろう」

 

 シルバはいつも通りに威厳たっぷりに椅子に腰掛け、足を組んでいた。

 

 隣に座るよう無言で促され、ルイはイルミを抱っこしたままソファに座り、頷く。

 

 念を覚えてから、基礎となる四大行こそ毎日の修行に盛り込まれていたが、自らの能力を作ることは禁じられていた。

 

「念は強力だ。

 幼い頃から念を使っていれば、念に頼った戦い方しかできなくなる。

 だが、暗殺術の練度も十分高くなってきたお前ならば、そろそろ次の段階に進めて良いだろう」

 

「オレはまだまだ未熟だよ」

 

「ああ、そうだ未熟だ。念を使わずとも今のお前ならば200階などあっという間に到達する可能性が高い。

 すぐに帰ってくるなとは言わない。

 だが一つ一つの試合から学びを得ろ。

 ……しっかり時間をかけてな。この意味はわかるな?

 200階で戦うことは許さないが、そこで繰り広げられる念能力者同士の戦いを見て来てもいい」

 

 二の句を継がせぬシルバに、焼け石に水だとルイは一旦出直すことにした。

 

 ここでうだうだと反対しても、良い結果は得られないばかりか悪印象になるだけだ。

 

 ゾルディック家の家庭方針を決めるのは当主であるシルバだが、彼はなんだかんだ自分の妻に甘いところがある。

 

 語弊なく言うと、鼓膜をつんざく叫び声が苦手で多少のわがままを呑む癖がある。

 特別夫婦仲がよいとも言えないが、決して悪くはない。

 

 

 

 次の手として、ルイはニコニコと満面の笑みを浮かべてイルミを腕のなかで寝かしつけながらキキョウの部屋を訪れた。

 

 キキョウは自分の部屋にベビーベッドを設置させている。

 それは、イルミ可愛くての行動ではなく、ルイが必ずイルミを連れてくるために、置き場に困るからだ。

 

 抱っこをしたままでは着替えはできない。

 

 

「よく来てくれたわ、ルイちゃん。さ、ルイちゃんの好きなケーキと紅茶を用意しているのよ」

 

 鼻歌でも歌いそうなほどにご機嫌なキキョウは、執事に紅茶を淹れさせている。

 

 パドキア共和国で有名なパティシエが作るチョコレートロール。ルイはこれをよく好んでいた。ドがつくほど不味い毒でも、このチョコレートロールに入っていれば食べられる。

 

「ありがとう! ママ。うれしいよ」

 

 素直に満面の笑みを浮かべるルイにキキョウは思わず胸を押さえた。

 

 誰かに刺されたかと思った。

 

 しばらく雑談を楽しみ、キキョウの愚痴を聞き、満を辞してルイは切り出した。

 

「ママ、オレが天空闘技場に行くこと、知ってた?」

 

「そうね、たしかそのようなカリキュラムになっていたわね。

 いつ行くのかは知らなかったけれど」

 

「厳密にいつ行くとは決まってないんだ」

 

「ええ、そこはシルバが決めることよ」

 

「あのね、オレまだイルミから離れたくないんだ。大切な弟なのに、まだたった数ヶ月しか一緒にいないんだよ。

 ママの好きな髪型にするし、ママの好きな服装にするから、父さんに頼んでくれない?」

 

 ゴーグル越しに怪しく明滅する赤い光。キキョウはしばらく考えて「わかったわ」と了承した。

 

「頼むだけ、頼んでみるわ。

 ルイちゃんのお願いを叶えてあげたい気持ちは、ママ本当に山々なのだけれど」

 

 歯切れ悪く、茶会は終わった。

 

 結果は変わらなかった。

 

 シルバからすれば、あまりにも弟にべったりのルイからイルミを引き離すための策でもあるのだ。

 

 家族愛は必要だが、暗殺者としては度を越してイルミへと愛情を注ぐルイに危惧を覚えたのだ。

 

 このままではルイはもちろんのこと、イルミにも良い影響を与えない。

 

 ようやく女装がなくなったところで、過剰な兄弟愛(ブラコン)だ。

 片方はルイのせいではないにせよ、シルバの悩みは尽きなかった。

 

 そういった経緯でシルバはキキョウからの頼み事にもまた、命令を撤回する気は毛頭ないと厳しく断じた。

 

 常々妻には甘いところがあるシルバがこういう態度をとるときは、まず無理だ。

 

 なにか今ルイを天空闘技場へ行かせては致命的にまずいことでもない限り説得することはできない。

 

 キキョウは当主であるシルバへ意見具申をすることはしても、決定が下されればどれほど不満に思っていてもその決定に従う。

 

 キキョウとしても自分以上にイルミへと注がれるルイの愛情が少しばかり面白くなく、シルバの考えにも同意していたため、ルイに事前に無理かもしれないと予防線を張っていた。

 

 こちらの意見を聞くそぶりすら見せなかったシルバに、キキョウは僅かばかりの苛立ちを覚えていた。

 だがヒステリックにキレるほどの苛立ちでもない。

 

 

 キキョウは可愛い息子の願いを叶えてやりたかった。これは本心だ。

 フリフリで可愛らしい服も着てくれると言っていたし、多少天空闘技場へ行く時期が遅れても、家で厳しい修行をしているのだから構わないだろうと思っていた。

 

 だが、ああも頑ななシルバを無理に説得できない。

 

 

 力になれなくてごめんなさいね、とルイへ謝るキキョウ。

 

 ルイは悲しそうに(見える角度を完璧に計算して)イルミを抱きしめて、仕方がないよとキキョウの感情を煽った。

 

 ルイはキキョウがイルミのことをあまり愛していないことに気づいている。

 

 だって明らかに興味がないのだ。

 

 己が産み落としたはずの存在であるのに、産まれた瞬間から、ああせいせいしたとばかりに身軽な身体を喜ぶだけだ。

 

 イルミには医師の勧めどおりに初乳を与えたきりで、それ以外は執事が食事を担当している。

 

 触れ合う時間は新生児のイルミよりもルイの方が多かったほどだ。

 

 シルバ似の色彩をもつせいか、それともキキョウに似ている(と執事に言われる)顔立ちのせいか、ルイには激甘だった。

 

 正直ウザいくらいに絡まれるので、一般の神経を持った子どもであれば過干渉に辟易して家出していたこと間違いなしだ。

 

 

 キキョウは儚げに視線を落とす最愛の我が子に胸が痛んだ。

 

 ルイが抱きしめているイルミごとぎゅっと抱きしめて(イルミのことは視界にも入っていない)「今回のことは無理だったけれど、次のお願いはきっとママが叶えてあげるわ」と優しく囁いた。

 

 

 己が天空競技場へ行くのは決定事項なのだとルイは観念した。

 

 とっとと200階まで行って帰ってくればいいだけの話だ。なにも難しいことはない。

 

 

 

 そうして旅立ちの日。

 

 名残惜しくてイルミの顔に己のそれを寄せたがルイの短髪を、イルミが小さな手で掴んだ。

 ちっちゃいのに、予想外の強さの握力。

 

 言葉を話せないイルミも行ってほしくないと言っているようだった。

 

「ごめんな、イルミ。俺は行かなくちゃいけないんだ。

 ゴトー、くれぐれもイルミのことを頼むね」

 

「かしこまりました。この命に代えても、必ずイルミ様のご成長をカメラに納めさせていただきます」

 

「写真は毎朝・昼・夜の10枚ずつで、最低30枚は頼んだよ」

 

 ゴトーはくいっと銀縁メガネを押し上げたあと、再びかしこまりました、と慇懃に一礼した。

 

「じゃあな、イルミ。愛してるよ」

 

 うるうると瞳に涙を纏わせつつ、ルイは手荷物ひとつだけを持って足早に消えていった。

 

 部屋に残されたのは、ゴトーとイルミのみ。

 

 イルミは言葉なく、兄が消えていった扉をじーっと見つめていたが、突然火がついたように泣き出した。

 

 慌てたのはゴトーだ。

 

 普段全く泣かない赤子が泣き出したのだ。

 

 抱き上げても、揺らしても、まるで泣き止むそぶりを見せない。

 

 屋敷内の使用人で手が空いている者は、皆ルイの旅立ちを見送りに出ている。

 

「イルミ坊っちゃま、ルイ坊っちゃまはまた帰っていらっしゃいます。

 今すぐ帰ってくることはできませんが、それまでしばし、お待ちください」

 

 

 ゴトーは涙を浮かべつつ、静かにイルミへと語りかけた。

 赤子に言葉が理解できるとは思っていない。だが、そうするしかなかった。

 

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