よろしくお願いします。
──ここは地獄だ。
○○○○は周囲の罵声に耳を塞ぎたかった。
つい先日までは自分を讃えるために叩かれていた友人たちの手が、今は嘲笑交じりで頬を叩いている。
ある時はトイレの個室に閉じ込められた。
ある時は楽譜を破り捨てられた。
ある時は演奏用の衣装を燃やされた。
ある時は集団リンチにあった。
日を追うごとに周囲の空気が過熱していき、
心臓が鉛のように重くなっていった。
やめろ。
やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ!
これ以上俺から何も奪うな!!
……プライドだろうか。
どうしてもその一言が発せない。
終わりの見えない地獄の日々に絶望し、
○○○○は親と縁を切ってまで入学した大学を辞めた。
事故で夢を叶えられなくなった彼の人生は、
びっくりするほど何もなかった。
何者でもなくなった○○○○は、いつの間にか怪物になっていた。
あぁ、これで。
この力で俺は。
俺をバカにしてきたやつらを。
みんな、ぶっ壊して
「違う」
走りだそうとした灰色の肩を、二つの手が止めた。
「俺たちはずっと人間だ。人間なんだよ」
その手は
【海堂直也】にとって泣きたくなるほど、温かかった。
怪物となってからの日々は、彼の人生で最も温かい日々だった。
なのに。
「なんで俺をおいて逝っちまったんだよ。なぁ、木場。結花……」
蛇さんはまたひとりぼっち。
温めてくれるものがいないので冷たいまま。
どうか、この人を。
もう一度、もう一度────
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「おーい、起きろ──い」
黒部ナノカは瞼を開き、間の抜けた声の方に首を向ける。
「はーいおはざーす」
「!?」
目の前にいたのは、目と鼻があるはずの場所に五つの穴が開いた【異形】の顔。
声にならない悲鳴を上げてナノカは飛び起き、仮眠前に確保していた銃に手を伸ばした。
「おっし、じゃあ行きまっしょい」
「は?」
【異形】の放った間の抜けた声に、強張っていたナノカの体から力が抜ける。
「……あら、ここはどこだーとか聞かない感じ? ほかのお嬢ちゃんたちは大体そんな感じで暴れてたぜ?」
緊張感のかけらもない声で喋りだす【異形】に、ナノカは銃を構えながら問いかけた。
「聞いたら答えてくれるのかしら」
「ちゅーかこれからそういうのを色々説明したいから起こしたんだっつの。おっけい?」
顔の横に指で〇印のサインを作りながら確認する【異形】。
頷くナノカ。
「……わかった。なら早く説明して」
「まー待て」
そう言って【異形】は壁のモニターらしき部分に指をさす。
すると、次の瞬間モニターにLIVEの文字とともにまた別の異形が映し出された。
『あ……もしもし……映像って見えてます? 何せ古くて故障が多いので……やれやれ。
私、ゴクチョーと申します』
ゴクチョーと名乗ったその梟のような時計のような異形が、落ち着いた紳士のような声で語り始めた。
『詳しい説明がしたいので、ラウンジに集合してください。
監房の鍵を開けますので、看守たちの後についてきてください』
「俺様のことだ」
【異形】が親指で自分を指す。
『抵抗とかは自由なんですが……命とかなくなっちゃうので……はい……』
「あ! こいつ誤解されちゃうようなこと言いやがって……取らない取らない。俺様はヒジョーにそういうのイヤだから、命とかは取らな」
ナノカは発砲した。
「ッッッブねェなオイ!!」
「効かない!?」
「没収!!」
「あっ!?」
びっくりしただけで一切の傷を負わなかった【異形】に放心したナノカはそのスキを突かれ、銃を【異形】に奪われた。
「どっから持ってきたよこれ!? やる気満々かぁ? 冗談じゃねーぞ!!」
「冗談はあなたでしょ!?」
「るせぇ!!」
激高した【異形】は、奪った銃をおもちゃの如く破壊した。
「させねーからな……お前らを人殺しになんか、させねーからな!!」
表情は見えない、だが、ナノカは確かに目の前の異形が自分のために怒りを燃やしているのを感じ取った。
そして、ナノカは当然の疑問をぶつける。
「……だったら、なんでこんなふざけたことをするの」
「あん?」
「人殺しにはさせないっていうなら!! なんでこんなふざけたデスゲームをさせるのよ!?」
「…………」
沈黙した【異形】の胸を、ナノカは殴りつけた。
「させたくないことなら、なんでこんなことさせるのよ!!」
「……悪い。俺も、わかんねぇんだ」
「そんなわけない!! ここを仕切っている奴らの仲間なら知らないはずないでしょ!?」
「俺もお前らと似たようなもんだ」
「……え?」
握りこんだナノカの拳から力が抜ける。
「目が覚めたらここにいた。【仕事】をやりきったら元いた場所に帰る手段を用意するって契約で、こんなことしてんだ」
「【仕事】って、何?」
「…………【魔女の処刑】」
うつむきながら、【処刑人】はナノカの肩をたたいた。
「お前らを処刑とかしたくねぇから。実質帰れないってこったな」
──瞬間。
触れた相手の過去、未来が視えるナノカの魔法、【幻視】が発動する。
ナノカの脳裏に流れ出したのは。
『こっちだ海堂!』
『海堂さーん!』
「(白いシャツの青年と、長い髪の少女が笑っている。そして……男の子? ……かくれんぼをしている)」
知らない家族のホームビデオのような、情景の数々。
それらが、青い炎を上げて、燃えて、消えて。
……体が灰まみれになったような感覚。
「…………」
「どした?」
「…………あなた、もしかしてカイドウさん?」
「おん!?」
「(……もしかして、さっきの夢も)」
思い出されたのは、一人の天才ギタリストが不慮の事故によって夢を奪われた先の……
「…………あなたが何者だとしても、私には関係ない。私は、私の復讐を果たすだけ」
「ちょ、ちょちょちょなんで俺様の名前知ってんのよ、ちゅーか前に会ったことあったっけ?」
「ないわ。……それと、早くラウンジに連れて行って」
ナノカが海堂に右手を差し出す。
「わーったよ。行くぞ」
握り返された海堂の左手から、また【幻視】が発動した。
クラシックギターの音色。
やや歩くような速さで、優雅な。
「あっ、わ、ワリぃ、痛かったか!?」
「うぅん、違うの」
ナノカの頬を、一筋の涙が伝っていた。
「(あなたが、とても、優しすぎたから)」
二人は監房を抜け、ラウンジへと向かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ラウンジには、すでに十二人の少女たちが集合していた。
うずくまる者、鼻歌を唄っている者、不安そうに周囲を見渡している者、部屋の物品を観察している者とそれを制止しようとする者、鼻と口を手で塞いでいる者、微笑んでいる者など。
「あれ? ボクたちが最後じゃなかったん……ひっ」
そしてその中にいた毛先が桜色で白い髪に黒い帽子の少女、桜羽エマは、海堂を視て悲鳴を上げた。
その後ろをナノカは足早に抜けていく。
「……さっきの銃声はお前たちの仕業か」
ナノカを呼び止めたのは、赤い血のような色の花飾りを長い黒髪に着けた少女。二階堂ヒロ。
「えぇ。驚かせてしまったのはごめんなさい。でももう銃は壊れているから、銃声が聞こえることはないと思う」
「それはどうかな。銃が一丁しかないという保証はできないだろう」
「できるわ。確認したもの」
強い確信を込めた声で、ナノカはヒロに断言する。
「ふぅん……そこの化け物に確認したから、ということかな?」
ヒロは海堂を指さし、強い敵意を持ってにらみつけた。
「ヒ……ヒロちゃん、ダメだよ」
袖を掴むエマの手を、ヒロは無言で払いのける
「そこの看守と違って口が利けるようだが、お前が正しい説明をしてくれるのか?」
ヒロの言う【看守】とは何かとナノカは周囲を見渡し、出入口を見張るように佇んでいるそれを見つけた。
「……!!??」
襤褸切れのような黒衣をまとい、大きな鎌を携えた仮面の異形。
ナノカがゆっくりと近づいていくと、看守もまたナノカに仮面を向けた。
「…………あなたが"そう"なのね?」
看守は頷くように、仮面を揺らした。
「──あっ……人がいっぱい……。ようやく全員揃いましたか」
ナノカが看守に手を伸ばそうとした瞬間。天井の通気口らしき穴から声が響いた。
それは先ほどモニターでここに少女たちが集まるよう呼び掛けていたフクロウのような時計のような何かだった。
「改めまして……この屋敷を管理しているかわいいフクロウ、ゴクチョーと申します」
「かわいくはねーぞー」
「……定時とかもあるのでさっさと説明しちゃいたいので、野次とかはご遠慮願います」
ケッと悪態をつく海堂に、怪訝そうな少女たちの視線が集まっていた。
「え、なにアイツしゃべれんの?」
「あのフクロウの仲間……にしちゃフンイキだいぶちげーな」
「おお! 面白そうなのが増えてますねー!」
「面白がってる場合ですの!?」
「ハイハイ私語は慎んでください。そこのヒトの説明も後でしますので」
少女たちをなだめたゴクチョーは説明をはじめる。
「えーまず……すごく申し上げにくいんですが……みなさんは【魔女】になる因子を持っています」
荒唐無稽な発言に、ナノカを除く少女たちの中でざわめきが起こる。
「エラい人が決めた話では【魔女】はこの国にとって、災厄をもたらす悪らしいんです。
わが国の法に基づいた全国検査によって、皆さんはその因子が大きく検出された存在……この国にとってあまりに危険であると判断され、この牢屋敷への収容が決まったんですね」
「はあっ!! なんなんお前キモ!! そんな検査やった覚えないんですけどお~?」
猫耳のようなヘッドホンを着けた少女、沢渡ココの叫びを無視し、ゴクチョーは説明を続ける。
「いずれ【魔女】になる可能性があるとなると野放しにはできませんので……つまり皆さん、この世界に害をなす悪者ってことで……ご納得ください」
あまりにも理不尽な宣告。少女たちの表情に困惑と怒りが混ざったものが表れる。
その中で、海堂はゴクチョーの隣に立ち、少女たちに手のひらを向けてなだめるように語り始めた。
「あー、オホン。まぁわかる。すっげぇわかる。キレたくなる、そうだろう。こんないきなり『お前は人間じゃなくなります』なんて言われて『よっしゃラッキー!』とはならんだろう。なるやつがいたかもしれないがいないとしよう。……でもな、お前らにはチャンスがありま──す!!」
手をたたいてから頭上に虹をかけるような仕草をしてから、海堂は説明を続ける。
「【大魔女】を見つければいい!!」
「大魔女?」
ナノカが海堂に問いかける。
「そう!! なんでもお前らが人間じゃなくなる運命をそいつは変えられる……らしい!!」
「らしい?」
二階堂ヒロは怒りを抑えながら海堂に詰め寄る。
「ホントかどうかは知らん!! 聞いただけだしな。あとはお前らで調べろ」
「ほほう、いい謎ですねー。高まります!!」
いわゆる探偵のイメージに近い衣装をまとった青髪の少女、橘シェリーがあごをつまみながら興味深そうに海堂の説明を聞いていた。
「そーそ。せっかくだから楽しんでいけよお前らー。飯だって三食俺様が作ってやるし、この看守ちゃんと掃除もする。シャワーも娯楽室もある。言っちまえばお前らは国の税金で一生食っちゃ寝できるっつーわけだ」
その一言に、うつむいていた顔を上げた者が一人いた。
「あー……言い忘れていました。その看守こそが、あなたたちのようにここに連れてこられた少女が魔女になった姿です。【なれはて】と呼ばれています」
驚嘆の悲鳴とともに、少女たちの視線が一斉に看守に向かった。
「多くの魔女になった者は処刑されますが、与しやすいものをマインドコントロールしています。もしあなたたちが逆らったら殺すよう洗脳してしまったので、ほんとすみません、逆らったら死んでください」
大鎌がラウンジを照明を反射し怪しく光る。
少女たちの喉が鳴る音を海堂はその鋭敏になった聴覚で確かに聞いた。
「おい、こいつらをビビらせんな。別にそれは言わなくてもよかっただろ」
「あ……そうそう。今回からの追加の説明ですが、このうるさい灰色の方は【天使】。基本的には看守と同じですが、意思があり会話もできるので、看守ではできない皆さんの身の回りの細かいことをお世話してくれます。正直口答えばっかりで面倒です」
「面倒で悪かったな」
「え、いやこの人は……」
本名に訂正しようとしたナノカを、海堂は手で制止した。
「(屋敷の管理者側に明かしていないのね。当然か。何に悪用されるかわかったもんじゃない)」
「……どうかしました?」
「いえ、何も」
意図をくみ取り、ナノカはまた口を閉ざす。
「──間違いです」
そこに、凛とした声が響いた。
「私は悪ではない。この国に災厄をもたらす危険因子は──この子の方だ」
ヒロだった。そしてその指が差された先にいたのは。
「……っ」
エマだった。
その隣で、白い修道服のようなものに身を包んだ少女、氷上メルルが心配そうにエマの二の腕に触れている。
「おいおいどーした急に。そんな人を悪者扱いするもんじゃ」
「黙れ」
いつの間にか手に持っていた火かき棒で、ヒロは海堂の頭を勢いよく殴った。
「うぉっぶ!?」
「この化け物が……人間の言葉を話すなぁ!!!!」
戸惑って腰を抜かした海堂に馬乗りになり、ヒロは何度も海堂を殴りつける。
「まずはお前からだ!! この世の悪はすべて私が排す!!」
「なんだお前! 落ち着けよ!! 急にどうしたよおい!!」
だが海堂の体には傷一つついていない。
銃を至近距離で発射されて無傷の肉体を、一人の少女の力で傷つけることは不可能だった。
だが。
「悪は死ね! 死ね死ね死ね!」
ヒロはそのことを知らず。また、知っていたとしてもすでに自身の行為が無意味であると判断できるほどの理性を残してはいなかった。
ヒロの中にあるのは、純粋な破壊衝動だけだった。
「──逃げて!! ヒロちゃん!!」
だから、彼女はその凶刃を避けることは──
「あぶねぇ!!!!」
海堂がとっさにヒロの腕を掴み引き寄せたことで、ヒロの首を刎ね飛ばすべく看守が振り下ろした大鎌は、ヒロの背中を切りつけるまでに留まった。
「……ぶぁっ」
ヒロの口から、泡立った吐血が漏れる。
切り口からも、重要な血管が傷ついたのか鮮血が噴水の如く吹き上がった。
「キャアアアアアアアアアアアアアア!!!」
最初に悲鳴を上げたのは、金髪に貴族の令嬢を思わせる衣装に身を包んだ少女、遠野ハンナだった。
「あーあーあー……だから言ったのに」
「──おい誰か!!! 包帯と針持ってこい!!!」
叫んだのはヒロに襲われていたはずの海堂だった。
「はい!」
答えたのはエマの隣にいた少女、メルル。
涙目だった表情からは一切の不安さが消えていた。
メルルは自身の両袖を引きちぎり、傷口に巻いて自身の【治癒】の魔法をかけ始めた。
「私の魔法で傷を塞げるはずです!!」
「おっしゃサンキュー!」
「ボクのも使って!」
エマもメルルに倣って両袖を包帯にする。
「じゃあ私、担架作りますねー! 誰か長い毛布と二メートルくらいの棒を二本探してきてくださーい!!」
声を上げたのはシェリーだった。
「え? ……え?」
「ぼーっとしてる場合ですかー? みなさんのせいでヒロさん死んじゃいますよー?」
シェリーの声にハッとしたのか、茫然としていたナノカが走り出した。
「ウチも行く!!」
続けてナノカを追って走り出したのは、ところどころ傷ついた服を着ていた少女、紫藤アリサ。
「私にも何かできることはないだろうか!」
声を上げたのは、亜麻色のショートボブに軍服のような衣装に身を包んだ少女、蓮見レイア。
「包帯を医務室から……あと清潔な布をたくさん用意してください!」
「わかった! そこの君たちも手伝ってくれ!!」
「う、うん!!」
レイアは部屋に残っていたほかの少女を引き連れて、ラウンジから飛び出していった。
「ぼ、僕も!」
「待て」
同じく飛び出そうとしたエマを、海堂は制止した。
「お前さんはこの子に名前を呼びかけ続けててくれ」
「え、で、でも」
「お願いしますエマさん!! ヒロさんの幼馴染のあたなにしかできないことなんです!」
メルルも海堂と考えは同じだったのか、エマを引き留めた。
「うん! ……気をしっかり持ってヒロちゃん!!」
この場に残ることを決心したエマはヒロに寄り添った。
「傷は、まだ塞がんねぇのか」
「すみません。傷口が深すぎて体の内側から慎重に塞いでいかないと内出血してしまいますので……」
「……だよな」
噴き出すほどの出血は納まってきたが、ヒロの呼吸は荒いままだった。
「おい!! ここには点滴とか血液パックとかないのかよ!!」
「あるわけないでしょう。病院じゃないんですから……一応言っておきますが、もし生命にかかわる事故に遭ってもここには治療できる設備はありませんので。あ……睡眠薬とかはありますけど」
「いるかんなもん!!」
時間の無駄と判断した海堂はゴクチョーとの会話を打ち切り、ヒロの止血を続ける。
「担架作ってきましたー!」
「包帯だ! 倉庫にもあったぞ!!」
「まだ着てない服を切ったものですけど布を持ってきましたわ!!」
「ありがとうございます!」
シェリーとアリサとハンナが合流する。
海堂とメルルは感謝の言葉とともにそれらを受け取り、合図を取りながら担架の上にヒロを寝かせ、医務室へと移動させた。
「う……」
「ヒロちゃん!?」
移動の衝撃か、ヒロの意識がはっきりとし始めた。
「何を……している……」
「ヒロちゃん、あのね、ヒロちゃんは」
「無駄なことは……やめろ」
「ヒ、ヒロちゃん……?」
突き放すように、ヒロはエマを力なく睨む。
「こんなことをしなくても……わたしは……」
「ざけんな!!!!!」
そんなヒロを、海堂は傷口を強く押さえながら叱責する。
「何あきらめてんだよ! お前生きてやりたいこととか……夢の一つくらいあんだろ!?」
「ゆ……め……」
ヒロの脳裏に、朧気ながら浮かぶものがあった。
『────ヒロ』
【親友】だった少女の笑顔と、その死に顔を。
他者を追い詰めておきながら、平然と生き続ける……親友を自死へと追い詰めた唾棄すべき者たち。
そしてそれを傍観した者たち。
その一人、桜羽エマへの……【悪】への燃え上がる殺意を。
「ある……さ」
「おお!」
「この世からまちがっているもの……悪を……ころ、し、つくす……」
「ヒロちゃん……!」
エマの顔に笑顔が戻る。
親友の、幼馴染の意思が戻ってきたことに安堵していた。
「よーく言った! ズバリヒーロー、素晴らしい!!」
「だま……れ、ばけ、もの……おまえのようなやつ、こそ」
「あぁぶっ倒せぶっ倒せ!! 世の中な、悪い奴なんて腐るほどいるからな。お前さんくらい気合入ったやつがいないとダメなんだよ!」
ヒロの悪意も意に返さず海堂は平時の会話のように、夢見る子供に答える。
「そんで……そんで事故に見せかけて人の人生を潰すようなやつとか……ぶっ倒してくれよ!! な!!」
「……?」
唐突に投げかけられたその言葉に、ヒロたちは困惑の表情を浮かべた。
「おまえ……は……いったい……」
「包帯とかお水、いっぱい持ってきたよー」
ヒロが海堂に問いかけた瞬間、医務室の扉が開きそれぞれ探していた物を携えて少女たちが集合してきた。
「点滴もないと聞いたから、食堂の塩を使って生理食塩水を作ってきたわ。ヒロちゃんに飲ませてあげて」
そう言って水瓶を海堂に渡したのは、黒髪のショートボブにミニハットを被った少女、宝生マーゴだった。
「……! マジ助かる!!」
エマは吸いのみに食塩水を注ぎ、それをヒロの口に含ませた。
「飲んでヒロちゃん!」
「…………」
「飲んで……お願い飲んで!! こんな時くらいボクの言うこと聞いてよ!!」
だが、ヒロの喉が動く様子はない。
「【二階堂ヒロ、吸い飲みの水を飲め】」
「!?」
海堂は後ろから聞こえた初めての声に背筋が震えた。
声を発したのは、アンティーク人形のような衣装に身を包んだ少女、夏目アンアンだった。
「ヒロちゃん……!」
アンアンの【命令】が効いたのか、ヒロはエマに含まされた食塩水を不本意そうな顔で飲み始めた。
「…………」
「え? あ、ちょ、ちょっと?」
アンアンは何も言わず、近くにいたブロンドに露出の多い衣装に身を包んだ少女、佐伯ミリアの背後に隠れる。
「…………」
「(もしかして今のが君の魔法? ありがとうね)」
ミリアの感謝の言葉に、アンアンは恥ずかしそうに頷いた。
この二人の関係がエマの一方的なヒロへの好意に依っているものだということはナノカと海堂はラウンジに来るまでの時間で行われた少女たちの自己紹介の中で十分に理解できていた。
それを汲み取っての【洗脳】の魔法によるヒロへの命令だった。
「…………もう、いい」
命令の効果が終了したのか、ヒロのは食塩水を飲むのをやめ、エマの手を除けた。
「メルルちゃん……次からはお願い」
「……はい」
ヒロの断固としたエマへの敵意をついに汲み取ったエマは、涙目になりながら吸いのみをメルルへと託す。
「き、傷の具合はどうなんですの!?」
「もうすぐすべて塞がります! あと少しの辛抱ですよヒロさん!!」
「あぁ、死なせねぇ。ぜってぇ死なせねぇぞ!!」
力強く宣言する海堂に合わせて、少女たちからもヒロへの声援が上がる。
「そうだよヒロくん! 私たちが力を合わせれば、こんなふざけた状況も打破できるはずなんだ!」
「【死ぬな! 生きろ!】」
「まだ若いんですからここで死ぬのは人生もったいないですよ!」
「もっと言い方あんだろお前!」
「占ってみたけど大丈夫。あなたはここで死ぬ運命ではないわ」
「ヒロさん、お水を……!」
「あきらめないで! 気をしっかり持って!!」
「いっぱいお絵描きしてあげるから元気出して」
「大丈夫、大丈夫だから。
「君のことは必ず家に帰してあげるから! だからあきらめないで!」
「あぁ!! そんでこんなことになってる黒幕はウチが燃やしてやっから!!」
「ヒロちゃん、まださっき会ったばかりの子たちだけど、みんなヒロちゃんに生きててほしいんだよ。だから、だから死なないで……! お願い……!!」
「(あぁ、わかってる)」
頭に上っていた血が抜けて、冷静さを取り戻したヒロは、さきほどの自身の行いがいかに軽率であったかを思い知っていた。
まず見た目が異形であったからといって、看守のひとりに襲い掛かったこと。
その看守が全霊で自信を救命しようとしてくれるほどに善良な精神を持っている可能性に想像が及ばなかったこと。
そしてなにより、この牢屋敷の規則を理解していなかったことを。
「(我ながらなんと愚かだったのだろう。世の正しさを追求していながら、今自身が置かれている環境での
ヒロの腕が起き上がろうと動く。
「ヒロちゃん……!」
「ま、まだダメです! 傷は塞がったばかりですから!」
メルルの制止を、ヒロは受け入れた。
「すま……ない。だが……」
力なく持ち上げられたヒロの指が、エマを指していた。
「こいつを……信じる、な……」
「ヒロ、ちゃん?」
「こいつは……かならずきみたちを、みす、てる……!!」
「!?」
最後の力を振り絞り、ヒロは、少女たちに夢を託すことを選んだ。
「おい何言ってんだ、なんでそうなるんだよ!?」
「あの、ときの、あの子の、ように……」
「あの子……?」
エマは、本当に何もわからないという様子で、ヒロに問いかけた。
「──あの子って、誰のこと?」
ヒロは血を吐きながら、エマの首筋に掴みかかった。
「殺してやる!!!!!!」
「やめろヒロぉおおおおお!!」
海堂がヒロを引き離した瞬間。
「あ……」
糸が切れたようにヒロの体から力が抜けた。
塞いだはずの傷口からまた鮮血が漏れ出て、海堂の灰色の体を赤く染めた。
「あ、あぁ、あぁああああああああ」
エマに殺意を向けていた瞳からは、光が失われていた。
「ヒロちゃん……?」
ヒロの指痕が赤く残った首筋を擦ることも、瞳に溢れた涙を拭うこともせず、エマはヒロのもとに駆け寄った。
「ねぇ、ウソだよね、ねぇ、ヒロちゃん」
「エマさん」
「やだ、やだ、やだ、やだ!!!!」
「エマさん……!!」
悲鳴を上げて暴れだすエマを、メルルが抱きしめる。
少女たちの中からも、悲鳴と嗚咽がこだましていた。
「うわ~……やっぱり死んじゃいましたね……ご苦労様です。天使さん」
天井から現れたのは、少女たちを幽閉する牢屋敷を取り仕切る怪鳥、ゴクチョー。
「何しに来たんだよ」
「説明しきれていなかったことがあったので……そろそろ頃合いかと」
「何もしねぇで、ただ見てたってのか」
「はい。別に何もする必要ありませんでしたし」
海堂は飛んでいたゴクチョーをシェリー以外には視認できない速さで掴み取り、そのまま地面にたたきつけた。
「あの ちょっと まだ せつ めい」
「ひっ……」
何度も、何度も、ゴクチョーの声が聞こえなくなるまでたたきつけた。
その様子に悲鳴を上げる少女たちを、海堂は慮ることさえなかった。
「……無駄なことはやめてくださいよ」
天井から現れたのは、海堂が叩き潰したものとは別のゴクチョー。
だが潰されたものと意思は連続しているようだった。
「……クソッタレ」
「あぁ……まぁでもよかったんじゃないですか?」
「なに、が」
問いかけたのはメルルに落ち着きを取り戻させられたエマだった。
「ヒロちゃんが死んで、いいわけなんかないよ!!!!」
「だって二階堂ヒロさんは魔女じゃないということが……これで証明されたじゃありませんか」
「…………え?」
当然の疑問が、少女たちを包み込む。
「魔女は失血や殴るくらいじゃ死にません。基本的には【不死】ですので……
そして最後に、これは天使さんには事前に言っておいたことですが、みなさんにもっとも大切なことを伝えておきます」
退屈そうに首を回しながら、ゴクチョーは説明を続ける。
「魔女になりつつあるものは抑えきれない殺意や妄想に憑かれてしまいます。面倒なことに、いずれ囚人間で殺人事件が起こるんですよ」
少女たちの中でこの日一番のどよめきが起きた。
「殺人事件っ!?」
「そうなんですよ……毎度のことなんですよねぇ……」
目を輝かせるシェリーに、ゴクチョーは世間話のように相槌を打つ。
「さすがに殺人を起こすような人とは一緒に生活できませんよねぇ。──というわけで殺人事件が起こり次第、【魔女裁判】を開廷します」
アンアンは耳を塞ぎ、ココは顔面蒼白で立ち尽くし、
一部の少女は情報を処理できないのか口を開けて呆けていた。
「殺人を犯した【魔女】をあなたたち囚人たちが裁判で特定してください。
そして【魔女】になった囚人は……あのー……処刑しますので。
そこの天使さんが」
少女たちの視線が、一斉に海堂に向かった。
「先ほども言いました通り、【魔女】は普通の手段じゃ殺せないので……こう見えてというか見ての通りというか……彼、実は魔女を殺せる力があるみたいで。まぁここにいるのとは別の看守が殺されちゃったから気づいたことなんですが。……というわけで彼はみなさんを天国へ連れて行ってくれるから【天使】さんなんですね」
海堂は、その事実に何の反応もせず、もう動かないヒロをベッドに寝かせている。
「詳しくは支給したスマホの【魔女図鑑】をご覧ください。……あ、そうだ。天使さん、こことラウンジの掃除をお願いしますね。血で汚れちゃってますので……では私はこれにて」
そう言い残してゴクチョーは医務室を後にした。
看守だけは、海堂を直視するように、出入り口で佇んでいる。
「……え、なに? どゆこと?」
最初に口を開いたのは、ココだった。
「さっきまでヒロっち助けようとしてくれてたじゃん、ねぇ?」
「…………」
「なん……で、何で黙ってんだよおい。なんか言えよお前!!」
「ココちゃん落ち着いて!!」
「これが落ち着けるかよ!!」
「落ち着きなさい」
ミリアを振り切って海堂に向かおうとするココを、ナノカが止めた。
「さっきのゴクチョーの説明を聞いたでしょう?
天使への攻撃は、規則違反よ」
「あ?」
ナノカはたしなめるようにココに言い放つ。
「看守はこの牢屋敷の規則のもと、
ココにスマホの画面を見せながら、ナノカは少女たちに向けて呼びかける。
「──なぁお前ら」
海堂が、少女たちの前に立つ。
「人が死ぬってことがどういうことなのか、もうわかっただろ?」
血に濡れた体を見せつけるように。
「こんなこと、これで最後にしてくれよ。俺様に……俺にガキを、殺すようなこと……もう……させないでくれよ」
海堂は、膝から崩れ落ちて、
少女たちに投地した。
「──のあ、もう怖いのやだ」
突然の一言に、海堂は飛び起きる。
「血の赤はみんなみーんな、のあの魔法で蝶の絵にな〜れっ!」
「おわっ!?」
瞬間、海堂を染めていた血が、たくさんの赤い蝶となって飛び出していった。
「うわぁなんだぁ!?」
「これねぇ、のあがい~っぱい力を込めた特別な魔法なんだあ~」
絵筆を掲げながら蝶の中をくるくると回る少女、城ヶ崎ノアが、海堂に答えた。
「これで、今からみんなみんな、流れる血は全部蝶の絵になっちゃうんだよ」
「すっげぇ……」
羽ばたく蝶の群れに、海堂と少女たちは見とれていた。
先ほどまでの悲劇が嘘であったかのように。
「これでもうみんな怖くないよね?」
「……あぁ、なんか、ありがとな。いやぁ~すげっ」
左手に止まった蝶を、海堂は笑いながら眺めている。
「もう泣いてないね。悲しいのもなくなった?」
「え?」
海堂は頬を擦った。
「いや泣くってお前、俺様はこの姿じゃ泣くとか……」
「泣いてたよ。天使さん、はじめて見たときからず~っと泣いてた」
「そう……なの?」
「うん。でも、もうだいじょうぶだよね? 怖いのも悲しいのも……のあは、やだよ」
きゅっと口を噛み締めて、ノアは海堂の左手を両手で包んだ。
「お、おい」
「のあは天使さんのこと、怖くないよ」
「…………」
海堂も、ノアの手を包み返した。
「あったか~い」
少女たちは困惑していたが、幻想的な光景の中に、いつしか現実を忘れることができていた。
だが、ナノカの視線は、ずっと海堂と看守に注がれている。
「海堂直也。あなたは天使……私たちの死神……」
看守の視線もまた、海堂にずっと注がれていた。
「それとも…………救世主?」
二階堂ヒロ、【死亡】。
残る魔法少女は───あと12人。