遡ること、数時間前。
「佐伯ミリア、さっきはごめんなさい」
ミリアの拘束されている懲罰房の前で、ナノカは頭を下げていた。
「気球が壊されていたことで気が動転して……この前触れてしまった時に見えた【幻視】を……あなたのもっともデリケートな部分を、晒してしまった。本当にごめんなさい」
ミリアは、何も言わない。
「…………」
懲罰房の冷たい空気に針を刺すような痛みを覚えながら、ナノカは無言で頭を下げ続ける。
これだけが自分にできることだというナノカの一念だった。
「……また、来るわ」
眉間にしわを寄せながら、もう一度ミリアに向かって一礼。
懲罰房を後にしようとした……その時だった。
「(…………視線?)」
一瞬、ミリアからかと思ったが方向が違う。
壁しかないはずの背後から感じた一瞬の感覚に、ナノカは最大限の警戒を行う。
「……何も感じない」
視線が発されたと思われる壁に触れてみるが、【幻視】は発動しなかった。
手のひらには冷たさだけが残り、痕跡は無きに等しい。
「(この屋敷を調べている中で、もう何度も感じている。……何か巨大な目に見つめられているような)」
最近では毎日の定例報告会で他の少女から聞くことも多くなったこの感覚に不安を覚えながらも、しかし対処法がなく、ただただ居心地の悪さだけがナノカを苛む。
「(早く、なんとかしないと)」
決意も新たに、今度こそナノカは懲罰房を後にした。
そして、静寂が支配する。
「…………ふぅ」
一瞬の支配を破ったのは、甘く香る、蝶の吐息。
「さて、そろそろ彼女も動くでしょうか……」
枝が伸びる。
絡め捕るように。掴んだ獲物を離さぬように。
「今度も頑張ってくださいね。私の天使様」
冷たい風が、吹き抜けてゆく。
枝は凍り、風に溶ける。
そして第二の事件の、幕が上がる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
海堂直也が懲罰房に走ってたどり着いたときには、すでにさめざめと泣く少女たちが取り囲んでいたところだった。
「おっさんが刺されてる!!」
海堂を見つけたココが駆け寄ってきて、涙声で叫ぶ。
「まだ生きてるかもしれないんだよ!! 開けてよ!! ねぇ!!」
「待ってろ」
懲罰房を施錠していた錠前を、持っていた鍵で開錠する。
開いた扉に少女たちが突撃しようとするのを、海堂は抑えた。
「メルル、頼む」
【治癒】の魔法と医学知識を持つメルルをまず行かせ……そして、蝶が舞うのを見た。
「ミリア」
そこには、磔にされたミリアがうつろな目をしてうなだれていた。
胸から腹部にかけてめった刺しにされたのか、おびただしい数の赤い血の蝶が、ミリアを囲むように舞っている。
「ミリアちゃんが刺されてる……そんな……なんで」
青ざめるエマと、泣きじゃくるハンナをシェリーが手で強く握っている。
「ダメ……です。ミリアさんは、もう……」
メルルによる涙の宣告に、少女たちは膝をついた。
「…………クソォッ!!!」
壁を殴る海堂の横で、アンアンは床に物が落ちているのを見つけ、拾う。
「……ミリアの、スマホ」
「え!?」
ナノカが咄嗟に反応したのを見て、アンアンは彼女にそれを渡す。
「……お前が、持っていてくれ」
「うん」
ナノカは自身の【幻視】の魔法を期待されていることを直感し、受け取る。
『はぁ……報せが入りました。痛ましい殺人事件が発生したようですね』
ちょうどそのタイミングで、スマホに一件のメッセージが届いた。
『既に外出禁止時間ですが、緊急事態として特別措置とします。囚人の皆さんは今すぐラウンジに集合してください』
「……行ってくれ」
海堂が力なく少女たちに向けて言う。
「兄さん……」
「俺はまた拘束されて、裁判まではなんもできねぇ」
どこから現れたのか、すでに看守が海堂のそばにいた。
「頑張れよ」
前回とは打って変わって、海堂は一切の抵抗をせず看守に連れられていく。
少女たちはその背中に、深い悲哀をたたえているのが見えた。
「……行こうぜ」
「えぇ」
少女たちは海堂を見送ってから、足早にラウンジへ向かう。
「まさかミリアちゃんが……」
「ある意味では、もっとも殺される理由がある人ではありましたが」
「どういう意味だ」
シェリーの言葉にアンアンが突っかかる。
「それはもちろん、気球を破壊した最終力容疑者ですし。脱出計画の邪魔をされたことによる怨恨……犯人の動機としてはこれが太いですよね」
「っ…………」
シェリーの言説に異を唱える者はいなかった。
うすうすとそう考えていた少女が大半だったからだ。
「でも……死んでほしいなんて、思えなかったよ」
「そりゃああてぃしだって……」
「つーか気球の騒ぎって今日の朝だぜ。急すぎんだろ、いくらなんでも……」
「……なんにしても、わからないことが多すぎるわね」
口々に事件について考えを巡らせる少女たちの前に、ゴクチョーが現れる。
「はぁ……殺人事件……起きちゃいましたね……こんな夜中に勘弁してもらいたいのですが」
ぐりぐりと、丸い時計のような顔を回転させながら愚痴るゴクチョーに少女たちの冷ややかな視線が集まる。
「言えよさっさと。制限時間とかよ」
「はいはいわかってますよ……そうですね。迅速に終わらせたいのでテッペン……今夜0時に【魔女裁判】を開廷します」
「はぁ!? あと一時間半しかないじゃん!! ばっかじゃねーの!?」
ココの怒りの声に、少女たちから同意のため息が漏れる。
「そう言われましても……こっちも時間外労働なので……」
「知るかよ」
「はぁ……とにかく、今いる囚人の中から【魔女】を特定してください。前回と同様、天使さんに処刑してもらいますので。特定できなければ全員処刑……これも同様です」
「処刑……」
少女たちの脳裏に、燃える彫像と化したレイアの姿が浮かぶ。
「外出禁止時間ですが……特別措置として捜査時間中はどこも出入り自由です」
「そうでなければ困るわ」
「では、頑張って犯人を特定してくださいね」
そう言って天井に飛び去るゴクチョー。
沈痛な静寂がラウンジを満たす。
「あと1時間半か……」
「とりあえず、いっこわかったことはありますよね」
徐に語りだすシェリーに少女たちの視線が集まる。
「ミリアさんは私たちを誘拐したこの牢屋敷の黒幕ではなかった、ということです!」
「あぁ……」
言われてみれば、と少女たちも気づく。
もしミリアが黒幕であったなら、ここまでスムーズに事は進んでいないだろうと。
「ただそうなるとミリアさんが気球を壊す理由がないという別の疑問が出てきますが……」
「佐伯が気球を壊したんじゃなかったってことだろ」
「でも外出禁止時間に出歩いていたミリアちゃん以外に、私たちの中で他に気球を壊せる人物は誰もいないわ」
「なら、管理者側が壊した……?」
「うーむ……それなら壊すよりも別に何らかのペナルティを与えてくるような気も……」
結局、気球を壊した犯人については明確に答えが出なかった。
「と、とにかく今はミリアちゃんを殺した犯人の方を見つけないと!」
「それもそうですね。まずはそっちをどうにかしないと」
エマの提案に少女たちも頷くが、その中でマーゴは渋い顔でエマを見つめていた。
「ちょっと提案があるのだけど、いいかしら」
「なに? マーゴちゃん」
「今回からは、それぞれ単独で捜査しない?」
マーゴの思わぬ提案に、どういうことかという視線が交錯する。
「エマちゃんを中心としたシェリーちゃん、ハンナちゃん、メルルちゃんでひとグループ。そしてナノカちゃんとアリサちゃんはかなり仲良しみたいで……なんとなく派閥ができてしまっている気がするのよね」
「あー、なんとなくそうなってんな確かに」
「そうすると……ほら、できちゃうじゃない? 【票操作】」
「あぁなるほど!! たしかにそれなら捜査とか関係なく犯人にできちゃいますね!!」
「そういうことよ」
感嘆するシェリーの横で、ハンナが怒りの形相をマーゴに向ける。
「そんな卑怯なことをわたくしたちがするとでも!?」
「するかしないかではなく、できてしまう可能性があるのが問題なのよ」
「う……」
マーゴの声色に、切実なものが籠っているのをハンナは感じ取った。
「もちろんそんなことする子がいるなんて思ってないのよ。でもやっぱり……怖いじゃない?」
「それは……」
「だから、公平を期したいとそう言いたいのね?」
「えぇ。その通りよ」
ナノカがマーゴとハンナの間に入り、補足する。
ほっとしたようにマーゴは肩から力を抜いた。
「(間違ったことを言っているわけじゃない……でも、マーゴちゃんはボクたちを信用していないってことで……)」
エマは悲しみを帯びた瞳でマーゴを見つめる。
「(やっぱり、悲しいよ)」
「で、でもよ。情報の共有はしていいだろ?」
「それはもちろん。ちゃんとした証拠と捜査をもとに犯人を特定するのが一番だもの」
おずおずと譲歩を引き出そうとするアリサに、マーゴは笑顔で快諾する。
先ほどまでの哀しみを帯びた瞳はどこに行ったのかと、ころころ変わるマーゴの表情にエマとハンナは恐怖を覚えていた。
「それじゃあみんな、頑張りましょう♡」
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ラウンジに一人、ココはじっと動かずにいた。
「おっさん……」
ココは脳内で、少なくないミリアとの会話の記憶を反芻する。
一人でいることが多かった自分を気遣ってくれたミリアに、ココはここにいない家族と同じ温かさを覚えていた。
ナノカがミリアの正体を暴露した後の今でさえも、ココにとってはあの温かさは忘れがたいものだった。
「おっさん、あてぃし……おっさんが何者だったとしても……あんな死に方していい人じゃないって思うよ」
だからこそ、その無念を無念のままで終わらせることを、許さないと決めた。
「あてぃしにだって……できることあるはずだよな、おっさん」
その手には一枚の紙が握られている。
『20時 懲罰房で拷問ショー』
「手がかりだってある」
震える足を叩きながら、瞳に強い意志を宿して、沢渡ココは立ち上がる。
「あてぃし頑張るよ。おっさんの分も、いっぱい生きてやる」
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「クソッ、なんでウチらが捜査しなきゃいけねーんだ」
アリサは犯人が返り血の処理するために寄ったはずだとシャワールームに向かった。
各囚人のロッカーに証拠品がないかをチェックするが、着替えの服があるばかりで特に決定的と言えるものはなかった。
「……さっきの宝生みてぇな感じにウチっらが疑い合っていがみ合うのを愉しんでやがんのかな……黒幕は」
アリサの拳が熱くなる。
「そんで兄さんに無理やり殺させて……クソがッ!!」
海堂によって封鎖された魔法騒ぎのあった鏡の前で、アリサは怒りに震えた。
「絶対、オメーらの思い通りになんてならねぇからな……」
決意を新たに、アリサは再び捜査に戻る。
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懲罰房では、エマ、シェリー、ハンナ、メルルがそれぞれの判断で証拠となりそうなものを
探していた。
「今回はあちらさんも慌てていたのか特に現場の封鎖とかはされませんでしたね」
シェリーは独り言をつぶやきながらミリアの死体の写真を撮っている。
「凶器は刺さっているナイフと見て間違いなさそうですね」
シェリーの独り言はおそらくそれとなく他の少女にも手がかりを与えるためだろうとなんとなくエマたちは察していた。
「腹部をめった刺しにされた後に、心臓を一突き……それが死因でしょう」
満足したシェリーが懲罰房を出ていったあと、メルルがミリアの検死を行って所見を述べたのを少女たちはメモしていく。
「それにしても……こんな殺し方、犯人はよほどミリアさんを恨んでいたのかしら」
「すごく、優しい方だったのに……うぅ」
ハンナとメルルがミリアを悼む。
「優しいからこそ、という線もあるんじゃないですか?」
「どういうこと?」
「優しいから、どこかの誰かの拗れた感情を逆なでた……なんて」
シェリーは涼しげな顔で、ただどこか皮肉めいたものを匂わせながら答えた。
「優しさが保証してくれるものなんてあるんですかね?」
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「……見えない」
ナノカは屋敷中を【幻視】で探ったが、ミリア殺害に繋がりそうな情報は何も得られていなかった。
そして最後にミリアの監房に訪れたが、ここでも何も得るものはなかった。
「あら、先客」
「う……」
焦りで汗が止まらなくなっていたところに、マーゴが監房を訪れた。
「その様子だと、珍しく魔法が上手くいってないみたいね」
「えぇ、何かしらの情報は得られてもいいはずなのに……まるで最初から【佐伯ミリア】という人間がいなかったみたいに」
「いないみたい……ね」
少し考え込むようにマーゴは口に手を当てる。
「ところで、ナノカちゃんはあの後、何回かミリアちゃんに会いに行っていたみたいね」
「? ……えぇ、謝りたいと思って」
「なにか話をしたかしら」
「それが……」
ミリアからは何の言葉も引きだせなかったことを、ナノカは語った。
「何も……言わなかったのね?」
「えぇ」
「……あの優しかったミリアちゃんが、ナノカちゃんに何も答えないなんて……」
「どうかした?」
「いえ、少し考えづらいと思って」
マーゴの違和感にナノカも思案を巡らせて……同じ違和感を覚え始めた。
「言われてみれば確かに、ミリアはそれほど無口なタイプには思えない」
「何かあなたと会話できない理由があったか……あるいは」
「……まさか!?」
その可能性をずっと見落としていたことを、ナノカは後悔した。
「私が会いに行ったもうその時には殺されていた!?」
「その可能性が高いと思うわ」
マーゴは強くうなずいた。
「でも血の臭いなんかはしなかった」
「なら死因は刺殺じゃなかったのかも」
「絞殺……そうかその可能性も……」
「なんにしても、すぐに他の子の証拠と突き合わせた方がいいわね」
「そうね」
ナノカは走り出そうとして、足を止めた。
「ありがとう、宝生マーゴ。あなたにはよくしてもらってばかりだわ」
「え?」
「また後で」
走り去るナノカを、きょとんとした目で追うマーゴ。
「……よくして、ね」
ナノカからの感謝の言葉が、マーゴの中で反響している。
「感謝されるようなことなんて……」
むずがゆいものが消えなくて、マーゴはその場で動けずにいた。
「…………あら」
伸びていたはずの爪が、少し短くなっている。
「そっか、嬉しかったのね。私」
誰もいない場所で、マーゴは一人、自分の中で知らない何かが芽生え始めていることに戸惑いながらも、どこか嬉しそうに微笑んだ。
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「ミリア……」
娯楽室には一人、アンアンが何も映らないスクリーンを見つめていた。
かつてはミリアと二人で一緒に映画を観ていた場所で、静かに涙を流していた。
「吾輩は、お前の死を無駄にしない」
涙を拭い、怒りを糧に全身に力を籠める。
「黒幕を始末する手段はすでに手に入れた。吾輩たちの夢を叶えるための力だ」
キャビネットに向かい、鍵のかかった棚を開ける。
「お前を否定したすべてを、吾輩が排除してやる……この【楽園】を、守るために」
そして、午前0時を告げる鐘の音が鳴る。
「お前のことも、救ってやる……天使」
どす黒く濁った瞳で、アンアンは虚空に向かって誓った。