わるい子キタサン   作:ベルカナ

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トレーナーに名前はなし。
基本的に"トレーナー"と出たらテイオーのトレーナーのことだと思ってもらえれば。




 キタサンブラックは悩んでいた。その中身は今の自分の成績のことだ。華やかな成績を残した憧れの存在とは違い、自分はなかなか結果を出せていなかった。

 トウカイテイオーに憧れて入学したトレセン学園。選抜レースでも優秀な成績を残し、ある女性トレーナーのスカウトを受諾した。

 

 大勢のスカウトが来たが、『自分は困っている人を見るとつい助けてしまうのでトレーニングを優先できないかもしれない』と言ったら潮が引くように去っていった。その中で唯一、それで構わないと言ってくれたのが今のトレーナーなのだ。

 キタサンブラック元来の運動能力と新人ながら優れた手腕の担当トレーナー。

 二人の相性はよく、GⅢ、GⅡと次々とステップアップしていった。

 

 だがGⅠの壁は厚い。勝つどころか、幾度目かのレースからキタサンブラックは不調に陥った。それまでは圧倒的に逃げることができていたのに最終コーナーを抜けた辺りで後方を走っていた他のウマ娘たちに追いつかれ、差し切られてしまう。

 

 原因はわかっていた。GⅠに挑戦する前に出走したGⅡレース。そこで優勝した後、ウイニングライブの舞台袖で泣いているウマ娘を見てしまったからだ。

 自分が勝ちを奪い取った、二着のウマ娘だった。あそこまで本気で泣いている相手を見たのはあれが初めてだった。

 人助けをして相手の笑顔を見ることが大好きな自分。それなのにレースでは勝者と敗者、笑うものと泣くものが出る。自分が誰かを、泣かせてしまう。

 

 親友のサトノダイヤモンドとの戦いならば気にならなかったのに。レースの終盤誰かと競り合うとどうしてもあのウマ娘のことが浮かぶ。ライブ用にバッチリと決めたはずの化粧を崩して、身体を震わせながら嗚咽を漏らす彼女のことを思い出す。

 

 それ以降、最後の直線での競り合いで勝てなくなった。本気であるが全力ではない。あるいは全力だが本気でない。最終直線を制したらまた誰かが泣くのかと思うと自分の100%を出せない。

 

 そんなウマ娘が勝てるほどレースは簡単なものではない。どれだけの期待を受けて出走しても毎回二着以下に甘んじることになった。

 口さがない観客のなかにはこれではまるでキタサン“シルバー”だと揶揄するものもいる。

 

 当然キタサンブラックの担当トレーナーもいろいろと手を打ってくれている。それでも大した成果は出ず、私の力不足だとキタサンブラックに頭を下げてくる。

 そうじゃないと言いたかった。あなたが悪いんじゃない。自分の心の弱さが招いた事態なんだと。しかしその言葉を受け取ってはくれなかった。互いを思いやる関係は裏を返せば原因を自分たちに求め自責の念で潰れ合う仲になりうるということだ。

 

 袋小路に追い詰められたキタサンブラックが頼ったのは学園の先輩だった。彼女が一番尊敬している相手。学園を目指すきっかけとなった存在。

 連絡を取り、トウカイテイオーのトレーナー室にお邪魔して彼女へと相談することにしたのだ。

 

「……という感じなんですが、どうしたらいいんでしょう」

「うーん。なかなか難問だねぇ」

「テイオーさんはこういうことを思った経験ないんですか?」

「ボクの場合はカイチョーに追いつくために必死だったからなぁ。周りを見ている余裕がなかったっていうか」

 

 今までのレース資料を参考のために見せつつアドバイスを求めるキタサンブラック。しかし肝心のトウカイテイオーは渋い顔をしたままだ。彼女からすればレースで涙をこぼすものが出るのは当然のこと。

 

 悔しければその分トレーニングを積んでレースで勝てばいいという考えのトウカイテイオーにとって敗者にわざわざ引け目を感じる気持ちはわからなかった。そのために勝ちを譲る格好になるなんてもってのほかだ。

 

 だが自分を慕って相談してくれている後輩に厳しい言葉や正論をぶつけるわけにも行かない。レース競技者としてはおかしな悩みであることなんかキタサンブラック自身が一番よくわかっているはずで、そこを突いても意味がない。

 結局トウカイテイオーができることと言えば悩みを解決するよりもその悩みが起こる状況自体を避けてしまおうという対症療法的な解決策を口にすることだけだった。

 

「キタちゃんの場合はさ。他のウマ娘としのぎを削ってるときに全力出せないってのが問題なんだよね」

「そうですね……」

「だったらいっそのこと逃げに徹して相手には影も踏ませないつもりで大逃げするとかどうかな」

「なるほど!」

 

 逃げと言っても一般的にはあくまでも一時的にリードをつくるためのものだ。終盤には追いつかれて競り合いになることが多い。しかし世の中には例外が存在する。

 最序盤から圧倒的な速度で後続を突き放し、一度も競ることなくゴールしてしまうものもいるのだ。

 

「確かにそれなら大丈夫そうです!」

「まぁトレーナーさんと相談することが必要だけどね。勝手に走り方変えたら怒られるよ~」

「テイオーさんもそういうことあったんですか?」

「まぁちょっとくらいはね。うちのトレーナーは知ってるでしょ?強面のくせして怒るときは理屈でネチネチ責めてくるんだよ。インテリヤクザか!」

「あはは……」

 

 両人差し指でツリ目をつくりながらトウカイテイオーがふざけると、キタサンブラックとしては苦笑いすることしかできない。そのままトレーナーへの愚痴を聞いているとちょうど扉が開いた。

 

 渦中のトレーナーが帰ってきたのだ。短く刈り揃えた髪に猛禽のような目つき。

 トウカイテイオーが強面と評したのも頷ける。その見た目だけでウマ娘たちに恐れられているのも無理のない話だった。まぁ知り合って日が経つ今では、当初の印象ほどキタサンブラックは怖がっていないが周りが怖がる気持ちもわかる。

 

「強面で悪かったな」

「げぇっ、関羽!」

「誰が関羽だ。しばくぞ」

「体罰!ここに体罰主義者がいまーす!」

「バカ言え。お前を本気で殴ったらこっちの手が折れるわ」

 

 言葉は剣呑だが雰囲気はじゃれ合いそのもの。軽くげんこつを落とされても笑みを浮かべていることから分かる通り、トウカイテイオーが甘えていると言ってもいい。その様子を眺めているとトレーナーが視線を向けてきたのでキタサンブラックもまたペコリと頭を下げる。

 

「おう。よく来たな。だけどキタに一言だけ言っておくぞ。こいつを尊敬するのはいいが変なところは真似るなよ」

「おやおや?トレーナー様はこのボクに不満があると?」

「少なくともこのクソ生意気なところは反面教師にしてほしい」

「あはは……了解です」

「ひどーい!キタちゃんが裏切った!」

 

 その後も和気藹々とした掛け合いの末にキタサンブラックは退室することにした。トレーニング時間が迫っているからだったが、その焦りのために持ってきた資料を忘れていることに気がつく。

 

 トウカイテイオーは格が違うとは言え一応は対戦相手の一人。自分の情報が載った資料をそのまま置いておく気にもなれず、足早に部屋まで戻ると中から話し声が聞こえた。しかも自分の名前まで出ている。悪いとは思いつつ盗み聞きしてしまった

 

「でさー、キタちゃんはそういう感じで悩んでるらしいんだよね」

「……だから?」

「だから?じゃないでしょ!仮にも一流トレーナー扱いされてるんだからそこはアドバイスの一つでも捻り出してよ」

「自分のトレーナーに対して仮にもとか言うか?普通」

「はいはい。そこに噛みつかないで。キタちゃんへのアドバイスはある?」

 

 思わずキタサンブラックは扉に耳を当てて少しでも室内の会話を聞こうとする。だが彼女が望んでいたような内容がトレーナーの口から出ることはなかった。口にしたのはむしろその逆。

 

「アドバイス……ね。正直言って厳しいな」

「ありゃ。敏腕トレーナーにしては珍しい」

「茶化すな。確かに俺はトレーニング方法やレースメイキングには詳しい。だがキタの悩みの根幹は他者との競争への恐れ。あるいは自分が一番になるというエゴの欠如。つまりはメンタルだ」

「メンタルトレーニングだってあるじゃん」

 

「ああ。だが担当でもない相手にアドバイスできるほどじゃない。ああいうのは数ヶ月単位でじっくり付き合いながらしていくものだからな」

「なるほどねー」

「それに学園にまで来るようなウマ娘は基本的に超がつくほど負けず嫌いだ。相手を負かすのが嫌だなんて悩みは持たない。当然その対策だって充実してないだろう。珍しい症例に対してどこまでやれるか。俺にも想像できない」

「うーん、ボクにはよくわからないけど論文とかいろいろ本を読んでるトレーナーがそこまで言うならそうなんだろうね」

「結局テイオーの提案通り大逃げ戦略を取るくらいが精一杯じゃないか」

「そっか。キタちゃんは可愛い後輩だから頑張って欲しいけど……」

 

 それ以上キタサンブラックは聞いていることができなかった。自分のトレーナーを信じていないわけではないが、より経験豊富なトレーナーならば解決策があるのではとほんの少しだけ思っていたのだ。

 

 しかしトウカイテイオーのトレーナーでさえ、あのシンボリルドルフに追いつき、あるいは超えるとさえ言われる不世出の名バのトレーナーでさえ今の自分を救うことはできない。その答えはただでさえ脆くなった心をへし折るには十分だった。

 

 

 それから一ヶ月。キタサンブラックは絶不調に陥っていた。トレーニングであわや大怪我。野良レースですら連戦連敗。結果が出せないことでメンタルが悪化し、さらにミスを誘発する負のスパイラル。

 

 そのことを見かねたのか、あるいは風の噂で不調を聞きつけたのか。ある日トウカイテイオーが遊びに誘ってくれた。気晴らしになればとその申し出を受けて、キタサンブラックが休日に待ち合わせ場所に着いたのが少し前のこと。

 

 しかし妙なことに約束時間になってもトウカイテイオーの姿はなかった。自由奔放な先輩であれど無言で予定をキャンセルするような相手ではなかったはずだ。不思議に思い、周りを歩くと別の顔見知りを見つけた。

 

 私服であっても間違いはしない。トウカイテイオーのトレーナーだった。やや険しい顔をしながら腕時計で時間を確認している彼のもとへと近づき、挨拶すると流石にこちらに気がついたようだった。

 

「おはようございます。トレーナーさん」

「ああ。キタか。奇遇だな」

「時間を確認していたみたいですけど、どなたかを待っているんですか?」

「テイオーをな。いきなり遊びの予定を入れておいて来ないとかどうなってやがる」

「えっ」

 

 思わず口をついた疑問の声。怪訝な顔をしたトレーナーに事情を話すと相手の眼光が鋭くなった。怖い顔をしたトレーナーがスマホを取り出しメッセージアプリを起動する。

 

『キタと会ったぞ。おい、どういうことだ』

『ありゃ。もうバレちゃった?』

『いたずらにしては度を超えているぞ』

『違うちがーう。いたずらじゃないって。最近キタちゃんは苦しんでるみたいだから気分転換に遊んであげてよ。今回のはそのお膳立て』

『わざわざだまし討ちする必要があったか?』

『だって単純に頼んだだけなら、担当じゃないウマ娘に深入りすべきじゃないとか言って付き合ってくれないじゃん』

 

 そこは図星だった。困りごとを一度助けるだけならともかく今のキタサンブラックに踏み込むことはメンタルケアの範疇だ。手助けの範囲を超えている。返信が止まったことでこちらの心中を見通したのかトウカイテイオーは畳み掛けてきた。

 

『当たりでしょ?まぁまぁ。強引だったから怒る気持ちもわかるけど、可愛い後輩が不調だとボクも気になって調子出ないからさ。ボクのケアの一貫だと思って付き合ってあげてよ。あ、でも手を出したらダメだよ。じゃあねー』

『おいっ!』

 

 その後はトウカイテイオーからの返信がなくなった。既読すらつかないということは下手したらスマホを投げ出してゲームでもしているのかもしれない。とりあえずもう一人の被害者にトウカイテイオーの企みを話した。

 

「あたしとトレーナーさんで出かけさせるためにわざとテイオーさんがダブルブッキングしたってことですか」

「そうだ。あのクソガキァ……」

「あたしのために考えたみたいなので、怒るときは優しくしてあげてくださいね……」

「キタは優しいな。で、どうする?わざわざあいつの考えに付き合うことはないぞ」

 

 トレーナーは暗にここで別れようと言っていた。確かに二人でいるところをクラスメイトにでも見られたら面倒なことになる可能性がある。大人としては妥当な判断かもしれない。通常ならキタサンブラックも従ったことだろう。

 だが今回は違った。やや無理矢理ではあったがトウカイテイオーがせっかくつくってくれた機会。何よりいつもとは違うことを今はしたかった。

 

「いえ。お邪魔でなければご一緒したいなと」

「本当か?遠慮しなくていいぞ」

「せっかくの機会ですし。それともご迷惑でしょうか……?」

「うぐっ……」

 

 潤んだ瞳で、捨てられた子犬のような上目遣いをして問われたら彼としても断れない。突き放す態度を取っていても学生相手では限りがある。心の中でだけため息をついてトレーナーは了承することにした。

 

「別に迷惑じゃあない。とはいえそんなに洒落たところに連れて行くことはできんぞ」

「あはは。あたしも三ツ星レストランに行きたいわけじゃありませんから。きっと肩凝っちゃいますし」

「んじゃどこか希望はあるか?」

「そうですね……それならいつもテイオーさんといっしょに遊びに行くところを紹介してもらっていいですか?」

「ああ。それくらいならお安い御用だ。近くに複合型のアミューズメント施設がある。まずはゲーセンにでも行くか。こっちだ」

「はいっ!」

 

 歩き始めたトレーナーの背を追ってキタサンブラックも小走りでついていく。その気配を感じながらトレーナーが足を緩めると横目でキタサンブラックを見た。それに気がついた彼女は不思議そうな表情で見返してくる。

 トレーナーは一度足を止めるとキタサンブラックの右へと移動してそのまま彼女の肩を押して左へと追いやった。二人の左右が入れ替わった形になる。

 

「何かしちゃいましたか?」

「いや。だがさっきは車道側だっただろう」

「そうですけど、トレーナーさんよりあたしの方が丈夫ですよ?」

 

 ウマ娘とヒトでは身体能力が違う。仮に危険な目に遭ってもより被害が少ないのはキタサンブラックの方だ。それを指摘されたトレーナーはポカンとした顔をしたが、すぐに取り直してこぼすように笑った。

 

「そりゃそうだ」

「だからあたしが車道の方が」

「それは認めん。今更だがアホな見栄を張らせてくれ。ほら、行くぞ」

 

 そう言い切られるとキタサンブラックはそれ以上言えなかった。一度は緩めてくれた相手の足が再び早くなる。トレーナーに追いついて横顔を見ると少しばかり耳が赤かった気がした。

 

 もしかして恥ずかしかったのかな、などと思いながらキタサンブラックはゲームセンターへと足を進める。先程よりも少しだけ心が弾んでいた。

 その理由は行き先が楽しみなのか、トレーナーの意外な面を見たからか。それともか弱い女の子扱いされたことが嬉しかったからかはわからなかった。

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