グリッドマン リバース -Lost Letter-   作:od-

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collision:4 『変≒転』

 

 高架下に伝わる震動と電車の走り去る音を頭上に、蓬はコンクリートタイルの斜面に腰を落ち着けて、貰い受けたスペシャルドッグにかぶり付いた。

 腹の虫を宥める一風変わったカニカマのアレンジを一口貪るごとに、地に足の着いた感覚が蘇る。余裕の生まれた片手間に携帯を操作してみたが、ここに落ちて来た衝撃のせいか、再起動する気配はなかった。

 

 「お腹は膨れた? 少年?」

 

 惣菜パンが全て蓬の胃に収まったのを見て取ると、エキゾチックな赤い装いの女性がそう尋ねた。命の恩人である彼女はこの橋脚を住処としているようで、根無し草だったかつてのガウマと同じ暮らしをしていた。

 

 「はい、お陰様で。助けて貰って、ありがとうございます。俺、麻中蓬って言います」

 

 首を返し、蓬の座る斜面から舐め上げるように上を見遣れば、テントの入り口のような隙間から長衣に包まれた脚を垂らす彼女の姿を認められた。

 

 ガウマの暮らし振りとしては雨風を凌ぐブルーシートがセットだったが、体育館の舞台で見るような厚手の幕が橋脚の両端に掛けられている。住む世界の違いとでも言うのだろうか。世間一般では間違いなく住所不定の疑惑が降り掛かる立場でも、そう思わせない貫禄が彼女にはあった。

 

 「麻中蓬……。良い名前だね!」

 

 竜の紋章が描かれた両の耳飾りを揺らし、人を疑う事を知らない無垢な笑顔で彼女はいつかのガウマと同じ言葉を蓬にくれた。シチュエーションや彼女の纏う雰囲気に、出会いたてのガウマの事をつい重ねてしまう蓬は、既に心を許し始めていた。

 

 「ありがとうございます。よく言われます」

 「そんで、何があったか、お姉さんが聞いて良い感じ?」

 

 急かすでもなく重ねられた問いに返事が詰まる。行き倒れて拾われた蓬としては、隠し沙汰にせず真摯に答えたい。だがいつの世も怪獣に纏わる事象はとりわけ伝え難いのだ。常識という共通言語を排しているが故に。

 

 「ちょっと説明出来る事じゃなくて。……お姉さんっていうより、お姫様みたいですよね」

 

 苦し紛れに質問を質問ではぐらかす。というのも、訊きたいことはこちらにも山程あるからだ。

 あの次元の穴に吸い込まれて辿り着いたこの世界について探る為に、彼女は打ってつけの案内人。

 

 こちらのペースに引き寄せる意図はあっても、単なるお世辞でなく人目を惹く美貌を彼女は有している。ダイナゼノンを彷彿する衣装を加味しても、その存在感は損なわれない。中華風のツインの団子ヘアも、お茶の間を虜にする魅力を放っていた。

 蓬の関心に気を良くしたのか、彼女は着物の振り袖のように口許を隠し、得意げに垂れ目を細めた。

 

 「ふっふん。やはり隠し切れぬか、高貴なる妾の品格は……ってのは、半分冗談ね。いいよ。お姉様でもお姫様でも、蓬君の好きに呼んで」

 

 芝居がかった言い回しがやけに様になる彼女に、蓬は思わず笑みを誘われた。こんな時でも安らげる事に、少なからず救われていたから、親しみは敬意に昇華される。

 

 「じゃあ、お姫様で」

 「うむ。苦しゅうない」

 「……つかぬ事をお聞きしますが」

 「許す。申してみよ」

 

 ノリノリである。声の張り方といい、やはりお偉方仕草が板に付いている。よもや生粋の貴族ではあるまいか。好奇心が脇道に逸れる前に、本題へと踏み入る。

 

 「今日、怪獣って出ましたよね?」

 「怪獣? ああ、竜のこと? 出たっていうか、今も出てるけど」

 「今⁉︎」

 

 蓬は血相を変えて立ち上がった。こんな長閑な空気でも、戦いが終わっていない可能性に驚きを隠せない。お姫様は「ちょっと待ってて」と、豪華なテントの奥に引っ込むと、暫くして笠帽子を被って舞い戻った。

 

 彼女の肩幅よりも広い被り物に掛けられた前垂れに、端正な顔立ちが隠れると、余人の目には触れられない高貴な出立ちがより真実味を増す。

 陽の下に出ると、見立て170cmを超える長身が露わになったが、それ以上に装いを乱さない静かな足運びが目を引いた。ここに来て蓬はやっと、彼女を表す身なりや振る舞いがコスプレの類ではないと認識を新たにした。

 

 「見せたげる。ついてきて」

 

 導かれるまま共に河川敷を上がり、彼女が指差した対岸の景色へと振り返る。

 そこで蓬は漸く、行き倒れて視野の狭まった自分が、あまりにも大きな異物を見逃していた事に気付かされた。

 

 「なんですか、あれ……」

 

 姫の言葉に偽りなく、怪獣は物言わず街に君臨していた。

 まるで住宅街や繁華街の一部のように佇む、空を遮る巨体。二足歩行と尻尾から成り立つ怪獣らしいフォルムで、肩や背には何かを噴出させる器官が無数に突起している。

 澄み渡る青空から明らかに浮いたその怪獣と同じシルエットが、川の向こうにはいくつも点在していた。ぱっと見て、片手の指では足りない程に。今にもあの怪獣が動き出すのだと思うと、あまりに笑えない光景だった。

 

 「あれね。風景みたいになってるけど、気にする人、私以外だと君が初めて」

 「同じ怪獣が、何体も? ここは、俺の知ってる宇宙じゃないのか……?」

 

 自分が暮らしていたフジヨキ台とも、裕太達の居るツツジ台とも異なる景色。蓬はてっきり、あのパサルートを介してまだ見ぬユニバースに流れ着いたものだと思い込んでいた。グリッドマンユニバースはその性質上、ツツジ台を発祥としてあの街に酷似した世界が無数にあるからだ。フジヨキ台もその一つであり、街並みだけならこの世界も瓜二つだが、風景の怪獣だけが異彩を放っていた。

 

 「あの竜は暴れたりしないから安心しなよ。ただそこに居るだけで、役目が来るのを待ってるだけ。きっと蓬君にもあるんでしょ? 君にしか出来ない、君のやるべきことが」

 

 独特な呼称を用いて怪獣の安全性を保証すると、彼女は笠の下で笑みを傾けた。未来に向けられたその眼差しに、蓬ははたと気付かされる。

 

 「……俺の、やるべきこと。そうだ!」

 

 立ち止まっている暇はない。頼みの綱の連絡手段こそ断たれているが、蓬の手札には一つだけ希望が残されていた。

 後ろ頭に手を回し、パーカーのフードを漁ると、底に捉えた硬い感触をすぐさま引っ張り出す。頼もしい竜人機が、陽光の下に晒された。

 

 「ダイナソルジャー! もう一度、俺を導いてくれるか……?」

 

 不安げに問う蓬の手中で、ダイナソルジャーは両眼を輝かせて応えた。元は一体のロボットであるダイナを冠する機体には、バラバラになったそれぞれを探知する機能が備わっている。反応があれば音が鳴り出し、向かうべき方角を示してくれる筈だ。蓬は喜びの余りダイナソルジャーを強く握り締めた。

 

 「よし!」

 「……それ、君の物?」

 

 一部始終を見守っていた姫君が、想像以上に近寄って蓬の手元を覗き込んでいた。何故だか眉を潜めて、ダイナソルジャーをここにあるべき物ではないかのように睨んでいた。

 

 「いえ。今は成り行きで人から借りてるだけで。その人にとって、一番大事な物です」

 

 かいつまんで説明してしまうには、迂遠な物語を背負ったピースの一つ。5000年もの太古の昔から蘇ったミイラが抱えたドラマを語り切るには、あまりにも尺が足りない。

 伝えられたのは肝要な一点だけで、姫君は目を瞬いて蓬の顔からダイナソルジャーに視線を滑らせた。どこか慈しむように、どこか懐かしげに、その目と唇が微笑みを象る。

 

 「……じゃあ、それを託された蓬君も、そいつにとって大切な人だ」

 「だったら、いいんですけど」

 

 ストレートな言葉を誤魔化すように、蓬も笑みを返した。

 お姫様の神妙な横顔の意図は、蓬には推し量れない。だがこの短い間に交流を重ねて、段々と頭に思い浮かぶのはガウマの事だった。以前の彼と同じように、同じ場所で野宿する妙齢の女性が、ダイナゼノンの欠片に思いを寄せている事実。

 遡れば合体竜人をガウマに託したのは、彼と将来を誓い合った一国の姫君だという。そして彼は、国の危機に己の命を賭した。残された姫は歴史によれば、彼の後を追ったらしい。

 

 現代を生きる蓬にはまるっきり御伽噺のようで、過度に悲しむのも違う気がして、余計な想像は継ぎ足したくなかった。だから考えて来なかったのだ。あのガウマと深い仲の女性が、どんな人物であるかということを。

 

 その答えが、恐らくは蓬の隣に立つ女性だった。確証はどこにもない。そうであったらいい、という願いだけがここにある。そんな彼女から不意に背中を叩かれて、蓬は思わずよろめいた。

 

 「自信持ちな? お姫様が太鼓判押したげる! おし! やる事決まったなら、振り返らずに先行きなよ。いても立ってもいられないんでしょ?」

 

 力コブを見せつけるように姫君は腕を折り曲げてニコリとした。お節介な所も似てるのか、はたまた彼氏から寄せたのか。謎は謎のままにして、蓬はお辞儀をした。

 

 「色々と、ありがとうございます。俺、探さないといけない人がいて……。この恩は、後で必ずお返しします!」

 

 顔を上げるや否や、首だけは返して大きく手を振り、蓬はそれを別れの挨拶とした。両手一杯広げてにこやかに見送る姫君を残し、蓬は通学路とそっくりの土手に伸びる一本道を走り出そうとして、

 

 「ん?」

 

 目だけは後方に配っていたせいか、繰り出した一歩目に妙な違和感があった。まるでサッカーボールでも蹴ったような感触に出鼻を挫かれ、蓬は地べたに視線を落とす。

 

 

 〈足元に気を付けんか! 人間風情が!〉

 

 

 眼下で珍妙が喋っていた。

 それは強いて言うなら、二足歩行型の怪獣をデフォルメした生き物だった。ドリル状の尖端を両肩に怒らせ、耳や一本角の至る所まで角張った、削ぎ落とされた髑髏の顔貌。上半身は青味の強いチョコミントのような色合いで、下半身は着膨れしたように白く太い両脚を備えている。全体のシルエットとしては、着ぐるみから中の人が半身を晒しているような、上下のちぐはぐな印象を見る者に与えた。

 

 見た目こそ厳ついが、蓬の足元にうろつく珍妙のサイズはぶつかった感覚通り、バスケットボールと大差ない。人語を介す野生動物に通せんぼされた蓬を見かねてか、姫君がひょっこり横から顔を出した。すると彼女は、珍妙に向かって嗜めるように柳眉を逆立てた。

 

 「こ〜ら。口の利き方がなってないぞ〜」

 〈ふん。最初から馴れ合うつもりなどないわ〉

 「あの……なんなん、ですかね? これ?」

 

 明らかにコミュニケーションが取れている。互いに相手を知った距離感。だが蓬が疑問視しているのは、そんな瑣末な事ではない。

 尋ねておきながら、蓬はこの珍妙の正体を知っているのだ。知っているからこそ、ここにいてはいけない存在だと痛感している。

 無論姫君には知る由もなく、彼女は珍妙を抱き上げぬいぐるみに挨拶させるおままごとのように蓬と向きあった。

 

 「言ってなかった? この辺で偶に拾うんだよね。君が言う所の、怪獣って奴のちびっこいの。ほら、自己紹介」

 

 腕の中にふんぞり返った珍妙が鼻を鳴らす。閉め切られたシャッターのような歯列から、どこからともなく声が発された。

 

 〈我が名はマッドオリジン! 宇宙のバランスを崩し、全てを終焉に導く混沌の、〉

 「マリンって呼んだげて」

 〈最後まで聞かぬか!〉

 「だって長いじゃん」

 

 姫君は面倒そうに言いながらも、珍妙を抱え易いポジションに遇していた。噛み合っているのかいないのか甚だ不可解だが、彼女の包容力を前にして『それ、宇宙を巻き込んだ元凶ですよ』などとは到底言えない。言って信じて貰える威厳が珍妙にない。

 

 かのグリッドマンユニバースのラスボス、自称マッドオリジンこと愛称マリンは、昨日の敵は今日の友とでも言わんばかりに既に飼い慣らされていた。途轍もない虚脱感に襲われながらも、蓬は聞き取りを続ける。

 

 「……お姫様が面倒見てるんですか? それ?」

 「そ! 私、動物飼育好きだしっ」

 〈それとはなんだ!〉

 「……餌とかは」

 「その辺の蟹」

 「おぉ……」

 

 怪獣にも、動物虐待を訴える権利があるのではなかろうか。

 禁じ得ない同情を飲み込み、豪放磊落な飼い主とペットに圧倒された蓬は、この一時だけ目的を見失いかけていた。

 澄んだ青空を、バラバラの雲が流れている。

 

 

 ◆

 

 

 探知機代わりのダイナソルジャーを頼りに、捜索を始めた蓬は導かれるまま、ある学校に辿り着いた。校門の表札には『都立ツツジ台高校』と刻まれている。裕太達が通う学舎であり、蓬も以前、学園祭準備期間に何度も足を運んだ場所だ。

 であれば、次元の穴を通りながら蓬は、再びツツジ台に漂着した事になる。しかし真冬とは程遠い気候からして、元の世界と異なっていた。

 

 道すがら街の様子を観察してみたが、巨人や怪獣の痕跡もやはり見当たらず、風景の怪獣の有無を含め、この世界が本物のツツジ台である確証には至らない。手掛かりのダイナソルジャーが指し示す校舎は、争いとは無縁の静けさを保っていた。

 

 「ここで、間違いないよな……」

 〈ふん。不安ならさっさと確かめればよかろう〉

 

 不遜な台詞が緊張に水を差す。左腕に抱えたマッドオリジンを胡乱げに見下ろし、蓬は控えめに毒づいた。

 

 「……俺はまだ、信用してないから。お姫様が役に立つって言うから連れて来たけど」

 〈好きにしろ。主導権は貴様にある。この段階ではどの道敵わぬからな〉

 

 半ば押し付けられた同行者は、サイズに反して態度が大きい。虎視眈々と転覆を狙っているようにしか聞こえないので、身体以外丸くなっているとも言い難かった。実が詰まったスイカの様な重量感もまるで可愛げなく、ソフビサイズの玩具片手に未確認生命体を小脇に運ぶ蓬はどこからどう見ても不審者だろう。

 懸念は尽きないが心理的な防波堤としてフードを被り、蓬は覚悟を決める。

 

 「……入る、か」

 

 踏み出してしまえば次の一歩は軽く、敷居を跨いだ蓬はあれよあれよと言う間に下駄箱からピロティ、そして階段へと何なく歩を進めた。校内はやはり授業中のせいか、不気味なくらいに静かだ。遅刻した気まずさにも似た感覚を覚えながら人目を忍ぶも、裕太達の居る二年生のフロアに上がると同時に終業のチャイムが鳴り出した。

 

 畢竟、教室から溢れ出した生徒の群れと蓬は鉢合わせする羽目に陥った。だが雑談の傍ら廊下を歩く彼や彼女は、怪獣を抱える蓬に目もくれなかった。まるで透明人間になったかのような心地で両脇をすり抜けていく人々。部外者の誹りを免れないと身構えていた蓬は、現状の乖離にただただ困惑を深めた。

 

 「こういうの、誰も止めに来ないの……?」

 〈気にするものか。この世界に居る人間が、その程度の些事を〉

 「事情通なら、いい加減話してくれない?」

 

 姫君の忠告通りマッドオリジンは事態を把握しているようだが、元・悪の首魁なりの矜持でもあるのか、依然として協力的ではない。煮え切らないこの時間が、蓬にはどこまでも焦ったい。

 

 〈ここで説明するのも手間になる。まずは数が揃ってからだ〉

 「数、って。──ぁ」

 

 怪獣の方針に耳を傾けながら、蓬は廊下の奥に見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 髪先のウェーブがかった栗色の長髪が目に入った瞬間、蓬は走り出していた。希望が見せた幻影でなく確信を持って、蓬は彼女の名を呼んだ。

 

 「夢芽!」

 

 廊下に反響する程の声量を抑え切れなかった。どこか無機質に感じられた他の生徒達の視線も集まったが、この際どうでも良かった。

 首を返した夢芽の瞳と目が合って、一気に緊張が途切れると、腕の中からマッドオリジンがまろび出た。でっぷりとしたおみ足で華麗に着地する彼は特に文句も垂れなかったが、膝に手を突く蓬をどこか意味深に見上げていた。

 

 「良かった……。ちゃんと会えた……」

 

 言葉になるのはそれだけで、夢芽と再会出来た安堵にこれまでの不安も吹き飛ぶ。問題は山積みだが彼女となら、世界の滅びだって渡り歩けると、大袈裟でなく蓬は信じていた。

 

 「……何? 麻中君?」

 

 だからこそ、どこか余所余所しい彼女の返事に、耳を疑った。

 

 「あさなか、くん……?」

 

 顔を上げた蓬の前で、夢芽は一貫して訝しげだった。隈なく蓬の全身に目を配り、恋人以前に友達未満の距離感で苦言を呈する。

 

 「顔、擦り傷だらけ……。保健室行ったら? ていうか、なんで急に私に話しかけて来たの?」

 

 あしらうでもなく、心から不可解といった面持ちで接する夢芽に、蓬の希望は裏切られつつあった。噛み合わないというレベルでなく、今の蓬と夢芽にはあらゆる前提が欠けていた。

 まるで何もかも、出会う前にリセットされたかのように。その直感に目を逸らし、蓬はフードを引き下ろして訴える。

 

 「急にって、離れ離れの彼女見つけたら普通追いかけるでしょ。冗談言ってる場合じゃないって、夢芽……!」

 

 動揺を隠し切れず、語気を荒げて試みた説得は、辛うじて保たれていた分水嶺に爪を立て、夢芽の切れ長の目に拒絶の意を浮かべさせた。

 

 「──は?」

 

 それは未だかつてない、恋人に向けられるにはあまりに寒々しい視線の暴力。

 他人はおろか、外敵にまで降格した蓬から関心を切り捨て、夢芽はその場を立ち去った。無情に離れ行く背中が遠退くにつれ、ダイナソルジャーを握る握力が抜けていく。

 

 「何がどうなってんの……」

 

 孤立無援の蓬の問いに、答えを返す者は誰もいない。野次馬程度に足を止めていた他の生徒達が、何ごともなかったかのように教室に戻っていく。再度鳴り響くチャイムがやけに重々しく、蓬の耳に残響した。

 

 

 ◆

 

 

 〈私を倒したグリッドマンの一派が、この程度で挫けるとはな〉

 「マジで連れて来るんじゃなかった……」

 

 傷口に塩を塗られながら、怪獣しか話し相手のいない現実を嘆く。行き場を失った蓬は校舎を繋ぐ渡り廊下で青空を仰いだ。

 一仕事終えたダイナソルジャーをフードの奥に仕舞った分、両腕を以て抱っこされたマッドオリジンはベストポジションに満足げだった。

 

 〈だが、あの場で目立ったのは正解だった〉

 

 人間の機微に無頓着な怪獣は相変わらず意味深な言を取り続ける。あの体たらくで収穫があったとは蓬には思えなかったが、天国から地獄に失墜した意識の底で聞き流す。そのせいか、自分を呼ぶ声も幻聴としてスルーしかけた。

 

 「蓬君!」

 「よもさん!」

 

 聞き覚えある男女の声色が混ざり合い、地の底にあった蓬の意識を引き戻す。渡り廊下に駆け込む長身の男子高校生と、赤髪の少女の二人組が目に飛び込んで、彼等と同じくらい蓬は顔を輝かせる。

 

 「内海君……! ちせちゃん……!」

 

 裕太の友人である内海の隣で、ちせは特徴的なツインテールでなく髪を一つに結んでいた。髪の尾で輝く金のエクステは健在だが、その思い切ったイメチェンに蓬の目が奪われたのと同時、二人は蓬の元に辿り着く前にブレーキをかけた。

 

 「良かった無事、でぇーーー!? なっんでラスボス抱っこしてんすか蓬君⁉︎」

 「そそそうですよ⁉︎ 下にぽいっと! 片付けちゃって下さいよもさん! 絶対またそいつが主犯ですよ!」

 

 オーバーに腰が引けている内海の背後に隠れて顔を出すちせ。彼等からすれば今の蓬は不発弾を抱えているようなものだろう。ちせの言う通り渡り廊下から放り捨てる事は容易かったが、諸悪の根元に自覚はなかった。

 

 〈揃いも揃って、物を知らぬ一般人が。もっと話の通じる奴はいないのかっ〉

 

 感動の再会を引き裂く怪獣の愚痴に内海とちせは怯え竦み、ここまで後生大事に取扱ってきたマッドオリジンを半ば畜生と認識している蓬は嘆息する。その溝を埋める前に、内海達とは反対側から、渡り廊下に伸びる声があった。

 

 「この先も生き延びたいのなら、言葉を選ぶ事だな」

 

 先陣を斬る刃のように研ぎ澄まされたその声が、辺りの混乱に水を打った。獰猛な歯の群れを口が裂けそうな程歪ませて、マッドオリジンは闖入者へと顔を向ける。

 

 〈減らず口は相変わらずか。生意気なグリッドマンもどきめ〉

 

 二人分の足音を揃えて、蓬を挟むように立ち止まった彼等は、真新しい装いに身を包んでいた。

 

 ダイナゼノンを駆る蓬やガウマ達と幾度も肩を並べた同士、グリッドナイトことナイトと呼ばれる青年は、仕事着のスーツ姿でなく純白の学ランでガラリと様相を変え、左眼を覆う前髪の下に赤黒い眼帯をつけていた。腰に帯刀した赤い刀剣だけは、明らかな校則違反だが誰にも咎められない。

 

 彼に隣立つ女性もまた、学校のTPOに順応した結果なのか、常盤色のスクラブとスラックスの上に、養護教諭然とした白衣を着こなしていた。ナイトと共に支え合うグリッドナイト同盟の同士、2代目は眼鏡を煌めかせて朗らかな笑みを湛えている。

 

 「大方、お前が探しているのは俺達だろう」

 「無事に合流出来て何よりです! 皆さん!」

 

 機は熟したと言わんばかりに腕を組んで告げるナイトと、彼の物々しさを和やかに中和する2代目。彼等の来訪が、姫や内海やちせに続く、蓬の希望の架け橋だった。

 

 

 ◆

 

 

 「皆さんと会う前に、グリッドナイト同盟で可能な限り、この世界の調査に当たりました。私達の掴んだ情報と、貴方が持っている情報を合わせれば、この世界の全貌が見えてくる筈です。協力お願い出来ますか? マッドオリジン」

 〈ふん。元よりそのつもりだ〉

 

 集った一同は場所を移し、校内の空き教室で会議の体裁を取った。黒板の右手を2代目、左手をナイトが立ち、真ん中の教壇の上にマッドオリジンが座り込んでいる。あたかも教育テレビのような有様で彼等と面する蓬とちせは怪獣の目前で机を並べ、内海だけは窓際に背を預け耳を澄ましていた。

 

 「今回は聞き分けいいんですね。マリンさん」

 〈その名はやめろ! 私の格が下がる!〉

 

 机の上に身を乗り出し、マッドオリジンをからかうちせ。マッハで着火する怪獣の名を、姫から聞いた通りに教えたのは蓬だが、その甲斐あって元ラスボスへの恐怖感は消え去っている。何よりナイトという武闘派が側に居てくれる事が、万が一の安全弁となっていた。

 

 「名付け親がいるのなら従う事だ。拾って貰った恩義を忘れるな」

 〈怪獣が自ら縛られるものか。蟹以外、あの女に利用価値はない〉

 「サワガニでいいんだ……」

 「コスパ良いな……」

 

 売り言葉に買い言葉。ナイトと怪獣の口喧嘩に蓬と内海の庶民的な感想が続く。癇癪も長続きしないのか、マッドオリジンは早々に話題を転じた。

 

 〈エネルギー源の駄賃だ。何から聞きたい?〉

 

 緩い空気が流れる中、怪獣の提案に誰もが顔付きを変えた。聞きたい事は幾らでもあったが、蓬の中では纏まっていない。先んじて切り込んだのは、歴戦の勇士であるナイトだった。

 

 「単刀直入に聞かせて貰うぞ。お前は、アレクシス・ケリヴと繋がっているのか?」

 

 彼が発した名の主が、今回倒すべき巨悪。

 グリッドマンユニバースの件で一時的に共闘したとはいえ、その功績に傷を付けたのはアレクシス・ケリヴ自身だ。蓬にとってはここにいないメンバーの安否も気掛かりだったが、第一線に身を置くナイトらしい優先順位だった。

 然してマッドオリジンは、彼の意気込みを嘲笑うように答える。

 

 〈知れた事。この世界そのものが、アレクシス・ケリヴと融合した世界だ〉

 

 彼が広げた壮大な話のスケールに、少なからずどよめきが湧いた。

 今、蓬達は、誇張でなく宇宙を敵に回していると、マッドオリジンはそう語ったのだ。

 

 「……融合って、要するに、アレクシス・ケリヴ版グリッドマンユニバースって事ですか?」

 

 場を繋げるちせにしても、事の重みをおおまかに理解しているのだろう。

 裕太が愛してやまない演劇でなく、本来のグリッドマンユニバースはグリッドマン当人が宇宙と融合する事で、ツツジ台を軸に派生の宇宙を様々に創り出したものだ。

 

 突拍子もない話だが、他でもない創られた側の宇宙である蓬達の世界もまた、グリッドマンと命運を共にした経緯がある。

 宇宙が膨張をやめないように、コントロール出来ない現象は望まない多事多難を撒き散らす。かいつまんで言えば、人智の理から外れた存在、怪獣の温床足り得るのだ。

 

 この教室に集まった誰もが危惧している事は同じであり、その意を汲むように2代目は頷くと、黒板の中央に歩み寄って粉受のチョークを左手に取った。

 

 「はい。ちせさんの見立て通り、形を失ったアレクシス・ケリヴは不死の性質から実体のないエネルギーとなり、グリッドマンに近い存在としてあらゆる宇宙を漂っていたと仮定出来ます」

 

 淀みなく語りながら2代目は、アレクシス・ケリヴの顔らしき気の抜けたイラストを白線で描いた。その絵が蓬達に見えるように脇に戻ったのを認めると、ナイトは2代目と目配せして、黒板消しでアレクシスを拭き消した。

 粉の付着した面を一同に披露して、ナイトが講義を引き継ぐ。

 

 「滅びかけていたアレクシス・ケリヴが、同じく滅びかけていた世界と巡り合い、グリッドマン同様に統合を果たした。これがグリッドナイト同盟の推論だ」

 

 それはチョークの粉が重力に引かれるように、ある種の必然であったのかもしれない。灰になったアレクシス・ケリヴの受け皿が、正しくこの世界になるのだろう。黒板を背にした怪獣が、尊大な態度で齟齬を検める。

 

 〈概ね間違ってはいない。私がアレクシス・ケリヴを喰らった事で、奴にも合体の素養が受け継がれたのだろう。予てから封印されていたアレクシス・ケリヴは、グリッドマンユニバースとなったグリッドマンと最も同居していた。その副次的な影響もあるかもしれないがな〉

 

 前回の主犯がアドバイザーに回る、正しく猫の手を借りた状況だったが、姫の示した通りの真価をマッドオリジンは発揮していた。

 かの怪獣とグリッドマン、アレクシス・ケリヴが一同に会した空間は、文字通り次元が違う領域で蓬にはピンと来ない。その点においては特撮を始めとしたフィクションに柔軟な内海が、いち早く理解を示していた。

 

 「グリッドマンが人と関わって創造の力を得たみたいに、アレクシス・ケリヴも変わったってことか……。アイツがグリッドマンの力を扱えた事も、それに由来してるって事ですか?」

 

 内海の簡潔な要約に感心したように、2代目が柏手(かしわで)を打った。根はナイト同様怪獣に属する彼女だが、今は白衣もあって親しみ易い理科の先生にしか見えない。

 

 「流石はグリッドマン同盟! ご慧眼です! ですが、この件については少々込み入ってまして……。順を追って説明しますね」

 

 黒板消しを粉受けに戻すナイトを一瞥し、2代目は言葉を濁した。グリッドマンに扮したアレクシスに対して、彼は物言わず業を煮やし続けている。きっと蓬が2代目の立場でも易々とは触れられない。その用意が出来るまで、蓬も手を挙げ話の穂を継いだ。

 

 「じゃあ、滅びかけた世界っていうのは?」

 〈グリッドマンユニバースの一つになりかけていた、生まれかけの世界だろう。カオスにさえ混ざれなかった故に、灰になったアレクシス・ケリヴを引き寄せた。私がここに居るのは、奴と合体した名残りでしかない。怪獣に纏わる者も、奴に甦らされたらしいがな〉

 

 創造の果ての取捨選択。可能性の廃棄場。捨てられた手紙のように、誰の目も届かない(うろ)

 蓬達の暮らすフジヨキ台になり切れなかったユニバースも、きっとどこかにはある。グリッドマンとマッドオリジン、両者と接触して変異したアレクシスが流れ着いた奈落の底は、ややもすれば死者の楽園だろうか。

 

 何故だか、河川敷で会った姫君の顔が蓬の脳裏を掠めた。この時代にそぐわない彼女も含め、マッドオリジンがこの地に蘇っているのなら、何が起きても不可思議はなかった。

 

 「怪獣使い達もまた、彼等が干渉する怪獣の種を経由して、記録と記憶をマッドオリジンに複写されたと推測されます。結果、内包された情報はあの戦いで偶発的にアレクシス・ケリヴへと根付き、不死の性質を帯びてツツジ台に現れたのが、現在の怪獣優生思想だと考えられます」

 

 続く2代目の補足により、蓬の想像は裏付けされた。シズムそのものである怪獣、ガギュラは明らかに本来の力を失っていた。今はガギュラの白い外骨格に散見された斑点が、墓から起こした代償にしか思えない。点と点が繋がり始めた所を、内海が総括する。

 

 「元々不死身のアレクシス・ケリヴが、怪獣の因子も取り込んで一つのユニバースを形成してるって事は、この世界そのものが、怪獣墓場みたいなものって事か……」

 

 彼が前提に置く知識を蓬は有していないが、ここに来る前に姫の口から〝竜〟と、怪獣を示唆する存在については聞き及んでいる。蓬達のユニバースで怪獣は、今のマッドオリジンのように幼体から発生するのが常であり、彼女が拾った竜が他にもいるのなら、内海の言葉を借りたイメージも膨らむ。

 

 この世界が怪獣の墓場なら、自分達は今、火薬庫の上に立っているようなものだと。

 

 「グリッドマンユニバースに関与せず、その裏側で生まれた世界……」

 

 曇りがかった真相に指を掛け、2代目が拳を口許に独りごちる。

 

 「グリッドマン──リバース」

 

 ナイトはその概念を、苦虫を噛み潰すような顔で言語化した。

 教室の中を重い空気が敷き詰める。このままでは埒が明かないと、蓬はあえて楽観的に振る舞う。

 

 「……怪獣で出来てる割には、何か平和過ぎません?」

 「風景みたいな怪獣もいますけど、全然襲ってきませんよね」

 

 ちせ共々、塞ぎ込んだ流れを断ち切る。ここまで整理した情報を元にすると、あの怪獣こそが、いつ何時世界を踏み潰すとも知れない審判者にも思えたが、敵意を感じないのは蓬も同じだ。紐解くべき疑問の種はそこかしこにあって、窓辺の内海が意外そうに目を見開いた。

 

 「そっか。蓬君達が見るのは初めてか。あれが街の管理怪獣で、俺含めてツツジ台の人達は街ごと創られたらしいんだけど、あの怪獣から出る霧のせいで、その異常に気付けなかったんだよね。グリッドマンが来るまでは」

 「え、何それ。じゃあ、夢芽が俺の事忘れてるのもそのせいってこと?」

 

 彼の流暢な説明のおかげで、ある意味蓬が最も知りたくて知りたくなかった真実が解き明かされた。振り返れば演劇版グリッドマンユニバース改稿前の台本で、似たような設定を目にしていたかもしれない。蓬が夢芽と一緒に手伝ったのは衣装作りだった為、完全に失念していた。

 

 「そういうことらしいですよ。私と内海さんは、違和感あったから色々思い出せました。けど……」

 

 そう言ってちせは、憂いを帯びた表情で己が左腕をさすった。その肌の上では、雄々しく翼を広げている筈の飛竜のアームペイントが消え去っていた。

 彼女がこの世界に来る上で、リセットされてしまった友情の証。絆の欠落そのものがちせにとっては、記憶を取り戻す契機となった。それが良かった事だとは口が裂けても蓬には言えない。内海も複雑そうな面持ちで胸の内を明かした。

 

 「俺も。裕太と六花の距離感が違ってたから。俺の友達がおかしいぞ、って」

 

 自分ごとでなく友人関係で記憶の蓋をこじ開ける彼は、紛れもなく一般人代表だった。あの川辺でリスタートした蓬には一人でも多くの味方が付いていることが頼もしい。と同時に、巻き込まれた面々の内情も知れた事で、先行きは暗くなる。

 

 「そっちもリセットされてるのか……。誰が、一体何のために……」

 

 蓬自身においては、これらの影響を免れた理由に怪獣との強い結び付きが挙げられた。己を戒めてこそいるが、怪獣使いの素養を蓬も有している。それ故に記憶の改変を受けなかったと見るのが妥当だが、アクセプター所有者である裕太も抗えなかったという事実は、重く見た方がいいのだろう。そこには、何らかの意図が隠されているような気がした。

 

 「それはこの街に据えられた、偽りの神によるものだ」

 

 ナイトが先を見通すようにそう言った。首肯する2代目もまた、議題を次のフェーズに移す。

 

 「今のアレクシス・ケリヴはあくまでこの世界の基盤ですから、その上に成り立つこの街と、管理怪獣の発生源は別になります」

 

 再びチョークを手に、描き慣れた手付きで黒板に音を奏でる彼女は、見る間に風景の怪獣を絵に起こしてみせた。蓬の目には、いつかの川辺のコンクリートタイルに彼女が描いた落書きと同一に見える。ある種の源流的な立ち位置にある怪獣を、マッドオリジンが訳知り顔で語る。

 

 〈ベノラ十三神将。十五歳の少年少女から生まれた怪獣は、等しくベノラの形となる。裏で糸を引いているのはアレクシス・ケリヴだが、ここにいる誰もが、奴の傀儡になり得る〉

 「次の新条さんを見つけたってことか……。何も変わんなかったのかよっ、あの戦いでっ」

 

 義憤に駆られた内海が、窓に叩き付けるスレスレで拳を止めた。〝新条〟という人について蓬は多くを知らなかったが、今までの付き合いから、六花や裕太含め彼等グリッドマン同盟が大切にしている存在だと、察せられるものがあった。それを抜きにしても、怪獣と人間がコインの裏表のような関係だとして、その機構に一人の人間を定める邪道を看過出来ない。仮に夢芽が選ばれていたらと思うだけで、胸に迫るものがあった。

 

 その怒りを諌めるように、忍んだ歩みで窓際に近付いたナイトが、内海の拳に手を置いた。

 ナイトの真剣な眼差しが、驚く内海を射抜く。激戦の後を物語る眼帯に片眼を覆いながらも、青い右眼は希望を失ってはいなかった。

 

 「グリッドナイト同盟は既に、その人物と接触を果たしている」

 〈ほう?〉

 

 マッドオリジンを筆頭に、各々の表情が切り替わった。ちせは勢いよく席から立ち上がり、蓬も腰を浮かしかけた。一通りの反応を観察して、2代目が控えめに手を挙げる。

 

 「彼女から協力を申し出てくれたおかげで、調査も円滑に進める事が出来ました。共有すべき事が多いので、こちらの準備が整うまで、外でお待ちいただいていましたが、至急、お呼びしてきますね!」

 

 眼鏡の奥の目を孤にして、笑む口許に愛らしい八重歯が見えた。ここに至るまでの全てが、次の展望を語る為の長い前置きであったのかもしれない。元々が橋渡し役を担う事が多い彼女にとって、人と人の関係を取り持つ事も好物なのだろうか。業務的な空気から一変して、白衣をはためかせ楽しげに教室を出て行った。

 

 暫定教師がいなくなると、なんとも言えない沈黙が降りる。ナイトも率先して喋る方ではない。マッドオリジンなどはぶっとい脚を身体を掻くために動かしているが、届かなくて苛立っている。さっきまであまりにお通夜ムードだったせいか、雑談も捗らなかった。

 

 「……遅いですね」

 「……すね」

 

 蓬に生返事してくれるのはちせだけだ。不毛な時間が停滞する中、内海は窓の向こうを見下ろしている。やたら眼鏡のポジションを直して、ガラスに食い入るように顔を寄せていた。

 

 「あんな先生うちいたっけ……? いや、いやいやいやいや、そんな筈ないですよね……?」

 

 動転して後退る内海のただならない様子に、蓬とちせも堪らず腰を上げた。

 

 「何々?」

 「どうかしたんすか?」

 

 机の間を縫って辿り着いた窓辺では、既にナイトが張り付き内海を慄かせた光景を追っていた。窓を開け放って蓬とちせは若干身を乗り出す。土色のグラウンドを取り囲む防球ネットの一角、体操着の生徒達がベンチの前に整然と並び、遠目に授業を受けている様子を眺められた。

 豆粒大とは言わずとも、当然ながらそれぞれの顔までは判別出来ないが、ジャージ姿の教師だけはやけに目立っていた。

 全身がピンク。なんなら、髪色までピンクである。ソフトボール用とも野球用ともつかぬバットを担ぎ、派手さに見合った長身で監督役を張る成人男性に、蓬は覚えがある。覚えしかない。

 

 「ん〜……。コンタクトズレたかな……? なんか、ガウマさんが見えるんだけど……」

 「よもさん、残念ながら……」

 

 鼻梁をつまみ幻覚を振り払い、再三目を細めて授業を盗み見る蓬。衰えぬ肉眼の若さ故か、ちせは無念と首を振っていた。

 

 「うっし、しまっていくぞぉおめぇらーーー!!!」

 「「「「おぉーーーー」」」」

 

 校庭から校舎まで響き渡らんばかりの大声で、いつものサングラスを掛けたガウマがバットをダイナゼノンばりに突き上げていた。

 生気のない声を返す生徒達はまだマシな方で、ガウマの側には横一列に異なる色のジャージを着た大人達が並んでいた。際立つ身長差が彼等の個性を主張し、いやでも蓬の知る集団と結び付く。

 

 胸の閉まり切らない赤いジャージを着た偉丈夫が、マックス。

 黄色のジャージを着てあくびをした猫背が、サムライ・キャリバー。

 終始スマホを弄っている全身青の青年が、ヴィット。

 ポニーテールの後ろ頭で手を組む緑のジャージ姿が、ボラー。

 

 職務放棄。否、無職放棄に至った新世紀中学生が合法的に校内に居る現状に、誰もが唖然としていた。

 

 「なんで先生してんの……?」

 「それだけ、怪獣による支配が強いということだ」

 「リソース間違ってません?」

 「体育教師五人いらんやろ……」

 

 蓬の心底からの本音に生真面目に答えるナイト。内海は当然納得せず、ちせは天を仰いでいる。混迷極まる宇宙にて、着手すべき宿題が芋蔓式に増えて行く。程なく教室の引き戸を開く音が聴こえても、一同はグラウンドから目を離せなかった。

 

 「お待ちいただき、申し訳ありません! 彼女にも準備が必要だったみたいで。どうぞお入り下さい。美咲山さん」

 

 危うく忘れかけていた。

 本題に入り直すには些か弛緩した空気。だが主賓を連れて来た2代目を無下にする訳にもいかず、扉口に注目が集まる。先んじて入った2代目が手の平を差し出すようにして、まだ誰も立っていない空間に視線を促した。

 

 暫く経って入り口脇から姿を現したのは、ガウマに負けないピンクの髪を、肩上程度のツインテールに結んだ、どことなく硬い顔付きの少女だった。崩して着たパーカーとフレンチスリーブの制服の間に生まれた隙間が、野暮ったく素肌を垣間見せている。ゴリゴリの両耳ピアスや首周りにかけたヘッドホンも相俟って、独特な雰囲気を放つ少女だった。

 

 彼女は教室に入るなり膝に手を揃え、ゆっくりとお辞儀をして、その背にあるパンパンに物の詰まったリュックを見せつけた。口を無理矢理閉じても、何かの書類の紙端がはみ出ている。見ているだけで落ちないか不安だった。姿勢を直すと、彼女は目を伏せながら辿々しく話し始めた。

 

 「……美咲山、ミミカといいます。ごめんなさい。こんな風に、皆さんを巻き込んでしまって」

 

 派手な外見からはかけ離れた、途切れ途切れの声。息継ぎをして美咲山ミミカは、先程のリュックを降ろし身体の前に回した。

 

 「……上手く話せるか、自信なくて。資料にまとめてきました」

 

 抱え持った荷物から溢れかけている紙の一片は、恐らくはコピー用紙だろう。2代目が言う所の手間とは、察するに印刷の事だった。

 開け放った窓から入り込む風が、世界の謎を記した紙切れをパタパタ揺らす。蓬は心を無にして話を進めた。

 

 「……形式は?」

 「……小説で」

 「……結構余裕あるのね」

 「……宇宙のピンチどこいった」

 

 内海とちせの脱力もむべなるかな。

 ひとまず蓬は窓を閉め、グラウンドで甲子園ばりに球児達を応援する大音声をシャットアウトした。

 

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