グリッドマン リバース -Lost Letter-   作:od-

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Collision:1『邂≒逅』

 

 冬の空気を窓の向こうに、放課後の教室に差し込む西日の暖かな色彩は、黒板の前に立つ響裕太の背中には届かなかった。

 

 灰色のベストの上からブレザーを着込み、こんな季節柄黒板係でもないのに、チョークの末端を削る自分を我ながら物好きだと裕太は思う。

 空っぽの2-Bに響き渡る筆跡のリズムは誰の耳に障るでもなく、雪のように粉が手元を舞い散る度、黒板の上に人型のフォルムが形作られていく。

 そんな作業に没頭する事十数分。粉受けの前にチョークを置き、手の汚れを払い落とすと、裕太は満足気に一歩後ろに引いた。

 

 「よし、出来た」

 

 教卓を背にして、広がった視界が全景を捉える。

 棒立ちの人型は特撮番組の主役のような、角張ったパーツが目立つ独創的なデザインで裕太と正対している。

 黒板の中央を堂々と、さながら解剖図のように存在を主張する白線の偶像はお世辞にも落書きの域を出ないが、裕太の面持ちには確かな達成感が漲っていた。

 

 夕陽に彩られた赤髪の下、懐かしげに目を伏せて、裕太は胸の前に翳した左腕に視線を落とす。袖口から頭を出したブレスレットは物言わず手首に張り付いたまま、御守りのようにそこにある。描かれたヒーローの左手首にも同様に装着されたブレスレットを、裕太は慈しむように撫でた。

 

 物思いに耽っていると、忽然と教室の引き戸が開かれて裕太の意識を引き戻す。現れたのは艶やかな黒髪の女子高生。ベージュのカーディガンにブレザーを重ねリュックを背負い、黒のストッキングに包まれた脚が室内に踏み入る。

 青を基調としたマフラーの上、均整の取れた目鼻立ちで際立つ吊り目のせいか、一見して近寄り難さを放つ彼女の纏う雰囲気は、裕太と視線が合った途端柔和に綻んだ。

 

 「お待たせ〜。課題提出先生捕まんなくてさぁ。って、うわ……。また描いてるし」

 

 教卓越しに立ち止まり、裕太の落書きに物言いたげな眼差しを向ける彼女の名は、宝多六花。2年生の文化祭を経て裕太が彼女と付き合いを始めてからは、帰りを合わせるのが常となっていた。待ち時間に仕上げた作品を恋人に披露する裕太の心境は、正しく教壇に立つ教師そのものである。

 

 「はい。自信作です」

 「裕太さ……学年末テスト、いつかわかってる?」

 

 六花の胡乱げな気配は拭えない。下旬に控えた試練の名が鼓膜を通過したその瞬間、冬とは別種の寒気に裕太は身震いする。

 

 「それはもう……。でも! それとこれは別で! 友達の顔は、忘れたくないし」

 

 自ら描いた落書きをもう一度見遣る。新品の塗り絵のように情報量を欠いた友達の似顔絵は裕太の記憶力の限界であり、想像力の賜物である。それを恥じるつもりは微塵もない。六花もその視線を追って、観念したように微笑みを零す。

 

 「大分怪しいけど。別にそれで怒ったりしなくない? グリッドマン」

 「うん。必要なら、きっと呼んでくれるし。鳴らないのが一番だけど」

 

 左袖を捲り上げて、裕太はその下に眠るブレスレット、『プライマルアクセプター』に目を落とす。

 楕円に近い形状の縁は金に囲われ、銀色を主体とした外観は宝石のような発光部を中心として山なりに盛り上がり、赤と青のボタンを麓に構成されている。光を欠いた心臓部は傍目から見れば、電池式の玩具として目に映るだろう。

 このブレスレットの価値を理解する数少ない一人、六花は裕太の様子を見つめて暫く、物憂げな声を投げかけた。

 

 「裕太はさ。また、グリッドマンにならなきゃいけなくなった時……」

 「六花?」

 

 濁した言葉の先を振り切るように、六花が首を振る。

 

 「ううん。なんでもない」

 

 そう言って黒板に描かれたヒーロー──グリッドマンに注ぐ視線は、まるで届かない星でも見るような切実さを宿していた。

 

 黒板消しを無心に動かしている間、無言で背後に立っていた彼女の顔を裕太は知らない。

 黒板の隅に記された2月14日の筆跡だけ残して、二人は教室を後にした。

 

 

 ◇

 

 

 クラスの鍵を職員室に返した後、生徒達の足取りは一日を巻き戻すように下駄箱へ帰結する。季節を追い出すように閉め切られた校舎の出入り口はしんと静まり、学生の喧騒が抜け落ちた学校は伽藍の堂に様相を変えていた。

 ガラス越しの夕陽に彩られた下駄箱の合間をすり抜けるように、二人の雑談は過ぎていく。

 

 「まだ未練あんの? 演劇?」

 「ないわけないでしょ。あんなに面白かったのに。……なんで今?」

 

 訝しげな六花に訊き返すのも据わりが悪い。遡る事約半年前。学園祭を機に六花のクラスが開催した演劇に心奪われ、裕太がその続編を夢見てから暫くが経つ。

 劇の演目はそのものずばり、『グリッドマン ユニバース』という名の、裕太が先刻描いた実在するヒーローを題材としていた。

 

 多少の脚色に目を瞑れば、裕太達にとってはノンフィクション。大多数の観客にとってはその限りでないが、予期せぬハプニングも爆笑を誘い、劇は見事大賑わい。大団円で幕を閉じたと、裕太は今も信じている。

 

 たかが学園祭、されど学園祭。あの日魅せられた演劇は今も尚裕太を虜にしていたが、当の脚本を担当した六花の反応には隔絶とした温度差があった。

 

 「またグリッドマン描いてたらわかるでしょ……。好きなこと否定するつもりないけど、一緒に進級出来なかったら最悪だからね?」

 

 言わずもがな。学年末テストを控えたこの時期、勉学そっちのけで無我夢中にチョークを手に取る恋人への憂いが、六花の目つきにはじっとりと表れている。

 マフラーの下の唇が不満気に引き結ばれているのを悟り、裕太は立ち止まった。

 

 「それはわかってる! わかってるから! テスト期間は六花ん家行かないし、俺も本気だからっ。本気、なんだけど……」

 

 しどろもどろの裕太に冷ややかな眼差しを向けて六花が黙り込む。マフラーにしまわれた黒髪がふんわりと曲線を帯び、昇降口を染め上げる夕陽に照らされた彼女に、束の間裕太は息を呑む。

 

 「……何?」

 

 言葉の先を六花が促す。根負けしたように目を逸らして、マフラーに引き篭もる彼女の頬は見間違いでなければ、夕焼けよりも温かに彩られていた。その熱が伝染したかのように、裕太の返答もまた精彩を欠く。

 

 「暫く一緒にいれないんで、その、景気付けというか、なんというか……」

 

 ともすれば勇気を振り絞った告白よりも歯切れが悪い。脳裏にチラつく〝2月14日〟という取るに足らない数字の羅列が、どこまでも裕太の足を絡め取る。

 

 要領を得ない彼氏を見かねたように、六花が溜め息を吐いた。

 

 「……持って来てるよ。先、靴履いてて」

 

 そう言い残して彼女は、上履きの爪先を2-Fの下駄箱へ向けた。その場に取り残された裕太は、遅れて台詞の意味を理解すると背筋を伸ばした。

 

 去年までの自分にとっては何の変哲もない平日でしかなかったこの日、恋人達の間ではバレンタインデーとまことしやかに甘い通り名が付けられている。

 

 裕太が寄せていた期待は余す所なく下心であり、恥を掻き捨てた駆け引きは無事功を奏した。というより、六花がこうした催しを意識してくれているだけで、天にも昇る気持ちだったのだ。

 いざしかし、天寿を全うするにはまだ早い。裕太は取り急ぎ帰り支度を再開する。自身の所属する2-Bを目指し早歩き、目線の高さで待つ下駄箱を開けば使い慣らしたシューズの上に白い封筒が置かれていた。

 

 「へ……?」

 

 口から漏れ出た素っ頓狂なその声が自分のものであったかは定かでない。裕太は暫し目を瞬き、下駄箱の扉を閉めて開け直す。赤い靴の上で白く際立つ一通の手紙はあるがままにその存在を誇示していた。

 

 「ん〜……?」

 

 よくよく目を凝らすと、手紙と靴の間にも何か挟まれている。裕太の靴と同色の赤い包装紙にラッピングされていたそれは手に馴染み易いサイズの長方形であり、可愛らしいリボンまで結ばれている。裕太は迷いながら掬い上げるように箱を持ち運び、簡素な白と赤のラインナップを両手にまじまじ見つめた。

 

 返す返すも、今日はバレンタインデー。

 

 裕太にこれを渡してくれる誰かがいるならば、相手は一人しか思い浮かばない。チョコレート。なんと甘美な響きだろう? 天にも昇る気持ちで裕太は声を殺しガッツポーズした。

 

 「──それ、何?」

 

 正面玄関の扉が開いた訳でもないのに、背筋が凍った。

 背後から響いた知っている人の知らない声に、裕太は恐れ慄き振り返る。

 

 「え……。六花のじゃ、ないの?」

 

 縋り付く問いはむべなるかな、想い人のそれとは思い難い能面の放つ圧力に霧散する。眼力だけやたら強い六花の声のトーンはどこまでも一定であり、裕太にはそれが恐ろしい。

 

 「私、手紙とか書いてないし。……それ、どうするの?」

 「え、どうって……食べる?」

 

 裕太が反射的に口にしたのは、義務教育に飼い慣らされた、極めて常識的な解答だったが、六花の意には沿わなかった。

 

 「良かったじゃん。景気付け貰えて。じゃ、私行くね」

 

 何事もなかったかのような顔をして彼女はきびきびと足を動かす。昇降口のドアに手をかける彼女の、あまりに自然な選択に呆気に取られていた裕太は遅れて手を伸ばすも、ついぞ声は届かなかった。

 

 「待って! あ、六花ぁ……」

 

 開け放たれた扉から入り込む冷気。ガラス越しに遠退く背中。振り返る事を知らない彼女の後ろ姿に、とんでもない怒りを買ってしまった事を思い知る。

 

 「なんでこうなんのぉ……」

 

 虚しく響くやり切れなさ。思春期の光と影を濃くするように、夕刻は夜を引き連れつつある。

 

 

 「──何かあった?」

 

 

 たっぷりとした間を空けて、ありもしない木霊のようにその声は裕太の意表を突いた。

 

 隣を見遣れば、そこには裕太と同じくらいの背丈の、褐色肌の少年が立っていた。

 金髪の後ろ髪を一本に束ね、三つ編みにしたその風貌は私服登校が許されたツツジ台高校にあって尚異彩を放つ。真っ黒なコートの前襟を閉じ、車掌のように帽子を揃え、衣装の縁取りをなぞる赤いラインが黒衣を妖しく際立たせている。

 

 彼が存在したその瞬間から訪れた寒気は、なにも季節だけのせいではないだろう。直観的に覚えた危機感を、裕太は前にも知っている気がした。

 

 かつて宇宙全体が混沌に満ちた果てに、凶兆の具現として現れた宇宙人。骸骨の顔貌に青い鬼火を携えた彼の姿もまた、漆黒と赤血を同居させていた。

 

 アレクシス・ケリヴ。

 

 裕太が間近にした少年は、否応なく件の人外を連想させた。無感動な横顔に浮かぶ赤い瞳は、正面を見据えるばかりで裕太を捉えてはいない。両者の肩際に面する下駄箱が、今の裕太には壁のように分厚く感じられた。

 

 「……君、どこの人? ここの生徒じゃ、ないよね」

 「今は俺より、君のことでしょ」

 

 核心を突く問いは無下にいなされ、少年は目の端だけで裕太を見る。相変わらず考えは読めないが、道化染みたアレクシスとは似ても似つかない。裕太は若干の警戒を解いた。

 

 「見ての通り、好きな人に誤解されて、打ちひしがれてる所です……」

 「それでも好きなの? その人の事」

 

 少年はあくまで質疑応答の体で、感じられるのは純粋な興味。好奇心と言う程の熱はなく、明日の天気を尋ねるような気軽さは空を浮かぶ雲のようだ。そのせいか、何でも受け流してくれそうな彼に甘えるように、裕太は本音を吐き出し続けた。

 

 「当たり前でしょ。じゃなきゃこんな落ち込まないって……」

 「勝手に期待して、勝手に失望するのも、面倒に見えるけど」

 

 甘やかなバレンタインとは口が裂けても言い難い痴話喧嘩未満の一部始終を、見てきたかのように彼は語る。確認する勇気はないので、裕太は顔を逸らし開けっぱなしの下駄箱を見つめた。

 

 放置されたシューズを履き直して、今から六花に追い付いても、上手く弁解出来る気はしない。

 だからといって、時間が解決してくれるまで待つ気もない。意思は固く、裕太は少年に視線を返す。

 

 「一切縛られないのも、それはそれで不安になるけど。俺、まだ見つけられてないんだよね。六花の嫌なとこ」

 

 空元気に笑みを添えれば、少年は仔細を観察する赤い瞳を正面に滑らせて帽子のひさしを下ろす。

 

 「ごめん。やっぱりわからないや」

 

 素っ気なくそう答え、帽子の影と指抜きの白い手袋に彼の顔は隠れた。その投げやりさに肩透かしを食らうもの、ここからが裕太のターンである。

 

 「今度はそっちの番。転校生には見えないけど、そろそろ名前くらい教えてよ。ちなみに俺は、響」

 「知ってる。響裕太君でしょ」

 「えっ。なんで知ってんの⁉︎ 」

 

 またも昇降口に素っ頓狂が響き渡る。ペースを崩されてばかりだが、自身を指差しながら言外に『有名人?』と、望む答えを促す虚栄心もまだ裕太には残っていた。

 少年はそれに取り合わず、コートを翻し振り返り様に言い残す。

 

 「俺はシズム。また会うかもね。じゃ」

 

 すれ違いざま交わす視線。意味深な台詞に気を取られている間にも、彼は校舎の奥に進んでいく。真っ黒な後ろ姿を見送った後、裕太の肩に一気に疲れが押し寄せた。

 

 「何なのさ今日ぉ……」

 

 恋人に誤解され、変人に絡まれ、すっかり外は日が暮れている。人生とはかくも上手くいかないものか。一日のルーティンを乱しに乱された裕太は、待ち惚けのシューズに漸く手を着け、

 

 「ごめん」

 

 シズムと名乗った少年の声が、再び背中を撫で付けた。

 

 「うぉわっ⁉︎ びっっっくりしたぁ……。今度は何ぃ⁉︎」

 

 勢い余って下駄箱にへばり付く裕太を憐れに思うでもなく、シズムは淡々と舞い戻った訳を告げる。

 

 「上履き、貸してくれる?」

 「えぇ……??」

 

 仰る通り、校内は土足厳禁。

 怪しさを着て歩くシズムの線引きが、裕太には最後まで掴めなかった。

 

 

 ◇

 

 

 「──と、いうことがありまして。先輩の判断を仰ぎたいのですが」

 《万事休すっすね……》

 「蓬先輩! そこをなんとか!」

 

 散々な一日の夜、裕太は風呂上がりでも濯げない頭の中を整理する為、遠く離れた友人に泣き付く。

 二段ベッドの下でスピーカーをONにしたスマートフォンを寝かせて、正座で頭を下げる裕太の熱意は、『蓬』と表示された画面の向こうには知る由もなく。

 

 《俺に言われても。ねぇ?》

 《裕太さん。話は聞かせて貰いましたけど、裕太さんが思ってるより深刻ですよ。これ》

 

 当然のようにスピーカーに混ざる女子の声。裕太が助けを求めたのは友人である麻中蓬その人であり、彼に電話をすると途端にセットで付いてくるこの声の主を、南夢芽という。

 バレンタインデーの夜に同じ空間に居る事実が示す通り二人はカップルであり、瀬戸際に立っている現状の裕太には堪えるものがあった。

 

 夢芽の言う通り、事は一刻を争うのだろう。

 だが万が一、絡まった糸の結び目を更なる混迷に招く事だけは避けたい。協力を仰いだのは蓬だが、複雑怪奇な女心を探る為にも、夢芽の厳しさは有り難かった。

 

 「わかってるけど、全部俺が悪い訳じゃなくない? 誤解の種は、この手紙なんだから。責めたい訳じゃないけど……」

 

 今まで誰にも言えなかったが、裕太の感覚としては交通事故、はたまた不発弾のようなものである。件の手紙は自習机の上に横たわったままだが、自分宛に届けられたそれを一から十まで疎んじている訳では決してない。どんな答えを用意するにせよ、気持ちには気持ちで応えたいと、そう思う。宛名すら書かれていないので、これで人違いなら誰も幸せにならない。

 

 ただ今は、何もかもタイミングが悪かったのだと受け入れて、顔も知らない誰かに対する心情を測りかねている。六花と付き合う前、演劇鑑賞のチケットを差し出すまでの緊張を知っていたから、その真偽を確かめるまで無下にも出来ない。

 

 《その中途半端な優しさで、六花さんは今、泣いてるんですよ⁉︎》

 「うぐっ……」

 

 語調を荒げる夢芽の勢いに裕太はたじろぐ。六花の泣き顔を裕太は見た事がないので思い浮かべようもないが、だからこそ真に迫るものがあった。

 六花に最大限感情移入した夢芽からは電話越しでも殺気立った気配が溢れ出ていた。浮気断固許すまじと噛み付く彼女の矛先は常に研がれている。その隣で彼氏が飄々と宥めすかすのも、このカップルのお約束。

  

 《断定しない。俺らが気軽に聞くもんじゃないけど、やっぱそういう手紙?》

 

 核心に踏み込む蓬の問い。裕太はもう一度手紙の方を見遣り、その中にしたためられていた文章を思い出す。

 

 「まぁ。『明日の放課後、図書準備室で待ってます』って。それだけ」

 

 これだけ裕太の周囲を騒がせながら、意外にも内容は素っ気ないものだった。ただ丸みを帯びた文字は予感した通り女子のそれであり、時と場合が違えば一高校生らしく期待や不安に苛まれたであろう。今の裕太には後者しかない。不穏極まるその情報も、恋愛検知器南夢芽には火と油でしかなかった。

 

 《逢い引き! 逢い引きですよ! わかってますよね裕太さんここで何をするべきか⁉︎》

 「わかってるから声張らないでって! ……そりゃこう、男ならガツンと、きちんと、断りますよ。俺にはもう、心に決めた人がいます、って」

 

 離れて正座していたのに耳鳴りがする。

 きっぱりと夢芽に示した答えは、下駄箱で手紙を見つけた時から何も変わっていない。

 

 《はい! よくできましたぁ〜〜〜裕太さん。聞いた蓬? これが模範解答だよ》

 《そこ振る? 迷わないのは、裕太の良いとこだけど》

 《何、迷ったことあるの? ……そういえば蓬、今日義理何個貰った?》

 《……そこ数える?》

 《……誰に貰ったか教えてって、前から約束してたよね? 義理か判断するのは蓬じゃないから、って》

 「風向き変わったな……」

 

 前触れなく、裕太を置いてぼりに小さな紛争は始まった。火種はいつだってそこかしこに転がっている。裕太は他人事に思えず、固唾を飲んで地獄の怨嗟に耳を澄ます。

 

 《いやでも、金石だよ? チョコだってクラス中に配ってた奴だし》

 《……私帰るね》

 《ぇ……夢芽? 夢芽さん? 送ってき、ます、けど》

 《どうぞお構いなく! 約束守らない人に守られても、嬉しくないんで!!》

 

 荷物を纏めるような激しい物音と、男女の足音が響いた。夢芽の捨て台詞以降、スマートフォンの向こうは殺人事件でも起きたかのような重い静寂が立ち込めている。裕太は膝の上で拳を握り締め、ドラマもかくやな緊張感に生唾を飲み込んだ。

 

 「あのぉ、蓬……?」

 

 返事はない。寝たきりの携帯は屍のようだ。

 また暫くしてドサリと、誰か座り込むような音がして、溜息の後に盛大な愚痴が溢れ出す。

 

 《っんで、こうなんのぉ……っ》

 「わかる……っ‼︎」

 《わかっちゃダメでしょ……‼︎》

 

 スマートフォンが繋ぐ阿鼻叫喚のレゾナンス。男子二人は次元を越え、今ここに固い友情で結ばれていた。といっても、蓬が受けた流れ弾は裕太の相談が端を発したものだ。共感の下には無視出来ない自責の念も付いていた。

 

 「ごめん……。俺からドミノ倒しに」

 《ううん。裕太は悪くないから。俺、やっぱ夢芽追いかけるわ》

 「そうだね。気を付けた方がいいよ。俺も変な人と会ったばっかだし」

 

 お開きの流れでふと脳裏を過ぎる、放課後に遭遇した黒ずくめの少年は、果たして上履きを返してくれているだろうか?

 彼については本筋から逸れてしまうので伏せたままだったが、裕太の実体験から来る呟きを、蓬は聞き逃さなかった。

 

 《何それ。また裕太達のユニバースで、何か起こってるの?》

 「そんな大袈裟な。ただ、外国の人かな。たぶん俺達くらいの年齢の、シズムって人とちょっと話して、『また会うかもね』って」

 《──》

 

 夜も更け、幕切れの世間話程度に留めた裕太の非日常に、蓬は何故か、動揺したかのように言葉を失くしていた。

 

 「……蓬? 夢芽さんとこ、行かなくていいの?」

 

 夢芽が出て行ってから幾ばくか過ぎた。蓬を振り回す事もあるが、それは彼に対する好意の大きさの裏返しだと、短い付き合いながら裕太は知り及んでいる。

 

 今も遠く離れる事なく、彼女は彼を待っているかもしれない。自分を棚に上げてどこまで口を挟めばいいものか裕太が迷っている最中、蓬は重々しく沈黙のベールを破いた。

 

 《……裕太。その話、詳しく聞かせてくれる?》

 

 低くなったその声に、彼の真剣な表情が目に浮かび、裕太は認識を改めた。

 

 「蓬、何か知ってるの?」

 《俺が思ってる通りなら、たぶん。話せば長くなるんだけど》

 「……それってどれくらい?」

 

 友人の深刻な態度も気掛かりだが、裕太はこんな時だからこそ、もう一度机の上を一瞥する。

 横たわった手紙の隣に積み重ねられた、物言わぬ教科書達。自他共に成績を危ぶまれる裕太の実力を試す学年末テストは、その顎を開き今か今かと待ち構えている。一日一日が勝負の今この時、長引く通話は命取りに他ならない。

 しかし『その話今度にしない?』などとこの空気で言える筈もなく、蓬は端的に答えた。

 

 《ざっと5000年くらい》

 「長っ⁉︎」

 

 二段ベッドの低い天井に、裕太の悲鳴が響く。

 正座で畳んだ脚も、当の昔に音を上げていた。

 

 

 ◇

 

 

 2020年2月15日。バレンタインデー翌日の都立ツツジ台高等学校は半日授業の土曜日を迎え、休日を目前にした生徒達はどことなく活気付いている。

 

 一晩中不安は拭えなかったが、下駄箱に辿り着き上履きの無事を確認して裕太はほっと一息を吐いた。だが一日は始まったばかり。裕太は昨晩蓬と取り決めた通りに行動を開始する。

 

 「怪獣優生思想ぉ? え、何? 蓬君もウルトラシリーズハマったの? こっちは大歓迎だけど」

 

 ホームルーム前、ファーストミッションは親友である内海将とのコンタクトから始まった。

 

 彼の所属する2-Fの教室から出て、引き戸の脇に陣取るように裕太は隣り合う。共に壁に背中を預け、ツルが透けた眼鏡越しに垣間見える内海の瞳は少年のような輝きを帯びていた。

 並べば同年代ながら、随分と肩の高さが違う長身だが、趣味の事となると内海は子供の地肌を剥き出しにする。だが今日ばかりは楽しい歓談とはいかず、生徒達が行き交う廊下で堂々と秘密会議は行われた。

 

 「違くて。蓬達が向こうのユニバースで戦ってた敵と、どうも俺、会ったかもしれなくって。昨日校内うろついてたから、六花も内海も気を付けてって話」

 

 蓬の説明は5000年もかからず簡潔なものだった。ここだけの話、彼が住む宇宙と裕太が暮らす宇宙は異なる。宇宙が違えばそこには本来交わらない人生があり、異なる物語がある。それらが混ざり合い重なってしまった事案を裕太達は『グリッドマン ユニバース』と呼んでおり、しばしばユニバースと飛び交うのもその名残りだ。

 

 そして蓬が自分の世界を守る為退けた敵こそが、〝怪獣優生思想〟と自らを呼称する一派だった。その内の一人の名前と容姿が、昨夜擦り合わせた情報と一致したのだ。

 

 〝怪獣〟

 

 ユニバースという規格外を裕太達が受け入れるその前から、常識の楔を壊してきた存在。特撮の世界に君臨し蹂躙する暴虐の主は、紛う事なく実在する。裕太も内海も六花も、確かにこの目で見てきた。

 怪獣の思想で動く人間もまた、ルールの外に立っている。情報の共有は急務だった。

 

 「あぁ〜。台本のネタ出しで上がってた奴か」

 「それそれ」

 「……本当ならただ事じゃないけど。それ、直接本人に言ったら?」

 

 至極尤もな疑問を呈され、裕太は返事に詰まる。内海を介して彼と同じクラスの六花に伝言を兼ねているのが只今の裕太であり、本来はそんな面倒をかける必要もなくここに彼女も呼んで然るべきである。

 

 いざしかし、それが出来れば苦労はしない。内海を呼びかける前に教室を覗き、窓際の席に座る六花と視線が合った途端無味乾燥に逸らされた。絵に描いたような塩対応だった。シズムと並行してぶち当たる壁を前に、裕太はしょんぼりと肩を落とす。

 

 「今ちょっと、喧嘩中な感じなんで……」

 「バレンタインデー早々……」

 「うん、貰いそびれた……。内海は?」

 「俺は……」

 

 内海は言葉を探している。話している合間にも裕太達の前で幾人ものブレザーの黒が通り過ぎて行く。この中の何人かも、昨日は特別な一日を過ごしたのだろうか。

 

 突然、貰っててもなくても複雑な気分になる質問をしてしまった悔いに駆られ、『俺、教室戻るわ』と裕太が尻尾を巻こうとしたその時、とある女子生徒が視界を横切った。

 

 「よっ! 彼氏さーん、六花さんと早よより戻せよ〜?」

 

 猫口とヘアピンが特徴的な女子高生、通称『六花さん軍団』に所属する一人、なみこがこれまた軍団のメンバーであるマスク系配信少女、はっすの背中を押していた。はっすが籍を置くクラスは裕太と同じ2-Bである為、無理矢理突き返されている様子だった。

 

 仲睦まじい光景はさておき、裕太が聞き捨てならないのは今し方の台詞。構築と拡散において右に出る者がいない女子ネットワークの精度は、次なるはっすの言葉に裏打ちされた。

 

 「チョコうちらと選んだんだかんな〜」

 

 追い討ちをかけるとは正にこの事だろう。しめしめと裕太を見流す女子二人、もとい六花さん軍団が井戸端会議に花を咲かせた後なのは、火を見るより明らかだった。通り過ぎる彼女達を目で追えば、はっすが首を返し小さく手を振っている。裕太の隣で内海もまた、主張低く手の平を泳がせていた。

 

 二人のさりげないアイコンタクト、秘密めいたやり取りを裕太は見逃さなかった。

 

 女子の背中が段々と小さくなっていく。リノリウムの床を照らす朝陽が窓から差し込み、彼女らの行方を鮮やかに照らす。壁と同化した男衆は見送りを終えたのち顔を合わせ、思い出したように内海から口を開いた。

 

 「取り敢えず、ご馳走になりました」

 「こちらこそ、ご馳走様です……」

 

 何を? と、裕太は尋ねる野暮はしなかった。

 それでも上目遣いに妬み嫉みが滲み出ていたのか、内海は照れ臭そうに笑みを零す。

 普段は身長以上に大人びて見える内海の、頬に差した仄かな朱が、彼を年相応に包んでいた。

 

 

 ◇

 

 

 意識しなければいつの間にか終わっている筈の半日授業も、予定が先立てばゴールが遠く感じられる。早く終わらせたい気もしたし、その逆な気もした。

 

 時計の針は無慈悲に正確に否応なく進む。それを残酷と思う時もあるけれど、もしも時を巻き戻せたとしても、裕太はそれをしないだろう。失った物が取り戻せないように、選んだ道は引き返せない。この手紙を送った相手は、この刻限に何を思っているのだろうかと考えて、授業も手に付かなかった。

 

 たぶん今日、自分は人を傷付ける。

 

 半ば確信めいた予感を押し殺しながら、約束の放課後は訪れた。

 

 裕太が所定の場所に赴く頃には、校内のひと気はすっかり半減していた。耳を澄ませば校舎中に薄く響く合唱部の歌声。夏場にはグラウンドから響くバッティングの金属音も、窓を閉め切りがちな冬には恋しくなる。そんな事を思いながら、裕太は図書準備室の前に立った。

 

 図書室に併設されたその場所に、裕太が用事を抱えて足を運ぶのはこれで二度目だ。前回は裕太が発端で人を集めたが、誰かに呼ばれて来るのは初めての事となる。予測される事情が事情なので、ひとまず深呼吸で息を整える。

 

 (しっかり、断る。……きちんと……ガツンと)

 

 胸中で再三唱え、意を決し引き戸を開いた。

 一歩足を踏み入れば冷たい空気が肌を撫で、換気に開かれた窓がまず目に飛び込む。

 会議室然とした空間は教室のそれと比べれば四方も狭く、窓に面して設置された白の長机と壁際の本棚があればスペースは既に埋められていた。数人が歩き回れれば十分の、必要最低限の間取り。テーブルを越えた向こうに、待ち人は居た。

 

 微かに開いた窓の隙間に寄り添うように、一人の女子高生が立っている。

 

 学校指定のブレザーの下に明るい紫のパーカーを着込み、彼女は白のヘッドホンを耳にして独り沈み込むように目を瞑っていた。ガラス越しの快晴を背負い、昼下がりの陽光に照らされたピンク色の髪は高い位置で二つに結ばれ、派手目な印象を抱かせながらも佇む雰囲気はどこか静謐としている。

 

 一度見たら忘れるのは難しい。そんな見た目でありながら、同じ人間が繰り返し通うこの校内で裕太は特に見覚えがなかった。一時期に色んな事が起こり過ぎて長期記憶に自信がないのも確かだったが、やはり名も知らない彼女との接点にピンと来ない。

 

 来客が入り込んでも尚、少女の睫毛は伏せられたままだ。呼び出された側なのに躊躇してしまうのも妙な話だが、裕太は迷いを振り切る。

 

 「あの、」

 

 「──来てくれたんですね。響先輩」

 

 人の気配に気付く素振りも見せず、眠ったように立ち尽くしていた彼女の第一声は、独り言でなく裕太に向けられていた。ゆっくりと開かれた瞼の下から紫苑の瞳が覗く。先輩と裕太を呼ぶからには、下級生と見るのが自然でありながら、落ち着き払った物腰だった。

 

 彼女がヘッドホンを首まで下ろすと、バチバチに決まった耳のピアスが日の下に晒される。やはり人違いではなかろうか? 人種の違いに裕太が内心尻込んでいると、目が合った彼女は頭を傾けてはにかんだ。

 

 「……やっと会えた」

 

 テーブルの隔たりの向こうで、胸のつかえが降りたようにそう言って、再び部屋に吹き込んだそよ風が彼女の髪を一房揺らす。裕太の胸を通り過ぎた風は、彼女と同じ心緒を運んではくれなかった。

 

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