グリッドマン リバース -Lost Letter- 作:od-
「帰って来ないな夢芽ちゃん……」
絢のカウンター席で一人、六花は怪しい男を追いかけた友達の帰りを待ち続けている。心配の裏腹、夢芽が動いたからにはそれだけの理由があるのだろうと、半ば上の空の自分もいた。
待ちがてら琥珀色の液体が揺蕩うコーヒーカップを覗き込む。己の憂い顔を湖面に投影し、繰り返すのは手垢の付いた自問自答。
自分が今、一番帰りを待っているのは──
考えて、真っ先に思い浮かんだ思考を振り解く。心を入れ替え店番に勤める方がリフレッシュにもなるだろう。迷いを打ち消す行動はしかし、店の隅でひとりでに明かりを灯す中古のパソコンに挫かれた。
「うぉっ」
リサイクル品がひしめく店内でも一際異彩を放つそのパソコンは、メインモニターを中心にして寄せ集められたパーツの一群を所狭しと並べて、大仰な仏壇のような存在感で絢の角を陣取っていた。
所々剥き出しの配線が目を引き、パソコンに集約される混然とした部品のどれもが、中古はおろか時代に取り残された骨董品の数々。マニアなら舌舐めずりする事請け合いの寄せ集め感は正しく〝ジャンク〟と呼ばれるに相応しく、今や六花達の生活に当たり前にある電子の海の窓口は、そのモニターに特徴的な人物を映し出す。
兜や鎧を彷彿する金属質のボディと、ひさしの下でライトのような眩さを放つ黄色の双眸。昨日裕太が黒板に描いたヒーローも、実物の前では霞んでしまう。六花は思いがけない客人に驚くも、すぐに再会の喜びが勝った。
「グリッドマンじゃん。いつから来てたの? いたなら呼んでくれたら良かったのに。……ていうかグリッドマン、なんか青くない?」
話し掛けながら六花は遅れて気付く。燃えるような赤を基調色とするグリッドマンの身体が、何故か全身青い。この状態の彼と対面するのは随分と久し振りで、よく調子が悪い時に〝青ざめる〟という言い回しが用いられるように、その姿はグリッドマンのバッドコンディションを意味する。
実際、青いグリッドマンは六花に応答出来ていない。何かを言いかけて顎を持ち上げるが、モニターの前に立つ六花の眼下で諦めたように俯く。こうなると便宜上リサイクルショップ店主の娘とはいえ、門外漢の六花には何も出来なかった。
「邪魔をするぞ。宝多六花」
手をこまねいていたその時、店内に金属のぶつかる小気味良い音が響いた。
足を踏み入れた客人は迷わずジャンクに近付き六花に並んだ。音の出所であろう長身の刀を腰元に、この店では常連客のシンボルと化した黒のスーツを身に纏い、ファイヤーパターンのネクタイをした青年の顔を見上げる。左眼を隠す銀の前髪の隣で、毅然とした青色の瞳が六花を見下ろしていた。
切れ長の三白眼に面と向かっても、六花が怯える事はない。知己の間柄の彼を朗らかにもてなす。
「あっ。いらっしゃいませナイトさん。丁度いい所に。今グリッドマンが来てくれたんですけど、なんか青くなってて、初めて会った頃みたいに話し出来なくて。何か心当たりあります?」
都合良く彼──ナイトを巻き込む運びとなり、六花はナチュラルに助けを乞う。何も厄介ごとを押し付けている訳ではない。あくまでここだけの話だが、ナイトと似たスーツを着た人間はジャンクのメンテナスに精通していると相場が決まっているからだ。ナイトもまた青いグリッドマンに視線を送り、鉄面皮を微動だにせず頷いた。
「ああ。その為に俺は来た。一瞬だが、Gコールにも反応があったからな。お前にも届いていたのだろう。グリッドマン」
物言わぬモニターに問い掛けたのち、ナイトは一拍の間を置いて何事かを首肯する。
「……ふむ、そうか」
「……あの、すいません。こっちにもわかるように、通訳お願いします」
グリッドマンの顔もナイトに向かっているが、通じ合っている彼らの言葉が六花には1ミリも伝わらない。
ナイトや裕太が装備しているアクセプターを介してしか、青いグリッドマンとは意思疎通出来ないからだ。てっきり修理に進むと思われた事の成り行きが予想外に転び、蚊帳の外の六花をもう一度見遣って、ナイトとグリッドマンが同じタイミングで頷き合う。
グリッドマンが発信した声音を、ナイトが真顔で出力した。
「──説明は後だ」
◆
ミミカと学校を出た後、家が同じ方角らしいので帰路を共にし、最寄りのコンビニで小腹を埋めに立ち寄るも、「私はお腹空いてないので」と手ぶらの彼女に終始観察される羽目になった。
澄み渡る青空に反して吐く息が白く翳る2月の中旬。手頃なホットスナックで胃を暖めて再び歩き出す裕太の隣に、ぴったりとミミカは付き添ってくる。この流れが仮に同級生の目に留まろうものなら、自分に明日は来ないだろう。
危機感は正常でも、怪獣優生思想や先程のGコールの事もある。道が同じなら可能な限りボディガードに努める覚悟だった。
その結果として──裕太は今、とあるマンションの四階に立っている。
ベージュ系や白のタイルが壁一面に並び、等間隔に黒いドアが待ち構える通路を歩けば、〝響〟と記された表札まで辿り着く。平時であれば愛しい我が家だが、ロックを解除してドアノブに手を掛けた裕太は盛大に溜息を吐いた。
「何も今日取りにこなくても……」
「言い出しっぺの法則ですよ〜」
結局、何食わぬ顔で美咲山ミミカは最後まで付いて来た。
呆れは一周回って諦めとなり、ここまで強引な女子が奥ゆかしく手紙をしたためていた事実が最早信じられない。
両親が出払っているのを確認して、裕太は響家に客人を通す。定期的に六花が来る事もある自室に他の女子を上げる抵抗感と罪悪感は凄まじいものがあった。後ろめたさから逃げるように机の引き出しを引っくり返し、その合間にミミカは裕太の愛用する二段ベッドに腰を落ち着けていた。
「響先輩の匂いがする〜」
「俺寝てるの上の方ね」
「えっ」
横に倒れ込み枕を抱き込んで弄ぶミミカに訂正を入れると微妙に膨っ面になっていた。彼女が居着く前に裕太には最善を尽くす必要があった。
「確かここら辺に……あった」
学年末テストに向けて書類や教本の整理に追われていたせいか、件の台本は引き出しの奥に眠っていた。クリップに留められたコピー用紙の束をパラパラと捲ると、あの頃の記憶が鮮明に呼び起こされた。
紙の端々に目立つ汚れは一度捨てられかけた証であり、これを運んで階段から転がり落ちた苦々しい記憶もセットだ。誰の目にも留まる事のなかった物語がもう一度人の手に渡るなら、その架け橋になるのも悪くないと、裕太は思う。
台本を手にベッドの縁に腰掛ける。ミミカは身を起こし、ぺたんと座り込んで餌を待つ雛のように宝物を待っていた。
「はい。これが、グリッドマンユニバースの初稿です」
「わぁ。……ボロボロですね、意外と」
「捨てられそうな所を、偶々俺が引き取った感じだから」
「そういうとこですよ。響先輩」
会って一日も経たないのに聞き慣れた揶揄を受け流す。ミミカは裕太から視線を切ると始まりのページを開いた。
最終的にユニバースに辿り着くとはいえ、第一稿は登場人物の総数から作風まで違う。ヒーローや怪獣が出るというベースは一貫しているが、こちらの方が別れのしこりを残す着地になっている。読み出したばかりのミミカに予め伝える野暮はしないが、ユニバースから入ると面を食らうかもしれない。
シリーズの順番を逆から辿るのも、彼女だけの体験になるだろうか。裕太は密やかに見守る事にした。
「ごめん。今、飲み物でも入れてくるね」
本来なら最初に成すべきだったおもてなしの為、裕太が腰を浮かせると、ブレザーの裾を摘まれて止められた。
ゆっくり首を返すと、ミミカはぱっと指を離しくしゃりと笑って、裕太に台本を差し出した。
「これ、ここで読んで貰えませんか? 響先輩」
疑うことを知らない幼子のように、彼女は曇りのない眼差しでそう言った。あざとさとふてぶてしさをブレンドした下級生の言動に、裕太は即答出来ない。
学校という公共施設ならギリギリ目を瞑れた二人きりの空間も、プライベートだと話が変わる。文庫本程とはいかずともそれなりの厚みがある台本を読み切る頃には、とっくに日が暮れるかもしれない。チョコを貰い受けた手前無情に断ることも出来ず、裕太はベッドに座り直す。
「さわりだけね……。あと、こういうのはこれっきりだから。いい?」
「はい!」
打てば響く二つ返事。これまでの前科からその信憑性は限りなく低いが、この台本は裕太にとっても思い入れのある作品だ。手放す前に目を通すのも悪くない。あらすじとして書き綴られた文面を追い、裕太は読み聞かせを始める。
「記憶喪失の少年。パソコンの中のヒーロー。突如出現する──」
奇抜なフレーズを口ずさむ。生まれ出ずるは紙一重の夢と嘘。血の通った絵空事に、裕太は下手なりに息を吹き込んだ。基本的にファンの立場なので、下読み時代にも読み上げたあらすじから先のアフレコは初めての経験である。自分ならやり通せると無根拠に思い込んでいた裕太の認識は、程なく覆る事になった。
「……響先輩? 泣いてます?」
物語終盤。
くしゃくしゃになった顔をミミカに案じられながら、裕太は台本に涙が落ちないように、二段ベッドの天井を見上げて鼻を啜っていた。
「自分で、読み上げたからかな。やっぱ好きだったなぁ……。こっちの方も」
喜劇寄り(あくまで裕太の主観だが)なグリッドマンユニバースと比べると、第一稿は一人の登場人物を中心として謎が謎を呼び、ヒーローや怪獣が闊歩する外連味にブレを与えてしまう構成でもあった。台本担当の六花が力を入れ過ぎたポイントであり、手を抜けなかった勘所。それ故に判り辛さも招き、受けの悪さにも納得の行く所だったが、平たく言えばかけがえのない友情の話だと裕太は受け取っている。涙を拭い、背中からベッドに倒れて、両手で広げた台本を真上に見上げた。
「……はい。わたしもです」
隣で体育座りしていたミミカが、裕太を横目に呟く。彼女は裕太が涙ぐむまで殆ど横槍を入れる事なく、眠るように目を伏せて、一分一秒を噛み締めるようにただ聞き入っていた。
埋もれかけていた物語は拙くとも、確かに彼女の胸を打ったのだと、裕太は言葉通りに信じている。
時計の針はもう、日暮れ時に迫りつつあった。
◆
また読み直したいというたっての願いを受け、台本は当初の予定通りミミカの手に託された。リュックに仕舞って帰り支度を済ませたまでは良いものの、ファスナー全開で玄関に立つ後ろ姿には色々と危ういものがあったので、直してあげると照れ臭そうに彼女ははにかんだ。
「今日はありがとうございます。それとすみません。押し掛けちゃって」
「自覚あったのね……」
見送る段になってどっと疲れが押し寄せる。今日一日裕太を振り回した当人に悪気の気配は一切なく、達成感さえ浮かんで見えた。
「はい。何しろ時間がなかったので」
「時間? 何かあったっけ、一年生?」
話しながらミミカが先にドアを開くと、視界に飛び込むのは手すり壁に仕切られた黄昏。紅葉を散りばめたような空一面のうろこ雲が、移りゆく青のキャンバスに浮かんでいる。途中まで彼女を送ろうと裕太も靴を履き直す。
施錠の為扉に手を掛けると、ドアが妨げになっていたのか通路に立ち止まる誰かの姿が目の端に入った。通行止めになっていた詫びを入れようと、裕太は戸締まりを終え顔を向ける。
「すみま──」
「昨日振り。美咲山さんに、裕太君」
旧来の友人のように砕けた態度で、シズムがそこに立っていた。
「──怪獣優生思想!」
裕太は咄嗟にミミカを背中に庇い、目の前の少年を睨み付ける。間に立つ裕太に構わず、シズムの視線はミミカのみに注がれていた。
「急かす人、女の子に嫌われるよ」
「猶予はあげた。君にも俺達の世界に来て貰う」
初めて耳にするミミカの侮蔑。シズムはそれを意に介さず淡々と目的を告げる。
『昨日振り』とミミカにも呼びかけていた事から、昨晩学校に忍び込んだシズムは裕太だけでなく彼女にも会っていたのかもしれないが、それを考慮している暇はない。躙り寄る緊張感を追い立てるように、シズムの後方から見慣れない人物が歩いて来る。
「彼女を引き渡してくれるなら、そちらに危害は加えません」
シズムと同じように縁取りを赤く染めたロングコートを纏う長身の青年は、フェザーマッシュヘアの上に衣装と一組の制帽を被っている。眼鏡越しの目元は理知的な印象を周囲に与え、丁寧な物腰で脅しの体裁を取る剣呑さを除けば、模範的な好青年に感じられた。事前に蓬に聞かされた通りなら、会話が通じそうで得体の知れない彼こそが、『ジュウガ』だろう。
「まどろっこしい。両方攫えばいい話だろ」
間を置かず物騒な物言いが背後から通路を突き抜ける。首を返せば裕太達の退路を塞ぐように、開いたコートのポケットに両手を突っ込んだ、柄の悪い男が近付いてくる。
グレーのTシャツの胸板を張り上げるようにしてミミカの前に立ち止まり、ジュウガと遜色ない180cm程の背丈の頭頂から赤いハーフモヒカンを垂れ下げたその顔貌は、襟足以外の髪を刈り込んだ手の込みようも相俟って生けるアウトレイジを醸していた。
怪獣優生思想一喧嘩っ早いという談を鵜呑みにするなら、彼が『オニジャ』に相違なく。
「……どっちでもいい」
オニジャの背に隠れて気配を殺していたのか、一段と遅れた歩みで長身の女性が続く。見立て20代の若さにそぐわない、枯れた諦観を漂わせた彼女は制服らしき衣装を前開きにして、豊かなプロポーションを覗かせている。
黒づくめから浮いた色素の薄い髪と、ホットパンツとハイサイブーツに際立つ太腿。特徴的な容姿よりも覇気のなさが目立つ彼女は、帽子の陰に気怠げな目を伏せていた。
その性別から、怪獣優生思想の紅一点である『ムジナ』に間違いなかった。
前門の虎。
後門の狼。
Gコールよりも本能的な悪寒が裕太の肌を粟立たせる。待ち受けていた関門はいずれも鬼門。
なら、道は切り開くしかないのだと、身体に刻まれた正義が訴える。
「美咲山さん! こっち!」
止まる事を知らず裕太は、ミミカの手を取り駆け出した。
絶対的窮地を抜け出す策なんてない。
シズムに背を向けオニジャの脇を難なくすり抜けられたのは彼の姿勢が昔堅気の不良宜しくポケットに両手をインしてたからで、後にはムジナが控えている。せめてミミカだけは逃がしたい一心で裕太は真正面からぶつかる覚悟でいた。
果たしてムジナは、ロケット花火同然の突貫をさらりと避けた。あたかも、旗を翻す闘牛士のように。
視界が矢のように逃げていく。
振り返る暇も惜しんでミミカの手を握る。
湧き立つ血を勇気に変換して、地を蹴る少年の後ろ姿を見つめながら、少女は口元を綻ばせた。
「おまっ⁉︎ なっんで避けんだよ⁉︎」
「当たったらヤじゃん。暦君の時だって痛かったし」
見送り三振を決め込んだムジナに、オニジャの非難は柳に風と流された。身内にはお馴染みの風景を見守りつつ、ジュウガは冷静に事を進める。
「仕方ありません。追いかけましょうか」
目標を取り逃がした落胆は特にない。取り立てて懸念を挙げるならこのマンションが四階建てでエレベーターもない事であり、手をこまねいている間にも少年少女を見失いかねない。
だがシズムも含め、ここに集う誰もが事態を深刻には捉えていなかった。見つからないなら見つかるまで探す。至極単純明快な道理は一同にとって暗黙の了解だった。
これからも。
これまでも。
「──よぉ」
追跡を再開するその矢先、酷く懐かしい声を耳にした。
ジュウガの耳孔を通り抜けたその低音がもたらしたものは、草原を吹き抜ける一陣の風のような、包み込む安心感。やすりにかけられたようにザラついたその声色は、ジュウガの過ぎ去った悠久を昨日のように引き連れる。
怪獣優生思想の四人だけが表に出たマンションの廊下に、新参者の姿はない。ただ一つ、声の到来と共に起きた変化といえば、少年少女がいた筈のぽっかりと空いた空間に、一人分の影が落ちている事。ジュウガが目線を動かすまでもなく、手すり壁の上に闖入者は立っていた。
スーツに包まれた細長い脚を見せつけるようにして、サングラス越しに四人を見下ろす男の風貌に、ジュウガは郷愁を覚えずにはいられなかった。
「またその面拝めるとは思わなかったぜ。怪獣優生思想ォ……」
如何にも喧嘩腰の挨拶を告げて彼は、軒先に根を下ろす野良猫の如く脚を広げてその場にしゃがみ込んだ。今時滅多にお目にかかれない、絵に描いたような不良のスタイルで、木刀のように彼が右手に担いでるのは、黒く照り返すハンドアックスだ。携えた得物が知らしめる冷徹な戦意。ショッキングピンクの髪を夕陽に濡らし、頬に古傷を刻んだ男の横顔を見据え、ジュウガは絡まった縁と対峙する。
「〝ラストオーダー〟と、続けてお呼び下さい。死に時を失ったのは、貴方もですよね。ガウマさん」
「今はレックスだ。気安く呼ぶな」
殺気立った翠玉の瞳がサングラスの奥から垣間見える。既に交渉の余地はないのだと、去る一年前、あるいは五千年前から二人の間に答えは出ていた。ただ一つジュウガにとって受け入れ難いのは、かつて同じ制服に袖を通し、敬愛し呼び慣れたその名さえも、唱える許しを得られない事。
「……そうですか。もう、俺のガウマさんじゃないんですね」
歯痒さと諦観。迷いと惑いを隠すようにジュウガは制帽のツバに指を掛けた。
◆
「……どうする? ガウマさん先乗り込んじゃったけど」
「うちらも行くしかないでしょ」
とある四階建てマンションを前に、蓬と夢芽が立ち往生して暫く。共通の友人である内海の情報を頼りに響家を突き止めたまではいいものの、護衛役として先に張り込んでいたガウマ曰く、裕太は件の女子高生を白昼堂々自宅に招いたらしい。
限りなく黒に近いグレーの浮気現場を前に、一同は静観を選んだ。ガウマが持参したカニカマを片手に夕暮れの下、あらゆる友情が壊れない事を祈りながら蓬は集合住宅を仰ぐ。これを食べたら、思い切って裕太に電話しよう。最後の一口を飲み込んだ丁度その時、ガウマの顔付きが変わった。
ここで待ってろ──と言い残し、矢も盾もたまらず飛び出したガウマはマンションを伝うように伸びた電柱と壁を交互に蹴り上げ、見る間にフロアを駆け上がっていった。垂直の八艘跳びを目の当たりにしておきながら蓬の感動は薄い。何せ非常識な事が立て続けに起こるので、以前川辺で行き倒れていた根無草と今のガウマが同一人物であるという事実もまるっと受け入いれるしかないのだ。生き別れて心配はしていたが、ここまで元気になれとは言っていない。
「ほら、ぼさっとしてないで。事件は現場で起きてるんだよ」
ガウマを追いかけようと夢芽は俄然やる気に満ちている。真っ直ぐ歩けばすぐそこに、マンションの玄関である折り返しの階段が待っている。買い物をせがむ子供のように前に回り込んで繋がれた夢芽の手に、蓬の自由は奪われつつあった。
思う。
待機を命じたガウマの表情は切羽詰まっていた。痴情のもつれでは収まらない何かが起きているのかもしれないと、確証に足る手掛かりは少ない。夢芽のストッパーとして地蔵になり切る蓬の頭上で、図らずも命のやり取りは既に起きていた。
日常の破砕音は、いつだって前触れなく訪れる。
不毛な綱引きをする二人の背後、マンションに面した道路を今までもそうであったように一台の車が通り過ぎた。耳慣れた風切り音の後に生まれる空漠は突如として、予期せぬ落下音に引き裂かれた。
何か、鋭く重い金属がアスファルトに突き刺さったような、短い衝撃音が辺りに響き渡った。
「ガウマさん⁉︎」
振り返るよりも早く、蓬と正対していた夢芽の驚愕が状況を告げた。見れば白色のセンターラインに深々と刺さった戦斧と、得物を振り下ろしたと思しきガウマの後ろ姿。
四階建て分の自由落下が引き起こしたであろう爆心地を中心に道路は僅かに罅割れ、引き抜かれたハンドアックスの後に残された爪痕は小規模なクレーターと化している。刃先にこびり付いた破片を払うように彼は手にした鉄色を横薙ぎに振るう。
担ぎ直されたそれはまだ標的を滅してはいないのだと、臨戦態勢から察するに容易く、狩り損ねた獣を探すように周囲を見回す彼に蓬は呼び掛ける。
「ガウマさん⁉︎ 何があったんですか⁉︎」
「ッ⁉︎ 蓬! 夢芽! 今すぐここ離れろ!」
首を返し焦燥に駆られたガウマの声は警告の域になかった。視線を向けるのと同時に彼は駆け出し、急変する事態は余儀を与えず蓬と夢芽の手を強張らせた。次いで蓬の頭上を雲がかかったように一瞬の影が流れ過ぎ、静かな着地音が鳴った。
「来てたんだ。蓬君達も」
マンションまでの一本道を塞いで降り立った〝彼〟は、親し気に蓬達へ呼び掛けた。
蓬の知っている声だった。
「……シズム、君?」
ほんの一学期にも満たない限られた季節、同じ教室で時を過ごした少年が今、蓬の振り返った先に立っている。以前にも増して軍服じみた装いは上から下まで黒で統一され、衣装を縁取る赤いラインは黄昏の下で血のように浮いている。前を閉じたコート姿は、音に聞く櫻燕隊という名の鉄道員にも似ていた。
制帽の下の褐色の肌も、虚空に囚われた赤い瞳も忘れようもなく、再会に微笑む彼の胸中は蓬の与り知れる所ではない。
何故彼が笑っているのかがわからない。
何故彼がここにいるのかがわからない。
比喩でなく彼の心に一番近い箇所に触れておきながら、蓬はシズムという人間をここに至るまで測りかねていた。
彼が人の範疇であるかさえ、杳として知れないのだ。
ただ一つ蓬がわかっている事は、今ここで夢芽を守れるのは、自分だけだという事。
「夢芽‼︎」
彼女は蓬とシズムに挟まれた位置に立っている。つまりそれは、二人の生殺与奪が握られている事を意味していた。蓬は繋いだ手で一思いに夢芽を引き込んだ。真っ白な手袋に覆われたシズムの左手が手刀の形を取って動き出す。目の端に不安気な夢芽の横顔が入り込む。それら全てがスローモーションに映る刹那の感覚。ありとあらゆる風景が既視感をなぞり、少しでも夢芽の盾になろうと身を呈す蓬の肩を、大きな掌が力強く突き飛ばした。
瞬きの合間最後に見たのは、目の前に迫ったシズムの凶刃。
息を呑む間もなく視界は暴れ回り蓬は夢芽と一緒に尻餅を着いていた。直前まで総身を凍り付かせていた殺意と比べれば、アスファルトの感触も苦にはならない。地べたに手を預けて身を起こす夢芽の無事を確認して、自分の立っていた方向を今一度見定める。蓬の喉を、失意が這い上った。
「ガウマ、さん……」
シズムの凶刃を胸に受け、ガウマの手からハンドアックスが零れ落ちる様を見た。
全身の血の気が引いて、叫びたいのに声に出せなくて、また彼を失いかけた痛みが襲い来る。棒立ちに立ち尽くすガウマは茫然自失とする蓬を見遣って、サングラスから微かに漏れた緑の瞳を和らげた。
護るべき物を確認して、彼は己を鼓舞するように口の端を吊り上げる。幾度となく蘇った彼は、ひと撫でで倒れる枯れ木の虚弱さを残してはいなかった。
足裏に力を入れた立ち姿は大木のように、シズムの左手を取って徐々に押し返す彼の頬を脂汗が伝う。心臓に近い位置を深々と侵した四指は第一関節を通り越してガウマの身体を貫いていたが、抜かれたその手に一切の血は付着していない。それはそのままガウマの異質性を示唆していたが、蓬にとっては彼が彼のままである事が全てだった。
「相変わらず、こすい真似すんじゃねぇか……」
息も絶え絶えに言い捨てて、奮起したガウマの全身から力が抜けた。掴まれた手を振り払い、シズムが退くと同時にガウマは膝から崩れ落ち、地に両手を突いて頭を垂れた。
苦し気に呻く彼の胸元が光を発し、白く眩いシルエットを形成し四つに分かれて零れ落ちた。
地べたに転がったそれらは一つとして同じ形を持たず、燃え盛る赤いボディを共通点としていた。かつて蓬や夢芽の力になってくれた愛機であり、今やガウマの命を担保していた依代達。
千変万化の竜人機、ダイナソルジャー。
万里一空の戦闘機、ダイナウイング。
縦横無尽の高速車、ダイナストライカー。
顕如磐石の潜水艦、ダイナダイバー。
足元に散らばったそれらを風景の一部として、蹲るガウマをシズムは見下ろす。
「君ならまた、こうすると思った。ダイナゼノンと一体化してたみたいだね、その様子だと」
万夫不当の合体竜人を構成するバラメカがガウマを離れた意味について、蓬の頭が理解を拒む。大切な人を再び失いたくない一心で動き出す身体は、考える間もなく死地に割り込んでいた。
「いつまでこんな事続けんの⁉︎ シズム君ッ‼︎」
両腕を広げ盾になろうとも、シズムの双眸は蓬を一瞥するばかりで興味の欠片も示さない。蓬に続いてガウマの側に駆け寄った夢芽もまた、彼の容体を間近にして不安を堪えている。
「大丈夫ですかっ、ガウマさんッ。……一体何したの、シズム君……‼︎」
「怪獣の種を植え込んだ。無理しない方がいいよ。情動を食べて、成長が早まるだけだから。俺はそれでもいいけど」
さして変わらぬ口調でシズムが告げたのは余命申告。夢芽の肩を借りて身を起こすガウマの左胸を見遣れば、インナーが破けて露出した肌に、歪んだ真珠のような球体が埋め込まれ植物のような根を張っていた。腫瘍めいて見えるそれがガウマの命を蝕んでいる事は、苦悶の表情から想像に難くない。だが絶体絶命の窮地にも関わらず、彼の勇壮が陰ることはなかった。
「はっ……。そうなるくらいなら、舌噛み切った方がマシだ……」
「そっか。なら、今楽にしてあげる」
そして幾ら虚勢を張ろうとも、厳然たる現実は変わらない。シズムがゆっくりと詰め寄る。作業的な所作はあまりにも敵意からかけ離れ、数秒先の末路を予期させない。蓬は肩越しに恋人の顔を視界に収めた。諦めでなく、強がりでもなく、彼女に向けて微笑んでみせる。先刻ガウマがそうしてくれたように。
「蓬!!」
夢芽が声を張り上げる。ビー玉のように丸い瞳が夕陽を帯びて蓬を離さない。瞬きの合間にも終わりが来る気がした。だから蓬は、彼女の眦に心の雫が零れない事を、切に願い続けた。
やがて来るその幕切れまで、脳内を駆け巡る思考は昨夜、悲しませた彼女を追わなかった謝罪について。
──ああ
────また
──────タイミング、逃した
「──よぉ。
虐めてんじゃねぇよ。うちの新人を」
蓬の覚悟した〝その時〟は、やさぐれた少年の声に掻き消された。
前に向き直ればシズムに肩車する格好で、声の主は片手に携えたサバイバルナイフを股ぐらに位置する相手の喉元に横たえている。乗りかかる体躯は小学生程でありながら、垂れ下がる金髪のツインテールと、冴え渡った刃の目付きはならず者の様相を呈していた。
「元同僚にしては、度が過ぎてるんじゃないのか?」
シズムの左手に回り、右腕全体を鎧うガントレットを弓のように引き絞った大男は、拘束具めいた鉄製のマスクを喉元から覆った、正に歩く鉄塊だった。誇張でなく鉄球と化した拳には針山状にスパイクが群れ、その一振りで風穴を開けるだろう。如何なる隙も見逃すまいと逆立てた柳眉が、仲間を傷付けられた怒りを訴えている。
「それ以上手出しするなら」
巨漢に対をなす長身痩躯の優男が、弓銃型の武器を持ってシズムを挟み撃ちにしている。戦場にそぐわないリラックスした姿勢で、空いた左手をスーツのポケットに忍ばせながら、引き金に掛かる指は僅かのブレもなく涼やかな視線に戦局を見据えていた。最も崩し易い希薄さと抜け目なさが、彼の立ち位置には漂っていた。
「た、叩き斬る」
そして蓬に隣立ち、蓬の背丈と遜色ない長刀をシズムに突きつける無骨な壮年が、クマの濃い目元の上で鋭く眼を光らせている。長い襟足と伸び切った黒髪、粗野な無精髭は侍然とした印象を見る者に与えた。シズムに向けた切先と同様の武器をもう片方にも握り締め、腰に携えた鞘には更なる刃を眠らせている。
ガウマと同じスーツに身を引き締め、ここに立つ誰もが歴戦の勇士だと、蓬は既に知り得ていた。何せ、一時は同じ屋根の下で暮らした仲だ。
手癖も足癖も悪い少年が、ボラー。
分厚い胸板が、マックス。
ホスト風味の青年、ヴィット。
現代の武士こと、サムライ・キャリバー。
人呼んで〝新世紀中学生〟
ガウマと同じ職場に所属する、理非の調停者達。
「随分、お友達が増えたみたいだね」
「お前らと違ってな……」
四面楚歌に陥りながらシズムは眉一つ動かさない。ガウマの皮肉に心動かされた風もなく、攻守逆転した筈なのに、未だ掌の上で踊らされている心地がした。シズムという少年の底知れなさを、蓬は憶えていた。
「……なら、仕方ないか」
温度の低い声音でシズムがそう呟くと、ドーム状の光が彼を至点に〝爆ぜた〟。同時に発生した衝撃波が四人の拘束を跳ね除ける。咄嗟にキャリバーの腕に抱え込まれ、飛び退った蓬は気付くと遙か後方に追いやられていた。
蓬という重荷を抱えていない他の新世紀中学生は、いち早く復帰して打って出る。
独楽の如く宙空で身をねじ切りながら、スクラップメーカーダガーに全体重を乗せるボラー。
踏み締めた足場を粉々にして、矢のように放たれたマックスのドラゴントゥーススパイク。
彼我の距離を歯牙にも掛けず、間合いを射抜くヴィットのブリッツボウガン。
いずれもあやまたずシズムを狙った武力行使。ドーム状に発生したバリアの上で火花が散る。防御網の内側にいるシズムの左手が、緩慢に動き出す。
「ッ⁉︎ 離れろ、お前ら‼︎ そいつは‼︎」
その予備動作を知る蓬よりも早く、ガウマが声を張り上げた。彼に寄せる信頼故に、新世紀中学生全体が目配せして迅速に撤退を選んだ。
マックスがガウマを、ヴィットが夢芽を、ボラーがバラメカを回収して、キャリバーに俵のように担がれた蓬は共に高く高く跳躍した。人間のそれでは有り得ない浮遊感が蓬を包み、遙か地上に残されたシズムが己の掌で左眼を覆う瞬間を蓬は見た。
ここではないどこかに視座を置く彼が視界を塞ぎ、四指の境目を開いて、限られた地平を臨む。
「インスタンス────ドミネーション」
離れ行く蓬は、シズムの唇が唱えた言葉を一字一句余さず聴き届けた。仮に音にならなくとも、彼が発する呪文がわかっていた。
嫌になるくらいに。
まるで太陽が爆発したかのように、シズムを中心に赤い光が迸った。その熱源が伝う大地が割れ、多大なる質量に変換にされていく。悪夢のような光景は序章に過ぎず、戦場は次のステージに移行する。
◆
マンションを駆け降りた先でも既に争いは起きていた。裕太は階段の物陰に隠れながら脱出の機を窺うも、ガウマが毒牙にかけられるまでを見ている事しか出来なかった。ミミカが繋ぐ手を緩めなかったら、迷わず横槍を入れていただろう。それが自殺行為だと頭では分かっている。シズムの立ち位置は絶妙で、背中に目が付いているように裕太達を牽制していた。
新世紀中学生が駆け付けてくれて漸く、事態が好転したかに思えた。彼等に注意が逸れている間に生まれた幾許かの猶予。離脱するなら今しかないというタイミングで、〝それ〟は起きた。
シズムの身体から迸る光が、柱のように立ち上る。
流出するエネルギーは粉塵を巻き上げ、周囲一体にうねりを上げた。マンションの前に立ち並ぶ街路樹が梢を揺らし、ありとあらゆる電線が風に暴れる。その惨禍さえも過程に過ぎず、荒ぶれる暴君は禍々しい光の中から顕現する。
〝それ〟は身の丈にして70メートルを飛び越す、生ける災害。
空を塞ぎ山のように聳え立つ破壊の権化は、四肢と爪、天に突き立つ鶏冠と外敵を噛み砕く顎を備え、そのスケールにありながら生物の体裁を取っていた。
鎧に相当する外骨格は白く、病に蝕まれたかのように節々に黒い斑点を浮かべている。シズムそのものが変貌した証左であるように、三つ編みが頭部で揺れていた。甲羅のように背負ったアンテナ状の器官は、灰色の建造物にも見える。
景観を守っていた木々は怪物の出現と共に薙ぎ倒され、機能を失った道路の上に重々しい二足が踏み締められた。筋骨隆々とした下半身から伸びた尻尾はそれ一つで蠢く兵器でしかない。裕太達の立つマンションが無事だったのは、ひとえにシズムの手心でしかないのだろう。
〝それ〟は街の中心に現れるだけで周囲をオブジェクト同然に落とし込み、ただの尾の一振りで裕太の前に広がる住宅街を轟音と共に瓦礫に一変させた。その下にある営みなど何もなかったかのように地平が均されてく様を、人は無力に眺める事しか出来ない。
頭上を見上げ、裕太は獣の如き形相と、赤い眼光に囚えられた。
「怪、獣……ッ‼︎」
畏怖を込めて裕太はそう呼んだ。さっきから鳴り止まないGコールに教えられずとも、絶体絶命は明白。怪獣の足元を縫う活路はあまりに心許なく、起死回生のチャンスはその先にしかない。
「……まだ、走れる? 美咲山さん」
裕太一人でなら、当に走り出していた。だけども、ミミカの命を預かる場面で迂闊な真似は出来ない。どの道選択肢なんてないのだと恐怖に怯えるより、一秒でも今を生きる意思の問題。彼女は驚いた顔をした。この期に及んで、諦めていない裕太を隣に。繋ぐ手に力を篭めて、ミミカは微笑む。
「響先輩と一緒なら」
覚悟を秘めて頷き合い、二人して怪獣の足元に飛び出した。向かう宛もなく爪先を横断して、蟻のように這い回る人間を怪獣は易々と捕まえられない。破壊に特化しているが故に。
あの怪獣がシズムで、シズムがミミカの生捕りを目的としているなら、光明はそこにしかなかった。
歩道も道路も最早関係がない。白線の続く限りを真っ直ぐに駆け抜け、怪獣を前に乗り捨てられた車の間を通る。視界の右手は先刻の尻尾でドミノ倒しになった建物達。左手を手付かずの街並みが流れ、平和と紛争が真っ二つに別れた光景はさながら雨の境目だ。どれだけその惨状に胸を痛めようと、振り返る暇はない。
走った。
死に物狂いで、なりふり構わずに走った。
裕太達の百歩は、怪獣の一歩で無に帰す。
新たな地響きに足が縺れる。転びかけたミミカと手が離れる。立ち止まった裕太達の行手で、辛うじて原型を保っていた建物の頂上が、駄目押しに崩れた。
崩落する圧倒的質量。
鉄筋を剥き出しにして迫り来るビルの一部。
裕太達が立っているのは、正にその真下だった。
「伏せて! 美咲山さん!」
せめて覆い被さってでも、一人だけでも救おうと、裕太は瞬時に踵を返した。ミミカは恐怖に囚われたように動かない。降り注ぐ雨を待つようにただ、目に見える死を見上げていた。
ひたすらに伸ばした手が届きかけても、二人を呑む影は領域を広げていく。せめて突き飛ばしてでも助けられたら、なんて希望が霞む程に、降ろされた帷は濃い。
そんな暗がりの只中で、ミミカは現実から逃げるように目を瞑った。世界が終わる前に、自ら終わらせるように。そうして、
夜のベールを破くように、彼女が目を見開いた。
闇の中鮮やかに輝く、シズムと同じ赤血の眼。
それが、裕太が最後に見た景色だった。
◆
轟音と噴煙。
混乱と狂宴。
街中に伝播する崩壊の切口。その元凶を根絶する為、ナイトはツツジ台の空を舞う。屋上から屋上に飛び移り、開けた景色の彼方には沈む夕日をバックに進軍を始める怪獣の巨躯があった。
見紛う事なく、かつて争い、滅ぼした筈の難敵──咬文嚼字怪獣ガギュラの復活をナイトは認める。理屈がどうであれ、怪獣が歩み出すだけで崩落して行く景色を、看過する事は出来ない。
ビルの一部がまた崩れ落ち、けたたましい街の悲鳴が連鎖する。
避け得ない轟音はしかし、想定以上の爆発音となって木霊した。あたかも山が爆ぜたかのような衝撃がナイトの跳躍を阻む。
「あれは……ッ」
尋常でない爆煙が爆心地から溢れ出し、吹き荒ぶ白とも灰ともつかない霧が晴れた時、ナイトは目を疑った。
ガギュラの直線上、怪獣を待ち構えるように都市の一角に現れたのは、物言わぬ岩の塊だった。
地上に落ちた隕石のようにも思える存在感を放ち、頑なに沈黙する天の岩戸を、茜色の空が彩っている。
岩塊は殻を破くように動き出し、自らを支える二本足以外にも、触手めいた四本の腕を花のように芽吹かせた。
生物のように蠢きながら生命としてはデザインされていない、有り得ざる虚構の神秘としてそれは在る。
甲羅の奥に引き篭もる亀のように、球体の中心部の窪みから顔を覗かせて、新たなる脅威はガギュラと対峙する。
「新条、アカネ……⁉︎」
自らの口から飛び出た名を、ナイトは到底許容出来ない。
ツツジ台を創った神のなれ果ては確かに、再びこの地を踏んで産声を上げた。