グリッドマン リバース -Lost Letter-   作:od-

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ROLLBACK.2 追いかけてきたものって、なに?

 

 ツツジ台高校に入学して二ヶ月が過ぎた、とある朝の事。

 校舎中に生徒達が流動する登校時刻、学年の境なく最も人が行き交うピロティの壁際で、貝のように大人しくしているミミカの前を素通りしても、裕太が振り返る事はなかった。

 

 記憶喪失の再度確認。

 裕太にとってのミミカは、舞台袖の生徒Aに過ぎない。

 未練がましいと我ながら思う。早く振り切って考えなければいけない事が幾らでもある。数年掛かりの失恋を供養する前に桜は散って、夏の扉が開きかけた六月下旬、その日もミミカは割り切れず、日課のようにピロティの隅でじっとしていた。

 

 裕太に思い出して貰えたらなんて期待は既に薄れている。ただ一目だけでも。寝惚け眼だったり、友人と語らう横顔だったり、一日の始まりに彼の顔を見るのが好きだった。

 でもこの頃は、他にも楽しみにしていることがあった。

 

 ピロティを朝練の稽古場として、演劇部が足を運ぶようになり、街の小劇場で自主演劇を予定する彼らを観察する機会が増えた。発声練習や舞台の段取り、ミミカが立ち会っていたのは練習風景の一部にしか過ぎないし、部員の熱量に個人差もある。それでも暇潰しに見ている内に、不思議と惹かれるものがあった。

 

 用意された物語。

 割り振られた配役。

 舞台の上に立つ人間は誰しも自分を脱いで他人になる。あるいは、自己を他者で鎧う。その感覚をミミカは想像する事しか出来ないし、実践しようとも思わない。ただ、このままどこにも向かわない自分より、虚構は遥かに自由だった。

 主役なんて恐れ多い。

 ヒロインなんて柄じゃない。

 だけども、自分じゃなく他の誰かになれる道があるのなら、ミミカは首を縦に振るだろう。

 

 胸の内の水底で根を張り巡らせる不安の種。部活動の範囲とはいえ、努力して取り掛かっている演劇部員に対して失礼に思えて、邪な考えを振り払う。そうこうしていると、演劇部に近付く裕太の背中が目に入った。

 

 初めて見る展開だった。

 

 何やらチラシを手にじっと立ち止まり、ピロティの端に設置した机に待機していた部員に、裕太は意を決して声を掛けた。

 

 「あ……の。これって、チケットとかあります?」

 

 裕太がそう尋ねてから、とんとん拍子に手配は進む。そんな一部始終を見守っている内に、段々ミミカにも飲み込めて来た。彼が譲り受けた二枚のチケットが、何よりも雄弁に物語っていた。

 

 自分が視界に入らない事にはもう慣れていた筈なのに、彼の動向を考え出すと、ずきりと胸が疼く。この後裕太は、あのチケットを握り締め誰かを誘うのだろう。その〝誰か〟が誰であるかなんて、真昼の月のように答えはいつも浮かんでいる。

 裕太が目で追っている意中の女子高生、宝多六花。

 

 度々下級生の間でも噂になるくらい美人で、カットモデル経験もあるらしい。噂は往々にして『何故フリーなのかわからない』という極めて俗な所感に始まり、誰も攻め込まない牙城の地価はタワーマンション並みに釣り上がっている。所謂高嶺の花だ。

 

 そんな彼女を、裕太だけは周りにそれと分かるほど慕っていた。

 

 ミミカは遠目にしか六花を見た事はないけれど、あの艶やかな黒髪を見掛けたら、高校デビューに脳内ごとピンクに染め上げた己の安直さを呪う。人目を惹く容姿を鼻にかけない人柄故か、大勢とは言わずとも仲の良い友人に六花はいつも囲まれていた。その中には、裕太も含まれていた。

 

 ミミカが知るずっと前から、その交友関係は続いていたのだろう。記憶喪失というトラブルを挟んでも破綻しなかった繋がり。そこに自分が付け入る隙はないのだと、言い聞かせた。

 

 一緒に演劇を観た裕太は、どんな顔をするだろう? それを一番近くで見られる距離に、自分はいない。

 

 変えられるものと、変えられないもの。

 それらを判別する術を、ミミカは未だ持たない。

 

 

 ◆

 

 

 停滞する日々の鬱屈を宥めるように、時偶お守りの真珠を弄ぶことがある。その日もミミカは教室の窓際で机の下に隠れるようにして、バロックパールの煌めきに目を遊ばせていた。無為な時間だけれど、不思議と心は落ち着いた。

 手慰みに触れる指先が微かな振動を読み解かなければ、その集中が途切れる事はなかっただろう。

 

 「……動いた?」

 

 驚きはそのまま声に、歪んだ真珠は悟られまいと意思を持ったかのようにピタリと止んだ。命を宿した卵が一瞬だけ震えたかのような錯覚。以降の授業は、何も耳に入らなかった。

 

 長い昼休みに屋上へ羽を伸ばす生徒達に紛れて、ミミカはお天道様の下、まじまじと真珠を観察する。

 眩さを照り返すばかりで指先に摘むそれは黙秘権を行使している。夢見がちな期待は長く続かず、真珠の肌に映る自分の顔は落胆してる筈なのに能面のようだ。表情筋と感情が上手く接続していない。見ていて面白いものでもなかった。

 

 ちょっとだけ八つ当たりに、摘む指に力を込めた。顔に乗らない感情を持て余して溢れた、小粒の癇癪。太陽に被せるように真珠を掲げると、ほんの一瞬かたりと揺れた。

 

 かたり、かたりと、定間隔に震え出すそれに目を疑う。この時ばかりは、真珠に映る自分も目を見開いていた。動揺が手を伝って感応しているかのように振動は増していく。視覚は一点に注がれ気味の悪さを覚えているのに、手を放せなかった。

 

 かたり、かたりと。

 

 震えは手中だけでなく足裏にまで伝わり始めていた。それが何らかの要因による地響きだと気付くと、真珠の反応は丁度共振を示しているように思えた。

 嫌な胸騒ぎを掻き立てるように屋上に人が集まり始める。

 ミミカは後ろ手に真珠をひとまず隠し、喧騒の中振動の正体を探る。手すりに所狭しと生徒が並び、出遅れた人達がバラバラにスペースを埋めていく中、ギャラリーには裕太や彼の友人達の姿もあった。

 

 ミミカが先に感じていた地響きが地震の域に達したのは、屋上がざわめきに満ちて程なくの事だった。

 

 「見えた!」

 「うそ……あっ、あっー‼︎」

 

 好奇の眼差しを向ける生徒達の対岸、ビル群の合間を並木道の如く闊歩する巨影があった。その光景が目に映っている筈なのに、どこか余所余所しく、いっそ馬鹿馬鹿しい印象をもたらすのは、人間社会では有り得ない威容に起因する。

 

 ──怪獣

 そうとしか形容出来ない存在が、ただの行進で地図を塗り潰していく。

 

 テレビの画面越しに刷り込まれた絵空事は実像を持ち、今確かに大地を揺らしていた。その一歩が地を踏み締める度、ポップコーンのように足元の車が跳ねて飛び回り、木々も電柱も自立を保ってはいられない。放物線を描いて舞い上がったらそれらは校庭のグラウンドに飛来し、蚊帳の外の観衆気取りを一気に阿鼻叫喚に陥れた。校舎の窓という窓があっけなく割れ、日常と非日常の境界は消え失せ、拡散された礫を頭上に身を丸くした生徒達が目にするのは、一分前とはまるで異なる惨状。安全圏にミミカが立っていたのは、手すり側に寄らなかっただけの偶然に過ぎない。街中に噴き上げる黒煙の中刻一刻と景色を変えていく巨影を、見ている事しか出来なかった。

 

 握り締める真珠は怪獣の足音と共に激しく振動している。警鐘のように危機を報せてくれているのに、足は言うことを聞いてくれなかった。この屋上に居る誰もが、ミミカと大差のない、力の及ばない子供でしかなかった。

 

 ただ一人を除いては。

 

 「響君っ⁉︎」

 

 この崩壊と混沌の中、響裕太だけが、迷わずに走り出していた。

 

 「裕太っ! ……あいつ、まさかジャンクにっ‼︎」

 

 六花に次いで眼鏡を掛けた青年が裕太を追いかける。彼等にも恐怖はあったのかもしれない。だがそれ以上に感じられたのは、身に染み付いた使命感。

 ただの無力感に屈するより先に、可不可を問わず彼等には為すべき事が見えているように思えた。この状況で怯え竦む以外に見出せる選択肢なんて、ミミカにはない。

 

 彼等がいなくなった後も街は蹂躙されていく。避難指示が出て、誰もが行く当てもなく体育館を目指した。その中でミミカだけは、どうしても気掛かりで一人屋上に残った。

 

 震える真珠を胸に掻き抱く。

 赤の他人でしかなくても、裕太の無事を願い続ける。祈る神も知らずに。

 

 裕太を動かした〝希望〟は、銀の巨人の形を取って天から舞い降りた。

 

 街を壊すのが怪獣なら、対を成すのは〝ヒーロー〟だと、物語の相場は決まっている。

 

 でも御伽話ではないミミカ達の現実に、巨人は怪獣を退けにやって来た。傷付き倒れ地を舐めようと、諦める事を知らなかった。

 

 その勇姿が初めて好きになった男の子と重なったなんて言ったら、鼻で笑われるだろうか? だったらいっそ、自分は正気でなくていいと、そう思う。

 

 巨人を助けに、機械仕掛けの赤い竜も参戦した。力を合わせた二体が怪獣を打ち倒す頃には、真珠の震えも止まっていた。

 

 戦い終えた巨人は翼を広げた竜と共に、傷付いた街を見下ろして、その胸から恵みの雨を降り注がせた。光の粒子が街中を舞って、激しい戦闘の爪痕は嘘のように修復された。

 

 彼等が青空からいなくなっても、一生忘れられない高揚がミミカの内に残された。きっと今日という日に立ち会った誰もが、希望の光を刻まれただろうと、信じて疑わなかった。

 

 2019年。6月23日。

 

 興奮に眠れない夜が明けると、怪獣と巨人を憶えていたのは、クラスの中でミミカだけだった。

 

 

 ◆

 

 

 世界からはみ出た気分だった。

 当たり前の平和が誰かに守られた物である事を、自分だけが識っている。同じ時間、同じ空間、肉眼やSNS問わず大勢が目の当たりにした筈なのに、誰もその事を憶えていない。まるであのヒーローが街の傷ごと、嫌な事を持ち帰ったかのように、怪獣に纏わる出来事は忘れ去られていた。

 

 生徒達の興味関心は学園祭の準備に移り変わっている。この間まで球技大会に取り掛かっていたのに、世間のスピードから自分だけが取り残されていた。仲睦まじく級友同士で作業する彼や彼女の間に割り入って、歴史を揺るがす大事件について聞き回る気概はミミカにない。正常に循環する日々の異常はただでさえ教室から浮いたミミカの立ち位置を、輪の外へ押し出していた。

 

 そして、傍観者に努めているからこそ見えるものもある。これはしばしば裕太に目を配っていた事の延長だが、怪獣が現れた翌日から彼の左手首に玩具のようなブレスレットが装着されている事。もう一つは、ツツジ台高校敷地内に来客用のスリッパを調達して上がり込んだ黒服一派の目撃情報が流れていることだ。中には渡り廊下にぶら下がる不審人物もいたらしい。外見の特徴から、一年前ミミカがカラオケ店で見掛けた面々と、同一人物と見て間違い無いだろう。

 

 世界に異変が起き始めてから、裕太を取り巻く人物が一斉に増えた。今日もまた授業の合間を縫って、校舎の外で六花やもう一人の友人と会議らしき事をしている。彼等だけは、あの一件に通じているとミミカは睨んでいる。

 

 徐々に蝉の合唱を引き連れ汗ばむ季節。校舎の片隅で日陰に隠れながらブルーシートを広げ、手慣れた手付きで看板作りに励む上級生達を眺めるミミカは、その対角に裕太達を捉え続けた。

 監視、と呼ぶにも生温い。

 違和感を打ち消したいが為の作業は甚だに不毛で、早くも諦めの二文字が頭に浮かんでいる。手掛かりを掴もうにも、距離的に作業中の上級生の会話しか聴こえなかった。

 

 寝かせた木材の寸法を測る男子が二人。手持ち無沙汰の男子が一人。取り掛かる前からこの状況を見越していたのか、暇そうな男子は雑誌を持参していた。

 

 「何読んでんの?」

 「昭和のグラビア」

 「ギリ平成っしょ。美咲山麗子って、知ってる?」

 

 表紙を見た男子から会話が広がる。「さぁ」とまた一人が生返事。そんな作業の傍らの暇潰し。

 

 その中身のない言葉の群れに、ミミカの母の名前が入っていた事なんて、彼等は知らないだろう。今の今まで目の端だけでも裕太達に寄せていたのに、血の気が冷えて雑誌に目が釘付けになった。

 自分と似て内気な母と、グラビアが上手く結び付かない。

 今すぐその雑誌を読みたいのに、読みたくない。こんな時、インターネットなる電子の海は気安く便利に手が伸びる。

 

 深淵を覗いたその日の夜、ミミカは枕に顔を埋めて足を躍らせた。

 

 肉親の若気の至りを垣間見て、我が事のように身体中熱くなり、暫く母の顔を見れなかった。身内としてでなく、一人の女性として受け入れるまで時間を要した。

 我が母ながら、なんて思い切った人だろう。

 髪をピンクに染めた自分を鑑みると、血は争えない。

 

 違う自分になりたい時期が、母にもあったのだろうか。

 遠い昔、母がくれた便箋と共に添えられた言葉を、ミミカは思い出す。

 

 『ファンレターって、とっても力になるのよ』

 

 踏み出した世界の反響を、見えない棚に仕舞ったあの人を、ミミカは羨ましく思う。届けられた便りが、記憶の欠片としてその人を温め続ける。それは素敵な事だろう。

 行く宛のない手紙は紙飛行機みたいに、ひとりでに飛び去ってくれたらいいのに。

 血は水より濃く、近くて遠い。

 

 

 ◆

 

 

 揺籠の平穏に浸されて、世界は正常な日常に戻りつつある。それを嵐の前の静けさとして張り詰めていられる程、ミミカは戦いに身を置いてはいない。次第に探偵気分も興を削がれ、ミミカの関心は当面の期末テストに移っていった。

 

 学生の本分に想いを馳せると憂鬱になる。球技大会を始めとして、無闇矢鱈とイベントも多い中、緩い校風に差し込まれるテストの切れ味は鋭い。その日が迫るにつれ、巨人も怪獣も記憶の隅に追いやられた。

 

 そんなつまらない悩みに没頭していられるくらい日々は平穏で、とはいえ面倒事は面倒。さして親しい友人のいないミミカでも、教室のそこかしこに「ダルいよね〜」と似たり寄ったりの愚痴を聴いたものである。

 

 そうした不平を唱えていたクラスメイトの一人が、ある日突然、奇妙な言動を取り始めた。

 

 「テストつっかれた〜……」

 「ねー」

 

 ミミカは当初、それを冗談の類として聞き流していた。根を詰め過ぎた現実逃避にしても、あまり面白くはない。ところが耳を澄ましてみると、教室中が期末テストを乗り越えた感想で溢れていた。右に倣えとばかりに。一大行事が終わったその一点については、異を唱える者はいなかった。

 ミミカにはない実感を持ち越している彼等が不気味で仕方なかった。そう考えてしまう自分の方が異物だと突き付けられる前に、否定する材料を探し出す。いのいちに目を付けた暦は、今日を7月32日と示していた。

 

 

 世界が混沌に飲み込まれたその夜、暗雲をつんざく雷鳴のように、怪獣の咆哮が街中に木霊した。

 

 

 嘘みたいな平穏はやはり張りぼてでしかなく、戦地となったツツジ台に再びあの巨人は現れた。獅子の如き怪獣の猛威を迎え撃たんと、もう一人の巨人を引き連れて。

 

 事のあらましを、ミミカは全てにおいて把握している訳ではない。

 スキップされたゲームみたいに時計の針は進められ、家族すらそれを疑問に思わない現実が怖かった。家の中も気が休まらず、どこにも居場所がない気がして、ミミカは外を彷徨っていた。丁度、戦闘の起きた時間帯に。

 

 どれだけ走ったかも覚えていない。

 

 あらゆる破片が飛び交う戦場から、ほんの一歩でも離れようと足を繰り出す。

 息が切れる度に立ち止まり、振り返れば遥か後方で巨人と怪獣が大立ち回りを演じている。建造物の合間で押し合いへし合い渡り合い、どちらかの巨躯が宙を舞い地上を打ち付ける度、都市機能は麻痺し、壊れ行く世界を三つの満月が見下ろしていた。何もかも、この世のものとは思えなかった。

 

 劣勢に追い込まれた二人の巨人の戦いを、最後まで直視する勇気は持てなかった。だから、走った。遠く遠くまで。街の悲鳴が聴こえなくなる所まで。

 戦闘は、ミミカの体感より長くは続かなかった。とびっきり大きな爆発音がして、夜空に咲いた火花と共に一旦の終止符は打たれた。自分の現在位置も覚束ないミミカは、早めの店仕舞いに眠る小売店のシャッターに背中を預けて、緊張の糸を解いた。

 雨が降り出していた。

 

 「また、響先輩が、守ってくれたのかな……」

 

 申し訳程度の屋根の下に隠れ、雨音に声を紛れさせる。シャッターの硬い感触が背を伝い、疲労に身体がずり落ちていく。棒切れになった足を抱えて、ふと裕太の事を考えた。

 逃げた自分とは真反対に彼なら走る。あの屋上であった事が今日も繰り返されたのだとして、巨人の再来と裕太は、決して無関係ではない気がした。

 

 雨粒は一定のリズムを崩さない。歩みを阻む勢いはないにせよ、ここがどこかも分からない。携帯に頼ろうと身体中弄ったら、我を忘れて走る中、どこかに落としてしまったらしい。万事休す。猫の手でも借りたい気分。

 

 こんな雨空の下、孤独に疲れ果てている筈なのに、不思議と不安は晴れていた。ヒーローも怪獣もそれ単体では得体が知れないのに、片思いの相手をひとつまみ添えるだけで身近に感じる。人知れず世界を守ってくれたその人が、好きな人かもしれなくて、自分は真実の一端に触れる数少ない一人。そう思うと舞い上がった。

 

 だけども、いつまでも夢心地ではいられない。現実としてパーカーの至る所をひっくり返しても携帯は落ちて来ない。代わりにミミカの手に入った物は、またしてもあの真珠だった。怪獣が現れたあの日以来、縁起が悪いので自室に仕舞った筈の物が、ポケットの底に眠っていた。

 

 「……まだ、持ってたんだ」

 

 ホラー映画みたいな事が立て続けに起きてるのに、突っ込み所が多過ぎていっそおかしい。動き慣れていない表情筋もこの時ばかりはふっと力が抜けた。大袈裟でなく、独りぼっちの気が紛れたのだ。釈迦の掌の如く乗せた真珠が、また震え出すまでは。

 

 背後のシャッターが微かな震動を奏で始めた。

 大地が再び軋みを上げた。

 一息に現実に引き戻される。

 軒先に落ちる雨粒の音頭が、ぶつ切りに止んだ。

 錯覚でなく辺り一帯が暗くなり、手中の真珠を見つめていたミミカは上手く顔を上げられない。知らずにいられるなら、知らないまま終わりたかった。処刑台を目前にした囚人も、こんな心地だろうか。

 顔を上げる。その緊張に耐え切れなくて。何の覚悟もなく、火に触れた手を引くように、ただ本能的に。

 

 怪獣の口腔が、すぐ頭上に迫っていた。

 

 「ひっ────────」

 

 悲鳴は恐怖に押し潰された。

 怪獣の口内は底無しの闇を湛え、血を知らぬ歯牙の白を際立たせている。怪獣の頭部を覆う傘状の光体から発された桜色。獲物を捉えて赤く輝く両の眼。ミミカの視界にあるのはそれだけだった。曇天を遮り、現象のようにただそこに在り、道端のミミカを見つけて怪獣は本能の赴くまま破壊を繰り返す。懇々と湧き出る衝動を防ぐ術はない。ミミカは重々しく降りてくる怪獣の牙から目を瞑り、真珠を両手で強く握り締めた。

 

 定められた終末に全身が竦み上がる。防衛本能にその先の思考が阻まれる。都合の良い走馬灯なんてない。路傍の石はただ頑なに、息を止める事しか出来なかった。

 

 1秒。噛み締めた歯が鳴っている。

 2秒。真珠を内にして組む指が痛い。

 3秒。一向に訪れない死を前に、瞼を開く。

 

 すぐ頭上を仰ぐ事はしなかった。うっすらと瞬きを繰り返し、ミミカは辺りが光に包まれている事を識る。闇を拒む清浄な白が、球状となり怪獣の牙に抗っていた。

 怪獣はそれ以上食い付くことも叶わぬまま、諦めたように鎌首をもたげた。立ち所に興味を失くし進路を変え、民家を踏み潰し去っていくその背中は甲羅に覆われ、四足歩行の甲殻類を思わせた。不思議と、裕太が装着しているブレスレットの形状にも似ていた。

 

 悪夢は去ったのに腰が抜けて、身体は言う事を聞いてくれない。遅れて目尻に滲んだ涙を飲み込んで、指が鬱血するくらい中に閉じ込めていた真珠に呼吸を与える。

 

 「あなたが、守ってくれたの……?」

 

 呼び掛けると、鼓動のように真珠は白く発光した。ミミカを包む光と同じ色。温かい繭の中に自分は居た。孤独に寄り添う安らぎに、飲み込んだ嗚咽がぶり返す。

 

 「……ありがとね」

 

 握り締める手を鼻に擦り付けた。祈る仕草で殻に引き篭もるミミカの耳には、雨音も地響きも届かない。先程の怪獣の同族が大群となって押し寄せても、外界から隔絶されたこの空間だけは安全地帯で在り続けた。世界に遍く混沌が終息するその時まで。

 

 長い長い夜が過ぎ、重く垂れ込む天蓋の雲が打ち払われ、日の出と共に澄み渡る薄明を覗かせた。雨滴の染み込んだ都市に降り注ぐ桜色の光が、やがて惨憺たる街並みを癒していく。ミミカが目を背けた破壊の跡を綺麗さっぱり嘘にして、街の肌を伝う雫が差し込む朝陽に反射した。

 

 可逆的な修復であれば、雨粒の一滴も残らなかっただろう。あえてそうしなかったのか。出来なかったのか。人智を越えた神の采配の意味は、ミミカの知る所ではない。

 初めて怪獣を目の当たりにした日と同じく、戦いの終わりには銀の巨人が空に浮かび上がり、浄化の光を放っていた。

 

 黄金の翼を背負い、十字に架けられたように両腕を広げるその様は、天から舞い降りる御使いの如く。彼を中心に落ちていく粒子は雪のように、街の隅々に光の(きざはし)を作っていた。

 

 「綺麗……」

 

 さっきまで戦場に居た事も忘れて、その光景に見入る。

 現代に神話を創出する黎明の体現者は己が使命を全うし、空が茜色に差し掛かる前に姿を消した。成すべきことは成したとばかりに。誰の感謝も求めず、その是非も問わず。明日になれば、また誰もが彼の事を忘れるのだろう。思い出せない記憶は、眠っているのと同じだろうか。宇宙全体がそのようにあっても、自分だけは今日という日を、一生忘れないと思う。

 7月32日。ミミカはたぶん、物語の端にいた。覚めやらない胸の鼓動は、初めての恋にも似ていた。

 

 

 ◆

 

 

 やった覚えのない期末テストを通り過ぎ、いつの間にか夏休み。時計の針は戻らずただ前に回るのみ。異常と日常の寒暖差は季節の変わり目のようで、つまりは順応出来てしまう。

 暦を捲る都度近付く祭りの匂い。都立ツツジ台高校は今度こそ怪獣やヒーローに翻弄されることなく、無事台高祭当日を迎えた。

 ミミカが最初に足を運んだのは、2-Fのクラス演劇。

 裕太がクラスの垣根を越え協力していたその演目の名は、『グリッドマンユニバース』。

 

 教室の前に立てられた客寄せの看板には、ミミカが見た巨人をモチーフとしたデザインが施されていた。やはり勘違いでなく、裕太と彼の友達はあの騒動の中心に居たのだ。彼等があの出来事を記録に残そうとした真意は、一体なんだろう。

 

 学園祭という二日間の為だけに準備された作り物を、現実にあったものとして信じてくれる人なんてきっといない。事実を訴えるでもなく、ただ演劇の下敷きにしただけなら益々奇妙だ。ミミカはその真相を確かめるべく、学園祭初日初回に2-Fへと踏み込んだ。一人だけ気合いが入り過ぎていて、スタッフの方が逆に驚いていた。

 

 教室の照明を落とし、舞台のみにスポットライトが注がれる中観賞した演劇は、案の定巨人も怪獣もロボットもてんやわんやの宇宙を股にかけた大騒ぎ。それどころか異世界とも混ざり合って、登場人物の目白押し。特撮も友情も酸いも甘いも清濁併せ飲んで、初回は何を見せられているのかわからなかった。

 でも、動き慣れていない表情筋が、時々緩んだ事は覚えている。

 ミミカにとってトラウマに近い出来事が、いつの間にか喜劇にすり替わっていた。そのように脚色されたのか、ただ単に手が足りなかったのか。その青臭さに、救われた。

 

 裕太はこの劇を観たら、何を思うのだろう?

 この観客席でミミカだけが、本当の主人公を知っている。

 クラス行事の合間を縫って、可能な限り観劇に時間を割いた。裕太は初日には現れず、それまでにミミカはグリッドマンユニバースの台詞を大半そらで言えるようになってしまった。

 陰の立役者が遅れてやって来たのは、二日目の学園祭最終日。

 

 演劇そっちのけで裕太のリアクションを観察した。

 

 同じ列に座り、観客を一人挟んだ向こう側で、裕太は今、頻りに笑い声を上げている。

 きっかけは演劇中のアクシデントだ。大詰めも大詰め、クライマックスに諸悪の根源が倒される大事な場面で、当の怪獣役が勢い余って舞台から転げ落ちてしまった。

 観客はおろか演者諸共目を丸くし、ストーリーの軌道修正に台詞回しも怪しくなっている。ヒーロー役を務める眼鏡男子、裕太とよく一緒に居る彼の名前は、パンフレットによると内海というらしいが、彼の熱演でなんとか持ち直そうとしていた。そんな一部始終がまるでコントのようで、裕太はそのいちいちに笑いのツボを突かれている。

 

 こんな風に笑うんだ、と思った。

 

 心のどこかで、他の誰よりも彼だけを、本物のヒーローのように見ていた。いつも腕にしているブレスレットがその証だと、ミミカは今でも信じてやまない。

 でも目に映る裕太は戦いとは無縁の、どこにでもいる普通の高校生で。その笑顔が偶然によって引き出されたものだとしても、初めて、偏ったフィルター越しでなく、血の通った響裕太を見た気がした。揺れる木漏れ日のようにさざめく誰かの笑い声。この物語を手掛けた少女の名も、パンフレットには記されていた。

 

 きっとその人は、裕太に帰る場所を作ってあげられる人だ。

 

 かなわないな──と、喉の奥で声は掻き消える。祭りに浮かれた初恋の人の横顔を、暗がりの中ミミカはじっと眺め続けている。

 目に焼き付けるように。

 躓きながらも演劇は着地し、舞台の幕が下りる。

 一人で万雷の拍手を届ける裕太に周りが引く中、夢から覚めるように教室の照明がついた。

 

 

 ◆

 

 

 夜も更け、台高祭はつつがなく後夜祭を迎えた。体育館に生徒を吸い取られた校舎は静かで、人気のない渡り廊下にミミカは立っている。手摺りにもたれて伏せた視線は、掌の真珠に注がれている。

 

 耳を澄ませばその日限りの学生バンドや、ダンスの祭囃子が遠く聴こえてくる。皆、この日の為に準備して来たのだろう。どこにも馴染めず体育館を抜け出して黄昏れるミミカの頬を、時折そよ風が撫でた。怪獣とヒーローが現れたあの夏から随分と経った。振り返れば何もかも嘘にしか思えないあの騒動を実感させてくれる物は、今やこの手にある真珠だけだ。

 

 「……もう、動いてくれないんだね」

 

 7月32日以来、真珠は沈黙を守り続けている。思えばこの御守りが震え出した時期も、怪獣の出現と同期していた。怪奇現象が鳴りを潜めてやっと、始まりから終わりまで自分を守ってくれたのだと受け入れられた。

 それに気付いた所で、真珠は宇宙の安全を保証するように何も語ってはくれない。ミミカにとっては、友達を失ったような気分だった。

 

 何も考えず、終わりを待つようにただ時を過ごす。何も見ていないつもりでも視界は僅かな変化を捉え、見渡す校舎の窓越しに、廊下を歩く人影を見つけた。

 

 緊張がちに前を歩く響裕太と、距離を置いて後ろに続く宝多六花の姿が、そこにはあった。

 

 二人を見つけたその瞬間、どこかに落っことしたみたいに失くした心が騒ぎ始める。手摺りに預けた両腕に顔を埋める。現実から目を塞ぎ何も考えたくないのに、頭はフル回転している。

 

 裕太はきっと──これから六花に告白するだろう。

 

 ずっと目で追ってきたから、痛いくらいにわかる。

 

 歩調が合ってないことにも気付かない、どこか落ち着きのない裕太の態度。学園祭のそこかしこに漂う、日常と非日常の溶け合う空気。その全てが、用意されていない物語。

 

 二人の向かうゴールは、次のスタートになるのだろうか。真珠を握り締めながら考える事はそれだけで、疎外感はいや増した。

 

 ピクリと、手中に懐かしい振動を感じられなかったら、ミミカはまた顔を上げられなかっただろう。

 

 「……ぇ」

 

 希望に縋って掌を開く。カタリ、カタリと、眩い月光を受けて真珠は揺れている。悲しみの淵に差し込んだ光は、すぐに感情を掬い上げてはくれなかったけど、徐々に目の前の事に切り替えられた。

 苦しい時、危機が差し迫った時、自分に呼び掛けてくれる何か。こんな胸の痛みまで、真珠は感応してくれている。

 

 「……あなたと、話せたらいいのにな」

 

 ミミカはその一粒を宝物のように、胸元に抱き寄せて手を重ねた。

 たったそれだけで、救われていたのに。

 

 〈──やぁやぁ。お取り込み中失礼〉

 

 何の前触れもなく、一人きりの渡り廊下に慇懃無礼な挨拶が通り抜けた。独り言のように空虚な声色は男性のもので、ミミカはすぐに反応出来なかった。足音も立てず、何者にも気取られず、初めからそこにいたかのように現れた他者が、背後に立っている。

 ミミカは、勇気を振り絞って振り返った。

 

 〈おや。一人のようだねぇ。一体何を話してたんだい? こんな所で〉

 

 飄々と場にそぐわない語り口でミミカを気遣うその存在を、発された低い声域通りに男性と形容するべきかは定かでない。否、外観からして彼は人の理を外れていた。

 

 夜に溶け込む黒衣に包まれた体躯は2メートルに達し、骸骨のように剥き出しになった歯と、白いサングラスの形状をした目元、髪の代わりに頭部に揺らめく青い鬼火を闇に浮かべて、幽鬼は其処に立っている。

 ミミカは我知らず胸の上で真珠を掻き抱く。もたれかけていた鉄柵は今や檻でしかない。言葉を用いる事でしか、怖気付いたこの身体を奮い立たせる事も出来ない。

 

 「……なんなんですか、あなた」

 

 〈これは失敬。挨拶が遅れてしまったね。ワタクシ、クライシス・ケリヴというものです。ご覧の通り、お客様です〉

 

 ピントのズレた自己紹介と共に彼──クライシスがお辞儀をすると、身体にバツの字を描くように巻きつけられた鎖が音を立てた。まるで囚人のような有様だがあらゆる言動が明瞭を得ない。道化師の仕草が板に付いた胡散臭さの塊は、機械仕掛けにもコスプレにも見えるその顔貌の口許を電子ピアノのように発光させて言語を弄する。

 

 〈君はお祭りに参加しなくていいのかい? 美咲山ミミカ君〉

 

 出鱈目な登場をしておきながら彼の問いは核心に近い。名を知りながらもその口調には、ここまで逃げてきたミミカを責める色も乗せられてはいなかった。彼が幾ら無害を装うと、相手をするべきではないと理性ではわかっている。けれど落とし所を失った情動は吐け口を求めて、機を伺っていたかのように現れた彼だけが悪戯に噛み合っている。

 

 「……いいんです。わたしには」

 

 居場所なんかないから

 続く心底からの本音は言葉にしてしまえば呪いになる気がして、口内で押し殺す。いつまでも悲劇のヒロインなんて演じていられない。それでも思いっ切り悲しみに暮れたい夜はあって、クライシスを振り切って逃げ出さない自分にまた嫌気が差す。

 

 〈退屈のようだね。なら私達は似たもの同士だ。仲良くしようじゃないか〉

 

 沈み切ったミミカとは対照的にクライシスはどこまでも喜々としていた。底無しに堕ちていく事に対する仄暗い歓びに、ミミカは共感を見出せない。彼ならきっと千言万語の悪態を吐こうと受け入れてくれる気がした。何にでも耳を傾けてくれて、都合の良い赦しを施し、望む甘言を振り撒く。それでは最早何も聞いてないのと同じだ。救いという麻薬を与え慣れたやり口。彼の結論は規定事項に過ぎない。言葉が、通じない。

 

 「……さっきから、わからないです。……あなたの言ってること、何一つ」

 

 逃げ場もないのに後退る。頼みの綱の真珠に、もう一度だけ奇跡を願う。果たして祈りは届いたのか、指の隙間から光が溢れた。あんなに願っても叶わなかった、光が。

 

 〈そうかい? 君の友達は、もうわかってるんじゃないかな〉

 

 夜を払う光輝にさえ、クライシスは動じなかった。それどころかこの状況を見越していたかのような態度に、ミミカは薄ら寒さを覚える。それでも一度発信したSOSにブレーキはかけられない。木から落ちる果実のように、運命は曲げられない。

 

 〈さぁ──お目覚めの時間だよ〉

 

 悪魔は穏やかに呼び掛ける。ミミカの内で膨らむモノに。眩く辺りを照らす真珠に。サングラスの奥で吊り上がる眼は、ショーでも観劇するように情動が解き放たれるのを待っている。

 一際強い輝きが、数瞬の後に止んだ。

 ミミカは、握り締めていた手を開く。

 歪みを持って生まれた真珠が鼓動を立てて、卵のようにひび割れた。

 

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