グリッドマン リバース -Lost Letter-   作:od-

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ROLLBACK.3 出会いと別れって、なに?

 

 体育館に籠るバンドの音楽。

 校舎に張り付いた夜のぬめり。

 賑わう後夜祭の隅でミミカの手にあるヒビ割れた真珠だけが、どこまでも日常からかけ離れている。孵化する直前であろう〝何か〟が生まれる決定的瞬間を、目にする事は叶わなかった。

 真珠は突然太陽の如く発光し、ミミカは咄嗟に視界を庇う。渡り廊下の暗さにまた目が慣れると、自分とクライシスと名乗る男の間に、見知らぬ誰かが立っていた。

 

 いや──〝知らない〟という表現には語弊がある。

 

 ミミカは最初、場違いにも鏡を見せられているのかと思った。

 

 だって〝彼女〟は、あまりにも自分と同じ顔をしていたから。

 

 髪色も髪型もヘッドホンも、背格好や靴に至るまで、コピーペーストしたみたいに瓜二つな自分が、瞼を閉じて目の前に立っている。先程の光がカメラのフラッシュのようなものだったと説明されれば、ミミカは納得せざるを得なかっただろう。

 

 それ程までに精巧な、美咲山ミミカという女子高生を模した〝何か〟が、瞼を開きかけていた。逃れられないその時がミミカにはミイラが動き出すよりも怖い。掌から真珠が喪われている事の答えを、きっと彼女は持っている。

 

 薄く開かれた瞼の下にある赤い瞳だけが、ミミカとは異なっていた。

 

 最初に彼女は自分の手を確認した。自由自在に動く指と、それから肌に触れる空気と、目に映る全てを。他人のミミカがそうと確信できる程に、仔細に五感を味わっていく。手を振りツインテールやスカートを翻し、その場をくるりと回りながら顔を輝かせるその様は、全身全霊でこの世界を遊ぶ赤子のようだった。

 

 はち切れんばかりの笑顔で。

 

 あんな顔、ミミカには出来ない。

 

 彼女が所謂スワンプマンのようなものだとして、当のオリジナルである筈の自分よりも解き放たれている。表情筋のバネが違う。そんな事に気を取られていると、先程の恐怖感はどこかに霧散してしまった。

 

 「あの……」

 

 だから、思わず声を掛けてしまったのかもしれない。

 

 全身の操縦に無我夢中だった彼女は、ミミカの制止でやっと周囲を認識した。〝自己〟を固める事は、彼女にとって足場作りのようなものだったのかもしれない。他者に気付くと彼女は「わぁ……」と感嘆の声を漏らし、親鳥を見つけた雛の如くミミカに飛び付いた。

 

 「ミミカ!!!」

 

 そのはしゃぎようといったら、初めてサンタに会った日でもミミカには覚えがない。同じ顔をしているせいかいちいち比較してしまうけれど、それ以上の思考は出来なかった。彼女に思いっ切り抱き付かれて、背中が渡り廊下の鉄柵にまたぶつかる。制服越しに触れる身体は暖かくて、生きている鼓動がした。

 

 「やっと会えた……」

 

 何故彼女は、生き別れた肉親に会えた子供のような、純粋無垢な顔をするのだろう? 幾らでも拒絶出来たはずなのに、ミミカは彼女の肩に手を置いてやんわりと引き離す。

 

 「……あなたは、一体誰なの?」

 「私? 私はね、あなたとずっと一緒にいたよ?」

 

 質問一つで彼女はすぐに機嫌を良くした。ミミカと話せる、と言う事が、彼女には願ってもない事らしい。そうした幼気(いたいけ)な言動の数々に、あの真珠に投影した自分の想いを省みる。薄々気付きかけていた答えを、ミミカは口にした。

 

 「じゃあ、あなたがあの時、わたしを守ってくれた……?」

 「うん! そうだよ!」

 

 照れ臭そうに彼女は笑って、飼い主が帰ってきた小型犬みたいに何度か飛び上がった。暴れ回るツインテール。同じ顔なのに、似ても似つかない表情。なんだかこっちまで、こそばゆくなる。

 怪獣が闊歩していたあの夜、真珠が作った繭の中で覚えた安堵が、喜びと共に胸を込み上げた。

 

 「わたしも、ずっと会いたかった。でも、なんでこんなにそっくりに……」

 

 御守りが人間になったり、突っ込みどころを挙げたらキリがないけど、当面の問題がそれだった。

 目の前の彼女は小首を傾げている。生まれたての童は解を持たず、ミミカは言うまでもなく門外漢。疑問の解消は人ならざる者に託された。

 

 〈それは君が一番よくわかってるんじゃないかな? 怪獣の種を持っていた頃の事を、よく思い出すといい〉

 「わたしが、願ったこと……」

 

 影のように真向かいに立ったクライシス・ケリヴに促され、ミミカは今までを振り返る。

 真珠を拾ってから願い続けてきた事。原点まで遡るなら、それは裕太を目で追いかけたあのピロティから始まる。

 彼に傾けた恋慕を振り切る為に、演劇部の稽古を見守った短い日々。それ自体は瑣末なきっかけだったかもしれない。それでも自分はあの場に立ち会って、不用意に思ってしまった。

 

 自分じゃない誰かになりたい、と。

 真珠に込められたのは、その情動の反映だ。

 ミミカは自分とそっくりな彼女をもう一度見つめる。上手に笑って、はきはきと喋って、生気に溢れた彼女を。

 自分とは違う自分。きっと彼女は、真珠という卵の中で自己の輪郭を探していたのだ。ある意味ではミミカの理想をなぞって、その殻を破いた。

 

 「そっか。わたしが、誰かになりたいって願ったから……」

 〈ふむ。本来の形を持たないが故に、あらゆる姿になれる。さしずめ有無相生怪獣といった所か。彼女が望むなら、どんな怪獣にもなれるだろうね〉

 

 〝怪獣〟

 その二文字を耳に入れた瞬間、身体が凍り付いたように強張った。ミミカ自身あの真珠が常識の外にある事は理解していた。だがよりにもよって、あの破壊の化身と出自を同じくしていると知れば、否が応でも認識が変わる。クライシスの言には重みがあったが、当の彼女は唇を尖らせていた。

 

 「そんな可愛くない名前じゃ嫌。ねぇ。私の名前、ミミカが考えてくれないかな?」

 「わたしが? いいの?」

 

 己が何者であるか定義する術を、彼女は他でもないミミカに委ねてくれた。赤い瞳がどことなく物欲しそうに揺れている。(こいねが)うように眉尻を下げて、彼女は続けた。

 

 「うん。ミミカに付けて欲しいの」

 

 たったそれだけの事で、毒気を抜かれてしまった。

 彼女が形を得る前からしてくれた事への恩義を、不安を煽られただけで打ち消した自分を恥じた。その気持ちに応えたいと、自然体にそう思えた。

 幸い、名付けを頼まれてすぐに思い浮かぶワードがミミカにはあった。遠い昔、名前を弄られた頃に何度も思った。母の名前を一文字貰って、綺麗な音で呼ばれたかった、と。

 

 「……レイラ。あなたは、美咲山レイラ」

 

 秘め事のようにミミカは囁いた。生まれたばかりの誰かに名を与える事が、自分には酷く不相応な事に思えて、それでも相手が喜ぶ事を期待してしまう。その癖、恥ずかしさにいたたまれなくなる。

 目を伏せたミミカの前で、彼女の手がそっと伸びた。

 ミミカの胸元に左手を当て、自分の胸に右手を運ぶと、彼女は祈るように声を潜める。

 

 「──私は、レイラ。あなたは、ミミカ」

 

 瞼を閉じてそう唱える彼女は、やっぱり鏡を見るようで、こうしていると高校デビューで挑戦したピアスや染髪も全然中身が追い付いていない。幼い頃初めて書いた、拙くて読むに足らない手紙を読んだ時も、似た羞恥心を覚えた。

 限りなく自分に近い他人。根っこの所で、ミミカとレイラはほとんど等しい。二人の頬は、同じ熱を帯びていた。

 

 「……ありがとう。素敵な名前をくれて。なんだか、くすぐったいね」

 「ううん。わたしこそ、あの時助けてくれて、ありがとう」

 

 胸元の手に手を重ねてミミカは答えた。その時初めて、レイラと心から話せたように思えた。鬱屈としたものが氷解していく。冗談でなく生まれて初めて、誰かの居場所になれた気さえ、したのだ。

 

 〈さて、話は纏まったかな? そろそろ本題に入ろうか〉

 

 ミミカには人生のピークでも、クライシス・ケリヴには見世物と大差ないのだろう。冷や水を浴びせられた気分だったが、そもそも沈黙を守っていた事が不可思議だ。空気を読むという行為自体が、人を外れたその外見に似つかわしくない。振り解ければ楽なのに、その声は美酒のように聞く者を酔わせる。

 

 〈美咲山くん。君さえ良ければ、もっと住み心地の良い場所を私が与えよう。この狭い檻を抜け出して、誰の顔を窺うこともなく、望むままに生きられる世界を〉

 「……なんで、そんな話をわたしにするんですか?」

 〈君が君自身を嫌いだからだよ〉

 

 その断定は警戒も思考も飛び越えてミミカの芯を捉えた。皮肉にもこの場に、レイラというミミカの理想図が居合わせている事自体が、クライシスの結論を補強していた。

 

 「ミミカの気持ちを、あなたが勝手に決めないで」

 

 間に割り入るレイラの後ろで、彼女に悪意がないとわかっていても、ミミカはどうしようもなく劣等感を抱いた。

 

 「……いいの。その人が言ってること、そんなに間違ってないから」

 

 庇ってくれた彼女を追い越して、クライシスの元に歩み寄る。視界の端で自分を止めかけたその手に、見ない振りをした。

 縋り付く相手を選べた筈なのに、ミミカはクライシスを見上げて声を絞り出した。

 

 「そこに行けば、何かが変わりますか? ……こんなわたしでも、変われますか?」

 

 打ちひしがれるような絶望はない。誰か大切な人を失った訳でも、ましてや大きな挫折もない。ただの失恋。恋煩い。ほんの一歩踏み出したら何かが変わったのか、確かめたいとも今は思わない。ただ、誰も恨みたくはなかった。

 

 今から踏み出す一歩が、前なのか後ろなのかもミミカにはわからない。狂い始めた歯車が指し示しているのは、自分の気持ちを受け止めてくれる相手が、この幽鬼だけだという事。

 風もない夜に頭部の鬼火を揺らして、骸骨の口許が再び発光を繰り返す。どこまでも耳障りの良い言の葉を添えて。

 

 〈望むなら新しい世界で、君は神様にだってなれるとも。丁度いいじゃないか。この世界から君がいなくなっても、彼女が代わりになってくれれば〉

 「わたしの、代わり……」

 

 ミミカが振り返ると、レイラは悲しげな顔をして、ほんの一瞬目を伏せた。

 

 「……それが、ミミカの望むことなら、わたしも手伝うよ」

 

 次に瞼が上がった時には、ミミカとの唯一の差異だった赤い瞳は、いつの間にか紫苑の色に変わっていた。

 これでもう、誰から見ても見分けられない。血の繋がった両親でさえ、外見だけでは判別出来ないだろう。彼女がミミカの振りをする事は、造作もない事のように思えた。

 ただ教室の隅でじっとして、いるかいないのかわからない生活を繰り返すだけで、美咲山ミミカという人間の居場所は取って代われる。失う物がない、というのは、こういう事を言うのだろう。

 

 レイラは淋しげに微笑むだけで、それ以上何も語らない。立ち会うクライシスは一連のやり取りを合意と見たのか、自らを縛る鎖の音を立てて動き出した。

 背中を向けた彼に視線を移すと、渡り廊下の中腹に、次元の裂け目が開かれていた。深淵の入り口はきっと、上辺だけの善意で舗装されていた。

 

 〈ほら。レイラくんも承諾してくれた事だし、君が心配する事は何もない。彼女のような友達も、この先たくさん出来るとも〉

 「とも、だち……」

 

 その響きに対する違和感をミミカは咀嚼出来ない。友達に代わりがいるとしたら、裕太を取り囲む人間関係もまた、替えが利くものなのだろうか? そうじゃない、と言いたかった。戦う勇気さえ、この時のミミカは持てなかった。

 ただ、考えることさえやめてしまった奥底で、(いざな)われるままに芽生えた願望は、

 

 「……貴方には、わたしが必要ですか?」

 〈ああ。勿論だとも〉

 

 真偽の確かめようもないその言葉が、乾いた心に染み込んでいく。例えそれが奈落への片道切符だとしても、足は次元の裂け目に向いていた。レイラに全てを放り投げて、身勝手な自分から逃げるように一歩は軽くなる。

 

 「頑張ってね! ──お姉ちゃん!」

 

 掛け値なしの善意で背を押してくれた彼女が、どうしてそんな呼び方をしたのかはわからない。最後に肩越しに見えたレイラは笑顔で手を振っていて、同じ顔の作りなのに底抜けに明るくて、でもやっぱり、自分を誤魔化しているようでもあった。

 

 きっと、運命の岐路があるならここだった。

 

 クライシスを包むマントが翻り、ミミカの視界を覆い隠す。

 

 終わらない夜の始まりに、出会いと別れは一遍に訪れた。

 

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